第4話:ただの日常_3


 「結人に桐人まですみません。よろしくお願いします」

「良いのよそんなの。お仕事頑張ってね」

「ありがとうございます。来週末また、子ども達を迎えに来るので」

「えぇ、お願いね」


 次の日。リコの実家へ三人を送り届け家に帰ると、隼人は楓から連絡が来ていることに気が付いた。


「お、珍し」


 楓から休日に連絡が来ることはほとんどない。いつも誰かしら女の子と遊んでいる。特定の彼女がいたような気もするが、話を聞くのは毎回違う女の子だ。遊び人だが、見た目も良く気遣いもでき、実家も太い楓は知り合った時からずっと女の子が途切れることはなかった。そんな楓を少しだけ羨ましいと思いつつも、修羅場や喧嘩にならないのかと自分のことでもないのにヒヤヒヤしたこともあった。

 メールやチャットではなく電話の履歴が残っている。なにかあったのかとすぐにかけ直した。


 プルルルル――プルルルル――プルルルル――プルルルル――プツッ。


『――もしもし?』

「もしもし? 楓? いきなり電話とかどうした?」

『あー、今、ちょっといい?』

「いいけど」

『あんさ、奥さんどんな感じ?』

「どんな感じって……なにが?」

『あーいや。妊娠初期ってやつだろ? 体調悪かったしするの多いみたいだし、大丈夫かなって思って』

「……あー……ちょっとつわりがあるかな。あんまり動かないほうが……って、俺が心配で、実家に戻ってもらったよ」

『は? 実家!?』


 切迫流産……と隼人は言えなかった。変に心配もかけたくないし、込み入った話な気がして、簡単に口に出せなかった。


『そんなにビックリしなくでも』

『いや、だってなんかヤバそうな響きじゃん?』

「別にヤバくないよ。心配だから帰ってもらっただけだし、休みの日は俺も子ども迎えに行ってこっち泊っていくし。今週は子どもたちにも慣れてもらうために、実家に残るけどね」

『……ふーん。そんなもんなのか。あ、じゃあもしかして今日暇?』

「まぁ、暇っちゃあ暇、だけど。あーでも、洗濯したいし、洗車にも行きたいかなー」

『それ今日じゃなくてよくない?』

「溜め込むと大変なんだよ?」

『そう言わずに。ちょっと俺に付き合ってよ』

「お前に?」

『あー。ひとりで行くよか、そっちのが良いかなって思う場所があってさぁ』

「女の子の店なら行かないぞ?」

『違う違う! とりあえず、今から迎えに行くから! ついでに飯でも食おうぜ』

「まぁ、わかったよ」

『おっけ。じゃあちょっと待ってて。マンションの下着いたら連絡する』

「はいはい」


 これまた珍しく、遊びの誘いだった。自分が遊びに誘われることが珍しいのは、もちろん楓が別の人と遊んでいるからだ。リコには『私たちがいないから、たまには羽根を伸ばして。でも、伸ばし過ぎないでね?』と言われている。楓と遊びに行くくらいは良いだろう。


「……一応連絡入れておこうかな?」


 リコに楓と遊びに行くとメッセージを送る。すぐに既読はつかなかったが、そのうちつくだろう。簡単に洗濯物を畳み、洗い物をする。帰ってきてからやることができるだけ少なくなるように、隼人は家事をできるところから片付けていった。そうこうして時間が経つと、スマホが鳴った。楓からの電話だ。


「もしもし?」

『もしもーし! マンション着いた!』

「お、りょーかい! じゃあ降りてくわ」

『おう』


 タイミングよく、一通りやらなければならないと思っていたことは終わった。スマホを用意していた鞄に入れて、鍵をかけて隼人は家を出た。


 マンションのオートロックの自動ドアを抜けて、辺りをキョロキョロ見回すと、見覚えのある車が停まっていた。車の事故に遭ったが楓は車が好きだった。好みの車が発表されると、不定期で乗り換えている。今乗っている車がまだ新しくても。その頻度と車そのものの値段が、今の職には少々不釣り合いな金額であることは、同じ会社で働いている隼人にはわかっていた。そしてそれが、少しばかり羨ましいことも。だが、だからといってなにか言うわけではない。今回の車も、いつも通り買い換えたタイミングで写真を見せてくれた。ピカピカの光に反射したボディが眩しく、隣でピースサインをしながら笑っている楓も眩しかったのをよく覚えている。間違いなく、楓の車だ。


