第四話「消えた生活」
木々に囲まれて公園を一望できる場所のベンチに座り本を読んでいると零が話しかけてきた。
「ハル君、何読んでるの?」幼くて聞き覚えのある声が俺の耳に届いた。
わざわざ家から公園まで俺を捜しに来たのか。俺は零の家で零と一緒に遊んでいる時に零の母と父が喧嘩しているのを見つけてしまったためその空気に耐えきれず逃げ出してしまったのだ。
「別に...お前は良いのか?お父さん心配するぞ」
「私なんか心配しないよ。私も逃げ出してきちゃった」
零は俺が逃げ出した事を分かっていた。俺は零に隠しごとは出来ないと改めて実感した。
零は俺の隣に腰かけた。
「私は家にいるよりハル君といる方が楽しいから」
「ふーん...」
俺は本を再び読み始めたが、隣からものすごい視線を感じて本の内容が全く入ってこなかった。
「見すぎ」
「...あ、ごめん」
隣を見ると目を光らせてこちらを見ている零がいた。
零は子どもながらに他の生徒より圧倒的に髪が長く綺麗だった。
向かい風が吹き零の髪が揺られ優しい匂いが漂ってきた。
その子どもに見えない綺麗な髪が付いている童顔は俺の見てきた中では1番佳麗で俺は目を離せなくなってしまう。
「ねー、ハル君」
「何?」
「将来の夢はある?」
「俺は...無い」
考えたことがない。周りの男子がヒーローになりたいやら警察官になりたいと言っている中、俺は全く興味を示さず本を読んでいた。
「私はあるよ」
「聞いてねぇし」
お構い無しに零は言った。
「私は将来あなたのお嫁さんになるの!」
想像ができなかった。そもそもお嫁さんとはなんだろう。
「へー、頑張れよ」
「全然興味なさそうじゃん!」零は頬を膨らませ少し怒ったような表情をする。
「もうっ、この事はハル君にしか話してないんだからね...」零は不意に寂しそうな声を出して下を向いた。
悲しいことがあったのだろうか。俺の知らない事情。なんで寂しそうにしているのか理由を聞けば何か助けになるだろうか。
「なんで寂しそうにしている」
「え...あ!そうだハル君、お菓子買いに行こうよ!お母さんからお小遣い貰ったんだー」
「分かった」そう言うと零は寂しそうな顔を誤魔化すように元に戻して笑顔になった。嬉しそうな零を見ると俺も気分が高鳴っていく。
この時は気付かなかったが、俺は零との時間が永遠に続けばいいと思っていた。それが俺の――。
目が覚めると先程見た公園のベンチに座っていた。久しぶりにここへ来て懐かしさを感じながら呆けていたらいつの間にか居眠りしてしまったようだ。
隣を見ても幼い頃の零はおらず、いるのは透明人間の零だ。
あれは夢だったのか。最近零の夢ばかり見る気がする。
今日は学校が休みで公園では幼児から大人まで様々な年齢の人達が遊んだり運動したりしている。
零は俺の肩に頭を寄せて寝てしまっていた。
随分と姿が変わってしまったが髪の匂いは昔の零のままだった。零が近くにいると俺は毎回胸が高揚し、鼓動が速くなってしまう。
なぜこうなるのは分かっていないが、零に特別な感情を抱いているのは確かだった。申し訳なさかそれとも別の何か。
良く分からない感情に振り回されながら零を起こそうと静かに声をかけようとしたが、零の寝顔を見るとその気も段々無くなり、また瞼が重くなってきた。
この時間が俺にとってどんな意味を持つのかはまだ知らない。
一週間後、何も生活に変化は無く透明人間に関する情報も進展しないままだった。
「結局人員増えても情報は変わんねぇな」荒砥先輩は言った。
「すみません...」俺は役に立てない申し訳なさで謝った。
「いや、お前のせいじゃない。そもそも報告会1年くらい前からやり続けて少しも進展したことねぇしな」
奏先輩と雛先輩は今日用事があるらしくこの場には居ない。
