第8話:勝ちを知る_3
「えっと、ここは長いんですか?」
「イロハって呼んで? それに、敬語なんか使わなくていいわ。お名前を教えて?」
「譲原です、譲原隼人」
「隼人さん、ね。よろしくお願いしますね? 仰る通り、ここは長いわ」
「イロハさんもゲームを?」
「えぇ。お客様の要望があれば、たまにすることはあるわ。……本当、たまーにね」
「そうなんだ」
「隼人さんは、なんのゲームをしたの?」
「えっと、今日は来たばっかりだから、その、ババ抜きを」
「あら、ババ抜きはルールも簡単だし、手軽にできるからここでは人気よ? 良い選択ね」
「俺が選んだんだよ! ……っと、ちょっとそこのスロット回してくる! 隼人はここでのんびりしてて」
「のんびり!?」
「そうだよ? 飽きたら戻ってくるから。じゃ、ごゆっくり~」
さも当然のようにそう言って楓は席を立つと、今立った席から見えているスロットへ移動した。そしてババ抜きのときと同じようにデバイスをかざし、ゲームをプレイし始めた。
「隼人さん、こんな風に女性と話すのは初めてなのかしら?」
「え、あぁ、はい。なんというか、その、そういうお店には行ったことが無くて……」
「なにもしないで良いのよ。ただ、話すだけ。……なかには、そうねぇ。女の子たちを侍らせたり、いろんなものを頼んでくださるお客様もいらっしゃるけど、ほとんどがゲームの息抜きで席に座るわ。だから、私たちは飲み物や食べ物を運んで、ちょっとお喋りするだけ。それが、ほとんど」
「そういうお店とは違う、ということ?」
「同じでもあるし違うわ。内緒、だけど」
隼人の隣に座ったイロハは、隼人の耳元で囁く。
「そのコイン、この席でももちろん使えるの。何枚使ってなにをするかは……私たちと……お客様、次第」
そっと耳から離れ、イロハは隼人の目をジッと見つめながらニッコリ笑ってみせる。そこには先ほど感じた力強さではなく、不思議な優しさと可愛らしさを感じた。
「……っ……な、なにか飲みますか?」
自分の感じた気持ちを吹き飛ばすように、隼人は言葉を絞り出した。
「あら、いいの? このオレンジジュース、お連れのかたが払ってくれたわ。すべてはコインが基準。そして、コインの最低使用枚数は一枚から。それに見合っても見合わなくても、一枚なの。だから、このオレンジジュースの値段は、コイン一枚」
「オレンジジュースが、コイン一枚……」
「そうよ? ……この場所じゃ、安い物よ」
コイン一枚一万円。忘れそうになったコインの価値を思い出す。この建物の外でオレンジジュースを買うならば、スーパーや薬局なら百円もしないだろう。今ここで、その百倍の値がついている。ただのオレンジジュースに、一万円の価値が。そういえば、三兼が『コインの価値は変動する』と言っていた。最低が一万円。一万円より高いオレンジジュースが存在するのだ。
「お酒はもっと……?」
「そうね、だいたいコイン三枚から。おつまみもそれくらいよ。……ふふふ。気持ちだけ受け取っておくわ。今日は、ババ抜きしかしていないんじゃない? 初心者ならきっと、賭けたコインは一枚。……そうね、多すぎても、少なすぎてもやりづらいから、きっと四人でのプレイじゃないかしら? それなら恐らく、プラスになったコインは……三枚。妥当だと思うわ。どうかしら?」
「当たり、です」
左腕にはめたデバイスを見る。表示されたコインの枚数は言われた通り三十三枚、楓からもらった枚数にプラス三枚だ。
「すごいですね、そんなに簡単に、わかるなんて」
「きっと隼人さんも、私の立場なら同じように答えを出したと思うわ」
「そう、かな?」
「えぇ、そうよ。そういうの、すぐに思いつきそうだもの、隼人さん」
「いや、俺はそういうの、あんまり。思ったままって言うか。駆け引きとか嘘を吐くのは苦手で」
「苦手なほうが良いこともあるわ。下手にはまると、何事も簡単には抜け出せなくなってしまうし。今もまだ、少し緊張しているのね? そんなに手を握らなくても大丈夫よ? ここは、リラックスして会話や空気を楽しむ席なんだから」
確かに落ち着かないようで、ソワソワと身体を動かしたり、何度もソファに座り直したりと動いていた。ジュースのグラスを持たないとき、両手もギュッと指を絡めて堅く握っている。
「なんだかちょっと、落ち着かなくて。……その、嫌いじゃあなければ、オレンジジュースを。俺が払うので。なにもないと、手持無沙汰になっちゃわないかな」
「あら、いいのかしら?」
「もちろんです、せっかくこうやって、一緒に話をしてくれているので。……オレンジは好きじゃないかな。それなら、別のもの」
