8.選べない運命(サンド)

王宮に到着して早速、エルキドスに促され、俺はエイドルに会いに行った。


具合が悪くて、寝込んでいる、戦勝祝いの宴会は明日なんだが、と、聞かされた。


先にゲルドルと一緒に、エイドルの部屋に行く。王の部屋でも自分の部屋でもなく、前にナスタシャが使っていた棟だった。医者の他、シャルリとエールがいた。


俺は、シャルリを見た瞬間、駆け寄りそうになった。だが、彼女が、俺に気付き、その顔を向けた時、冷水を浴びせられた気分になった。


冷たい瞳が、まるで、見知らぬ女のようだった。今まで、彼女の、こんな顔は見たことがない。疲れていたのもあるだろう。エイドルの看病か、看護師の着る白いローブを着ている。白い色はよく似合う。巻き毛の黒髪と、褐色の頬に良く映えるからだ。だが、親しんだ微笑みも、暖かい感情のこもった瞳もない。ただ、冷たい。


それもそうか。カイオンは、彼女にとって、婚約者の敵の一人だ。もう、彼女が、俺をサンドとして見てくれる事はない。黒い瞳に、恋人としての、俺が映ることは、二度とない。絶望、初めての感情だった。


傍らには、エールがいた。同じく白いローブを着ている。悲しそうな目で、俺を見ている。憂いを込めた顔は、儚げで美しかった。


彼女が美しく見えることに、少しほっとした。カイオンが、彼女を愛しておらず、恐らくは地位固めのための婚約だった、と今ではわかってしまった。だが、美しく見えるということは、俺には、俺の心があるということだ。


俺は、二人に、なんと声を駆けていいか、解らなかった。黙っていると、シャルリが、


「そんな、後悔しているみたいな顔を。」


と皮肉に言った。するとゲルドルが、


「やったのは、俺だよ。言ったじゃんか。ウィンドカッターの跡見りゃ、解っただろ。」


と言った。彼は、今は目元を隠しているので、表情は解らなかったが、声には不機嫌な様子を感じた。


「立派な葬儀を有難う、とでも?」


とシャルリが押収すると、彼女の影にいたシャリーンが、


「今は止めてあげて。気持ちはわかるけど、病室よ。」


と、静かに言った。医師が、


「殿下は、今、薬で眠り着いた所です。熱が高くて、直ぐに目が覚めてしまいましたから。


さっきまで、あなたに会いたがっていました、カイオン様。お会いになりますか?」


と遮るように言った。眠っているなら、会うもなにもないが、俺は頷いて、寝台に近寄った。


静かに眠るエイドルに、小さな声で、名を呼んだ。目は閉じたまま、微かに、うん、という返事がある。


額には氷があったので冷たいが、頬は熱い。絹糸のような髪を少し整え、氷の位置を直してやり、寝台から離れようとした。


エイドルの手が、俺の服を引っ張る。眠っているはずだが、行くな、という意味だろうか。


「大丈夫だ。ゆっくり眠るといい。」


と添えて、服を掴んだ右手を毛布にしまってやった。左手は胸の上にあったから、外してやる。子供の頃に、ハフメーアから、人魚族の諺として、


「胸に手をおくと、溺れる夢を見る。」


と聞かされてからの習慣だ。それから、そっと離れ、医師の所に戻る。


「やっと眠ってくれたのですが、このままだと、明日、起き上がるのは無理でしょう。ですが、殿下は、ラッシル風邪は、掛かった事がある、と仰有ってたんですか。」


と医師は言った。確かに、エイドルは七歳の時にかかっていた。しかし、俺は、ガルデゾに再会した時の雑談で、当のラッシルの研究で、人によっては、希に、二回も三回もかかる例がある、という学説が出ている、と聞いていた。その話をすると、医師は、少し驚いて、


「お詳しいですね。」


と言った。二回目は油断して、症状を見逃す、という話も聞いていたが、それは話さなかった。


どちらにしても、エイドルはこのまま休ませて、と言おうとしたが、重要な宴会は明日だ。起きろと言えば、起きるだろう。


王子だから。


だが、これを起こすには忍びない。俺は、


「解った。エルキドスに話しておくよ。」


と言った。医師は、本当に、いいんですか、と、驚いていた。


「いいも何も、ここまで辛そうだと、他に選択肢はないだろう。見てるこっちがきつい。」


俺がそう言った時、エルキドスとシルスが、揃って、病室にやって来た。シルスが、女性三人を連れて、そのまま出ていった。去り行くシャルリと、一瞬、目が合ったが、その目からは、冷たさが消えたように見えた。


