第五章
身体が少し重かった。 起きるのがつらくって少し吐きそうだったけど、洗面所でひとしきり嗚咽と共に僅かな胃液をこぼしていたら少し楽になった。そのまま喉が痛くって、顔も少しむくんで居たからまるで二日酔いの人だなと思った。
いつになく白い肌が目立つ。ますますアルビノみたいだ。
「…………」
そこで違和感に気付いた。
いつもより服が当たっている箇所があった。触ってみると少し膨らんで居る。
僕は思わずを開いたボタンを閉めた。そのままうずくまってしまい、どうして良いのか分からなくなった。
少しずつ変わってきた身体に僕の心だけが取り残されていた。それでも、怖いけど嬉しかった。今まで何処にも居ないような気がしていたのに、急にここに居るんだって思うと涙が出るくらいに感動した。けど怖かった。嬉しいけど怖いと言う感情に僕は戸惑っていた。
「ふわぁ……おはよヒバリ―――」
呑気に起きて来た母さんに僕は飛び掛かるみたいに抱き着いた。「うわぁ!!」と言う母さんに僕は泣きながら胸が出来たと言うと母さんは最初驚いて居たが、優しく「良かったわねぇ……」と僕の頭を撫でてくれた。
その後、父さんも交えて僕に少しだけど性別が出始めたと言うのを報告したら「……そっかぁ、良かったな、ヒバリ……」と静かにしかし優しく笑みを浮かべてくれた。男の人はあまり感情を出して物を言わないけど、父さんも心底嬉しく少し複雑だったと思う。
「僕に娘が出来たんだなぁ……」
まだはっきりと性別は決まってないのだが父さんは感慨深くそう呟くように言った。
その日は学校を休んだ。
そのまま中村先生の所で精密検査をした。検査は半日かかり十五時にようやく検査結果まで出た。血液検査は研究機関に送り詳細なデータが後日分かるそうだが、とりあえずは「おめでとう、僅かながらだけど女性ホルモンの上昇を確認できたよ。男性ホルモンもやはり多いのだけど、まぁ、卵巣か子宮の形成がされるまではもう少しかかるだろうけど、とりあえず、一応君は女性って事になるね」と中村先生は言った。
「急だったね。何かあったのかな? あ、ごめん、こういうのデリケートな質問だよね? 良いよ、応えなくって……」
「夏樹と付き合う事にしました」
中村先生の言葉が言い終わるかどうかの所で僕は言う。
「夏樹君って君の幼馴染の?」
「うん……」
僕は長い付き合いだから思わず敬語が抜けてしまった。
「そっか……あ、なんか嬉しいなずっと子供の頃から見ていた患者がこう成長するってのは……」
「大げさだなぁ……」
「いや、良いじゃないか! 僕にだって感慨深いものがあるんだよ! 教え子が巣立つ感動みたいなものとか!」
「……うん」
「何そのドライな感じ!! もう、この現代っ子め!!」
中村先生はそう叫んだが、やっぱり目に少し感動の涙が見えていた。
「あんた制服はどうするの?」
帰りの車の中で母さんがそう言った。
「え?」
「だって今まで性別無かったから一応男の制服にしたけど、今はあなた女の子に向かっているんでしょう? なら、制服も女の子にした方が良いかなって」
「………」
僕は悩んだ。
確かに僕は女の子に向かっているけど、今までどっちの性別でもなかったから、急に変えようかとか聞かれても、そんな簡単に応えられなかった。
「まぁ、性別変わり始めなんて皆ナイーブなんだからゆっくりしたら良いよ」
「うん、ありがとう……」
母さんはそのまま何も言わずに車を運転していたけど、僕はまだ少し複雑だった。
△
「……似合ってない」
鏡を見ながら僕はそう思った。女子のスカートを穿いた髪の短い僕を僕は似合わないと思った。でも、女の子になった身体でやっぱり男子の制服が馴れているし安心するから、そのままにしようかと思ったらブラウスのサイズ少し変わったから駄目よと言われた。何のことかと思って試しに来てみたら、確かに胸の辺りがきつかった。
「あと、ブラも買わないとね」
そう言う母さんは三日ほど学校に休みを頂く手続きをしたあと、買い物で僕の下着を買わせた。
ほら好きなの選びなさいと言われたけど、今までブラどころか下着も中性的なものしか着た事なかったから、こういうのに疎かった。
「今まで中性デザインの服って無個性感があって嫌いだったのよ。でも今は思いっ切り女子の服買ってあげられるから、楽しいわ」
母さんは嬉しそうに僕よりイキイキと服を選ぶのだが、肝心の僕は複雑だった。
僕はまだ自分が女になったと言う事実を頭では分かっていても、心が受け入れるのに時間が入りそうだった。そう、僕は夏樹の事が好きなのは自覚しているけど、それはあくまで僕が無個性的なまでに性別がなかったからだ。だから純粋に夏樹が好きになれたのに、いきなり性を突き付けられて、無個性が個性になって、それに心が付いて行けてなかった。
性を持ったら僕の好きは単純にホルモンの支配を受けているみたいで、何となくそれは夏樹に失礼な気がして、僕は女になったと言うのを素直に歓迎できなかった。
……けど……感動はしていた。
僕は性を受けたあの日の夜に家のトイレでひとり泣いた。
今まで僕は浮遊した感覚に居た。誰よりも自分が浮遊していて何処にも居ない気がしていて、それでもみんなが少しずつ性別的な変化をしていくのに僕はずっと僕のままで、まるでずっと僕だけが停滞している子供みたいに思えて、まるで冷たい氷の牢獄に居るみたいで、僕だけがそこに居るような感覚に陥っていた。けど、それでも性を持つのがどうしても怖かった。
僕は性が欲しかったのに性を持つのが怖かった。
どちらかに着くことが怖かった。どちらかになるのが怖かった。区別されるのが怖いくせに、この浮遊感がもっと怖くって、でも何処かに着地するのも不安だったのに、身体が勝手に心とは勝手に着地する場所を決めて、それはそれで不安だったのに、いざ着地すると不思議と安心した。ここに居て良いのだと、ここに居て良いと言われた気がしたのに、そこに居て良いと言われると今度はその変化に戸惑って、今度はそれが怖かった。
女の子になったのが怖いなんて、なんて贅沢な悩みだと思った。
「あんた着たい服とかないの?」
「え?」
急に現実に戻された。
僕は紫色の縞模様のブラを持って居た。
「せっかく女になったのに着たい服とかないの?」
「……今までじゃダメ?」
僕は何故か泣きそうになった。
何で泣きそうになったのか分からないけど何となくここで良いのかと不安になった。
今まで僕は浮遊感に不安になったのに、今はあの浮遊感が幸せだと思った。
コレじゃまるで不安なのが安心する人みたいだと思うけど、僕はそう言う人かも知れない。
不安な事に安心する人は一生幸せを享受できないと思う。
自分がそう言う人だとは思った事はないけど、もしかしたらそうかも知れない。もしそうなら母さんに、父さんに申し訳が立たないけど、どう申し訳を立てたらいいのかも分からないから、僕は怒られたら困った子供みたいな顔をするしかないけど、幸か不幸か母さんは僕を叱りはせずに、困った顔をした。……ごめんね。
「あなたがそうしたいのならそうすると良いわ……」
母さんはそう言った。
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