第5話 アリーナ・ロマーノ
『コンコン』
ドアの上には「騎士団長室」と書かれたプレートが掲げられている。
アンティーク調の家具が整然と並び、重厚な雰囲気が漂う部屋。その静寂を破るように、乾いたノックの音が響いた。
「入れ。」
老練な声が短くも威厳をもって響く。
その声の主は、第3騎士団長、ルビア・ロマーノ。
白髪が混じり始めた頭髪と、年齢を感じさせる顔立ちに反して、隊服の上からでも分かるほどの筋肉が盛り上がっている。
「第一大隊隊長、アリーナ・ロマーノです。本日の報告に参りました。」
ドアを開けて入ってきたのは、20歳を超えたばかりの若い女性だった。
艶やかなブラウンヘアーが背中にかかり、切れ長の目が鋭く輝いている。
彼女のスタイルは、しなやかで均整がとれている。長い脚と引き締まった腰は、日々の鍛錬を物語っており、無駄な贅肉が一切ない。
その立ち姿は、まるで彫刻のように美しく、強さと女性らしさが絶妙に調和していた。
一見すると、華やかな美しさから剣を振るう職業には見えないが、その佇まいにはどこか冷徹な鋭さがあり、彼女がただの美女ではないことを示している。
そして、よく見ると、その顔には目の前に座る騎士団長と共通する面影が確かにあった、どこか近寄りがたい雰囲気を放っていた。
「聞こう。」
「はっ。商業ギルドの酒場にて喧嘩をした両名を拘束いたしました。そのうちの1名が盗みの常習犯で、身の丈に合わない大量の金貨を所持していたため、現在尋問中です。」
アリーナは淡々と報告を続ける。
その姿には、一流の騎士としての冷静さと、責任感がにじみ出ている。
その後、業務報告を終えたところで、アリーナは少し躊躇しながら最後の報告を続けた。
「最後ですが…第3ロザリオ教会前の路地裏で、上半身裸の男を拘束いたしました。当初はスラムの住民かと思ったのですが…その…」
彼女が言葉を詰まらせる様子に、ルビアは眉をひそめた。
「なんだ?はっきり言いなさい。」
「はっ…よく確認したのですが、その男が着用していた下着が、帝国の文字に似た柄だったのです。」
アリーナは顔を赤らめ、少しいいづらそうに言葉を紡いだ。
その表情は、普段の冷静さとは対照的で、彼女の若さが垣間見える瞬間だった。
ルビアは予想外の報告に驚いたが、すぐに気を取り直して結論を出した。
「帝国の人間の可能性もあると言うことだな。」
「はい。意識が戻らないため、明日取り調べを行うために『下層牢』に収容しております。」
「意識がないのは病気か何かではないのか?」
「いえ。医師に確認したところ、ただの眠りだと言われました。」
「そうか…ご苦労だった。」
ルビアは話が終わったことを示すように、テーブルの上の書類に目を落とした。
しかし、アリーナは下を向いたまま、部屋を出て行こうとしない。
「まだ何かあるのか?」
その言葉に、部屋の空気が一瞬、重くなる。沈黙が流れる中、ルビアはおもむろに手元の書類をまとめ、ゆっくりと顔を上げた。
「アリーナ、そこに座りなさい。ここからは、父と娘の会話だ。いいね。」
「…はい。」
アリーナは、ルビアの言葉に従い、横にあるソファに腰を下ろした。先ほどまでの厳格な態度から一転、彼女の表情には緊張が滲み出ている。
ルビアは優しく問いかけた。
「まだ、剣術大会でシャロン流のクライフ殿に負けたことを気にしているのか?」
アリーナは何も答えず、ただ静かに頷いた。
その沈黙が、彼女の心の中にある深い悔しさと悲しみを物語っていた。
「第3騎士団の第一大隊隊長を任されているのに、情けないです。父上の顔に泥を塗ってしまいました…申し訳ありません。私が剣聖様のように強かったら、父上のお役に立てたのに…」
アリーナの声が、悲しみを吐き出すように震えた。普段は冷静な彼女が、ここまで感情的になっている姿に、ルビアは驚きを隠せない。
「アリーナ、お前は十分に役に立っている。気にすることはない。それに、シャロン様だって無敵だったわけではないのだ。」
「で、でも…剣聖様は帝国の精鋭千人をたった一人で壊滅させました。帝国の剣聖にも勝ち、片腕を切り飛ばして剣聖の加護を消しました!」
アリーナの言葉は、まるで自分に言い聞かせるように、立て続けに溢れ出る。
ルビアは、娘を諭すように静かに言った。
「だが、そのまま行方不明になっては意味がない。聖女の聖痕も消えて神の加護も無くなってしまった。」
彼は、天井を見上げながら、過去に思いを馳せた。
目の奥に映るのは、26年前の剣聖が陛下に振り上げた拳。そして、その時の激怒した剣聖の姿だった。
「もう、あれから26年か…。時が経つのは早いものだ。王国に新しい剣聖の神託が降りず、剣聖の席は空いたままだが、皇国の剣聖様が王国に協力してくださることで、どうにか帝国への牽制になって小競り合いはあれど本格的な大戦にはなっていないが、それもいつまで持つか…」
ルビアの声には、遠くを見つめるような不安が滲んでいた。彼の視線は窓の外へと向けられ、そこには微かな光が見えるだけだった。
「父上、シャロン流のギンマ様をご紹介いただけないでしょうか?」
アリーナは拳を握り、意を決したように言った。その決意には、迷いがない。
沈黙が流れた。
「やめておけ。シャロン流は、ギンマ殿しか教えられん。門下生を優先する。アルビオン流との掛け持ちなど、彼が教えるはずがない。」
ルビアは少し考えた後、さらに言葉を続けた。
「それに、私はシャロン様が戦っているのをこの目で見たことがあるが、見ただけで模倣して修得できるなどとは、とても思えん。それほど、シャロン様の剣術は人間離れしていた。」
アリーナは納得していない様子だったが、それ以上言葉を発することはなかった。
「夜も遅い。もう帰って休みなさい。」
ルビアは窓の外を見つめながらため息をついた。
遠くに見える微かな光が、スラム街の方向に消えていくように思えた。
「…はい。」
アリーナは静かに立ち上がり、深々と頭を下げて部屋を後にした。
部屋に残されたルビアは、再び書類に目を落とし、しかしどこか思い悩むように窓の外を見つめ続けた。
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