空き教室の中央では零と透華が仲良さげに話している。零は久しぶりに女性と話すことが出来ているので楽しそうだ。
俺と荒砥先輩は2人並んで座りその透華と零の癒しの場を眺めながら話していた。
「なんで透明人間になったのかが一番気になる。そこが分かれば元に戻す糸口が見えるが」
「どうやってそれを解明するかですね」
2人で頭を抱える。ふと零を見ると気のせいかいつもより鮮明に映っているように見えた。
いつもより零の顔が良く見える。やはりこう見ると零は他の女子とは一線を画して美人であることが分かる。
透華はいつもと変わらず無表情だが、零と完全に話し込んでいる。
「幸せになれば戻るんですかね」幸せそうな零の顔を思い出しつい何も考えずに言ってしまった。
「ん?どういうことだ。幸せになれば戻る...」
そんな考えるような内容では無いと思ったが、荒砥先輩は喋っている最中に黙り込んでしまい下を向いた。
「その発想はなかったな。透明人間は『旋律筆者』の力で何とかするものだとばかり思ってしまっていた。試してみる価値はあるか...」荒砥先輩はそう言い零の方を見た。
「お前、新目さんの好きな事とか分かるか?」
「それなりには」
「今度から試してくれないか?」
「分かりました」
そして零の好きな事を探し実行する作戦が始まった。
取り敢えず喫茶店で零の好きな甘くて可愛いものを食べてもらう。
間違えて店員に2人と言いそうになったり、注文の時に零にこれでいいかと店員の目の前で確認してしまい変な目で見られたりしたが、零はクリームの乗ったパンケーキを食べている時に非常に嬉しそうだったので安心した。
「今幸せか?」
「うん、ハル君見ながら好きなものとても幸せ」
嘘をついているようには見えないがまだ零の身体は透明なままだ。
やはり幸せになれば元に戻るという単純な考えでは無さそうだが、他にも試してみることにした。
次に思いついたのは零が好きだと言っていたジャンルの映画を二人で見ることだった。
映画の席を2つ買い、飲み物とポップコーンも2つずつ買って恋愛映画を見た。
隣の席に座る零の顔を見る。零は映画に集中しているようで、俺が見ても気付く気配が無い。
映画のクライマックスになり、主人公とヒロインのキスシーンが流れる。零はその場面を見て顔を赤くして、気のせいか俺に少し近づいているような気もする。俺は零ばかり見て映画の内容が全く分からなかったが、零はどうだろうか。
「楽しかったか?」
「うん、ハル君と一緒に見られて良かった」
零は笑顔でそう答えるが、やはり透明なまま。
最後は夜の散歩だった。俺は零が散歩を趣味にしていることを知らなかったが、零の母と良く夜外で散歩をしていたらしい。
零と二人で河川敷を歩く。川には少し欠けている月が照らされ、淡い光を発していた。
冷たくて心地いい微風が吹き零の髪が揺れる。
夜の河川敷は閑散としており静かな空間が広がっている。人は少なく、いるのは俺たちとランニングをしている人が数人いるくらいだ。
しばらく零と話しながら歩く。
「ハル君、今日は楽しかったよ」零はそう言いこちらを見る。街灯が零と俺を照らし、顔が良く見える。
「そうか。でも元には戻らなかったな」
「私はハル君がここまでデートしてくれるならこのままでも良いけどなー」
「俺はハッキリとそこにいる零を見たい」
「え!?...いきなりそんなこと言わないでよー...」
零は顔を少し赤くして言った。
零の姿は前よりか鮮明に見えている。あと少しで救えるのだろうか。
そんな話をしながら歩いていると目の前に白いワンピースを着た女性がいた。
透華と思ったが、何か違う。顔つきも身長も肌の白さも、透華そのものだったが、髪色が白いだけでなく赤い血のような色も混ざっていた。
