第8話 ヨーゼフ・ハイン、冬の夜語り。後編
ヨーゼフの家は外見こそ少しく古びていたが、室内は主の気質を見事に反映していた。貝殻細工の象嵌されたテーブル、マホガニーのチェスト、整頓された本棚、壁の銅版画。ワインカラーのベルベットのカーテン、ヨーゼフ愛用の品らしいどっしりした肘掛け椅子。薔薇と貝殻の彫刻が施されたダークブラウンのマントルピース。洗練された趣味で飾り付けられていながら温かみのある小ぢんまりした居間を、ラインハルトは一目で気に入ったようだ。
そんなラインハルトのマントを脱がせ、室内履きを勧め、ランプに灯をともし……ヨーゼフはなかなか忙しい。マントルピースの火を燃(も)しているオイゲンも同様だ。
王太子殿下のお忍びは、なにぶん急な出来事であった。ためにヨーゼフがラインハルトに供した食事はとびきり上等というわけにはゆかなかった。さりとてラインハルトががっかりする必要もなかった。
ヨーゼフは手際の良い男だ。ベーコン、じゃがいも、人参や玉ねぎのたっぷり入ったトマトスープを手早くこしらえ、ソーセージを焼き、エビの缶詰を開けた。そうこうしながらも、オイゲンにはテーブルの支度を命じ、ナイフとフォーク、皿を押し付けた。ラインハルトにはエッグカップとスプーン、辛子の瓶を手渡す。
オイゲンはテーブルにパン籠、バタ、チーズ、ハムを運び、ラインハルトはいきいきした様子で辛子をかき回している。掃除、洗濯、料理といった庶民の業(わざ)には縁がない王太子ラインハルトにとって、エッグカップの辛子をかき回すことは、新鮮で特別な冒険のように感じられるらしい。
ヨーゼフが湯気の立つトマトスープの皿、熱々のグリルソーセージ、エビとレタスのサラダをテーブルに並べたところで、夕食が始まった。ラインハルトは旺盛な食欲を発揮し、大得意で、
「ヨーゼフ、オイゲンっ!ソーセージを沢山食べるんだぞっ!辛子を沢山付けてっ!私がかき回した辛子なんだぞ!すごく美味しいんだぞっ!」
どこまでも律儀なオイゲンは、辛子をたっぷり付けたグリルソーセージを頬張り、トマトスープの皿に取り組み、サラダとパンを堪能している。ラインハルトはご満悦だ。ヨーゼフはというと、
「ラインハルト殿下、はしゃぐか食べるかどちらかにしていただけませんかねえ」
皮肉を言いつつも、ラインハルトにハムやチーズ、エビを取り分けてやっている。ラインハルトは甘えた様子で、ヨーゼフに肩をくっつけている。
こうしてラインハルトのささやかだが楽しい夕食は終わった。目下のところ、風呂を使って寝間着に着替えたラインハルトは寛いだ様子でソファーに座っている。隣には寝間着にグレーのローブガウン姿のオイゲンがおり、ラインハルトに絵本を読み聞かせてやっている。ヨーゼフはというと、こちらも寝間着にローブガウン――黒の地に、金糸、銀糸の大輪の花が刺繍されている。ラインハルト曰く「目がちかちかするぞ」――を羽織り、気に入りの肘掛け椅子でようよう落ち着いた風情だ。膝の上の小説本を、見るともなく見ている。
「ヨーゼフっ!」
その声にヨーゼフは顔を上げ、駆け寄って来たラインハルトを見つめた。ソファーではオイゲンが、少しく困った様子でこちらを見ている。ラインハルトが絵本に飽きたのだろうと、ヨーゼフは思った。傍らの小卓に本を置き、ラインハルトを膝に抱き上げる。
「どうしたんです?眠くなったんですか?」
「眠くはない。ヨーゼフのおうちが楽しくって、ヨーゼフもオイゲンも優しくしてくれるから、わくわくして眠くないんだと思う。辛子をかき回したのも楽しかったし」
空色の澄んだ目がヨーゼフを見上げる。ヨーゼフはラインハルトの明るい金髪を撫で、
「ラインハルト殿下は手先が器用で、賢くていらっしゃいますからね。料理の筋が良いんですよ。わたしの家にいらしたなら、料理だけじゃなく、じきに色々なことが出来るようになりますよ」
「ほ、本当かっ!私は料理も、部屋の片付けもベッドの支度も、自分で出来るようになるのかっ!」
