第7話

 不屈の精神を見せるティトは、それからもベロニカの執務室を訪ねてきた。


 というのも、ベロニカは基本的に多忙で、誰かと交流を深める時間など、無いからだ。


 だったら仕事中でも、突撃するしかないと考えたのだろう。


 エンリケとセベリノから、早く出ていけという視線を浴びせられつつ、ティトはベロニカに贈り物を渡す。




「癒しになればと思いまして。執務机に飾ってもらえたら、嬉しいです」




 その日、差し出されたのは、手のひらに載るほど小さな籠に入った、花束だった。


 


「我が家の庭の花です。朝のうちに摘みました」




 ふわりと微笑みながら、ベロニカの手に籠を渡すティトの指には、切り傷があった。


 それに気がついてベロニカが尋ねる。




「怪我をされたのですか?」


「慣れない鋏を使ったものですから。お見苦しくて、申し訳ありません」




 要約すると、ベロニカのために花を摘んで、指を切ったということだ。


 恩着せがましいと思ったのか、セベリノが大袈裟に溜め息をついた。


 ラミロは身を縮こまらせて、セベリノとティトを交互に見ている。


 始まるかもしれない一触即発の争いを、恐れているのだろう。




「ティト殿、いい加減に退室してもらいたいですね。何度も言っていますが、ここは執務室、陛下の仕事場です」




 セベリノに先んじて、エンリケが苦言を呈す。




「宰相閣下、お仕事のお邪魔をして、すみませんでした。ベロニカさまに、会いたい気持ちが、抑えられなかったのです。では、失礼します。ベロニカさま、また近いうちに」




 ティトがベロニカの手を取ろうとしたので、横からセベリノがそれを叩き落とす。




「……手厳しいですね」




 ティトは、ペコリとベロニカに頭を下げて、執務室を出て行った。


 いつのまにか、ベロニカの呼び名が「女王陛下」から「ベロニカさま」に変わっていたが、それをティトに注意する間もなかった。




「手に触れようなど、図々しい」




 セベリノが吐き捨てる。


 書類の陰に顔を隠していたラミロが、そおっとセベリノの怒りの形相を窺って、ひゃっと首をすくめていた。


 ベロニカからは見えないが、セベリノはよほど、恐ろしい面構えを晒しているようだ。


 ようやく出て行ったティトに、やれやれと首を振りながら、エンリケが持論を披露する。




「どうやら早々に、婚約者候補ではなく、婚約者と名乗りたいようですね。婿入り先として、王配は最高の位です。公爵家を継げない次男の彼には、魅力的でしょう」


「単純に、ベロニカさまの美しさに、心を射貫かれたのかもしれませんよ?」




 ティトの思惑を考える会に、ラミロも参加した。


 しかし、それをエンリケが一刀両断する。




「それは無いでしょう。彼には恋人がいるそうです。誰かまでは知りませんが」


「ティトに恋人がいるんですか?」




 初めて聞く話に、ベロニカは驚いた。


 毎日のように贈り物を持ってくるティトに、好かれているのかと勘違いするところだった。


 もしかしたら家柄を重視したサルセド公爵によって、ティトは無理やりベロニカの婚約者候補にさせられたのか。


 本当は恋人と結婚したいのに、嫌々、ベロニカの執務室に通っているのだとしたら。


 それならば、ティトにも恋人にも、心苦しい。


 そう思っているベロニカの胸中を、エンリケは正確に把握する。




「気に病むことはありません。恋人がいながら、王配の座も狙おうとしているだけです。彼はただの野心家ですよ」


「どうしてそうだと分かるのですか? 恋人への想いを抱えて、苦しんでいるかもしれないでしょう?」


「……ベロニカさまは、これまで恋の駆け引きから遠い所にいたようですね。忠犬がいい仕事をしてきた、ということですか」


 


 少し呆れが入ったエンリケの言葉に、ベロニカはきょとんとする。


 その隣では、セベリノが当然だという顔をしていた。


 手に持っていた書類を机に置き、エンリケが説明する。




「多くの貴族にとって、結婚と恋愛は別なんですよ。結婚は家同士の繋がり、恋愛は個人的な心の繋がりです。恋人がいながら王配を狙う彼は、いたって貴族的と言えるでしょう。こうして贈り物を持って日参するのは、印象を良くして、正式に婚約者に選んで欲しいからです。将来、ベロニカさまの王配になったとしても、彼は恋人との関係を清算したりはしませんよ。そういうものなのです」




