第3話:ただの日常_2


 隼人の妻、リコは子どもを産む。この『産む』という行為は、オリジナルと一部を除くセミボディにしかできないことだった。クローン体が普及したものの、完全な安全を得られない今、フルボディは不測の事態が起こる可能性が高く、子どもを産むことができなかった。また、セミボディでも、性器を含む内臓がクローン体の場合、同じように不測の事態を考えて産むことはできない。母体、子どもどちらも、通常より危険にさらす可能性が高いからだ。フルボディとその一部にかかるセミボディは、子どもを望むなら今のところ養子を迎え入れるしかない。以前は子を設けることもあったが、ほとんどのセミ、もしくはフルボディの妊婦は、交換した臓器に問題が起こり残念な結果になったのだ。将来的に、クローン技術で子どもを作り出すことも、衣玖の言っていた『脳みそなくても動くような研究』の目的のひとつである。


「……って、楓と衣玖に三人目の話もうしちゃったんだけど、早かったかな……? リコに聞いたほうが良かった?」

「そりゃあ、安定期に入ってからのほうが良いかな……とは思うけど。いつものふたりだもんね? 隼人との付き合いも長いし、ふたりなら、まぁ良いかな……って」

「良かったぁ。……やっぱり、喋りたい気持ちが出て来ちゃって。ごめん」

「上司には話したの? 育休の件とかあるし」

「話したよ。一年取っても良いって」

「嘘!? せいぜい頑張って半年くらいかと思ってたのに……」

「会社としても男性育休は推奨したいし、育休撮った男性を管理職……上のほうの、につけたいらしいよ」

「え、それじゃあ昇格確定?」

「無事育休を一年取って、戻ったら多分?」

「やったー!! 凄いよ隼人! 男性も育休とったら、昔はそのまま出世コースから外されることが多かったじゃん? そっか、そっか。認められてるんだね、ちゃんと」

「らしいです。普段の俺の頑張りってことで」

「うんうん! さすが隼人!」

「元々昔あった企業って感じの会社だったし、社長が変わった勢いに任せて、今の時代に合わせていきたいんだろうね」

「嬉しいような、もっと早く切り替えて欲しかったような……。ついでに、残業時間も減ったらいいのに」

「それは俺も思ってる」


 仕事が終わるのは遅く、子どもふたりが寝たころにようやく家に着く隼人は、リコの作った夜ご飯を食べながら今日の話をしていた。


「今日の検診どうだった?」

「んー……それがね……」

「どうしたの?」


 リコは先ほどまでの笑顔とは反対に、今度はスッと暗い表情を見せた。


「ちょっとその、出血が今朝から少しあって……。お腹も張るからお医者さんに伝えたんだけど、そうしたら『切迫流産です』って言われたの」

「流産!? え、それ大丈夫なの!?」

「あ、あんまり……。赤ちゃんは今お腹に留まってくれてるけど、できるだけ安静にしてたほうが良いって。それで、もし問題ないなら、結人と桐人連れて、しばらく実家に行こうかなって……」

「お義母さんとお義父さんにはもう話したの?」

「うん。そしたら、帰ってきても良いって言ってくれたから……」

「そっか。……そっちのほうが安心だよね? 俺も帰り遅いことが多いし。保育園も学童も間に合わないもんな……。あ、在宅ならチャンスあるか……?」

「会社的に、在宅難しいんでしょ?」

「ちょっと契約上ね。……本当は一緒にいたいけど。つわりはどう?」

「うーん、悪くはなってないけど、よくもなってない感じ。なんとなく気持ち悪いって言うか。でもやっぱり、前二回に引き続き、豚肉とソーセージは駄目っぽい。見るだけで良いや……ってなっちゃうもん」

