第三話「忘却と記憶」

 楓と零を捜そうと決意して一週間。

 案の定今更捜し始めても何も情報は得られなかった。

「だめだね...」そう言い俺の机に倒れ込みため息を吐く楓。

 決意した日以来、良く楓と話をするようになった。

「そもそも警察が見つけられてないのに素人の俺らが捜そうとするのに無理があったか...」

 あの日は決意した勢いで考えていなかったが、冷静に考えれば誰でもわかる事だった。

「どうしよー、私できること全て試したんだけどなぁ」

 楓は頭を上げて窓の外を眺めながら言った。

「零ちゃん、どこいったの...」


 零は消えてどこに行ったのか。そう考えながら人気の無い帰路を歩いていると、隣にいた愛から声をかけられた。

「ねえ、透晴君、あれ」

 姿が見えないので指をさしている方向は分からなかったが、顔を上げ前を見ると、手が届かない先に不思議な雰囲気を持つ白く長い髪の女性が立っていた。

 その女性は白いワンピースを着てこちらを見ていた。瞳も白いその目つきは優しく、今までで見たことがない。

 女性はゆっくりと白くて細い左腕をこちらに向け学生鞄を指さした。

「...その本」

 もしかしてあのまともに読むことの出来ない本のことだろうか。そう思い急いで本を取り出した。

「これですか?」

 女性は黙ってうなずいた。

「その本にはとある物語が書いてあるの」

「読めません」

「...?」女性は首をかしげて沈黙した。

「それより、あなたはみたいだから」

「え?」

「そこにいる青い髪の女の子...見えるみたいだから」

 この人にも愛が見えているのか。しかもこの辺りに反射できるものは無いので直接愛を見ているということになる。

「見えるんですか?」愛は聞いた。

 すると女性は小さく頷き、俺の方を向きながら愛のいる方向を指差した。

「貴方は彼女を助けたい?」

 勿論、愛が見えるようになれば愛は不自由しない普通の生活を送れるだろう。

「はい」

「...じゃあ、彼女があなたのために救われるのを拒んでいても?」

「...」

 答えが出なかった。救われるのを望んでいないのなら助けるべきでは無いだろう。だが、俺の為に姿を隠しているならあの姿をもう一度見たい。それが叶うことを自身が恐れていると知りながらも。

 ...今俺の隣にいるのは新目零か?