残りは揉めた。エルキドスは、どうしても明日は参加してもらわないと困る、意味がない、と主張した。医師は弱っていたが、一日だけなら、なんとかなる薬がありますが、反動が激しいので、薦められない、と言った。エルキドスは強引に押し切り、医師は、用意をしますから、と、部屋から出た。


「明日をすっぽかしたら、難しい支持者は、どうすると思う?ジャントの味方をするかも知れん。」


それなら、ますます休ませないと一瞬、考えてしまう。しかし、俺が態度を決める前に、ゲルドルが、


「たった一日だろ。俺が代わろうか?」


と言ってしまった。




医師のデブリムは騙せないので、巻き込んだ。エイドルは眠っていたので、彼の意思は確認しなかった。




ゲルドルは、代役を完璧にこなした。


この日のために注文した、銀に羽飾りをあしらった、美しい「ティアラ」を着けて。


本来は王冠なのだが、なるべく王冠に見えず、一方で王冠らしい王冠(ややこしいが)を追求して、女性用のティアラみたいな形になってしまった。


エイドルなら嫌がったと思う、華やかな衣装も、ゲルドルは着こなしていた。彼は普段は饒舌だが、エイドルらしい大人しい雰囲気を出していた。それでも、俺は見分けが付いたが、シルスやベイソンは、解らなかったようだ。最も、彼等は、病み上がりが無理をしていると思っているから、細かい違いには気付いていないだけかもしれない。ただ、からくりを知ってるはずのエルキドスは、化けぶりに驚いていた。


失敗したか、と焦ったのは、ピアスだ。ゲルドルは、いつもの金線の入った水晶のピアスをつけていた。だが、エイドルには、ピアス穴はない。小さいものだったから、目立たなかったが、一通り挨拶が済んだ後、食事に移る間に、気がついて、慌てて外し、儀式用の、耳全体で支えるタイプの物に付け替えた。銀製なので、ティアラには合うが、シグランストの形見の、金の首飾りには、微妙に合わなかった。その後、ダンスが始まる前に、儀式用の飾りを外して、軽い服に着替えさせたが、耳飾りは、他に適当な物がないので、そのまま同じ物を使った。


一方、俺は、ダンスの隙に、シャルリ達を逃がした。


三人とも、不思議そうな顔をしていた。


エールは泣きじゃくっていた。俺が一緒に行くと思っていたのに、と言った。


シャリーンは、


「感謝はしますが、お礼は言いません。」


と静かに言った。


「それで構いません。逆の立場なら、俺でもそう思いますから。」


旅費に金を渡そうとしたが、受け取らないので、


「ノアミルとアージュロスの家から、昼間、取ってきた金です。」


と嘘を言い、押し付けた。


去り際まで、シャルリは、黙って俺を見ていた。


「カイオン、あなたは…。」


と言いかけたが、俺はわざと返事をせず、宴の広場に戻っていった。


城壁近くの薄明かりの中、例の光の粒が煌めいていた。トパジア先生から、体に異常はないから、見えてもいらいらせず、景色の一部と思うように、と言われていたので、もう気にしないようにしていた。しかし、こうして暗いところにいると、ちかちかと目障りなほどだ。


人のいる所に戻ろうとして、見張りの兵士に出くわした。出くわした、と言っても、明らかに当番なのに、庭にたむろして、くすねた酒で笑い声を上げていた現場の、脇を通っただけの事だ。


注意するべきだろうが、シャルリ達を逃がした後だ。仕事熱心になられても困る。こっそりやり過ごそうとした。


「つくづく、サンドさんが生きてたらなあ。ジャント陛下一択なんだがなあ。」


と、俺の名前が聞こえたので、足が止まる。


「一択ってことはねえな。エイドル殿下のほうが、俺達の扱いは、いいぜ?俺達一人一人、顔も名前も覚えてくれてる。陛下だと、こうは行かない。」


「でも、殿下だと、取り巻きが頼りないよ。」


「そんな可愛いもんか。落差、ありすぎだろうよ。男なら、カイオンさんくらいだろ。シルスはうすらだし、ベイソンは染みったれだ。エルキドス様は…まあ、あれだ。」


「その点なら、陛下だな。サンドさんは亡くなったけど、まだ、ガルデゾさんとか、アージュロス様とか、他にも良さげな人、いるし。」


若い下っ端の兵士達だ。ジャントとエイドルを値踏みしている。


値踏みも何も、正統な王はジャントだ。下らん話を続けるようなら、顔を出して解散させるか、シャルリ達が安全な頃合いに。


しかし、反面、自分を覚えている者がいる、と言うのは、嬉しかった。それに、古参の者達から、ジャントの評判を聞く機会なんて、滅多にない。


「私は、エイドル殿下かなあ。」


女性が混じっている。私も、という声が、二つ三つ聞こえる。侍女か、魔法使いか。


「陛下は、人によって、同じことをやらかしても、判断を変える所が、おありだもの。人材を集めるには、そういう『特別』も有りかも知れないけど。後で揉めそう。エイドル殿下は、そういう所はないでしょ。」