「本当にその子は貴方に助けを求めているの?」
その女性は微風によりその赤と白が混ざり合った髪を揺らした。
声色がゆったりな透華とは違い、感情が薄くハッキリとした声。
「透華?」
「あの忌々しい名前を呼ぶなんて...貴方は私の怒らせ方を知っているみたい」女性は笑顔になりながら言った。心からの無気味な笑い。
どうやら透華とは別人で合っているらしい。
「少し遊ぼうよ」
透華のように子どもじみた事を言うが、その目は優しい目ではなく何も見ていない目だった。
俺は警戒した方がいいと思ったので零の手を引き少し後ろに下がる。
「あら、警戒してるの?大丈夫、痛い事じゃないよ」そう言い女性は零に向かって手を伸ばした。
「やめて!」
零も危険を感じたのか、女性の手を振り払おうとするが女性の手はまるで透明人間のように零の振り払いを貫通して零の頬に触れる。
その瞬間零は硬直してしまい、目から涙が一滴流れる。
女性が手を離しても零は硬直したままで言った。
「や...やめ」零の瞳は次第に光を失い、身体も段々と薄れていった。
俺はその様子を見て焦り、彼女を引き止めようと手首を掴むが、掴んだ感覚も無くなっていく。
「おい!しっかりしろ!」声をかけるがまるで聞いていない。
「とても美味で辛い記憶...苦しかったんだよね...このまま楽になりたい?」女性は微笑みながら零に問いかける。
このままでは零に何か悪いことが起こってしまいそうなので、俺は女性に向かい言った。
「やめろ!」
そして女性の腕を掴んだ。
「...え?」女性は掴んだ腕を見て驚いていたようだった。
女性の腕は死人のように冷たく、温かみが一切なかった。
「私にさわれるなんて...貴方以外にいないよ」
女性はまた笑顔になり特に抵抗する気配もなく言った。
「でもあの人たちがそろそろ来ちゃうから。その子を解放できなかったのは残念だけど...もう行くね」
女性がそう言った瞬間、突風が吹き荒れた。顔を腕で守っていると手の感覚が無くなっていたので前を見ると女性はいなくなっていた。
「透晴君!」遠くから雛先輩の声が聞こえたので上の方を見ると息を切らしながら立っている奏先輩と雛先輩がいた。
そういえば零はどうなったのか。俺は零のいた場所を見るが、誰もいない。
「零!どこだ!」
どこを見渡しても零はおらず、返事も返ってこない。
「透晴君!ここに赤と白の髪色の女通らなかった!?」雛先輩は聞いてきた。
「そいつはさっきまでここにいたけど零に何かして消えました!」
雛先輩と奏先輩は俺の所へ来て言った。
「あの女、零以外にも私たちが保護しようとした透明人間も消しちゃったんだ。ほんと許せない」
雛先輩は心から怒っていた。俺も怒りが込み上げてくる。ここまで憤怒に包まれたのは初めてだった。
零が心配だ。あの女に何をされたのかは分からないが、俺が見えなくなったということは本当に消えてしまったかどこかへ行ってしまったかもしれない。
どこかにいたとしてもあの零を殺そうとした男性がいつ零に襲いかかるか分からない。
だが零が見えなくなった以上探せないのでどうすればいいかも分からない。
「落ち着いて雛、透晴君も」
奏先輩の声は落ち着いていたが拳は音が鳴りそうなくらいに強く握りこんでいた。
「まだ諦めちゃだめ。雛、今日何のために廃工場を調査したと思ってるの?」
どうやら雛先輩と奏先輩は放課後に零を殺そうとした男性の目撃情報があった廃工場を調査したところ、昨日その男性がいた痕跡を見つけたようだ。
それはおそらく男性の日記で、昨日の日付けで止まっていたらしい。
「昨日の日付けで止まっているということは昨日から何か動きがあるっていうこと。そして昨日の日記の内容は――」