「はい。勿論ですよ、ラインハルト殿下」
ヨーゼフは優しい闇色の双眸でラインハルトを見つめている。オイゲンも端正な顔に柔和な微笑を浮かべたのだが、
「……でもそんなに長いこと、私はヨーゼフのおうちにいて良いのか?ヨーゼフとオイゲンの迷惑になったりしないのか?だって私は―――」
翳りを帯びた空色の瞳が、膝を見つめた。握りしめた両の拳を見つめている。
「弱くって駄目な子なんだ。何をやっても上手く出来ない子なんだ。だからヨーゼフもオイゲンも、私を嫌いにならないか?……私を殴ったり、鞭で打ったりしないか?ちょっとなら殴られても我慢出来るけど……。でもいっぱい打たれたら泣いてしまうと思うんだ……。私は弱いんだ。だから父上は……母上も……私のことを……」
「………」
ヨーゼフとオイゲンは、ラインハルトの過去を察した。
中庭でのラインハルトの切れ切れの言葉――「弱いって……に言われた……」――の意味を、ヨーゼフは解した。
オイゲンは父ブルーノ・ハインツ・ヴァイスシルトを思い、ラインハルトの父エルンスト・マクシミリアンがブルーノと同じ類いの男であることを解した。―――少年の日の私の血を凍り付かせたあの男と、ラインハルト殿下の父君は。
冬の凍てつく闇が、居心地の良い居間に忍び入ったかのようだ。だがそれも束の間、
「迷惑になんかなるもんですか。わたしとオイゲンがラインハルト殿下を殴るなんて、とんでもない話です」
ヨーゼフは言い、ラインハルトを胸元で抱きしめた。
「……本当か?私はここにいて良いのか?ヨーゼフもオイゲンも、私を殴ったりしないのか?」
潤んだ目を瞬くラインハルトに、ヨーゼフは鹿爪らしく頷き、
「無論です。万が一わたしがラインハルト殿下に手を上げたなら、オイゲンがわたしをただでは置かないでしょう。オイゲンが殿下に手を上げたなら、わたしが即座に容赦なくオイゲンをぶっ飛ばします。でもそんなこと、起こりやしません」
「……どうして?」
「わたしもオイゲンも、ラインハルト殿下が大好きで大切だからですよ。中庭でも言ったでしょう?ラインハルト殿下はとても強くて優しくて素直な子です、こんな素晴らしい良い子、他にいやしません、って」
ラインハルトがヨーゼフの胸元に顔を埋めた。
「うん……うん……」
「ラインハルト殿下は、弱くって駄目な子なんかじゃありません。何をやっても上手く出来ない子だなんて、そんな筈があるものですか」
「うん……うん……!」
「ラインハルト殿下は素晴らしい子です、とても強くて優しい子です。ラインハルト殿下は大丈夫、大丈夫なんです」
「うん……!」
震えるラインハルトの背を、ヨーゼフは優しく撫でている。オイゲンはラインハルトの傍らに歩み寄ると、明るい金髪を不器用な仕草で撫でた。
「……ちょっとくすぐったいぞ、オイゲン」
ラインハルトの声には涙の跡があったが、それでも確かに笑っていた。
その夜はいつにも増して、火が恋しくなる夜だった。マントルピースの前に広げた粗い毛皮の敷物の上に、オイゲンは座っていた。広く逞しい背を丸くし、膝を厚い胸板に押し付けるようにしている。切れ長の碧眼を閉じ、まぶたの向こうで炎が踊る気配を感じている風だ。面長の端正な面差しは柔和で、あどけなくさえ見える。
居間のドアが開いたので、オイゲンは目を開いた。戸口を見やる。そこに立っていたのは、果たせるかなヨーゼフだった。オイゲンと目が合うと照れたように笑い、少しく乱れた前髪をかき上げた。
「ラインハルト殿下が、ようやく眠ってくださいました」
オイゲンは頷き、敷物から身をずらした。ヨーゼフがその隣に腰を下ろす。つま先をマントルピースに向かって投げ出し、掌を粗い毛皮に付く。
「殿下は優しくて聡明な、強い子でいらっしゃるのですけれど。今日の出来事は、さすがに心にこたえたようです。わたしがお気に入りのお話をし、お気に入りのお歌をすっかり歌ってから、お眠りになられたんです。……ラインハルト殿下はずっと頑張っていられたんですから、わたしも頑張らなくてはなりませんね」
