第35話

 ルーベンの提案に大喜びしたのはクララだった。


 クララの利用価値を決めかねていたサルセド公爵に渋られて、クララは恋人のティトと、ずっと婚約すらさせてもらえなかった。


 サルセド公爵の縛りから解き放たれ、やっとティトと婚約できると思ったが、今度はティトの父親のバレロス公爵から難色を示された。


 幼児退行したティトに、婚約や結婚は難しいのではないか、と言われたのだ。


 それでもいいとクララが粘ると、ティトも同意するなら叶えようと条件を付けられた。


 クララとティトが長年、想い合っていたのはバレロス公爵も知っていた。


 サルセド公爵が極刑になり、クララの身分があいまいになっても、ふたりの気持ちが本物ならば認めようと思ったのだろう。


 そうして、クララがティトに脅し半分の駄々をこねた結果、ようやく手にした婚約だったのだ。


 ここからまた月日を経ている間に、ティトの考えが変わってしまうかもしれない。


 それくらいなら一足飛びに、結婚してしまうのがいい。


 


「ティティ、この案に乗りましょう! すぐに結婚するわよ!」




 先ほど執務室に来たばかりなのに、クララはもうティトの腕を引っ張って、出て行こうとする。




「え~? まだ僕、女王陛下と、何もお話ししていないのに――」




 久しぶりに会えたベロニカを名残惜しそうに見ながら、ティトは連行されていった。




「ああして振り回されるのが、好きなんだな」




 なるほどね、と頷いて、ルーベンがティトの性癖に理解を示していた。


 主の呟きに、カイザも合の手を入れる。




「特殊ですけど、そういう人も一定数いますよね。無理難題を命じられるほど、愛を感じるというか」




 主従ふたりは納得していたが、ベロニカには分からない世界だった。


 せっかくクララがやる気になってくれたので、ベロニカは書類に決裁印を押す。


 これでベロニカとルーベンも、いつでも婚姻が可能になった。


 


(なにしろ、私たちは、れ、れ、れんあ――)




 そこからは、またしても顔が赤くなってしまい、心の中ですら言葉に出来ないベロニカだった。




 ◇◆◇




「ベロニカ、少し歩かないか」




 夕刻、仕事終わりにルーベンに誘われて、ベロニカは奥庭を目指した。


 いい機会だから、ルーベンにも奥庭のさらに奥にある、石碑の場所を教えようと思ったのだ。


 結婚してルーベンが王配となり、つつがなく人生を終えたら、ベロニカと共にそこで眠る。




「これから向かうのは、歴代の王たちの墓なの。私たちもいつか、そこに入るわ」


「聖なる場所だから、王族以外は立ち入り禁止というわけか」




 ルーベンは振り返って、森の入り口に待機しているセベリノを見る。


 セベリノと一緒にいるカイザは、呑気に「いってらっしゃい」と手を振っていた。


 


「実はそこに、このロケットと同じ彫りがあるの。もう文字は風化して読めないのだけど、もしかしたらロケットの秘密が書かれていたのかもしれないわ」


「ロサ王国は神秘的だな」


 


 ベロニカが胸元からロケットを取り出した。


 もう中には何も入っていない。


 透かし彫りの向こうにあるのは、空虚だ。


 辿り着いた先には、いつか見たのと同じ大きな石碑が、静かに佇んでいた。


 ベロニカはしゃがむと、下の方を指さす。




「ほら、ここよ。同じ模様でしょう?」




 ルーベンもしゃがみ込み、ベロニカが示す場所を見る。


 だいぶん日は傾いているが、まだ暗くはない。


 石碑に残る陰影は、たしかにロケットの模様だった。




「本当だ。だとしたら、この石碑が出来る前から、そのロケットは存在したということか」


「ロサ王国が大国として台頭したのは、運河が出来た数百年前よ。でもそれ以前は、ただの国土の広い、何の変哲もない国だったの」


「マドリガル王国は何度も戦火を経験している。その中で、周辺の国を取り込み、大国となった。ロサ王国とは成り立ちがまるで違うな」


「私は、このロケットのおかげではないかと思うの。王が無念の死を遂げたとき、ロケットは力を発揮するわ。つまり、王は必然的に、治世のやり直しを要求されるのよ。――私のように、悪の女王と呼ばれ、国や民を顧みなければ、やがて巻き起こるのは革命の炎よ。ロサ王国は、ロケットの力を借りて、平穏を繰り返してきたのかもしれないわ」


