第11話 ヨーゼフ・ハインと蜘蛛糸の罠 後編

 薄黄色の髪を解きほぐし、白いナイトガウン姿になったエルネスティーネ・マリーアは、天蓋付きの広い寝台に横たわっている。繊細なレース飾りの施されたガウンの袖が乱れるにも構わず、両腕を眼前のアドルフ・ベルントルトに差し伸べている。

アドルフ・ベルントルトの寝室である。二人だけがいる。

 アドルフ・ベルントルトは兄嫁のその仕草に気付かぬふりをし、壁に掛けられたタペストリー――狩猟服姿の父王アロイス・クリスティアンが雌鹿を狩っている図柄の――を、見るともなく見つめていた。しかしエルネスティーネ・マリーアの白い両腕が依然として伸べられたままであることに気付き、一瞬だが顔をしかめ、それでも無理に笑い、兄嫁の体に覆い被さっていった。

 油断のならぬ女だと、アドルフ・ベルントルトはエルネスティーネ・マリーアを見ている。アドルフ・ベルントルトがエルネスティーネ・マリーアを愛したことはないし、これから先も愛することはないだろう。ただ前国王エルンスト・マクシミリアンが存命の時分から二人の利害関係は一致し、今も一致している。それだけのことだ。

 寝室の壁で、二人の影は溶け合っている。しかし二人の愛撫に、その喘ぎに、野心と殺意に駆られた密議が混じらぬことは絶えてない。

 アドルフ・ベルントルトは兄エルンスト・マクシミリアンが憎かった。―――そう、憎かった。アルトアイゼン王家の武勇を尊(たっと)ぶ気風、長子相続制を笠に着、父アロイス・クリスティアンと母クラーラの愛情と関心を独占した兄は、私を蔑んでいた。お前は不要な者だと、私を追い詰めた。私が第二王子であり、かつ武勇ではなく魔術師の才を有するがゆえに、粗暴なあの男は。……私の心にあの男への劣等感、黒炎(こくえん)のような憎悪が生まれていったことを、誰が責められるというのだ。

「………」

 エルネスティーネ・マリーアの細くすらりとした体を、アドルフ・ベルントルトは氷漬けにされたかのような青黒い目で見下ろした。―――この女もまた、あの男を憎んでいた。北方のプラーレライからアルトアイゼンに嫁いだこの女は、傲慢で粗暴な夫を憎んでいた。政略結婚であり、もとより二人の間に愛はない。そしてあの男は二国間の同盟を反古にし、プラーレライに侵攻するという挙に出た。この女はいっそう、夫を憎んだ。

 いつしか私とこの女は、寝室で憎悪と殺しを語らうようになっていた。そこに野心が加わったのは自然の流れだ。―――エルンスト・マクシミリアンを殺し、アルトアイゼン王国の絶対的権力を掌中にしようではないか。そしてゆくゆくは、ブロイエホルツ、ファールシュ、ユーバーヘーブリヒも我がものに。

そう、私はこの女と共に兄を殺した。一杯の寝酒、私が調合した一匙の毒薬、それで事は済んだ。

「………」

 エルネスティーネ・マリーアが吐息をついた。その白い胸元に唇を付けながらも、アドルフ・ベルントルトの瞳は凍てついたままだった。―――私がこの女を愛することは絶えてない。私はこの女を信じてなどいないし、女の残忍と狂気を嫌悪している。いつ私も寝首を掻かれるか知れない。その前にこの女を……。

二つの影はしかし、溶け合っている。愛を語らうかのように、二人は語った。侵略を、殺意を、―――蜘蛛を。

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