4.良心の悪しき結果(サフメル)
タシアは、アトリエに付属している、貸家の台所で、何者かに殺された。彫刻刀で、何度も腹部を刺されていた。
クレイはアトリエで、彫刻の下敷きにされていた。頭を石で何度も殴られていて、下敷きになった時点で死亡したが、犯人は、首筋を刺していた。
先にクレイ、後からタシアが殺された。
メイドのタラサは、普段は夜までいるが、その日は昼に帰っていた。近くの小学校で、校庭で皆が遊んでいる時に、花火を投げ込んだ奴がいて、彼女の息子は怪我はしなかったが、犯人を見ていた。
タラサは、警察から息子を連れ帰った後で、夜になってから、一度、タシアの所に戻った。その日はクレイの誕生日なので、タシアは、かなり手の込んだコーデラ料理を作るつもりでいた。なので、様子を見に行ったのだ。タシアは料理は得意だが、ラッシルの内海湾岸とプラティーハでは、手に入る食材や、調味料が異なるため、たまに不思議な味付けになってしまうことがあったからだ。特に手の込んだ料理だと、そうなりやすいそうだ。(クレイは料理はさっぱりで、そのあたりの事情を解らず、揉めることがあったらしい。)
また、花火の事件のあった後で、目撃者の身内と言うこともあり、警官が一人、付き添っていった。
行ってみると、アトリエには灯りが点いていたが、貸家には点いていなかった。二人とも、アトリエにいるのだ、と思い、先に寄った。しかし、声を掛けても、返事がない。アトリエ内には、みだりに立ち入らない契約になっていたので、貸家に向かった。すると、凄い勢いで、走ってくる男にぶつかった。タラサは転び、男は怒鳴ったが、警官を見て、さらに凄い勢いで駆け去った。警官は追おうとしたが、タラサが、
「あれは、マレーポール先生の居候の一人よ。後で、先生に言うわ。」
と言ったので、貸家に向かった。
正面玄関からは返事がないので、勝手口に回る。ドアが大きく開いて、台所には、灯りが点いていた。しかし、誰もいない。中の扉を開けて、奥に進むと、キャンドルのみの灯りの中、夕食の支度のしてあるテーブルの足元に、タシアが倒れていた。
タラサと一緒にいた警官は、直ぐに仲間を呼び、港にも連絡を入れた。逃げ出した男を、港の季節労働者だと思ったからだ。だが、事件のほぼ直ぐ後、湾岸内を巡る定期船と、エカテリンに向かう列車が出ていて、どうやらそれでタイミング良く逃げたらしく、直ぐには捕まらなかった。
タラサからモデルの一人、と証言があったので、アトリエにあるスケッチは全て調べられた。
一番、頻繁に登場している、チューヤ系の、大柄で、やたら目の大きい、左目の下に傷のある男が、現場から逃げた男と人相が一致した。
似顔絵と供に手配したら、ローデサ警察から、程なく捕まえた、と連絡があった。
逮捕された男は、ニコ・ヒラルと言い、トエンとラッシルのハーフで、湾岸を巡る季節労働者だった。彼は、犯行を否認した。ローデサに行くことになったから、約束したお金を受けとりに、アトリエに行ったら、クレイが殺されていた。慌てて母屋に向かったら、タシアも殺されていた。だから、恐ろしくなって、逃げ出した。そう供述した。
だが、彼は「私刑」になった。
弁護側は、タラサとぶつかった時には、暗くてわからなかったが、直ぐ出たローデサ行きの船に乗った所で、服には血が着いていなかった、と、船員たちが証言している、と主張していた。犯行後に服を替える余裕はなかった、という訳だ。一時はそれで有利になったが、地元の雑貨屋の証言で、また不利になった。
タシアの脚に、軽い火傷があって、それは火薬によるものと判定されたのだか、ヒラルは前日に、雑貨屋で、火薬を購入していた。その日は買い出し担当で、火薬も頼まれた中にあったから買っただけだ、と主張した。これは雇い主も証言したが、物品の管理がいい加減で、一部を誤魔化したかどうかは確認できなかった。
また、学校の花火事件のほうで、「犯人がヒラルに似ている。」と、噂が流れ始めた。花火犯の顔をはっきり見たのは、タラサの息子だけで、彼は「似てるとこもあるけど、背の高さが全然違う。顔に傷はなかった。」と証言していた。だが、子供だから、怖がっているんだろう、と、証言の信憑性を疑問視する声が多かった。