「ラインハルト王太子殿下は、貴方をとても慕っておられる」
オイゲンが静かに答えた。ヨーゼフは少しく考える様子で、
「それならば有り難いのですけれど。……しかし、なんてんですかねえ。慕ってくださっているというよりはそう、役割分担の問題なんだと思いますよ」
「役割分担?」
怪訝そうなオイゲンを、ヨーゼフは見つめた。闇色の双眸は優しい。
「ええ。子どもを育てるには幾人もが力を合わせ、それぞれが役割を担う必要がありますね。姉上にあたるゾフィー・マティルデ殿下はラインハルト殿下を守り、王太子としての道へ導く役割を担っておられます。しかしゾフィー・マティルデ殿下はお優しい方ですが、ご自身もまだまだ年若でいらっしゃいますし、宮廷内での立場も確たるものではありません。……父君にあたる前国王陛下の死によりなおのこと、その立場は不確かなものになっています。そうした緊張の最中(さなか)にあっては、ラインハルト殿下の子どもらしい甘えを受け入れることが困難な折もおありでしょう」
「……私は貴方の話を理解することが出来る。貴方の話ならば、昔のように」
オイゲンの切れ長の碧眼には生真面目さのみならず、安堵の色合いが浮かんでいる。ヨーゼフは小さく笑い、
「お誉めに預かり光栄ですよ、オイゲン。わたしも貴方にならば話したいと思うんです、昔のようにね。……ともあれわたしの役割は、ラインハルト殿下の子どもらしさを受け入れ、遊び相手を務めさせていただくことなんだと思いますよ。学問や武術、魔術の手ほどきもし、殿下をお守り申し上げる役割も担っていますがね。―――詰まる所、わたしは甘えられる、遊びごとを教える、悪い奴をぶっ飛ばす役どころ。ゾフィー・マティルデ殿下は守られつつ、守らなくてはならない存在。ラインハルト殿下の描かれる役割分担は、そのようなものじゃないんですか」
「……そうであるか知れない。しかしヨーゼフ、貴方の役割は貴方にしか務まらない。貴方は立派だ」
「ラインハルト殿下はずっと堪えていられますからね。臣下で年かさのわたしが呑気な顔をしてもいられますまい。今ラインハルト殿下はゾフィー・マティルデ殿下を軽侮する輩から、姉君を懸命に守っていられます。そして父君のご存命中は、堪えていらしたんです」
「………」
オイゲンの碧眼が、マントルピースの火を見つめた。―――男の痛罵、嘲笑、冷笑、鞭。嘗てラインハルトが堪えてきたもの、そしてそれは自分が堪えてきたものと同じだということを、オイゲンは気付いている。高雅に整った横顔が、翳りを帯びている。ヨーゼフは吐息をつき、
「そして母君の存在はあってないようなものですからね。中庭での様子を見ていたなら分かるでしょう。ラインハルト殿下の重圧は、なまなかなものではなかったと思います」
「ラインハルト殿下は愛くるしいだけではなく、強く、聡明な、お優しい方だ。しかしヨーゼフ。殿下を誰よりも理解し、大切にしている貴方も優しい」
ヨーゼフは直ぐには答えなかった。ややあって、
「……寒くなってきたんじゃないですか、オイゲン。火を燃すほどではないんですけれど。こちらに来たらどうです」
闇色の双眸はオイゲンを見なかったが、雪白の頬が明らかに赤くなっている。無論、炎のためではない。
オイゲンはヨーゼフの気持ちが分かるように思った。何よりオイゲンにはヨーゼフの近くに行くことに異存がなかったので、ヨーゼフに寄り添った。膝を抱えていた手をほどき、ヨーゼフの右手の甲に触れる。ヨーゼフは物憂げにオイゲンの指先を見、
「中指の爪が少し欠けているじゃないですか。貴方の爪は綺麗なのに。爪やすりと蜜蝋を使ったらどうです?」
「……あまり関心がない」
気乗り薄なオイゲンに、ヨーゼフは少し意地悪く、
「良いんですか?貴方は変なところがせっかちでどんくさいですからね。制服のボタンに引っ掛けるか、レイピアのスウェプトヒルトに引っ掛けるかして、近いうちに必ず爪を折りますよ?ばきっと、景気良く」