 違う。零は消えた。今隣にいるのは水蓮愛のはず。

 もし水蓮愛の正体が消えた零だったら?そんな希望的なことあるはずがない。

 それに今零に出会ってもまた苦しめてしまうだけだ。

 今すぐに愛から離れたい。

 もう二度と零を苦しめたくない。もう愛か零かの見分けがつかなくなっていた。

 俺は頭を抱え混乱する脳を抑えようと苦悶した。

 それを見かねたのか右から心配する零の声が聞こえた。

「大丈夫?透晴君――」

「やめろ。お前は零じゃない。水蓮愛だ」

 何も考えたくなかった。そうした方が楽だから。

「...零?私の名前は愛...あれ?なんだろう...この記憶」

 もう何もかもどうでも良くなった時、顔を上げ右を見ると隣にいる新目零の姿は俺に直接見えていた。

「そう...貴方は怖いのね。零のことがトラウマになってる」白い髪の女性はそう言い、こちらに歩いてきた。そして俺の頬に冷たい死人のような手で触れた。

「大丈夫。絶対に向き合う日は来る。貴方は立ち向かえる」そう言いながら頭を近づけてきた。

 抵抗できる気力すらなかった。そして彼女の唇が俺の額に触れようとした時。白い髪の女性は音もなしに元々そこにいなかったかのように消えていなくなった。

 辺りを見渡してもどこにもいない。

 目に入ったのは家の塀の上を佳麗に歩く白猫の姿だった。

 いつの間にか気分が落ち着き、先程まで取り乱していたのが嘘のようだった。

 あそこまで取り乱したのは初めてだった。もしかしたら本当はものすごく疲れているのかもしれない。

 隣を見ると半透明だが、視界に俺の知る小学生の頃じゃない新目零の姿が映っていた。

「零?」

「ハル...くん?」懐かしい響きだった。

 その綺麗で細い髪も、佳麗な顔立ちも、全てが懐かしく感じる。

 無意識に零の方へと手を伸ばした。

「や...めて」気のせいか零は近づく俺ではなく、俺以外の何かを見て怖がっているように見えた。

「やめて!」

 その瞬間、零の後ろから誰か近づいてきたのに気付いた。

 その黒いパーカー姿の男性は、若い顔を一切動かさずに零を見ていた。

「ここにいたのか、哀れな透明人間」そう言った男は水蓮愛と名乗る零に会って2日目の朝出会った人だった。

 手には物騒なことにナイフを持っていた。

 俺は咄嗟に危機を感じ取り、すぐさま零の方を見る。

「今ここで解放してやる。苦しかった分、来世で幸せになれ」

 そう言い男性はナイフを構え零へと向かう。この男性は零が見えている。そして零を殺そうとしている。

 俺は身体を前に出し零を庇うようにして俺の後ろに移動させた。

 男性は俺が零の前に来ても尚止まる気配は無い。

 そのまま俺が右腕を前に出して防ごうとすると、右腕に何かが入り込んだ。

 男性が持っていたナイフは俺の右腕に刺さったのだ。だがやはり痛みは無く、感じたのは右腕に滴る血と右腕の内部から生じる違和感だった。

 男性は俺の無反応さに驚いたのか、こちらの顔を化け物を見るような目で見た。そういえば小学校の頃も男子に殴られて表情を一つも変えず殴る男子を見ていたら同じような目をされていた。

 右手に刺さる刃をそのままにして男性の顔を殴ろうと左手の拳を握る。だが男性はナイフをすぐに手放して俺の左手首を掴み身体の外側へと曲げた。

 俺の身体は簡単に倒れ、仰向けになる。男性は少し困惑したような顔で俺を見て右腕に刺さったままのナイフを俺の赤い実感のない血と共に引き抜いた。

「お前、痛くないのか?」男性は静かに言った。

 俺はその隙に先程防がれた左手を再び握り、男性の顔に向けて殴り掛かる。

 今まで俺は他人に暴力を振るったことが無いので、男性の左頬に当たった初めての感触が少し気味が悪く感じた。

 男性は不意を突かれ少し蹌いたが、まるで効かなかったかのように俺の顔を同じように殴った。

 衝撃で顔が左に向いたが、直ぐに元に戻して男性の方を向いた。

「なんだお前は...殺してやる」男性はナイフを構えながらそう言い、俺の喉元にナイフを突き立てた。男性ナイフを持っている手を掴み離そうとするがその男性の体つきに似合わないほどの力が押し返してくる。