「そこは一緒なんだ。でも、ずっとはやっぱり辛いね。……そこに、切迫流産だもんな……」

「三人目にして遂にきたか……って感じ。上ふたりはなにもなかったけど、なにが起こるかわかんないもんだね」

「あぁ……。じゃあリコは、一旦実家で過ごすとして、休みの日は俺が結人と桐人迎えに行こうか? それでこっち泊まって遊んで帰る、みたいな」

「そうしちゃって良いかな?」

「もちろん! ……ゴメンな、俺がもうちょっと早く帰れたら、全部出来たのに……」

「それは仕方ないよ! 次の検診は二週間後だから、まずはそれまで二週間実家で過ごして、そのあとは経過観察で帰るか残るか考えることになると思う」

「わかった。あ、荷造りは俺がするからな? あんまり動いちゃだめだぞ?」

「ふふふ、ありがとう!」


 リコの実家と譲原家の距離は近い。子どもが学校や保育園に通うのも問題ない場所だ。今リコは、パートで働いている。


「あ、職場には連絡入れた?」

「入れたよ。身体大事にしてって言ってくれた。幸い、学生の子たちがバイト増やしてくれるみたいで、気にしなくて良いって。体調の良いときに連絡くれたら、またシフト入れても良いし、安定期まで待っても良いし。心配なら産んだあとに戻ってきてくれても良いって」

「……話がわかる相手で良かったな……」

「店長も、お子さんたち産まれるとき、奥さんが切迫流産か切迫早産に必ずなってたんだって。だから、絶対無理してほしくないんだって。今日連絡入れたら、私もビックリするくらいめちゃくちゃ心配されちゃった」

「そっか。……やっぱり、そういう経験があると目線が変わってくるのかな……。そりゃ、ないほうが当然良いんだけど」

「そうだけどね。実際はなっても永遠にわからない人もいるわけだし。私は人に恵まれてたのかも!」

「ありがたい話だよな、心配してもらえるって」

「そうそう。ま、こっちも文字通り命がけで挑みますからね、出産」

「確かに」


 結人と桐人の産まれたとき、隼人は出産に立ち会っていた。普段見ないような表情もベッドの策を掴んで血管の浮いた腕も、どこから出しているのかわからない声も、リコがこのまま壊れてなくなってしまいそうで、隼人はその場にいることが怖かったのを今でも覚えている。なにもできないと自分では思っているのに、なにかしなければという焦燥感と、苦しそうな声を上げているのに、ただ励ますことしかできない無能感。もしかしたら、万が一のことがあってリコがこのまま死んでしまうかもしれないという漠然とした恐怖。結人のときに感じたこの恐怖と不安は、桐人のときでも消えることはなかった。それがまた、やってくるのだ。


「……帰る連絡は、今まで通り入れるから。そしたら、早い時間だったら電話できるかもしれないし」

「うん。お願いね。私も体調とか、結人と桐人の様子とか送るから」

「あぁ」

「今日は、病院行ってちょっと疲れちゃった。先、寝てても良い?」

「あ、ごめん! 付き合ってくれてありがとね。明日は休みだし、ゆっくり寝てて。起きてから準備して、実家まで送っていけばいい?」

「うん、お願い」

「夜中でも、なにかあったらすぐ起こしてね?」

「ありがと。そうさせてもらうね。じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」

「……早く寝なきゃだめだよ?」

「わかってるよ」

「仕事夜中までやっちゃだめだからね?」

「リコは心配し過ぎ!」

「だって、釘刺してもやるタイプじゃん……」

「さすがに今はやらない! リコが心配して体調崩したら合わせる顔がない」

「ふふふ。約束だよ? 今度こそおやすみなさい」

「うん、おやすみなさい」


 隼人がご飯を食べ終わるのを見届けることなく、リコは寝室へと消えていった。


「……そっか、初めてだな……大丈夫かな……」


 急に味のしなくなったご飯を、機械的に隼人は口へ運んだ。――心配で仕方がない。今までこれといった問題もなく、リコは二度の出産を終えていた。あったとしても、結人のときに体重過多のスタンプを母子手帳に押されたくらいだ。むくみや糖尿病の心配はされたが、結果それ以上は酷くならなかった。切迫流産と言われると、今すぐに赤ちゃんが消えてしまいそうで、なんとも言えない怖さがあった。

 自分がこれだけ怖いのだから、お腹の中で事が起こっているリコ本人はもっと怖いに違いない――。


「……もうちょっと、妊娠について調べておこうかな。結人や桐人のときとは変わってることもあるだろうし……」


 隼人は食べ終わった食器を片付けると、早めにお風呂を済ませて気になることを調べ始めた。前回なにもなかったからと言って、今回もなにもないとは限らない。そんなことを考えながら、隼人はできるだけリコの負担を減らすべく、自分にできることも探すことにした。

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