第十八章
無性別時代から私は女の子が好きだった。女の子は柔らかいし、良い匂いするし、それに可愛いから好きだ。それでも、私は女の子になりたかった。何でかはもちろん分からない。だけど、女の子が好きだと言う感情と女の子になりたいと言う感情はきっと種類が違うのだろう…………。
恋愛として女の子が好き。
なりたい性別として女の子が良い。
きっとこのふたつに大きな関係性なんて無いと思う。こういうのは割り切って考えるものだと思う。
私は生まれた時から女の子が好き。
無性別時代の頃はおっぱいの大きな先生が好きで「私、大きくなったら先生と結婚したい」と言っていたそうで、よく先生を困らせていた。
先生はレズではなかったし、私は先生から見て女の子になると思われていたらしいから、言葉に困ったらしいけど、私はどうして女の子が女の子を好きになっちゃいけないのか理解できなかった。
平安時代から疫病のせいで性別が淘汰されてから同性間の恋愛は思ったほどハードルは低くはならなかった。江戸時代はむしろ同性同士の恋愛はメジャーだったらしいけど、何故か現代ではタブー視されている。特にアジアとかではそうだし、南米だとゲイの方が多いらしい。けど、アフリカ辺りでは同性愛はメジャーで当たり前の存在になってる。なのに日本では元々性別無かったのに、どうしてタブー扱いなのか理解できない。私から見たらゲイやレズなんて言葉すら時代遅れだとすら思う。それに本屋さんなんかでは同性愛の方が特設コーナーで売られているし、娯楽としての需要としてはあるのに、現実ではまるで禁忌のように扱われる。
女の子好きでいいのにめんどうくさい世の中。
それが私の感想だった。
でも私は絶対雪穂の事をものに出来る自信がある。あの子は流されやすい性格だし、無駄に世間に対して敏感だ。でも、ヒバリって子に惚れているらしい。あんなひ弱で、色素薄い子の何処が良いのか分からない。男に護られないと生きていけない系女子みたいで腹が立つ。
まぁ、無性別時代からそういう所あったけど今では増々それに拍車が掛かった気がする。
でも、不思議と憎めない。性別持ったのが最近だからか、女になってもヒバリを嫌いに離れなかった。
元からなよなよしていたし、弱っちぃからかもしれないけど、やっぱり嫌いにはれなかった。だけど好きにもなれなかった。
ヒバリは私のライバルで雪穂の好きな奴だから。
もし、私が雪穂の事好きにならなかったら、まぁ、友達くらいにはなってやっても良い気がするけど、今は雪穂の事泣かせる嫌な奴だから、私の中では一応敵としている。
敵でもやっぱり嫌えないのは、あいつが女の子として一年生だからかもしれない。
あいつが女の子十年目なら絶対私はヒバリの事嫌いだと思う。
なんせ、女なんて人間関係で人格作って居て、人間関係で人格変える怖い生き物だから。そういう意味ではヒバリはまだ警戒対象ですらない。
いつか本当の意味で怖い女になるかもしれないけど、素直な性格のヒバリを見るにそう言うのはなさそうだ。
でもね、忠告。
素直な女なんて良い事ないよ。男には騙されるし、良いように財布にされるしバカだと思われて浮気とかやられるんだよ?
女はねヒバリ、ずる賢い方が生き易いんだよ?
男なんて騙されても、結局は何とかなるけど女は引きずるからねぇ、気を付けなさいよ、ヒバリ。
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