第44話 離席

「はい、飴川くんあーん」


ㅤ金華は彼が作ったクッキーを差し出す。


「部長さん、人の彼氏に手を出すのやめてもらっていいですか。雫くん、あーんだよ」


ㅤあんずは自身が作ったタルトを彼に振る舞う。


「あんずのだな」「く、理由をお聞きしても?」


ㅤ無念そうな金華にこう答える。


「俺が自分の作ったものの味知らないじゃないですからね」

「なるほど……」


ㅤ仕方なく彼女のほうで食べるが、なかなかいけたようで目を瞠っている。

ㅤ雫はあんずが自分のために振舞ってくれるタルトを頬張りながら、さっきから俯いている葡萄へ目をやる。


「私、作ってはないけど色々買ってきたんだ。

ㅤ三人ともどう?」


ㅤコンビニで買ってきたらしいポテトチップにマシュマロ類であった。


「ありがたく、先輩」


ㅤマシュマロのひと袋から開いて、一粒を金華の唇へ押し込む雫である。

ㅤ彼女は嚥下して驚く。


「雫くん!?」

「買ったひとが最初に食べて楽しんでもらうのも大切なことだそうですから。

ㅤ俺の昔の大切なひとが言ってた、ほれ、あんず」

「ほむ、いただきますね……ぶどう糖の塊ンマンマ」


ㅤやがて金華が言う。


「飴川くん、今から二番目の女とか作らない、私とか――これでも優良物件だと想うなぁ」

「あんずに聞いてください」


ㅤどうせにべもなく断るに決まっているのだから。


「まぁ今の時代、重婚も可ですからね。

ㅤ私はありだと思うよ?」

「――、あんずさん?」

「だって私が一番なのは変わらないんでしょ、雫くん」

「そりゃ勿論だが」


ㅤ浮気というか移り気はダメとかそういうあれかと想っていたが、判定にバグがある気がしてきた。

ㅤ葡萄が浮かなげな顔で静かに席を外す。


「……食い意地張ってるだけが取り柄なのに、出されたもの一切口にしないなんていよいよ重症だな」

「そうなの?」

「雫くんの言ってる通りですよ、過食ぎみで運動もしないわり、あのモデルスタイルが維持されてるのがおそろしいところですけど」


ㅤしばらく一人にしてやろうということで、三者の意見は一致した。


「ところで部長は、俺を軽蔑してないんですか」

「質問の意図するところはわからないではないけど。

ㅤそれを知っていてあんずちゃんはきみから離れていない、きみが三人を相手にいたずらな暴力を行使するような人だと、私には思えない……信じてる、とは少し違うのか。――信じたい」

「ありがとう、ございます」


ㅤ人殺しが罪だとしても、雫はそれに対する自罰的意識より、他者の常識から得る相対的な評価をこそ気にしてしまう自分に自覚的だ。あんずや金華がそのあたり、フラットでドライな価値判断をしてくれるから、彼は都合よくそれへ依存しているのだとも――葡萄はまた、なにを考えているのか難しいところだ。

ㅤあんずは俺を人間として扱ってくれる。金華さんはどうかわからないが、葡萄は俺を『人のなまなり』だと断じるのだ。

ㅤそろそろかと、雫は思い立つ。


「坪内の様子、見てきますね」


ㅤその資格が俺にあるのかはわからないが、立ち上がるとふたりは頷いて見送ってくれる。

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