[2[.狼頭の王
1.戦火の広がり(ガルデゾ)
煙が上がっていた。炎ではなく、魔法のものだった。吹き上げる紫色の煙は、飛竜のように蠢いている。
「皮肉な事ですな。」
と、タルカスが言った。キャビク山の麓から連なる尾根、横に長い「炎の神の遺跡」。一角から上がる煙。湖を挟んだ本陣から、この遠からず陥落する古の信仰の象徴を、静かに眺める。本陣は、遺跡の向かいの港に、湖用の小さな船を連ねて、簡易な天幕を張っただけの物だ。しかし、一見頼りないこの陣が、堅牢なはずの遺跡の砦に勝っていた。
タルカスは、
「次は?」
と重ねて問いかけてきた。コーデラの提督である彼は、あくまでも、我々に協力、という立場を貫いている。次が決まりきっていても、我々を立て、必ず、問いかけてきた。
使者を送るか、攻めるか。取るべき策は決まっているが、まだ、次を決定する要素がない。待機で、と答えようとしたが、折よく、伝令が飛んできて、
「確保しました!」
と叫ぶ。沸き立つ。これで、決まった。
「無傷です!ですが、他は不明です。」
「そうか。それでは、大砲の用意を。」
と俺は告げた。沸き立っていた兵士達が、静まり返る。
「しかし、それでは、その...」
と、部下の一人が口ごもる。
「覚悟の上だろう。俺もだ。」
他に、何の選択があっただろう。俺は、未来を選べる立場ではないのだ。
「船を用意してあります。東側に接岸して、長城の中に進みましょう。」
と、タルカスが俺に言った。俺は目を向いた。
「もともと、こちらが有力でしたから、準備は整っています。それに。」
彼は、珍しく、笑っていた。
「もし、『陛下』であれば、こうしたと思いますよ。『フィルスタル・キャビク』でしょう?
最後まで、より良いものを目指しましょう。唯一の物、王家に相応しく。」
彼の言う、『陛下』が、誰のことか、もう断定は出来ない。キャビクに『陛下』は増えすぎた。しかし、俺たちには、やはり選択肢はない
「行くぞ!ファルジニア・キャビク!」
俺は、叫んだ。呼応、銅鑼のように、大地がうねる。
※ ※ ※ ※ ※
昔、サンドが、ジャントのために、「フィルスタル・キャビク」と叫んで、大勢を変えた事があった。
※ ※ ※ ※ ※
あの時と今は、同じだ。だが、同時に、まったく、違っていた。
※ ※ ※ ※ ※
「反乱」は、最初はノアミルの陰謀だと伝えられていた。ラッシル商人のタッカが、人を駆使して集めた情報によると、帰って来なかったサンドは、ファルジニアを守って、賊に殺された。英雄として王宮の墓地に埋葬された。賊はカイオンが倒し、ファルジニアは修道院からアルトキャビクに移された。カイオンはそれで負傷し、ナスタシャは暴徒に殺された。オーレオンは生死不明、シャルリやエールは、存在すら語られない。ましてグレタの消息は、露ほども手がかりはない。
シーラスレに逃げたエイドルは、エルキドスと共に巻きかえし、アルトキャビクを奪回した。(エルキドスは裏切っていたわけだが、この時、直ぐには解らなかった。)
その間、ジャントの陣営は受難だった。今にして思えば、最初から、陰謀に嵌められていたのだろう。拠点にしたヘボルグ周辺から、暫く出ることが出来なかったからだ。
ヘボルグは、島の南にあった。周囲は島の中では土地が豊かで、広く交易のある街だ。領主のロイは中立と言う名の日和見な姿勢を、先祖代々、受け継いでいたが、座っていても利益がある街を、順調に維持していた。教会が目くじらを立てる「漁り火女」の風習が残っているが、教会との仲は多様な寄付の品々により、良好だった。
アルトキャビクは、島の真ん中にあるキャビク山の、東側の麓に位置している。地熱で温かく、農耕や牧畜も行われている。キャビク山が噴火しても、被害に合わない位置に作られた都だ。河川交通や、豊富な水源もある。都から東に進んだ海岸には、直轄港のシーラスレがあり、大陸の中立港シーラスへの門だ。
このシーラスからアルトキャビクを中心にした重要地域は、エイドル側が押さえていた。
島の北と西は、特産物や鉱産資源はあるが、土地は貧しく、非常に寒冷だ。しかし、海流の関係で、海産物には恵まれていた。(もっとも、港が凍結していない時に限るが。)