「なんだ、顔じゃないのかよ。」


「顔って、兄弟で。」


爆笑と、何かを叩く音が聞こえる。


ジャントが批判されているのは、面白くないが、彼らの話には、思い当たることが、いくつかあった。再会できたら、話してみよう。今後のために。しかし、エイドルに、意外な特技があったとは。確かに、ジャントは、下の者の、顔と名前を覚えるのは、苦手なほうだ。


しばらく考えていると、急に笑い声がぴたりと止み、何故か、ひっ、という声が聞こえた。


「ラカシュ、カタン、君達、庭の担当じゃないだろ?」


と、柔らかな声が聞こえた。エイドル、いや、ゲルドルが、彼らの背後に出現した。兵士や侍女達は、すいません、と、慌てて持ち場に戻ろうとした。


「ラシロ。ディクト。君達はここの担当だろう。メドリア、エミーナ、ルシア、君達は休憩中なら、ゆっくりしていくといい。」


とゲルドルは言ったのたが、皆は慌てていた。二人の兵士が、こちらに向かい、俺とぶつかり、また悲鳴を上げた。


「南門なら俺が見回っといた。北門と中央門を見ておけ。」


と、シャルリ達から遠ざけた。


「見回り?」


と、ゲルドルが尋ねた。


「ああ、風に当たりたくてね。ついでに。」


と言ったが、もう風は冷たい。不振に思ったかもしれないが、ゲルドルは、俺を探しに来た、と言った。デブリムが、エイドルが気がついて、状況を知りたがっている、と伝えに来たらしい。俺は、抜け出す時に、シルスに、まだ直りきってないから、ダンスは遠慮して休むから、と言ってある。ゲルドルも、病み上がりで、と、数曲で抜けたらしい。今の彼は、服装はダンスの時のものだが、大きな耳飾りは外していた。自分の飾りは、まだつけていなかったが、羽の宝冠は、被り直していた。


俺達は、慌てず、廊下を並んで歩いた。


「ああ、寒いなあ。」


と、ゲルドルは言った。


「一枚、足したら良かったな。」


「式服だから、何も羽織るなって、将軍様が。」


ダンスの前に、着替えて、軽い服になっていたのが、仇になったか。俺は「見回り」のため、外套を着ていたので、脱いでゲルドルに羽織らせた。ゲルドルは、目を丸くしながらも、礼は言う。何か気の利いた事でも言うかと思ったが、俺に寄り添ってきた。正直、寒かったので、毛皮が触れるのは良かったが、シャルリとも、こういう事をした事はなかった。まして男性の友人同士なので、かなり面食らった。ただ、


「やっぱり暖かい。」


と、無邪気に頬笑む様子は、子供の頃に、エイドルが見せた笑顔と同じで、妙な安堵も感じた。


ふと、疑念が沸いてきた。これは、偶然だろうか。


彼には、親兄弟がいた。だが、他人のそら似で、ここまで似るだろうか。魔法も同じだし、背格好も、声も。それに、さっき、何と言った?


“ラカシュ、カタン、君達、庭の担当じゃないだろ?”


“ラシロ。ディクト。君達はここの担当だろう。”


“メドリア、エミーナ、ルシア、君達は休憩中なら、ゆっくりしていくといい。”


下っ端の連中の顔と名前だけでなく、担当まで覚えていた。これは、エイドルの特技と噂されていた物だ。


ナスタシャがエイドルを産んだ時の記憶なんて、俺にはない。だが、フィルスタル・キャビクは、双子であれば、協同統治になるが、互いが望めば、領地を分割して、それぞれ王位に付く事も出来る。上にジャントがいるが、戦争で第一位王位継承者のシグランストが戦死する時代だ。エウドアル陛下が目指したのは、統一と集権、万が一にも分割したくないと考えたら、どうだろうか。歴代、双子王は、仲良く始まり、仲良く終わる例は少ない。生前、仲良く終わっても、後継者達は争う。


初代の双子王が、たまたま、最初から最後まで良好な関係で、善政を敷いたために、無駄に奨励されている面があった。コーデラやラッシルのように、双子でも順序を付けて、跡取りははっきり決めるようにしよう、という声も上がっていたが、双子王はキャビクの伝統で、英雄の象徴であるため、改革は難しかった。