その赤と白の髪がとある女の特徴として書かれた文があったらしい。しかもその女と接触している。女を呼んだのはその男性のようだ。
名前は
俺はその廃工場に向かうことを決意した。
廃工場は俺が通う高校の裏にある山を超えた先にあった。月に照らされた廃工場は、幻想的であり不気味だった。
「ここにいるのか?」薫が俺を見て言った。
その気では無かったが、たまたまカラオケに行った帰りの薫と外志に会ってしまい、奏先輩たちとどこへ行くのか聞かれ、沈黙を貫こうとしたても駄目だった。
「いるかは分からないが、昨日までいたらしい。」
「あの先輩たちもなんでこんな所に行こうとしたのかね」外志は言う。
事情を知らない2人からすれば俺と奏先輩たちがここへ来る理由が想像できないのだろう。
「まぁ...こっちの事情だ」
俺は誤魔化して、奏先輩たちの後へ続いた。
なるべく音を立てずに、それぞれ分散して行動し効率よく男性を探すことにして慎重に奏先輩が日記を見つけた場所へと向かう。
工場の中は暗く、携帯電話のライト機能を使わないと全く見えず、足元にはガラスの破片などが散らかっている。上を見ると割れた窓がありそこからでは月が見えない。
しばらく工場の中を進み、おそらく工場設備を管理するであろう部屋の前へとたどり着いた。
ここだ。男性の日記があった場所。先輩たちや薫たちには他の場所を探索するように言ってあるのでここに来るのはしばらくした後だろう。
少し錆びて皮膚に張り付くような感覚を味わいながら鉄のノブを掴み手前側へと引く。
耳に響く鉄で引っ掻くような音が鳴り、不快な気分になりながら部屋の中へと入った。
部屋の中は難しそうな機械が並び、付いている窓からは工場の中を軽く見渡せる。窓の前には工場に似合わない木製の古い机と椅子があった。
机には黒いペンが転がっており、紙には何か書いてあった。
――透明人間解放計画――
紙を手に取って裏を見るが何も書いていない。
「...何故ここにいる」後ろから声がしたので咄嗟に振り返ると、音もなしに俺の目の前にあの零を殺そうとした男性がいた。
「零はどこだ...!」
「零?お前の隣にいたやつか。とっくに解放したさ...明生がな」
その言葉を聞いた時、信じられなくて思考が停止した。目の前の光景が何も頭に入ってこなくなる。
零が死んだ...?あんなに俺のすぐそばにいたあいつが?
あの時、零は涙を流していた。あれは悲しみの涙だった。
解放?笑わせるな。ただの人殺しじゃないか。お前らに零の何が分かる。
全身に力が入り、自然と男性に対して心からの憎悪が身を焦がした。
これは殺意か。
男性はもう俺に用が無いのか無防備な体勢で椅子に座る。
俺はこの後男性に攻撃して勝てるかどうかも考えずに身体を動かしていた。
男性に向かって殴りかかる。
男性はこちらを見向きもせずに俺の手を止めて余裕の表情をこちらに向けた。
「やめとけ。俺はもうお前を殺す理由は無いしお前も俺を倒せない」
男性は俺から手を離して机に向かい、紙を一枚取り出した。
「それに、俺は他にも解放しなきゃいけない奴らがいる」
俺は再び男性を殴ろうとするがそれを予測していたのか俺の首元にナイフを突き出した。
「やめとけって言ってるだろ。お前は今護るものが無い。だから『旋律筆者』の力も使えない」
その通りだった。奏先輩の説明した通りなら俺は今零を護っているわけではないので自身をナイフから護る術がなかった。
そう、護るものが無い。
俺は突き出されているナイフを手で掴み空いた右手を握り顔を殴った。
男性は不意を突かれ驚いた表情をしたがすぐに顔を元に戻し無表情でナイフを振りかざした。
右肩にナイフで切れ込みが入り、鮮血がにじみ出る。
「そんなに死にたいのか。お前もあいつの元へと送ってやるよ」感情の無い声で言った。
