第二十二章
「俺さ本当は男になった事、後悔してないよ」
中村先生の病院を去る時に俺はそう言った。
中村先生は今日は何故かエントランスまで俺を見送ってくれた。それは俺がキスした事に対して何か責任を感じていたのかも知れないが、もっと何か別の意味を持っていたのかも知れない。
俺の言葉に中村先生は意外だとも、肯定するとも取れない表情をした。ただ俺の感情をそのまま受け取ろうとしているようだった。だけど、何処か穏やかに俺の言葉を待ってくれる中村先生に俺もどこかで救われた気がした。
「俺が男になったのは確かに俺が選択した結果だし、でも、ちゃんと悩んだし、その悩みがあったからやっぱり男で良かったんだって思うんだ。多分、ヒバリも悩むだろうけど、だからってヒバリの選択が間違いだって思いたくはない。ヒバリ自身もいつかそう思う日が来ると思う。なぁ、先生、俺先生と会って良かったよ。先生の患者で居てよかった。だから、先生も自分の事好きになってよ。そうじゃないと可哀想だよ。せっかく今の先生になれたのに今の自分を否定しちゃ可哀想だよ」
「夏樹………」
中村先生は泣きそうだとも笑おうとも取れない表情をしていた。ただ静かに俺の言葉を聞いていた。でも、語彙力が足りない俺でも先生に伝わっているのかなとその表情を見て思えた。だから、少し安心した。
「夏樹、ありがとう」
「うん。またね先生」
「ああ、気を付けて帰るんだよ」
そう言って俺は病院を後にした。
先生に顔を見せないように俺は歩いた。
今日は雨が降っているみたいだ。それも少し暖かな雨が俺の頬を伝う。まるで、好きだった人と別れるかのように哀しい俺の感情を優しい雨が包んでいる。通り過ぎる人が傘もささずに歩いている。時折、何人かが俺を見て心配そうにしている。傘を差してないあんたらの方が心配だよと心の中で思った。
「お兄ちゃん悲しい事があった?」
横断歩道で信号待ちをしていたら小さい子が俺にハンカチを渡してくれた。まだ性別が決まっていない小さな子だ。俺達にもこんな時代があった。不安定でありながら俺達はこの頃の方が幸せだった。いや、幸せだったけど、きっと今でも幸せなんだ。色々あった、これからもある。別れと出会いがずっと続く、その過程でどんどん幸せになって行けると思う。
俺はその子からハンカチを受け取って涙をぬぐった。
「ありがとう。でも悲しくて泣いていた訳じゃないんだ。幸せだって思えたから泣いていたんだ」
「幸せで泣くの?」
「うん」
「変なの!」
その子は笑った。本当に無邪気な笑顔だ。
「変だね」
俺も笑った。
俺達はこの先も沢山悩むし、泣くし、笑う。その数が多い分だけ幸せになれるんだと思う。
俺達は無性別者だ。幸せになる為に、生きる本当の意味を見つける為に生まれた新しい性別。
世界は藍色に輝いている。男でも女でもない性から始まった俺達は好きに生きられるように生まれた。本当の幸せになれるように生まれた。ちょっとは恨んだ世界が、今では輝いて居るように見えた。
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