 ナイフが喉元でカタカタと小刻みに揺れる。

「透晴君!」いつの間にか正気になっていた零は俺と男性の様子に気付いたのか震えた声でそう叫んだ。

 零は震えている。暴力に対する極端な恐怖によるものだと気付くにはそう時間がかからなかった。

「うるせぇな...お前か、透晴ってのは」

 男性は気怠そうに俺の目を見た。

「お前に恨みはねぇ。ただ、あの透明人間の解放を邪魔するなら俺は簡単にそいつを殺す」感情の無い声で男性は言った。

 さきほどから解放と言っているが、おそらく零を殺すことだろう。そんなことは絶対にさせない。

 だが俺は体力の限界なのか、そろそろ腕の力が入らなくなってきた。

 このままでは喉元をナイフで斬られ死ぬだろう。

 そう思いほぼこの状況に諦めかけ死ぬことへの恐怖を感じ始めた時。

 右から床を蹴る音が聞こえた。

「透晴!」その声が聞こえた時には何かぶつかる音と目の前の男性が左に吹き飛びナイフを転がす音が響いた。

 やっとの思いで起き上がり顔を上げるとそこには黒川外志がいた。

 何故ここに外志がいるのだろうか。

「透晴君!」そう外志が来た方向から走ってくるのは楓だった。

「うわ!なんだその傷!お前平気そうにしてるから気づかなかったぞ」

 驚いた外志は楓に言った。

「と...とりあえず楓は透晴を連れて逃げろ!」

「させねぇよ」そう言い男性は既に起き上がった身体で外志に向かってパーカーのポケットからナイフを取り出し構えた。

 流石に外志もナイフは怖いのか少し戸惑いながら男性の様子を窺うように踏み込まないとナイフが届かない間合いから男性を見ていた。

 外志が男性に対抗すればあのナイフで刺され死んでしまうだろう。

 そう思った瞬間既に男性は外志に向かって踏み込んでいた。

「オラァ!」そう叫んだのは男性でも外志でも無く、いつの間にか男性の後ろに気配もなく立っていた薫だった。手には野球部でも無いのにどこで拾ったのか銀に光るバットを持っており、それを男性の頭に向かって振りかぶる。

 男性はそれに気付き瞬時に手でバットの柄を右手で掴み止めた。

「マジかよ!」あまりの反射の速さに薫は驚きの声を漏らした。

 男性はナイフを薫に突き出そうとしたので外志はそれに気付き体勢を低くして男性へと突進した。

 男性は外志の方へ向き外志の突進を軽く右に避けた。外志と薫は衝突して混乱しているが、直ぐに男性の方を向く。

 俺は零の様子が気になり零を見るが、零は今まで俺が殴られているのを見た時と同じように恐怖で顔が青ざめ、立っているのが限界のようだった。

 今の俺が近づけば右腕の傷を見てまた消えてしまうかもしれない。そう思い怖くて近づくことが出来ない。

 だが今優先すべきは命の危険がある中闘っている外志と薫だ。

 男性の方を見ると、外志が既に男性の身体を上半身を使って床に抑え込んでおり、ナイフを持っている方の腕を薫が抑えていた。

「透晴...早く警察を!」

 俺は急いで携帯電話を取り出し警察に連絡しようとした。

「...警察に連絡しても無駄だ。俺は痕跡を残さない」

 男性はそう言って糸を縫うように外志と薫の拘束を解いて離れた。

  男性は溜息をつき肩を落とした。その瞬間、男性からは目に見えるほどの殺気を感じた。

 直ぐに外志と薫が捕らえようとするが男性は有り得ない俊敏な動きで攻撃を掻い潜る。

 狙っているのが俺だと分かり、俺は咄嗟に手を前に出すが、それを予測していたのか男性は俺の正面では無く右に移動して見えない速さでナイフを俺の喉に向けて突きを放った。

 流石に痛みを感じなくても致命傷には変わりないが、俺にはよける術が無かった。

 絶体絶命かと思ったその時、響いたのは身体に刺さる鈍い音では無く刃が折れる高い金属音だったのだ。

 俺の身体に衝撃は無く、男性も困惑しているようだった。

 男性の手元を見るともう使う用途が無くなってしまったナイフの柄だけが残っており、下に銀と鈍い赤に光る刃が落ちていた。

「お前...『旋律筆者』か...!いや、さっきの攻撃は通ったしな...」いきなり意味の分からない単語が飛んできたので混乱する。

 男性は体勢を元に戻し、頭を抱える。

「クソ...『旋律筆者』がいるなんて聞いてねぇ...ここは下がる。だが諦めはしないからな」そう言い男性は家の塀を軽々と登り一瞬にして姿が見えなくなってしまった。

「透晴君...傷凄いから病院行こ?」

 一般人では肉眼で目にすることの無いような傷を負っているので楓はどうすればいいのか分からないといった顔でこちらを見てくる。

「どうしてここが?」

 帰る道は全員違うのに何故ここにいるのか気になったので聞いた。

 理由は男性の姿が最近不審者情報の情報と一致していて学校を出たところで男性が俺についてきていたのを見て気になって後を追ったら俺がナイフで刺されていたらしい。そして何とか俺を助けに来てくれたと。