「……それは嫌だ。使うことにする」
少年の頃と変わらぬ会話を、二人はしているようだ。
他愛のない話と笑い――くすくす笑い、屈託のない笑い、優しい微笑――が居心地の良い居間に満ちた時、オイゲンが少しく様子を改めた。切れ長の碧眼が、ヨーゼフを真っ直ぐに見つめる。
「ライちた時、オイゲンが少しく様子を改めた。切れ長の碧眼が、ヨーゼフをンハルト殿下の話はおおよそ分かった。だからヨーゼフ、次は貴方の話を聞きたい。幼い日の私が気付かずにいたこと、私がブロイエホルツにいた間に貴方がしてきたこと、―――貴方の来(こ)し方を、私は知りたい」
ヨーゼフは気だるそうにオイゲンを見、マントルピースで踊る炎に目をやった。
「……別にまあ、話すほどのこともないんですけれどね。あの頃の貴方には話しませんでしたけれど、わたしの母カテリーナは、若い頃メイドとして働いていたさる貴族の邸宅で、そこの嫡男と恋仲になったそうです。その貴族の家名、嫡男の名を、彼女はついに口にしませんでしたけれどね。わたしも――事情はおいおい分かると思いますが――彼女と親子らしい話をする時間は持てませんでしたので、父親が何者かは分からず仕舞いなんです。……話が逸れてしまいましたね。ともあれアルトアイゼンが厳格な身分社会だということは、貴方も分かっているでしょう。わたしを身ごもったことが分かると彼女は暇を出され、親類からも見放されました。貧民窟の一隅でわたしを育てようとしたらしいですが、彼女は次第に心を病んでゆきました。……わたしにも言いたくないことはありますから詳しくは言いませんけれど、彼女とは話が出来るどころか、その仕打ちに身の危険を感じるようになりましてね。六つかそこらで家を飛び出し、物乞いや走り使いをして生活していたところを、宰相閣下に拾っていただいたんです。わたしの魔術師としての才を見込んだのだと、閣下は仰有っていました。わたしの姓ハインは、その時に閣下がくださったんです。アルトアイゼン王国史上最も偉大なる魔術師、イェレミアス・メルヒオール・ハインに因(ちな)んだ名だと言われましてね。貴方と出会ったのはそれから間もなくだと思いますよ、オイゲン」
「………」
オイゲンは黙している。ヨーゼフの傷に触れてしまったことへの自責の念。ヨーゼフが辿らされた理不尽な過去への憤り。そうした感情が入り混じり、かつ己の口下手を自覚しているオイゲンは黙っている。そしてある直感を抱いている。―――ヨーゼフの母の勤め先はシュヴァルツレーヴェ邸であり、ヨーゼフの父は宰相閣下なのではないのか。私の推測を裏付ける、確たる証拠はない。だが否定出来る要素もない。
ヨーゼフは物憂げに眼前の火を見つめ、
「……それから後は、貴方もおおよそ見当が付くでしょう。貴方がブロイエホルツに行ってから、わたしは魔術の勉学に励みました。宰相閣下はわたしに良くしてくださったと思います。学費や何かの援助もしてくださいました。それに、まあ……なんてんですか。抱きしめて頬ずりするようなことはないんですが、わたしが弱った時は必ず味方でいてくださいました。わたしが力いっぱい動けるよう、いつも見守っていてくださいましたよ。その甲斐あってかわたしは特級位魔術師試験に首席合格し、最年少の若さでアルトアイゼン宮廷魔術師になりました。今じゃ宰相閣下の懐刀と言われていますが、問題児も兼ねていますよ。……ラインハルト殿下とゾフィー・マティルデ殿下の守り役に任ぜられたのは、前国王陛下が崩御されてすぐのことです。後ろ盾を失くされた両殿下の身を、宮廷顧問官閣下が案じられたためと聞いています」
「………」
オイゲンは黙している。ヨーゼフの話を聞き、先程の直感が強まってゆくことを感じている。―――宰相閣下のヨーゼフへの思いは、父が子に向けるそれではないか。そしてヨーゼフも、そのことに気付いているのではないか……?