しかし、その北部から、リルクロウ・キャビクを名乗る氏族が南下してきた。彼等の首領のアドモンドは、はるか昔に、フィルスタル・キャビクに破れて、追放された王の子孫、と自称していた。マニクロウと言うことが被るが、血縁は主張していなかった。
さらに、都を追われた、下層階級や移民が集まって作った、デラクレス・キャビクという団体が、あちこちに出没した。彼等は、纏まりがなく、土地ごとにリーダーのいる、ばらばらな団体だったが、数は多かった。どの陣営に属すか迷ったら、とりあえず名乗っておけ、という方針だったようだ。
全体の代表は、そのまま「デラクレス」という男だったが、以前は何をしていたかは不明だ。
この二派が、アルトキャビクとヘボルグの間を分断し、ジャントは帰還を阻まれていた。
特にデラクレスは、ヘボルグからシーラスレに船で行こうとした場合の、寄港地になりうる重要な港町を押さえていた。俺達は海軍を連れていたが、元は味方の街に、全面攻撃を仕掛ける訳にも行かず、奪還には手間取った。
さらに、ノアミルの陰謀というのが、皆は信じられず、最初は足並みが揃わなかった。ジャントは、サンドが殺された事に憤ってはいたが、そこは冷静に判断し、ノアミルの裏切りは、内心は信じていなかった。父のアージュロスも、ノアミルの人柄から、弁護していた。一方、ノアミルの娘と孫は、エイドル側と懇意であり、それがこの日のためだった、という可能性も捨てきれない。
しかし、皆、基本は、リルクロウとデラクレスが共謀して、陰謀の中心にいる、という意見では、一致していた。エイドルが中心であれば、ナスタシャは殺さない。都を襲うなどは尚更だ。
むしろノアミルよりはエルキドスが怪しいが、彼はジャントと対立することもあったが、双子問題に関しては、ナスタシャを諌めることも多かった。国王はジャント単独、の姿勢は保っていたので、可能性は薄かった。
そう思っていた。
しかし、それらは一夜にして覆り、エルキドスの企みが明らかになった。
アルトキャビクから、エールとシャリーンが逃げ出して来たのだ。(シャルリも最初は一緒だったが、「ファルジニアの面倒を見る者がいなくなるから」と、途中で引き返していた。)
二人の口から、真相が語られた。
ジャントは激昂し、「打倒エイドル」を高らかに叫んだ。都は取り戻さなくては。全員が一丸となる所だが、俺は異議を唱えた。カイオンが、エール達を逃がした、という点を重視したからだ。彼女達がこちらに合流したら、嫌でも真相は明らかになる。カイオン、要するにエイドルが、わざと真相を伝えようとしたのではないか、と考えた。つまりはエルキドスがエイドルを利用したと考えて。ジャントも、
「可能性はある。カイオンとグーリは、こちらの味方かもしれない。」
と再考した。が、これはターリから異議が出た。
彼はグーリに関しては、疑っていなかった。しかし、カイオンは違う。基本は陽気で人当たりの良い男だが、かなり野心的な所があった、と言った。ジャントの養人を外された時に、酷く落胆していたので、グーリと共に、飲みながら話を聞いた。その席で、色々聞き出した。彼は、王家には喜んで仕えていたが、最終的には高い地位が欲しい、孤児の自分には後ろ楯がないから、と言っていた。
「エルキドス隊長の養子なのに、後ろ楯がないなんて、変な言い方に聞こえると思う。だけど、話によると、隊長がカイオンを養子にしたのは、頼りないシルスの手助けもあるけど、最終的には、ガダジーナの婿にしたかったかららしいんだ。ガダジーナには、遠目に顔を見たことしかないから、俺にはわからないが、体が弱いだけじゃなくて、他にも問題があるらしくて、カイオンは嫌っていた。
隊長は、シルスよりカイオンを買っていたが、彼がエールと婚約した事は、喜んでいなかったそうだ。」
しかし、この観点なら、反対に、エルキドスに反発する可能性は高い。
カイオンと同じ孤児出身のサンドは、身分がジャントの養人以外には無いにも関わらず、無心で王家の役に立ちたいという性格だった。比較すれば、確かに、野心的とは言える。しかし、ターリとグーリは、エルキドスには目をかけられていたから、俺たちよりもカイオンと接する事は多かった。ターリがここまで言うのは、軽視できない。