「ふふふ。オレンジジュースは大好きよ。ありがとう」
「それなら……すみません! オレンジジュースをひとつ。イロハさんに」
目が合ったスタッフの男性に声をかけると、すぐにオレンジジュースが運ばれてきた。
「ありがとう。……『今日の出会いに乾杯』なんて、キザかしら? それとも、古い?」
「いえ。乾杯」
オレンジジュースの入ったグラスを傾けて音を鳴らす。冷たく冷やされたジュースは、隼人の乾いた喉を潤した。自分で思っているよりもずっと乾いていたらしく、あっという間にグラスの中身は氷だけになった。カランと音を立て、少し溶けた跡が薄いオレンジ色になっている。
「私が奢るわ。おつまみにナッツとチーズ……それから、新しいオレンジジュースを」
「今度は俺が出すから、その、ありがとうございます」
「いいのよこれくらい。……私たちもみんなこのデバイスをつけているでしょう? 誰かのを、見たりした?」
「あ、うん。ここに案内してくれた三兼さんって人のを」
「あぁ、彼ね。彼はなかなか、プレイヤーとしても凄腕よ。ゲームを覗く……見学することはできるから、一度見てみたら良いんじゃないかしら。それはそれで面白いわよ。上手くいけば、空いても含めてプレイヤーそれぞれの癖を知ることも出できるし、新しいゲームのルールや有効なプレイスタイルを学ぶこともできるもの」
「凄腕だと、コイン千枚は普通?」
「全然。少ないほうよ? 多く残せばカモにされて、少なくすれば高額のゲームには呼ばれない。ちょうどいいラインだと思うわ。私もこうやって働いて、お給料はコインで支払われているけれど、これくらいは残しているわ」
イロハは自分のデバイスの画面を隼人に見せた。
「……い、一万枚? 桁が……違う……。俺なんか、楓に貰った三十枚に、先かったぶん追加しても三十三枚なのに……」
「えぇそうよ。もっと持っている人はここに山ほどいるわ。きっとアナタも、すぐに仲間入りよ?」
「俺は……」
「たまに、会いに来てくれたら嬉しいわ。久し振りなの、こんな風に、普通にお喋りするのは。ここに来る人たちはちょっと、みんな個性的だから。お金のことは気にしないで? 私が会いたいの。だから私が払う。普通、でしょ? それとも、こんなところで働いている私には、もう会いたくないかしら……」
悲しそうに目を伏せるイロハを見て、隼人は罪悪感を感じていた。なにか悪いことをしたわけでもないのに。ただ悲しそうなイロハの顔を見て『酷いことをしてしまった』気持ちになっていた。普段、ただ悲しい顔を誰かにされたくらいで、罪悪感は抱かない。せいぜい『なにか嫌なことでもあったのだろうか』『気分でも悪いのだろうか』その程度だ。少なからず、隼人の気持ちがイロハに向いている証拠だった。
「そ、そんなことないよ! 俺もあんまり、こうやって話す機会ってないから!」
「でも、ほら、結婚しているんでしょ? 奥様に怒られない?」
イロハの視線は隼人の左手薬指に向いていた。
「お子さん、いる?」
「あ、あぁ。三人。ひとりはまだ、お腹の中だけど」
「奥様が妊娠中なのね。……楽しみね」
「楽しみだよ。早く産まれてこないかなぁって。……楓……さっきのやつに、誘われたんだ。『これから、お金がもっと必要になるだろ? だから、遊びながらここで稼げばいい』って。子どもに苦労はさせたくないけど、それだけ稼ぐのも大変だよな……って、確かに思ってる。あと『働き過ぎだから、息抜きが必要だ』とも。よく見てるよなぁ、アイツ。俺みたいな普通の人間が来る場所じゃないって、この建物に入った瞬間思ったけど、案外、そんな人たちばっかりなのかな……」
「そんな人たちばかりよ? 誰もがこの場所のことを知ったら、きっと来たいと思うわ。でも、ここに一見さんは入れない。……アナタは、それだけでも幸運の持ち主ね。そうじゃないなら、その権利さえ与えてもらえないんだもの」
「幸運……? 俺が……?」
「だって、たまたまこの会場に来たことのある友人がいて、その人に誘ってもらって。コインもいただいたんでしょう? それを使って、初めての勝負に勝った。かけたコインの枚数なんか関係ないの。それがそんなゲームだったか、も。大事なのは、勝ったという結果だけ。……ね? すごくすごく、幸運で運命的でしょう?」
なにもかも見透かしたようなイロハの笑顔に、隼人はゴクリと唾を飲み込んだ。
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