オイゲンの胸中を知ってか知らでか、ヨーゼフは軽く伸びをし、
「わたしの話はこんなところですよ。ではオイゲン、貴方の話を聞かせてもらえますか?痛まない範囲で、ゆっくりと。それでも痛くなったなら言ってください。貴方が落ち着くまで、こうして座っていますから」
「……貴方は優しい。とても、本当に優しい」
オイゲンの長くはあるが無骨な指先が、ヨーゼフの手をそっと握った。
「……ブロイエホルツに行ってからも、私は変わらないままだった。父に打たれ、周りからはいじめられ、泣いて途方に暮れていた子どものままだった。何をすれば良いのか、何をすることが許されているのかが、私には分からないままだった。ただ、それを私が分かるやり方で私に教えてくれ、私が痛んだ時に私を癒してくれ、私と話し、笑い合ってくれる貴方がいなくなった―――それだけが変わっていた。それでも私は、ブロイエホルツの騎士たちと仲良くなりたかった。私がアルトアイゼンに帰った時、胸を張って貴方に、ブロイエホルツで友達が出来たと、楽しい日々を過ごしていたと、そう言えるようになりたかった」
「貴方だって優しいじゃありませんか。……わたしなんかのために、……そんなにも」
ヨーゼフの声は微かに震えている。だが暗い目をしたオイゲンは首を振り、
「しかし私は上手くゆかなかった。私が上官の命令を懸命にこなそうとすると、何もあんなにがむしゃらにすることはあるまい、先輩格の騎士の顔を潰していると言われた。私が命令されても教えられてもいないことをせずにいると、何故これしきのことが出来ないのか、当たり前だろうと言われた。私は顔立ちを揶揄され、声を揶揄された。私にはどうして良いか分からなかった。私なりに、色々な相手に教えを請うてみた。私は気味悪がられ、敬遠された。……私は貴方が恋しかった。少年の頃と何も変わらない自分が嫌だった。ブロイエホルツの楽しい思い出を持てぬまま、私はアルトアイゼンに帰った。貴方に会いたくて仕方がなかった。聖マルティヌス騎士団員になることは出来たが、私はやはり上手く出来なかった。だから―――」
オイゲンの声がそれと分かるほどに震えた。オイゲンの手を、ヨーゼフは握り返した。潤んだ碧眼で、オイゲンはヨーゼフを見つめ、
「私は貴方に会えて嬉しかった。本当に嬉しかった。自分の顔立ち、声を奇妙ではないと言うよう貴方に促され、本当に嬉しいと思った。貴方が痛みを一緒に治してゆこうと言ってくれて、本当に嬉しい。私は治したい。私を奇妙ではないと思えるようになりたい。貴方以外の人々の話も分かるようになりたい。私は人と仲良くなりたい」
「良いんじゃないですか、それで。わたしも貴方を応援しますよ」
ヨーゼフが素っ気ないのは言葉だけだ。立ち上がると居間に隣接した台所に行き、二本の小瓶を持って来た。林檎のジュース、桃のジュースだと、オイゲンは見当を付けた。どちらも幼い頃からのオイゲンの好物だ。
「マントルピースの前で夜語りというのもなかなか良いんですけれどね。喉が渇きませんか?」
ヨーゼフが桃のジュースを差し出した。だがオイゲンは――ある意味残念過ぎるほどに――生真面目な男なので、
「喉は渇いている。しかしヨーゼフ、就寝前に甘い飲み物、冷たい飲み物を飲んで良いのか?虫歯や腹痛がどうのと、子どもの頃家庭教師に言われたのだが」
ヨーゼフは澄ました様子で林檎ジュースをらっぱ飲みし、
「貴方はもう子どもじゃありませんし、ここに貴方の家庭教師はいませーん」
「……それもそうか」
オイゲンは得心がいったらしく、こちらも桃のジュースを豪快にらっぱ飲みした。
「……冷たくて甘くて美味い」
「でしょう」
マントルピースの火は、明るく暖かに燃えている。
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