これについては、エール達にも話を聞いてみた。別々に呼び出して、意見を聞いた。シャリーンは、ノアミルを殺したのはカイオンだと考えていた。ただ、殺す所を見たわけではない。だが、彼女とエールを押さえた部隊は、カイオンが仕切っていた。
「最後の行動が謎ですが、エールに対する罪滅ぼしだったと思います。」
エールは、泣きながらではあったが、だいたい、シャリーンと同意見を述べた。しかし、カイオンが自分達を逃がした件については、
「カイオンは、頭の良い人だった。だから、誰が勝っても良いようにしたかったんだと思います。」
と、冷めた見方をしていた。
どちらにしても、アルトキャビクと連絡が取れない限り、カイオンもグーリも、味方に付けるのは無理だ。それより、街の被害が気になったが、シャリーン達によると、
「破壊や略奪にあったのは新市街の下町だけで、宮殿周辺や旧市街、富裕層の住宅街は無事。」
と言うことだ。
「そのため、城に勤めている者達には、驚くほどに危機感がありませんでした。下働きは城に住み込み、身分や役職のある者は、みな、旧市街に住んでいますから。
私達は、宴会の最中に隙きを見て逃げ出した訳ですが、カイオンが計らったとはいえ、反乱を起こしたとされる宰相の妻と娘が、簡単に逃げ出せるくらい、緩い警備でした。城では、私達には、ろくな監視もつけず、エイドルの身の回りの世話をさせていました。」
他にも、オーレオンが逃亡した時に付き従った忠義の家臣と、エルキドスに従った不忠の者達の名を聞き出した。意外な連中が裏切っていた事に、ジャントは憤慨していた。
都に戻ったら、即処分すると言っていたが、何よりもまず、戻るのが先だ。
しかし、前述の事情で戻れず、やむを得ずへボルグに拠点を起いた。
ジャントとシールはへボルグのキャビク聖女会の教会で、結婚式を挙げる事になった。へボルグ市民は大いに喜んだが、一部の兵士達は違った。
父とサンドが連れてきた海軍や、ターリの弓部隊は、移民や孤児、地方から単身上ってきた者が中心で、へボルグ近郊の者もいた。年齢も若く、都には家族がいない者が殆どだ。港を渡り歩いて生活するのには慣れていて、現状に対する不平不満はほぼ無かった。しかし、俺がノアミルから借りてきた部隊と、ジャントが率いてきた部隊は、違う。都に家族がいるし、まだ若い兵士は、下町に家のある者も多い。へボルグで王妃を娶る、というのが、へボルグを都にする、という事だと取る者もいた。すると、彼等は、帰れなくなる。長期滞在を見越して環境を整えたのが、その不安を煽ってしまい、脱走兵も出た。脱走兵は、敵陣営に寝返るつもりが無くても、厳しく処分するのが慣習だ。ジャントは拷問は嫌いで、しなかったが、処刑は止む無しだ。だが、兵力が衰えるのは困る。幸か不幸か、最初の脱走兵三人を処刑してからは、後に続く者はいなかった。彼等は、陸路を取ったが、途中の山道が土砂崩れで埋まっていたため、すごすご戻ってきた。同時に脱走して、海路を密航した者は、捕まらなかった。
この時に、ロイから、郊外に土地があるから、いわゆる「屯田兵」にしてはどうかと提案が出た。へボルグは穀物の自給率を上げる政策を取っていたからだ。
しかし、ジャントは断った。俺も反対だった。ずっと街を守るならともかく、遠からず都に戻らなくてはならないからだ。それに、農民は平和な時に、兵士は戦いで能力を発揮する者だ。街が求めるのは優れた農民、だが、俺達が必要とするのは、優れた兵士だ。両立は無理だろう。
だが、土地は借り受け、訓練所として使用した。漁船の造船所を海軍施設に、漁業の各種道具や薬品を作る施設を軍用にする。兵士の宿舎は宿屋だけでは足りず、借りた土地に小屋を建てた。
苦しい中、海軍は、ハイドロンとエラスの二つの港を、ようやく落とし、デラクレスから奪回した。ハイドロンは軍港、エラスは小さな貿易港だが、背後に穀物の産地がある。もしこの作戦に失敗していたら、物質的に後が無かった。
この方面については、タッカが大いに役立った。外国の商人は自由が利くので、情報を集めてくれたのだ。