考えるほど、うすら寒い。今まで、ナスタシャの言動は、ジャントとエイドルが双子でないというのを解った上でだと思っていた。が、もし、本気で、双子だと信じていたとすれば?そもそも、エウドアル陛下が、ナスタシャのこういう態度に、面と向かって叱責どころか、厳格に注意した事もない。


もし、ナスタシャが本当に双子を産んでいて、陛下が片割れを取り上げてしまったとしたら?彼女は出産は二回目、前と違うことは気付いていただろう。当然いるべき双子が一人になっていた、しかも、夫が戦死した直ぐの、精神的な打撃の中での出産だった。


俺の目には、ナスタシャは正気に見えた。だが、本当は。


「どうした?やっぱり、寒いのか?」


と、ゲルドルは、外套を返そうとしてくる。俺は軽く制して、


「ゲルドル、失礼な事を聞くが、君、養子という事はないかな。」


と尋ねた。

ゲルドルは、立ち止まって、暫く注視した後、


「今夜は無理だけど、明日か明後日の夜、ゆっくりじっくり話せないかな?」


と言った。


「お医者さんは、記憶が自然に戻るまで、無理に知識を与えないほうが良いって言ってたけど…。


刺激で一気に取り戻すって手も、あるよね?


その『君』呼ばわりも、いらっとするし。」


まさか部屋に呼び出して、殴る蹴るする気だろうか。


間抜けな発想に自分でも呆れた時、デブリムが現れた。俺は先ほどゲルドルから聞いたばかりだが、デブリムから見たら、ゲルドルを呼んだ積もりが、いつまでも来なかった、と言うことだろう。そろそろ交代したいから、女性三人を待っていたが、来ない、と、少し苛ついていたようだ。


俺は、ここまで来たら、もうエイドルの部屋だし、何かあったら呼ぶから、と、デブリムを下がらせた。シャルリ達の逃走を悟られたら困るので、


「今夜は、俺が着いてるから。」


と言った。


俺とゲルドルの二人は、そのまま、エイドルの部屋に向かった。


エイドルは、半身を起こしていた。


「カイオン。ゲルドル。」


と、発した声は、少し枯れていた。ゲルドルは、冠を外して、サイドテーブルに丁寧に置いた。それから、


「ラッシル風邪なら、起き上がって吐き気がしなくなったら、大丈夫だね。何か食べるなら持って…と、この格好じゃ、不味いか。ちょっと着替える。」


と、部屋の隅に行き、自分の服に着替え始めた。


俺は、エイドルを見た。


例の、羽虫のような、光の粒。それが、今、エイドルの回りにある。




彼が、勇者だ。俺が、護るべき。




光は最後に、円を描き、弾けて、消えた。




「カイオン。」


俺は、その呼び掛けに、答える言葉を持たなかった。代わりに、


「大丈夫か。」


とだけ、やっと言った。彼は、俺の問いかけには答えず、


「カイオン。お前は、大丈夫なようだな。」


と、静かに言った。


もう一度、カイオン、と呼び掛けた後で、


「お前が、サンドを殺したのか。」


と、唐突に聞いてきた。ゲルドルが、


「ねえ、やったのは、俺だよ。王子様も認めてたじゃないか。ウィンドカッターの傷だって。


カイオン、死ぬとこだったんだよ。相手は、良い奴だって話だから、知ってたら気を付けたけどさ。」


と言いながら、


「あ、耳飾り、忘れた。取ってくるから、ついでに、何か貰ってくるよ。」


と、返事を待たずに出ていった。


俺とエイドルは、無言だった。


ゲルドルの言うことは、本当だ。致命傷になったのは、彼のウィンドカッターだ。だが、先に刺したのはカイオンだ。


彼に答えるべきか、迷った。エイドルは、俺の死に、憤りを感じている。正直、彼がそこまで、とは意外だ。だが少なくとも、自分の死を、心から悼んでいる相手には、真実を伝えるべきではないだろうか。


「ああ。俺が先に刺した。」


俺は、簡潔に答えた。


「そうか。」


エイドルは、ほんの少し、悲しげに頬笑んだ。


そして、枕に顔を埋めた。泣いている。


寝台に座り、その頭に触れる。振り払われるかと思ったが、エイドルはそうしなかった。




彼は、俺の護るべき勇者。羽の宝冠の王子。




見いだしたこの時、もう一人の勇者、狼頭の兜の王に、声にはならない、別れの言葉を告げた。





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