 それより今一番心配なのは零だ。零に血を見せてしまったので暴力が苦手な零は大丈夫だろうか。

 零の方を見ると俺の傷を見て耐えきれなかったのか失神して仰向けに倒れていた。

「透晴君...?そっちに何かいる?」楓は俺の見ている方向に何もいないことに気付き不思議に思ったのかそう声を出していた。

「...なんでもない」

 楓に零のことをどう話そうか。まさか去年から常に俺の所に透明の状態でいたと言っても信じないだろう。

「楓」

「何?」

「零を捜すのは俺一人にしてくれないか」

「なんで?」

 急に言ったので楓は困るだろう。

「やっぱり俺がケジメをつけなきゃいけない。今の俺は零との過去に引き摺られてお前に迷惑をかけているだけだ。」

「そんな事ないけど...分かった。貴方が望むなら何も言わない」楓は俺の考えを理解してくれたのかそう答えた。

「だ・け・ど!貴方が零を見つけられた後私にご褒美をくれるなら、諦めてあげてもいいかなー」冗談交じりで微笑しながら楓は言った。

「分かった」

「何〜?昨日の仕返しかなー?」楓のやわらかな髪が風に揺られる。

「昨日無茶をしてくれるって言ったからな。俺もお前に恩返しをしたい」

「んー...零ちゃんを見つけてくれるのが恩返しかな」

 友人とならここまで俺の考えを話すことが出来る。それだけで心に余裕が生まれる。

 友人は人生で必要な存在であることを少し理解した気がする。


 俺の部屋のベッドで零は寝ていた。

 窓からは月が差し込み椅子に座ってノートパソコンから過去の失踪事件について調べていた。

 遺体として見つかった人や無事に帰ってきた人もいるが、気になったのは何年経っても遺体すら見つからず消息を絶ったままの事件が幾つかある。

 痕跡すら残さずにまるで存在が消えたような事件。

 そして全ての事件に共通するのは消えた全員が何かしら虐待やいじめなどのトラウマに精神が追いやられていたことだ。

 これが原因かどうかはまだ分からないが、何か解決策に繋がっていそうではある。

 ノートパソコンを閉じて背伸びをする。

 窓を覗くと綺麗な月がいつも以上に輝いているように見えた。

 今日は月の左の部分が少しだけ欠けている十三夜の月と言うものだろう。

 そして月の前に何か分からないさらさらな白い髪。

「...え!?」俺は驚きつい声を出してしまった。

 今日下校時に会った白い髪の女性が窓の奥に浮いていた。

 その現実味のない光景に気を取られていると、女性が話しかけてくることにまた驚いてしまった。

「...ねぇ」

「なんですか?」

「貴方は透明人間を助けることができる...?」女性はその大人びた風貌とは反対に幼いような雰囲気を漂わせる声で聞いた。

「零は絶対に助けます」

「そう...」

 女性はあまり信用していないような疑う声で言った。

「貴方は諦めないのね。今日男の人に刺されて怖くなかったの?」

「痛みを感じないんです」そう言うとそこまで驚くことは無く、寧ろ憐れんでいるかのような表情になった。

「痛み...それは心の成長に必要なもの」

「それはどういう意味ですか?」

「痛みを知ることで他人を知る事が出来る。でも貴方は痛みを感じないから零の事を全然知らない。それだけ」女性はそう言ったが、俺はその言葉で気付いた。

 俺は零が何故痛みに対して異常に反応し恐怖するのか知らない。知らずとも零を救えると思っていた。だが零を救おうとしても俺は何もできていない。

「でも貴方には誰でもない貴方だけの力がある。私はそれを信じてる」女性はそう言いながらこちらに近づいて来て気が付いた頃には部屋の中に綺麗で細く白い足で立っていた。

 女性はこちらを見ている。

「な...なんですか」