次に男性は俺の胸元に向かってナイフを刺した。
鈍い音が部屋に響き、胸元に金属の感触だけが伝わる。
着ていた服を赤色に染め、痛みを感じなくても死ぬことだけはわかった。
目の前が少し暗くなり、真っ直ぐ立てなくなってきた。
脳も回らなくなり、思考が鈍っていく。
殺す。その言葉だけが頭の中を循環する。
身体の感覚すら段々無くなっていく。だが不思議と死ぬのは怖くなかった。
感覚が無くなると同時に光が身を包んでいく。
「なんだ?」男性はナイフを俺に刺したまま言った。
胸元の異物感が無くなり、ナイフは刀身が消えている。
どうしてだろう。護るものはもうないのに『旋律筆者』の力が使えるのだろうか。
俺は光に身を任せ、右手を男性に向かってかざす。
次の瞬間、光が爆発して大きな衝撃とともに轟音を響かせていた。
「な!?」男性は間一髪で避けていたが、左腕が消し飛んでいた。
部屋の壁には大きな穴があき、鉄くずが崩れ落ちる音がする。
その後も俺の周りに黄色い光の輪が複数現れ、男性に向かって光を放つ。
男性も流石に避けきれないのか、血が身体のあらゆる箇所から流れている。
「お前...ただの『旋律筆者』じゃねぇな」
男性は何か言っているが、俺には何も聞こえなかった。
いつの間にか部屋は穴だらけになり、部屋の外である工場の内部もボロボロになっている。
俺はその様子を見ても何も思えなかった。
次々と光の輪が現れて強い光を発している。
俺の身体から力が流れていくような心地いい感覚に陥る。もう殆ど音が聞こえない。
男性は恐るべき身体能力で弱っているにもかかわらず工場の様々な場所を利用して逃げる。
俺は動かずに男性へと狙いを定めた。
次々と光が爆発し、壁や天井、足場など工場の設備を破壊していく。
この攻撃が自分の意志なのか、そうでないのかは分からなかった。ただ今は零を殺そうと企んだ男性と、零を殺した明生をこの世から消し去りたかっただけ。
男性はいつの間にか見えなくなってしまったので、捜しに行こうと歩き始める。直線で邪魔になるものを次々と破壊しながら男性を探すと、そこにいた影は男性では無く奏先輩だった。
「透晴君!あの男は!...透晴君?」
俺は奏先輩を無視して男性を探す。
「透晴君!その力...声も聞こえてないみたいだし」
その後も幾つか施設を破壊して回るとついに男性を見つけた。
「フ...本当に化け物だな」
男性は余裕そうに壁にもたれかかっていた。だが実際は血だらけで片腕から大量出血しているのでいずれ死ぬだろう。死ぬ前に明生の居場所を聞かないといけない。
男性がいずれ死ぬと分かったせいなのか周りの音がやっと聞こえるようになってきた。がらがらと工場の破片が落ちる音がする。
「明生の居場所を教えろ」
「そんな情報を聞くためにここに来たのか?違うだろ」
男性はこちらを見る。明生を見つけ殺す。今はその為だけに生きている。
「まぁ...俺も長くはねぇな。お前のその努力に免じて教えてやるよ。零は死んでいない。そして明生はもうすぐここへ来る。零の魂を完全に消し去るために」
零は死んでいなかった。その言葉を聞いただけで心が収まり、周りにある光の輪も消えていく。
零はここにいるのか...?明生がここに来て零を消し去るならおそらく零はこの辺りにいるのだろう。
「零!いるなら返事を――」
「無駄だ。零は既に消えかけている。後は明生が来るのを待つだけ...」
もうすぐ男性は死ぬだろう。俺が殺したという実感は湧かなかった。殺意も次第に消えていく。
そして完全に『旋律筆者』の感覚が無くなった時。
「見守!」後ろから叫び声が聞こえた。
後ろを振り向くと見知らぬ4人がいた。
「お前らも来んのかよ...」男性は嫌そうに言った。
4人の中には明生もいた。