「ベロニカが死んだ世界は、どうなっているんだろうな」


「あの叔父さまが、まともな政治をしたとは思えない。……大国の崩壊は、多くの国に影響を及ぼすわ」


「ふむ、マドリガル王国も、巻き込まれれば、無事ではないだろう」




 ベロニカもルーベンも知らないが、過去のロサ王国は、決着がつかないマドリガル王国の政権争いの飛び火を受けて、流れてきた大量の難民を制御できず、ベロニカの死後わずか一年で崩壊する。


 この世の春を謳歌していたサルセド公爵や、ティトやクララも、押し寄せた群衆に飲まれ、その命を儚くした。


 おそらく、ロケットのない世界では、ロサ王国は滅び続けてきたのだろう。


 


「私は王の使命として、このロケットを正しく継承していきたいの。それが如いては、ロサ王国のため、そして周辺国、およびマドリガル王国のためになるわ」


「これだけの大国になってしまったのなら、大国でい続けるほうが安全だ。俺たちの子孫のためにも、国を強くしていこう」


 


 ベロニカが立ち上がるのに合わせて、ルーベンも立ち上がる。




「ここで誓おう。俺は王配として、出来る限りの努力をする。女王であるベロニカを助け、支えていく。それは決して、富や権力のためではなく、愛するベロニカのためだ。――戴冠式で見たときも、その次に対峙したときも、ベロニカの深緑色の瞳が印象に残った。その意志の強い瞳に、俺を映して欲しいと思った。もう囚われているんだ、ベロニカ。結婚しよう」




 ぎゅっと、ルーベンの逞しい腕と胸筋に挟まれ、ベロニカの心拍は上がる。


 ゆっくりと下りてきたルーベンの唇に、やがて自分の唇が覆われ、口づけをされているのだと分かると、くらくらと酩酊したようになる。




「っ、る、るーべん……これは」


「求婚だ。まだ、きちんとしていなかったと思って」


「私の答えは、決まっています」


「それでも、聞かせてほしい」


「私も……ルーベンのことが……」


「俺のことが?」


「す、好きです……結婚しましょう!」




 がばりと抱き上げられ、きゃあと声が出る。


 遠くで、「ベロニカさま、ご無事ですか!」とセベリノが叫ぶ声が聞こえる。


 しかし、続けてルーベンの笑い声が高らかに上がったので、セベリノは何もないと判断したのだろう。


 むしろ、「ぐえっ」というカエルのような声がして、覗き見しようとしたカイザの首根っこを、押さえたのだと分かる。




「ベロニカ、可愛いベロニカ、俺はベロニカが心から愛おしいよ」


「な、なん……急に……!」




 持ち上げられて、ぐるぐる回されて、ベロニカの眼も回る。


 ルーベンはこれ以上ない笑顔で、幸せなんだと言った。




「俺は母を殺されて、復讐に生きると決めた。それなのに、こんな未来が待っていたなんて、信じられない。暗く、沈む毎日だった俺に、教えてやりたい。将来、幸せになれるんだぞって」


 


 やっと回るのを止めたルーベンに、ベロニカはホッとする。


 そして嬉しくて泣きそうな顔をしているルーベンの頭を、よしよしと撫でる。


 ベロニカもルーベンも、王族の長男長女として、あまり甘やかされずに育ってきた。


 こうした体のふれあいが、異常なほど嬉しいのは、お互い様だった。


 ベロニカは腕の中にルーベンの頭を包み込み、優しく囁く。




「ふたりで幸せになりましょう。もっともっと国を豊かにして、民も一緒に幸せになりましょう。私たちの子どもも孫も、幸せであれるように。この大陸すべての国が、幸せであれるように」




 悪の女王の求める幸せは際限がないのよ、と嘯くベロニカに、ルーベンは噴き出す。




「こんなに可愛い悪の女王なら、俺がさらっていくよ」




 そしてふたりは、再び口づけを交わすのだった。


 歴代の王たちが眠る、静かな石碑の前で。

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