「私には敬語じゃなくていい。あと私の名前は透華とうか

「わ...かった」

 透華は好奇心旺盛な子どものように俺の部屋を見渡したあと、俺をじっと見つめる。

「何?」

 透華は黙って俺の方へとゆっくり近づいてくる。

「どうしたんだ?」

 そして透華の息がかかる距離まで近づき、ゆっくりと俺の背中に手を回し抱きついてきた。

「え――」

「暖かい」透華は俺の耳元でそう言ったので息が耳にかかり腰が抜けそうになる。

「ちょ...な何してんだ...!」

 俺は離そうかと考えたが、透華の幸せそうな顔を見るとその考えも消え、しばらくこのままにしておくことにした。

 甘えてくる姿は非常に子どもに思えるのだが、身体はしっかり女子高生くらいには発達している上にそのやわらかい箇所を押し付けてくるのでこのままでは見知ったばかりの女性に劣情を抱きかねない。

 それからしばらくして10分ほどたった頃、ようやく後ろに回していた手を引いて感情の読みとれない無表情に戻っていた。

 すると右腕に巻いていた包帯が解けてしまうが、腕に傷跡は何も残っていなかった。

 透華の力なのだろうか。ここ最近現実味のないことが起こり何も不思議に思わなくなってきている。

「ハル君...?」

 声が聞こえたのでベッドの方を見ると零は既に起きていて上半身を起こして驚いたと言わんばかりの表情でこちらを見ていた。

「...そっか、そりゃあハル君のことだから彼女の一人くらい出来てるよね...ハル君モテるから...」

「これは...違う」

 透華が妙に小児的なせいで勝手に抱きついてきたことを言うのも大人気ない気がして言えない。

「...隠さなくていいよ...その人私なんかよりとても綺麗だもん」

 平常心が崩れそうになっている声が聞こえる。

「...かの...じょ?」透華は首をかしげて言った。もしかして彼女という言葉を知らないのだろうか。

「...ああ、かなでひなが言ってた言葉...どういう意味?」

「違うんだ!」

 零を説得し誤解を解くのに30分ほど時間を掛けた。

「それで、透華ちゃんがいきなり抱きついただけで付き合ってるわけではない...と」

 ようやく理解してくれた零は、透華を見て言った。

「分かった。取り敢えず信じるね?」

 零を説得している最中に彼女の意味を知った透華は俺の隣であのまともに読めない本を読んでいた。

「やっぱり...読めなくなってる」

「最初は読めたのか?」

「私が書いた時は読めてた」

「どんな内容だったんだ?」

「覚えてない」透華は小さな顔を横に振り弱々しい声で言った。

「それより、ハル君、腕の傷...」

 零は恐る恐る聞いてくる。

「なんか治ってた」

「え?そんな曖昧な...まぁ治ったならいいや」

 零は息を吐きベッドから降りる。

「ありがとう、気絶した私を運んでくれて」零は笑顔でこちらを見て言った。

 懐かしい表情だ。零の笑顔。昔とは違い、少し大人びた顔つき。

 俺はその圧倒的な美貌から放たれる笑顔に言葉を失っていた。

「ハル君?」

「なんでもない」

「零...可愛い...私と同じくらい?」透華はそう言って俺と同じように零の顔を見つめていた。

「それじゃ...私はもう帰る...」

 透華はそう言って音も無しに消えてしまった。いったい何者なんだ。

「私もそろそろ出ないと...」

 零は急いで部屋を出ようとするので俺はある提案をした。

 零はあの男性に狙われている。少しの間でも俺の傍から離したらいつ狙われるか不安で仕方ない。

「俺の家にはいつでも入っていいよ。零を殺そうとした奴がいつ狙ってるか分からないから」

「え...いいの?」

 零は扉の傍まで来た足を止め振り向いた。

「ああ」

 零は嬉しさが顔に出やすかった。

 

