第5話:ただの日常_4


 玄関から入って廊下を通り、リビングを抜けた先の、寝室に見える部屋。その一番奥にある、クローゼットを案内している男が開けた。


「……? どういうこと……?」


 クローゼットの中には、たくさんの服がかかっている。


「こちらでございます」


 服をかき分けた男は、その奥にある小さなドアを開いた。


「なっ、な、これ……」

「地下に行くんだよ。……もう、帰れねぇからな? ……なーんて」


 冗談めいた物言いをする楓の目は笑っていなかった。なにも言えずに、ただ手を引かれるまま隼人は階段を降りる。薄暗い中歩く階段は危ない。そんなことを考えながら降りたその先に、もうひとつ扉があった。


 男は機械に顔を近づけると、機械音がしてその後に扉が動き始めた。重々しい音を立てて開いた扉の先。


「……は?」


 たくさんの、人、人、人――。上の静けさはどこへやら。ガヤガヤと騒がしさがひしめいている。建っている家からは想像できない広さの部屋の中に、たくさんの人がいた。


「あっちがバーカウンターで、こっちはゲーム会場ね。向こうに女の子もいるけど」

「ちょっ、えっ、か、楓⁉︎ なっ、なんだよこれ……」

「……お前さ、金、必要じゃない?」

「は? 金⁉︎」

「そ。金。三人目できたんだろ? 家と車のローンに教育費。余裕あるくらい稼ぎたくねぇ?」

「……楓、お前俺をナニに誘おうとしてんの?」


 もう、二枚目の扉の中に入ってしまっていた隼人は、後ろに戻ることができなかった。扉は既に閉められている。部屋の中の人間たちは、隼人たちのほうへ見向きもせず、自分たちのやりたいようにやっているようだった。


「ナニって……ゲームだよ? ちょっと、お金賭けるタイプの」

「それって違法じゃ……」

「まぁまぁ落ち着けって。すみません、コイツに説明してもらってもいいっすか?」

「かしこまりました」


 今まで先頭に立って案内していた男がニコリと笑って、まるで子どもにオモチャでも見せるかのように、隼人を手招きしておいでおいでと呼んだ。


「……」


 深く確認しなかった自分も、中に入ることをやめなかった自分も悪い。現状この部屋から出る手段も見当たらない。自己責任だと覚悟を決め、隼人は一歩ずつゆっくりと男に近づいていった。


「改めまして。――まずは、ようこそいらっしゃいました、譲原様。私、この会場で案内人を務めております【三兼-みかね-】と申します。どうぞ、お見知りおきを」


 三金とようやく名乗った男性は隼人へ向かって深々と頭を下げた。


「あ……えっと、隼人、譲原隼人です」


 つられるように隼人も深々とお辞儀をした。


「ご丁寧に、ありがとうございます。……譲原様は、なにもお聞きしていない状態、ということでお間違いないでしょうか?」

「あ、は、はい。楓……阿形に急に誘われて、どこに行くのかとか、なにをしに行くのかとか、そういうのは一切聞いていなくて。車で目的地に着いたと思ったら、ここに」

「さようでございますか。それでは、こちらの会場を一緒に見て回ってはみませんか?」

「はぁ、じゃあ……」


 断れなかった。この状態で、会場内を見て回ることを。ただ、この中を見て回ったら、もう二度と今の自分に戻れない気がする。そんな恐怖を抱えたのにも関わらず、だ。有無を言わせない無言の圧力が、そこにはあった。


「それでは、こちらに。阿形様は、いかがなさいますか?」

「あ、俺は向こうに行ってくるよ。隼人のことよろしく、三兼さん」

「かしこまりました」

「じゃ、あとで。隼人も楽しんでいってよ」

「なっ、誘っておいて別行動か?」

「俺の話聞くより、見てもらったほうが早いだろ? 百聞は一見に如かず! いってら」

「あっ、おい! 楓!」


 隼人の言葉も聞かず、楓は別行動をとってどこかへ行ってしまった。


「阿形様はこちらの常連様でございます。一緒に過ごされるのも、悪くありません。ですが、説明は苦手とのこと。私が始めは一緒に参りますので、どうか、中を見て回るだけでも」

「……」


 なにもわからない状態では、やはり何かをすることは難しい。楓がいなくなり、再度腹を括って三兼の後をついて歩いていった。


「あの。それで、具体的にはなにをしている場所なんですか?」

「みなさま、ゲームをされていますよ。カジノのようなポーカー、ブラックジャック、ルーレットやスロットも置いてあります。同じトランプでも、大富豪やババ抜き、あとはオセロにチェス、中にはじゃんけんも。とにかく、遊んでいるのです。どんなに簡単な遊びも、難しい遊びもお金に変わる。お金……いや、権利、でしょうか」