「見守!早く措置を!」そう言い男性を見守と呼んだ赤い髪の女の子が真っ先に見守へと走って行った。
「見てわからねぇのか、そろそろ死ぬぞ」
女の子は泣きそうになりながらも男性の血が流れている個所を体全体で止めようとしている。
明生とその赤い髪の女の子以外の二人はフードを被っており顔が良く見えない。
「まぁ...誰がこんな惨いこと...」フードを被った華奢な体つきのおそらく女性はそう言って顔を男性から逸らした。
「貴様か...見守を殺そうとしているのは」
もう一人の体つきが良く、声が低い者はおそらく男性だろう。
明生は俺の方へと寄り言った。
「そこまでして零を助けたかったの?」明生は少しも見守と呼ばれた男性を気にすることなく俺に問いかけた。
「うるせぇ、早く零を返せ」
「もう零は手遅れ。さっさと諦めたら?」
明生は表情を一切変えずに冷たい声で俺に言う。
「手遅れかどうかは、俺がこの目で零を見て決める。」
そう、零をこの目で見て救うまでは諦めない。
零がどう思おうと俺は零に普通の人間として生きてほしい。例え零がこの世で苦しい思いをしようとも、俺は零に幸せと思ってもらえるような人間になりたい。
そのためには零を透明人間から元に戻すことだ。
「諦めの悪いことで。じゃあ殺すしかないよね」
明生はそう言い、こちらに向かい手をかざす。
「透晴!」
俺を呼んだのは薫と外志だった。奏先輩はいるが雛先輩がいなかった。
どこから見つけてきたのか薫は鉄パイプを持っていた。
「殺させやしねぇぞ!」そう言い明生に向かい容赦なく鉄パイプを振りかざす。
だが鉄パイプは明生を貫通してしまう。他のフードを被った2人もそれを止める様子が無い。
「明生、手短にやれ」フードを被った男性の方が言った。
俺は明生に向かって手をかざす。男性に向かい殺意が湧いた時から不思議と『鎖裂』の使い方が分かるようになった。
光の輪が1つ現れ光を爆発させる。直線状に漫画のビームのような光が放たれ、明生に直撃する。
光が強すぎて周りが見えなくなる。
「なんだそれ!?」薫の驚いた声が響く。
やがて光が収まった時、そこに立っていたのは無傷で余裕そうな明生だった。
「へぇ、お兄さん、『旋律筆者』なのに私達みたいな力使えるんだー」明生はそう言い俺とは違い赤色に光る輪を出現させた。
俺は身構える。そして赤色に輝く輪から放たれた光は直線ではなく不規則に曲がりながら俺へと迫ってくる。
避けようとしてもしつこく追いかけてくるそれは最終的に俺の目の前へと来てしまった。
不意に顔を右腕で守るように覆うと黄色い光の輪が再び現れ赤い光を止める。
強い衝撃が身体に響き、強く踏み込んでも少しずつ押されていく。
右腕に意識を集中して重く赤い光を右に払い除ける。
右で光が爆発して煙が周りを隠した。
煙が晴れた頃にはフードを被っていた2人と、見守と呼ばれた男性、男性を助けようとしていた女の子はいつの間にか居なくなっていた。
薫と外志は俺と明生との闘いを見て呆気にとられていた。
突如、聞き覚えのある甲高い声が工場に響き渡った。
「お姉ちゃん!」
お姉ちゃん?そう息を切らしながら叫んだのは透華だった。
「あーあ、最悪だよ...」明生は非常に不快そうな顔をして言った。
姉妹仲が悪いのだろうか。
「なんでこんなことするの!透明人間だって元々は人間なの!」
いつもの透華とは違い、ものすごく取り乱しているようだ。
後ろから誰か来ると思ったら、透華のように息を切らしている雛先輩だった。
「雛!」
「奏!連れてきたよ!」
どうやら透華を連れてくるように頼んだのは奏先輩のようだ。
透華は不安そうな表情でゆっくりと明生に近づいていく。
「お姉ちゃん...もうやめよ...?何で透明人間を殺す必要があるの?」