 ベロニカは、ポカンと口を開けた。


 ベロニカの両親は、ベロニカが覚えている限りでは、仲が良かった。


 だからてっきり、絵本の中の王子さまとお姫さまのように、相思相愛で結ばれたのだと思っていた。


 幼いベロニカを残して母が亡くなったあとも父は後妻を迎えず、ずっと独り身だったから、いまだに母だけを一途に愛しているのだと感心していた。


 ベロニカも将来、自分に婚約者が選ばれたら、相手と心を通わせて、想い合って結婚しようと考えていたのに。


 まさか、他に恋人がいながら結婚するのが貴族流だったなんて。


 とんでもない衝撃だった。


 


「では、結婚相手というのは、家柄と年齢だけで決定されるのですか? 双方の相性や好みは、考慮されないんですね?」


「だいたいそうですね」




 エンリケの短い返事に、ベロニカは打ちのめされる。


 もしティトとベロニカの相性が悪ければ、次の婚約者候補が選ばれると思っていたが、楽観視しすぎていた。


 王国内に、ティト以上にベロニカの結婚相手として相応しい家柄と年齢の男性はいない。


 ティトが最初に選ばれた時点で、ほぼ決定事項だったのだ。


 しかし恋人がいるティトとは、心を通わせたり、想い合ったりするわけにはいかない。


 ベロニカは、ガッカリと肩を落とした。


 


「ベロニカさまは、恋愛結婚がしたかったんですか? 裕福な平民は別ですけど、だいたいの平民は好きになった者同士で、恋愛結婚をするんですよ」




 ラミロが心配そうにベロニカに声をかける。


 


「恋愛結婚……そうね、きっと私が思い描いていた結婚は、そういう結婚なのだと思うわ。劇的な出会いまでは期待していないけど、せめて心を通わせた相手と結婚したかったわね」




 気落ちしているベロニカを、不憫そうにエンリケが見ていた。


 貴族の結婚観を詳しく語ってくれたが、エンリケは独身だ。


 ベロニカはこっそりと、失恋をした結果ではないかと思っていたのだが、結婚と恋愛が別だと分かってしまった今、その予想が外れたと知る。


 


(エンリケは、シルベストレ公爵家の当主なのに、どうして結婚していないのかしら? もしかして、跡継ぎになりうる親族が、すでにいる可能性があるわね)


 


 血筋を絶やさないための家同士の結婚が、虚しいと感じているのは、ベロニカだけではないのかもしれない。


 ベロニカはなんとなく、仲間意識を持ってエンリケを見てしまう。


 


「貴族の結婚って、義務的で味気ないんですね」


「恋愛結婚がないこともないんですが……とても珍しいですね」




 エンリケが微妙な顔をした。


 特異な例を知っているのだろうか。


 いいなあ、と素直にベロニカは感じた。


 まだ恋をしたことがないベロニカは、恋をする前に決まってしまった自分の未来に意気消沈して、その日の執務を終えたのだった。




 ◇◆◇




「恋愛結婚? ベロニカさまが、それを望まれていると? ずいぶん初心なんだな……」




 目の前の人物が、顎に手をやり考え込む。


 何か計画を立てているのかもしれないが、けだるげで艶があって目に悪い。


 自分の任務は失敗が続き、結局こうして他の人の任務を支援すると決まった。


 それから何度か会って状況報告をしているが、いまだ顔の良さに慣れなかった。


 


(王族であるベロニカさまは、別格の美しさとしても、この人といい、エンリケさまといい、貴族の顔は眩しいな。あ、騎士さまだけは違うけど。あれは恐怖の権化だよ……)




 余計なことを考えていると、目の前の人物の案がまとまったらしい。




「切れ者の宰相閣下が留守をしている間に、お近づきになるのが良さそうだ。なんとか、あの騎士を撒いて、ベロニカさまと二人きりになるしかないな」




 それがどれだけ難題なのか、知っている身としては賛成できない案だった。

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