「権利?」

「はい。例えば、あちらに女性が座ってらっしゃるでしょう? あの席は、現金もクレジットカードも使えません。こちらを使います。そうすれば、飲食もプレゼントもご自由に」


 そう言って三兼は、自分の腕にはめていた時計を見せた。


「スマートウォッチ?」

「似たようなものです。単純に、デバイスと呼んでいます。この会場……他にも会場はございますが。いずれでも、こちらのデバイスを使用して管理をしております。例えば、こちらをご覧ください」


 三兼のスマートウォッチに映っているのは、なにかの数字がふたつだった。数字の一番最後に【COIN】と黒地の背景に書いてあり、上も下も数字は白だった。


「これって……なんの数字ですか?」

「こちらで賭けることのできるコインの枚数となります。今、私の画面には、ふたつ数字がございます。上は私がゲームに実際にかけることが出来るコインの枚数。下は私が借り入れているコインの枚数でございます。今、私はゲームに千枚のコインを賭けることができます。そして、借り入れはありませんのでゼロ枚です」

「えーっと? 現金は使わないってことですか?」

「左様でございます。現金は使用いたしません。ただし、現金をこちらのコインに変えたり、質入れのようにモノをコインへ換えることも可能でございます。その場合、下のコインが赤色でプラスの表記となり、上の実際に使うコインへ補充すると数字が減っていきます。そして、上のコインの枚数が増えていきます」

「へぇ、ゲーセンのメダルゲームみたいな?」

「近しいですね。あちらは現物がございますが、こちらは表示のみです。下の数字が赤から緑色に変わるタイミングがございます。それは上のコインの枚数がセロを示し、下の数字もゼロ、共に一枚もない状態で、さらに賭けを行おうとした場合です」

「……? コインがないのに、賭けられるということですか?」

「はい。この場合、下のコインの枚数はマイナスとして明るい緑色で表示されます。コインを追加すればするほど、数字がカウントアップされていく所存です」

「借金だ……」

「仰る通りでございます」

「それどうやって減らすんですか……?」

「別口で、お支払いしていただきます。借り入れしていただいたり、なにかを質入れしていただいたり。マイナスのコインの枚数分、額をまかなうことが出来ましたら、こちら下の数字はゼロとなります。すぐに取り立ては行いません。支払えない場合もこちらから提案をさせていただきますし、もちろんこちらのゲームで勝つことで、マイナス分を減らすことも可能です。上の使用コインを振り替えたとき、プラスになれば現金と交換することもできますし、質入れしたものはお返しさせていただきます。あまりに高額の場合は、返済までの期限を設けております」

「なるほど……。ちなみに、コイン一枚いくらなんですか?」

「一枚一万円となっております」

「い、一万円!?」


 隼人は目を丸くして驚いた。ゲームセンターのメダルゲームの話を出してから、勝手に安いものだと思っていたからだ。しかし、ここは賭け事をする場所。せいぜい高くても一枚百円ほどだろうと思っていたのに。それに一枚一万円ということは、三兼は一千万円分の価値のコインを持っているということになる。


「初回の購入は一万円でございます。そのあとは、プレイ人数や賭けられたコインの枚数、変動した枚数などで価格が変わります。最低ラインは一万円でございます。それ以上は下がりません」

「保障と言えば保障、なのか……」

「ゲームをするときは、各テーブルやゲーム機、場に設置された機械にこのデバイスをかざしますと、自身の持つ情報が読み込まれ、行うゲームと掛け金を決めることになります。対戦相手がいる場合は、全員が読み込ませた状態でゲームをスタートさせます」

「ま、待ってください。これ、一枚の額が大きいですよね? もし、コインがマイナスになって、返すあてもなかったら……?」

「その場合は先ほどお話しました通り、ゲームに勝っていただくか、こちらからの提案を検討していただく形となります」

「手持ちがゼロになったら、一旦ゲームはできなくなるの?」

「いえ、興ざめは避けたいですので、ゼロになった場合は自動的に下の数字が変動いたします」

「先にコインに変えていなくても?」

「左様でございます」

「……とんでもないよ、これ……」


 ひどい場所へ来てしまった――。そう隼人は思った。なにか聞く前に帰ればよかった、とも。今この状態で、帰りますは恐らく許されない。中で行われていることを、知ってしまったからだ。淡々と話す三兼も、楽しそうにゲームをする客たちも、どこかうすら寒くて気味が悪い。だが同時に、今まで体験したことのない世界に、心惹かれていることも否定できなかった。

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