第31話 怪人、籾杉志抱

 俺は今、猛烈におっぱいが揉みたい。

 あれから数週間経ったが、その間に出現したのは通常怪人一体のみ。

 当然その程度なら俺が助けに入るまでもなく片づいてしまう。


「揉みてえ、揉みてえよ……」


 揉むためだけの行動はしない、その一心で我慢を続けてきた。

 俺は人間だと、怪人なんかじゃないんだと自分に言い聞かせ続ける。

 明確な対策なんて何もわからない。

 俺はただ、自分の心を信じるしかなかった。


「そろそろ出るか……」


 心と裏腹に、体は羽のように軽い。

 髪すらも、心なしか赤みがかってきた。

 周囲の人間を視界に入れないよう、俯きながら登校した。






 教室についた俺は、いつものように顔を伏せる。

 怪人への怨嗟の声はある程度治まったが、それでも正直怖かった。

 まだギリギリ誤魔化せているようだが、髪の色がはっきりと変われば誰だって気づく。

 これ以上は本当にどうしようもなくなるだろう。


「よお、ダッキー。最近調子悪いみたいだな」

「廉か。まあ、見ての通りな……」


 これまでは普通に顔を上げて会話していたが、今は女子たちをなるべく視界に入れたくない。

 少しだけ首を回し、チラリと廉の方を見ながら答える。


「赤崎ちゃんと喧嘩でもしたのか?」

「いや、そういうわけじゃねえよ……」


 お前全部それじゃねえか……いやまあ他に俺が悩みそうなことないんだけども。


 別に喧嘩はしていないが、赤崎とは会いたいような会いたくないような複雑な思いだ。

 果たして今の俺にあのおっぱいの誘惑に抗う力が残っているのか、正直不安だ。

 でも赤崎といると安心するというのも本音だ。


「まあいいけど……今週末は遊びに行くんだから、それまでに元気になっとけよな」

「……ああ、わかった」


 普段はウザ絡みを続けてくる廉も、俺が本気で辛いときはあっさりと退く。

 そういう線引きの上手いやつだ。


 なんだかんだ、周りには恵まれている。

 自分の欲望に振り回されるような俺には勿体ないぐらいに。






 昼休み、結局俺は屋上へやってきていた。

 ようやく暑さも落ち着き、かなり快適になっている。


「ふう、ここなら多少マシだな……」


 依然としておっぱいを揉みたいという欲望が治まることはないが、それでも教室にいる時より遥かにマシだった。


 パンを取り出し、頬張る。

 いつもならこの辺りで赤崎が来るのだが、今日はまだ来ない。


「それにしても、随分酷くなったよなぁ……」


 怪人になりたての頃は、月に一度ぐらい揉めればそれでよかったのだ。

 それが今年に入り、少しずつ揉みたくなる頻度が高くなっていった。


 赤崎と仲良くなってルビーの行き先がわかりやすくなったり、怪人が増えて手伝う頻度が増えたり。

 俺にとって都合のいい状況も手伝って、この欲望をどうにか抑え込んできた。


「マジでどうしたもんかね……」


 今日もパンは一つだけ。

 早々に食べ終わった俺は、ベンチで一人悩む。


 しばらくして、入口の扉が開いた。


「先輩、こんにちは!」

「よう、赤崎」


 やって来たのは当然の如く赤崎。

 最近は怪人が減ったのもあって元気いっぱいの様子。

 一直線にベンチまで駆け寄り、弁当の準備を始めた。


 走ってくる時のおっぱいに、視線が釘付けになってしまった。

 やべえ、抑えが効かねえ……。

 意識が塗りつぶされていくような、そんな感覚。


「……先輩?」


 俺の様子のおかしいことに気づいた赤崎が心配そうに声をかけるが、俺の意識は完全におっぱいに吸い込まれていた。


「ど、どうしたんですか……?」


 無意識のまま、手が伸びていく。

 その向かう先は、制服越しにもわかる二つの大きな膨らみ。


 ……赤崎が何か言っている。

 どうしたも何もない。

 目指すべき理想郷がそこにあるのだから、俺はただ手を伸ばすだけだ。

 視界がぼやけ、その先に楽園を見る。


 そして、指先が触れる。

 俺はついにたどり着いたんだ。

 夢中で、ただひたすらに揉みしだく。


「ひゃうっ……せ、先輩!?」


 ああ、なんて柔らかいんだ。

 俺はこれで、苦しみから解放される。

 今まで悩んでいたのがバカみたいだ。


「ようやく、ようやくだ……」


 ようやく……………………何をした?

 今俺は、何をやっている?


 自分の手を見やる。

 急速に、思考が現実に戻ってくる。


「先輩……」

「あ、あか、さき……」


 自分が何をやったのか、理解してしまう。

 確かに決意したはずだったのに、抗うことすらできなかった。

 強烈な寒気と共に、大きく後ずさる。


「お、俺……」


 俺は、人間のはずなのに。

 辛うじて黒を保っていた髪が、真っ赤に染まっていく。


「ち、違う、こんな……」


 あっさりと欲望に負けた。

 黒いマントがその身を覆い、頭に帽子が現れる。

 もう誤魔化せるはずもない。


「…………ごめんな、赤崎」


 俺はもう、どうしようもなく怪人だ。

 人を名乗る資格を失ってしまったのだ。

 白い仮面が、溢れる涙ごと顔を隠す。


「俺、怪人なんだ…………」


 楽しかった日常は終わり。

 積み重ねた罪のツケが回ってきただけのこと。


 もうここにはいられない。

 赤崎に背を向け、歩き始める。


「ま、まって……!」


 制止を聞かずに俺は跳んだ。

 もう、無かったことにはできない。


 ……拒絶の言葉は、聞きたくなかった。

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