 次の日、零を連れて学校に向かう。

 校門まで近づくとそこに立っていたのは透華だった。

「おはよう...」

 朝に弱いのか透華は非常に瞼を重そうにしていた。

「おはよう、透華」

 そう返事したのは俺でも零でもなく、俺の1つ上の学年である赤色のネクタイをしている女子高生だった。

 黒く短い髪に青色がインナーカラーという印象的な髪色をしている。その爽やかな雰囲気は男女問わず人気だった。

「透華ー!おはよう!」そう元気よく挨拶したのは先輩の隣で腕を組んで一緒に歩いていた灰色で長い髪の先輩だ。非常に明るく学校全体で人気者である。

「やめてよ雛。他の人には見えてないの忘れたの?」

「だって元気よく挨拶した方がいいでしょー、ほら奏、もっと元気よく!」

 どうやらインナーカラーの先輩が奏、灰色の髪の先輩が雛というらしい。

「私は遠慮しとく――ねえ、そこの君、もしかして、ここにいる白い髪の子見えてる?」

 奏先輩は俺の方を見て言った。

「え...はい」

「君も『旋律筆者』なの?」

「それは――」

「透晴は私が昨日『旋律筆者』にしたの」

 目をこすって眠たそうにしていた透華は答えた。

「えー、透華ちゃんに名前覚えられてるのー?気に入られてるじゃん」

 雛先輩はそう言って組んでいた腕を離して俺の傍に来た。

「へぇ、可愛い顔」俺の耳元でそう囁いた雛先輩は、楽しそうにしていた。

「後輩にそんなことしちゃダメでしょ。確かに可愛いけど」

 奏先輩はそう言うが雛に共感していた。

「私には奏がいるからなぁ」そう言ってまた雛先輩は奏先輩の元へと戻って行った。

「私は晴空奏はれぞらかなで。そしてこっちが星希雛ほしきひな

「俺は晶同透晴」

「それでその透明の子は?」

 雛先輩は零を見て言った。

「見えるんですか?」

「うん、私たちも『旋律筆者』だからね」奏ではそう言い雛先輩を見た。

「私は新目零っていいます」

「零ちゃんと透晴君、よろしく」

 頭を下げお辞儀をしてきたので同じようにお辞儀して返した。

「『旋律筆者』ってなんですか?」

 先ほどから奏先輩たちは当たり前のように言っているが俺は旋律筆者の意味を知らない。

 奏先輩が言うには俺のように透明人間を直接見られるようになったのが『旋律筆者』らしい。

 なぜ『旋律筆者』だけが透明人間を見られるのか、『旋律筆者』に指名できる透華は何者なのかはまだ解明していない。そして俺は例外だと言っていた。

 大体は透明人間に深く関係のある人間を透華が選び『旋律筆者』になるのだが、『旋律筆者』でもないのに鏡や窓の反射越しに透明人間を見られるのは珍しい。

 そして『旋律筆者』の役目は透明人間を護る事。なぜこの役目があるのかは不明だが、最近になって必要になってきた。なぜなら『旋律筆者』でもないのに零を殺そうとした男性のように透明人間を見られるようになった人が現れ、透明人間を殺そうとするから。

 だからいつも雛先輩たちは放課後空き教室に集まって情報共有をしているらしい。雛先輩と奏先輩以外にも空き教室に集まる『旋律筆者』は2人いると言っていた。

「君も来てくれると有難いな」

「分かりました」俺は即答した。

 透明人間を知っている人と情報共有が出来れば零を解放する手がかりになるかもしれない。であれば悩む理由など俺には無いのだ。


 学校が終わり、放課後になり事前に確認した空き教室に向かう。

 空き教室の看板には何も書いておらず、何のために出来た教室なのか分からなかった。

 教室の引き戸を開くとそこには普通の教室とは違い教室の後方に椅子と机が重ねて並べられていた。そしてそこには椅子を3つほど並べて横向きに寝ている男がいた。ネクタイの色は赤で俺の先輩であることがわかった。