個人の見解だが、「ラッシルの一商人」と自称するタッカだが、それを完全に信用するのは疑問だった。ラッシルは、現在、皇族の間で幾つも派閥争いがあり、タッカは「皇太子派」の貴族と懇意だと聞いている。エイドルに付いているのは、ナスタシャの系列で、「公爵派」に繋がる。だから、国の方針に逆らって、俺達に肩入れしているわけではないが、非常に協力的すぎる姿勢には、返って不信感を持った。
しかし、彼はコーデラ側にも顔が広く、へボルグで軍備を増強するなら、コーデラ沿岸の港町との取引は重要だ。彼は、都にも人をやってくれたが、旧市街から、城のある中央の区域には、出入りの制限が厳しく、「認可」された者しか入れなかった。
この「認可」には、ジャントは憤慨した。王はジャントであり、彼が認めた人物が、エイドルから閉め出されている事になるからだ。エイドルは即位こそしなかったが、アルトキャビクにいる彼は、実質、最高権力者と見なされていたので、それもジャントの神経を逆撫でした。
ジャントは、書状を書き、タッカに持たせたが、エイドル側は預かりはしたものの、返事は一切無かった。
都に対して、「進軍」をするかもしれない。明るく活気のあるへボルグに、暗い空気が流れた。
こういった空気は、当然、周囲の女性達にも伝わる。シールがジャントを宥めて、口論になることも、しばしばあった。このため、不仲説が流れそうになったが、折よくシールが妊娠したため、その説は消えた。
ジャントは喜び、
「正統な王の子供は、アルトキャビクで産まれなくては。そのためにも、都を早く取り戻す。」
と、弱まっていた士気を高めた。
しかし、シャリーンは、子供のいる身体で、アルトキャビクまでの道のりは遠い、と心配していた。父は、
「シャリーンの言う事も最もだが、士気に影響するから、表向きには目標を『都で』としておこう。」
と意見した。ジャントには、シールの頼みで、この話しはしなかった。
王妃懐妊の影響か、一年近い膠着状態を案じてか、ラッシルとコーデラの仲介で、急に会談が開かれる事になった。
四つの派閥の長が、大陸の自治都市のシーラスに集り、キャビク島に置ける権力図を確立させる、という主旨だ。俺達には、非常に無礼な内容だが、都をエイドルが押さえていて、兵士にも不穏な空気がある状況では、飲まざるを得ない。
ラッシルは、最近、キャビク山の北部から、新しく取れた、珍しい鉱石に関心があった。魔法を吸収する効果がある鉱物だ。ラッシルでも同じ物が取れるが、コーデラに対抗するために、たとえ少量でも、独占したいのだろう。
コーデラは、キャビク聖女会の「聖女コーデリアの生誕の地は、コーデラではなく、キャビク火山の麓の湖岸だった。」と言う説を気にしていて、島を押さえて揉み消したがっていた。
ジャントは、この会談はキャビクのどこかで、と主張したが、シーラスまで行ける船を持たないリルクロウが出席を蹴ったので、奴等を孤立させるために、出席を決めた。エイドル側も、これで無視は出来ないだろうし、良い機会ではある。
会談には、父が海軍を率いて付き添った。ターリは弓隊を置いて同行する事になったため、留守は俺が全部預かることになった。また、タッカが、これを機会にラッシルに戻ることになったため、彼等も共に行った。ラッシルは安全のために、自国の商人に制限を掛けたので、その影響もある。
去り際、彼は、
「有力者は情報を知りたがっているから、フィルスタル・キャビクの正統性を訴えます。」
と約束した。
しかし、彼が帰国して程なく、ラッシル皇帝が亡くなり、新しい皇帝はキャビク島への興味が無く、援助も干渉も無くなった。
だが、タッカ自身は約束は果たしてくれていた。俺達が再会した時、彼の支持していた皇帝は、妻のエカテリン皇妃からクーデターを起こされ、処刑された後だった。だが、タッカは、新生したキャビクと、新しく交易を希望する、女帝の使いの筆頭にいたからだ。
「あの会談。あれが転機でしたね。」
と、彼は懐かしそうに語った。
俺は相槌を打ちながら、「懐かしい」に共感する自分に、年月の重みを感じていた。
後に「シーラス会談」と呼ばれる会談は、フィルスタル・キャビクの半分をもぎ取った物だったからだ。
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