 コンコン。


 助手席の窓をノックする。気付いた楓が隼人に手を振ると、ガチャリと鍵の開く音がした。


「――あー、お疲れ」

「おぉ、お疲れ」

「迎えサンキュ」

「俺が誘ったしな」

「なぁ、やっぱこの車良いな。写真で見たよりも、実物のほうがカッコよく見える」

「だろ? 内装も結構拘ったからさ」

「俺もこういう車乗りたいよ」

「お前んとこは子どもいるし、後部座席狭いからチャイルドシート乗んねぇんじゃねぇの?」

「そうなんだよなぁ。今はファミリーカーだけど、子どもが巣立ったら好きな車乗って良いって言われてる」

「じゃあそのときが楽しみだな!」

「あぁ。……で? 今日はどこへ行くんだ?」

「それなんだけどさ、まぁ、ちょっと取り敢えず移動しようぜ」


 隼人がシートベルトを締めたことを確認して、楓はゆっくりと車を発進させた。


「珍しいよなぁ。楓が休みの日に誘ってくるなんて。それもこんな昼間に」

「そうか?」

「誘ってきても、大体飲み会じゃん? 車で来たってことは、お酒は飲まないんだろ? お前、人に自分の車運転させないタイプだし」

「まぁうん、今日は酒飲みに行くわけじゃない。……隼人、ゲーム好きだったよな?」

「ゲーム?」

「そ、ゲーム」

「あー、確かにゲームは好きだけど。昔の話で、最近は全然プレイできてない。積みゲーになってる」


 楓からゲームの話が出て、隼人は少し驚いた。元々、それほど楓はゲームをするタイプではなく、普段話題に上がることもない。話題作りのためにゲームはするようだったが、仕事という共通の話題と、年代が同じのため普段話題として上がることはなかった。有名どころの新作や、子どものころやったゲームの話はしていたが。


「新しいゲームでも出るっけ?」

「いや、そうじゃなくて。……見てもらったほうが早いかも。やっぱこのまま取り敢えずついてきて?」

「お、おぉ」


 ゲームがなにかについては話すこともなく、楓はそのまま車を走らせた。


「遠いの? 今から行くところ」

「あー、まぁ、ちょっと」

「ふーん」

「でも、電車とかでも行けるよ? 一見さんお断りだけど」

「……老舗?」

「いや?」

「飲食店だとあるよな。会員制のバーとか」

「あるある! 似たようなもんだと思ってるけど。あ、ちょっと音楽大きくしてもいい?」

「いいよ」


 車に乗ってから、ずっと楓の好きなアーティストの曲が流れている。これは隼人たちが大学生のころに流行った曲だ。アーティスト自体まだ活動を続けているし、当時よりも有名にもなっている。つい懐かしむように昔の曲を聴きがちな隼人にとって、この選曲は嬉しいものだった。


「奥さんに連絡した?」

「一応。なにかあったときに、連絡できないと困るだろ? 病院に来てほしいのに、俺に連絡つかないとか。どこにいるかわかんないとか」

「そりゃ確かに」

「……なんか言うとまずい場所?」

「んんー……そういうわけじゃないけど。ちょっと気になっただけ。ほら、お前いつもなんかあると奥さんに連絡入れてるし」

「そりゃ入れるよ。隠し事して辺に疑われたくないし」

「なぁ、今からカフェ行く?」

「目的地は?」

「そこ行く前に、コーヒー買わせて。喉カラカラ」

「はいはい」


 楓は隼人にそう伝えると、一番近いテイクアウト可能なカフェへと向かった。実際、隼人にとっても悪くない寄り道だった。なんとなく、車内の空気に馴染めない。目的地もわからず、しかしその話はなんとなく避けられている気がしてならなかった。仕方なく場をもたせなくてもなんとかなるように、隼人もなにか買って飲むことにした。


 久しぶりに飲むアイスカフェラテは、苦味が際立つ中にミルクの甘味が優しく美味しい。一気に飲んでしまわないように気を付けながら、隼人はゆっくりとカフェラテを味わった。


 そして、しばらく経ちカフェラテも氷が目立つようになったころ。


「……着いたよ」

「あ、着いた?」

「うん。ここ」

「……家?」

「家」


 目の前には、いたって普通の一軒家が建っていた。


「電話かけるからちょっと待ってて。――あ、もしもし。阿形楓です。お願いします。友人ひとりいます。――はい、紹介です」


 用件だけ伝え、楓は電話を切った。そして少し待つと、その一軒家の中からふたりの男性が出てきた。その姿を見て、楓は車を降りる。


「隼人? お前も降りて?」

「あ、ああ……」


 隼人は言われたまま車を降りたが、心臓がバクバクと鳴っていた。――なにがとは言えないが、なにかがおかしい。


「阿形様、本日もお越しいただきありがとうございます」

「こっちが新しい人。譲原隼人」

「譲原様。ようこそいらっしゃいました。……さぁ、おふたりとも、どうぞこちらへ」

「どうも……」


 促されるまま、隼人は楓の後をついていく。もうひとりいた男性が楓から鍵を預かり、車に乗ってどこかへ行ってしまった。


「な、なぁ、お前の車」

「預けたの」

「預けた? お前が? 車を?」


 楓が自分の車を人に預けるなんて、よほど信頼できるのか、それとも弱みを握られているのか。単純にどうしても移動させる必要があったのか。それは隼人にはわからなかった。


「この家、なにがあるんだ?」

「ここ? ゲームしてんだよ。まぁちょっと、裏の、ね」

「裏……?」


 家の中に入ってみたが、誰かがいる気配はなかった。


「こっち。ついてきて」

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