「あ!来たよ奏!」静かな教室に雛先輩の高く元気な声が響き渡る。

 奏先輩は机の上に座りネクタイが青色の女子と話していた。青色は後輩の色だ。その後輩はこちらに気づくと奏と一緒に挨拶をした。

 後輩は名雲夕と言い、青く長い髪を一本で結びポニーテールにしている。背が小さくおそらくこのまま伸びなければその童顔も合わさり来年の1年生にも後輩と間違われるだろう。

 夕は落ち着きのない動きのまま甲高い声で言った。

「あ...あの!よろしくお願いします...」

「うるせぇよ...人が寝てんだろうが」

 椅子の上で寝ていた先輩が起きた。

「なんだお前か...俺は佐敷荒砥さしきあらとだ。...寝る」そう言い荒砥先輩はまた寝てしまった。

「もうっ、荒砥先輩は...そろそろ今日あったこと話しますよ」夕は言った。

「なんもねぇよ...」

「いつもの事でも言わなきゃダメです!些細なことが透明人間さんを救うかもしれないんですから」

 そうして報告会の様なものが始まった。

 最初は気怠そうにしていた荒砥先輩だったが、話が始まれば意外と真剣に話していた。

 話の内容は夕が言っていたように報告会の様なもので、俺も今日何を食べてどうやって過ごしたのか、プライベートの内容以外は全て話した。

「...で、問題は何でこいつが『旋律筆者』になる前から透明人間である零が見えていたかだ」荒砥先輩はそう言い、スナック菓子を学生鞄から取り出した。

「こら、まだ話し合いは終わってないでしょ」奏先輩は言った。

「良いだろ、別に部活じゃあるまいし」

 荒砥先輩はため息をつきながらスナック菓子の袋を学生鞄にしまった。

「『旋律筆者』はこの他にいるんですか?」

 俺は不意に気になったので雛先輩に聞いた。

「他にいないよ。透華が選んだ人だけ」

「そういえば『旋律筆者』が何を出来るようになるか詳しく教えてなかったね。特にそこの零ちゃんは狙われてるから晶同君が護れるようにならないと」そう言い奏先輩は説明し始めた。

『旋律筆者』は透明人間が命の危機に晒されている時に『鎖裂』という力を使える。俺が零を狙う男性に致命傷を負わされそうになった時にナイフが折れたのもその力が働いたためだと言うが、あの時零ではなく俺が狙われていた時に発動した原因は不明らしい。

『旋律筆者』は任意で力を発動することができないため、透明人間を庇うようにしていれば護れる。

 基本的にはどんな攻撃でも止めることができる。だが止めるとその攻撃の痛みだけが『旋律筆者』に流れ込むというが、俺は痛みを感じないので意識しなくても良いだろう。

 だが『旋律筆者』は透明人間を護るだけ。今まで一度も透明人間を元に戻したことが無いらしい。

 透明人間に関する有益な情報はこれくらいで、後は奏先輩と雛先輩が相思相愛の話だったり、夕が困っているおばあさんを助けた話だったり、荒砥先輩が昼寝した話だったりと透明人間に全く関係のない話ばかりだった。

 その場にいつの間にかいた全く気配の無い透華は、荒砥先輩が寝ていた椅子の上で荒砥先輩と同じように寝ていた。

 奏は透華を見て言った。

「私は透華が何者なのか知りたい。だから透明人間について調べて救おうとしてる。それに透明人間を救うのが見えるようになった私たちの使命だと思うの」

 俺は零を救いたいと思っているが、奏先輩たちにも救いたい人がいるのだろうか。

 本当に零を救うことができるのだろうか。他に誰も透明人間を元に戻したことが無いのに、俺のような中途半端な人間にそれができるだろうか。だが俺に透明人間を救わないという選択肢は無かった。

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