タシアの火傷と合わせ、花火を使用した連続殺人犯の模倣だ、悪質だ、と、世論は死刑を望んだ。
だが、裁判官は、無罪の判決を出した。にもかかわらず、裁判所を出た所で、殺到した市民の、いわゆる「将棋倒し」の下敷きになり、ヒラルをはじめとして、記者と護衛含む三人が圧死した。
これは「私刑」か「事故」かで、論争を招いたが、最終的には、犯人はヒラル、正義感の強い市民の巻き起こした悲劇、ということになった。
だが、残された者達にとっては、ヒラルや市民達より、深刻な変化が待っていた。
一口に言うと、「タシアが死んでしまってから、全てが変わった。」。
父が葬儀の席で、取材に来た記者と争っている時に、興奮しすぎて倒れてしまい、そのまま他界した。俺は知らなかったが、前にも一度倒れた時に、次は危ない、と言われていたそうだ。一年前に「風邪と飲みすぎ」で入院した時が、それだった。母は知っていたが、俺達に心配を掛けたくなくて、黙っていた。
父には、遺産はほとんど無かった。絵画はたくさん所蔵していたが、無名の若手の物が中心で、何年もたったら価値も出るだろうが、当時は二束三文だった。若手の支援団体にもかなり出資しており、俺達の生活費は、母の店の収入で賄われていた。ただ、母は父を立てて、その辺りの話は、俺とタシアにはしたことがなかった。
その母は、タシアと父の死んだショックで、気が抜けたようになり、店は開けても、ぼうっとしていることが多く、あれこれミスするようになった。わかりきったことを間違うようになったので、医者に見せたら、ショックから、急速に老化する病だ、と言われた。
このため、ゴールダベル方面で、飲食店をやっている、母方の叔母夫婦に相談し、店は従姉妹のベルと、夫のシアスに任せる事になった。俺は美術学校を辞めて、大手の警備会社に就職した。父の知り合いの紹介になる。
叔母一家は、跡取りを追い出してしまう形になるので、気にしていたが、母は施設に入ることになり、新婚のベル夫婦と住むのも気が引けた。ベルは、おおらかな質で、気にしなかったが、シアスは違うだろう。それに、店は「女将」で売っていたので、女性のベルのほうが、雰囲気が変わらなくてよい。シアスは意外に美術に詳しく、ゴールダベル沿線よりは、プラティーハで飲食店をやるのに、乗り気だった。
父の死の影響で、イシェイとジェイロも、街を出ることになった。
イシェイは、プラティーハ芸術大学を受けて、毎回、一次選考には、いつも残っていた。しかし、父の死後、一次以前の、書類審査で落とされてしまった。何年か受け続けても、絵に進歩がなく、見るべき所がないから、という理由付きだ。イシェイは、何の警告もなく、いきなりそういうことになったのは納得が行かず、抗議に行った。その時、口論の末、係官が、
「今までは、ロト教授のお弟子さんと言うことで、一次までは、仕方なく通していた。」
と発言して、問題になった。ゴシップ雑誌は「不正発覚か」と取り上げたが、これは直ぐに訂正記事が出た。イシェイの抗議が激しかったので、係官も、売り言葉に買い言葉だったようだ。その係官は退官にはならなかったが、処分はされた。
イシェイは、「都会で名を売る」と、街を飛び出した。一度だけ手紙が来て、ナンバスでコンクールに出す、と書いてあった。ナンバスには、公園で絵を描いている時に、ナンバス美術学院にスカウトされた、画家のクリッカの逸話がある。コンクールではなく、公園の自由展か何かだろう。どっちにしても、どうなったかは分からない。
ジェイロは、その時は試験は諦め、聴講だけだった。彼は、「いい機会だから」と、絵は止めて、建築の学校に入るために、ベルラインの親戚の家に寄宿した。建築なら、プラティーハにも、よい学校はあるが、遠くに行きたがったのかもしれない。
俺の場合は、残された資産状況では、一年くらいは働かなくても良いが、これ以上伸びない美術を続けるには足りないため、まだ一からやり直せる年のうちに、と、早く就職を決めた。
画家の玉子から、警備会社、転身は自分で決めた事だ。未練がないわけではないが、結果的には、良かったと思っている。
多少なりとも、タシアの「敵討ち」が、できたからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます