第9話:勝ちを知る_4
なかなか楓が戻ってこず、女性に話を振るのが元々あまり得意ではない隼人は、そろそろなにを話せばいいのかわからなくなってきていた。仕事のこと、家庭のこと、友達のこと、一通り自分のことは離してしまっている。それに、ニュースで少し見た程度だが、政治経済や流行りのものの話もし終わってしまった。もう手持ちの札がない。
「楓、なかなか戻ってこないな……」
「のめり込んでやっているみたいよ? もしかして、大きく当たってやめどきがわからないのかしら?」
「大きく当たったら、コインってどれくらいの枚数になるんですか?」
「スロットは、台にもよるけど……楓さんの座っているあのエリアは、三番目に高額な台ね? 確か……確か最低コイン百枚」
「え!? じゃあ最低百万ってこと!?」
「そうよ」
「そ、それで三番目なの……?」
「えぇ」
「……二番と一番、は?」
「二番が二百五十枚で、一番は五百枚よ」
「……二百五十万と五百万……車が、買える……それに、年収とか……」
「どの台人気よ? スロットは満席になりやすいの。どのエリアでも。最低枚数の一枚でできる台もあるから、みんなその台で目押しを練習するの。それで勝てるようになってきたら、高い台へと移動していくわ。得意な人は、どんどん当てていくの。でも、すごく集中力がいるみたいだから、長時間は続かないわね」
「へぇ、へぇ……」
自分がババ抜きで勝ち、三枚のコインも手に入れただけでもすごいと思っていたのに、もっと上の賭け金に幸運が存在している。きっと、勝った枚数によっては一回で家も買えるだろう。よくわからない簡単な計算にクラクラしそうな頭を支えて、隼人は当たり前のように話すイロハの話を、ただ頷いて聞くことしかできなかった。
そして、ここでずっと疑問に思っていたことがまた心の奥から隼人へ警告を出していた。それだけ高額なお金が移動するならば、一回この会場に来ただけで下手したら億という資金を失ってしまう可能性があるということに。
「ねぇ、さっき俺のことを幸運だって言ったけど。……逆の人、見たことある?」
「それは、凄く不運だったということかしら?」
「……うん」
「そうね。……もちろんあるわ。いろんなお客様がいるもの」
「一回で、大金を失ってしまうとか……?」
「それで、自分を売ってしまうとか」
「いっ……!?」
「……隼人さん、私とよく話してくれるから、特別に見せてあげるわ。……みなさん、こんな風に喋らずに、好き勝手するものなの。だから、特別。……内緒に、できる?」
ズイっと身体を寄せて目を細めて口元に指をあてるイロハに、不覚にも鼓動が早くなるのを感じながら、隼人はゆっくりと頷いた。
「こっちに、きて?」
イロハは隼人の手を取って、部屋の奥の廊下を渡り、さらに下へと続く階段へと隼人を誘った。より空気が淀む仄暗い地下への足取りは、とても軽いものではない。開けてはいけないと言われた箱の蓋を開けるような、覗いてはいけないと言われた部屋の鍵を回すような、不安と期待が入り混じった感覚。どちらとも言えない緊張に顔を強張らせながら、隼人は黙って手を引かれ進んでいく。
この階段の先に扉はなく、境目と思われる場所は奥から光が漏れていた。イロハが連れていきたい場所は、きっとこの光の元だろう。
その光の中へ足を一歩踏み入れ前を見ると【カンキンジョ】と書かれた札がどの部屋にも掲げられていることに気が付いた。それぞれ番号が振られており、どの部屋も人がいる。廊下を挟んで左右に部屋は用意されており、その中を通って突き当りまで進む。突き当りは事務所になっているようで、厳重な扉に阻まれて中に入ることも、覗くこともできないようになっていた。
「中から見られないか心配した? 大丈夫よ。中から外は見えないようになっているの」
「ここは……なんの部屋なの……?」
「価値あるモノとコインを交換する場所よ」
よくよくそれぞれの部屋の中を見てみると、ニコニコと笑って談笑している人もいれば、縋るように泣いている人もいる。頭を抱える人、腕に嵌めたデバイスを見て笑っている人、なにか紙に書こうとしている人。
「本当は、見せちゃいけないの」
不意にイロハが口を開いた。
「どういう意味……?」
「ここには、勝負に勝った人も、負けた人もいる。だから、見せちゃいけないのよ。勝った人は良いのだけれど、負けた人を見てしまったら……『あぁはなりたくない』と、お客様が来なくなってしまうから」
「……それなら、どうして、俺に?」
「アナタには見てほしいと思ったのよ。私とたくさん、お話してくれたから。なにをしているのか、私にはすべてわかるわ。例えばあの、デバイスを見て笑っている人。大量のコインを換金したのね。上の受付では、換金できない金額。現金だから、額によっては用意までに時間がかかるわ。……こまめに換金したほうが、場所にも困らないと思うけど」
「そんなにたくさん……」
「次はあの、紙になにか書いている人。誓約書ね。あの紙の色は恐らく、自分の身体を担保に、お金を借りるんじゃないかしら」
「そんな……」
「きっと、説明をもらったんじゃない?」
「お金が足りなくなったら、質入れとかは聞いたけど……」
「そう、質に入れたのよ。自分を」
「そんなことって……」
「隼人さんは、オリジナル? それともフルボディ? セミボディ?」
「俺は、オリジナル、だけど」
「オリジナルって、良い値がつくのよ? 臓器移植にクローン体作成。そのための実験材料」
「それって人道的じゃあ」
「無いって思うのよね? でも、それを必要としている人がいるから、ああやって差し出す人もいるの。差し出したあとは、自分がセミかフルになる。お金をもらって、さらにボディを換えるのもタダ。……私、そういう人を何人も見てきたの」
「コインのために、そこまでするなんて……」
「お金のためよ。中には特殊な愛好家に自分の身体を差し出して、その嗜好に付き合うことをコインに換える人もいるし、大きな額を動かしたいときは……自分の家族を担保にする人もいるわ」
「家族を? 自分だけじゃなくて? 大事な家族をなんでそんな……」
「その家族のために……って思っているのよ。ゲームをしている間はね」
隼人はそれ以上なにも言えなかった。良かれと思ってしたことが、想定以上の地獄となって返ってきたということなのだろうか。初めてやろうと思ったときは、そんなことになるなんて思ってもみなかっただろうに。それとも、いまからその地獄を招こうとしているのだろうか。どちらにしろ、人間の命が軽んじられている今のこの状況に、隼人は初めて気持ち悪さを覚えていた。
「嫌悪感を抱いた? でも、それで正解なの。確かに、誰でもコイン一枚から億万長者になれる可能性はあるわ、ここでは。その代わり、すぐ隣に奈落の底が待っているのよ」
「……」
「身分証を渡したでしょ? ここからはもう逃げられないわ。あくまでの遊びの範囲で遊んで。……オリジナルは、特に子どもは。みんな大金を積んでもほしいのよ。……しっかり守って、ね?」
「あ、あぁ」
「お友達はかなりの強運みたい。知らないかもしれないけど……私よりも持っているコインの枚数は圧倒的に多いわ。彼に倣うか、わきまえて」
イロハの思いがけない言葉に、隼人は息を呑んだ。楓のデバイスは除いていないから、持っているコインの枚数はもらった三十枚以外わからないと思っていた。イロハは一万枚のコインを持っている。それだけで一億円の価値だ。それよりも圧倒的に多い枚数とは。単純に倍の枚数では追い付かないのかもしれない。そんな枚数を、楓はここで稼いだというのか。それならば、コロコロ変わるあの車たちも納得できる。事故のせいでフルボディになった身体の維持も容易だろう。もしかしたら、車は二の次で、自分の身体のために稼いでいるのかもしれない。家族へ負担をかけないためにも。
「そろそろ戻りましょう? あまり長居するところじゃないもの」
行きと同じように、イロハは隼人の手を取ると来た道を戻っていった。チラリと後ろを振り返るも、部屋から音はなにも聞こえない。今までも聞こえていなかったが、自分達がいなくなることで無機質な箱と成り果てたこの地下に、隼人は『ここには二度と来るまい』と思いながら前を向いた。
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