「貴方には理解できないかもね、いつも透明人間をくだらない情で憐れんでいる貴方には」
明生の声は気のせいか少し強く、まるで近づいてくる透華を遠ざけているようだった。そして透華に向かって手をかざした。
「お姉ちゃん!」
「うるさい!貴方はただ邪魔なの!」
「え?」
透華はその言葉に驚き、足が止まる。
「私の計画に邪魔な存在だから、ここで消してあげる」
赤い光が輪から漏れ始める。
「透華!逃げろ!」俺は叫ぶが、姉に邪魔と言われ心に来たのか、透華は動かないままだった。
透華の方へ走ろうとするが透華はこちらを見もせずに右腕で俺を制した。
「大丈夫、私が止める」
透華がそう言うと彼女からも光の輪が出現した。透華の光の色は白だった。
赤い光が伸びて透華のいた場所で爆発する。
だが透華は服に汚れすら無くその場に立ち尽くしていた。
「そういう所だよ、貴方かウザイのは」
明生は攻撃を防がれたのが不快なのか、声が怒りに染まっている。
何故そこまで透華が嫌いなのかは分からない。透華はそこまで明生が嫌いという訳ではなさそうだ。
「もういい。零は諦める。せいぜいこの世に彷徨う零に哀れみの目でも向けることね」そう言い明生は消えていってしまった。
「お姉ちゃん!」
透華は泣きそうな声で言った。
「まさか明生が透華の姉なんて...」
奏先輩は疲れた声で言った。
「それにしてもびっくりしたよ。潜入してる途中で透華を見つけるんだもん」
雛先輩は透華を見ながら言った。
「...それより零をどうにかしないと」
透華は既にいつもの物静かな透華に戻っていた。
「零ちゃんはここにいるの?」奏先輩は首を傾げて言った。
「零の存在自体なら分かるんだけど...姿が完全に見えないし、零が今どういう気持ちなのかも分からない。...最悪、このまま本当に消えちゃうかも」
「え?じゃあどうすれば...」
皆で悩む。その場にいた事情を知らないはずの薫と外志も共に悩み始めた。
「...あ」
一番最初に沈黙を破ったのは透華だった。
「力...使えば行けるかも」
「どこに?」俺は聞く。
「零の心に...でも」
「どうしたの?」言葉に詰まったのか透華は黙ってしまったので奏先輩が不思議そうに聞いた。
「零の心に入れば零を救えるかもしれない。でも...零が心に入ってくるのを拒んでしまえば入った人ごと零は消える。だれしもが自身の心に関与してくるのを嫌がるから...今までこの手は使わなかったの」
おそらく透華がこの力を使わなかったのは、これを使って結果的に誰も助からなくなってしまうというのが怖かったから透明人間を助けるのに手間取っていたのだろう。
でも俺はもし消えてしまっても、零を助けたかった。
「...やる」俺は決めた。
「でも...」
「どうせ零のいない世界で暮らしたって後悔するだけだ。なら零を救うために入ってやる」
「...わかった」
透華は右手を誰もいない場所へとかざした。そして閃光が放たれると共に俺の背丈より頭1つ分ほど大きな鏡が現れた。縁は黄金の模様でできており鏡に映っているのはその正面に立っている俺ではなく今の時間帯ではあり得ない晴天の空だった。
「この中に入って...そして零を捜すの」
俺は鏡の目の前まで立つ。鏡の中は一面空で入れば真っ先に落ちてしまいそうだ。
本当に鏡の中には入れるのか疑問に思いながら手を伸ばす。すると指先が鏡に触れる寸前でその箇所から水面の様な波紋が広がる。
指先が少しずつ鏡の中に入っていく。
「透晴!俺らはここで待ってるから!しっかり零ちゃんと話してこいよ!」外志の大きな声が耳に届いた。
俺は意を決して目を閉じながら身体を鏡にぶつける勢いで前へ進んだ。
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