第6話

「また失敗か。こんなに連敗続きで、本当に一番の稼ぎ頭なのか?」




 イライラしながら、誰かが吐き捨てるように呟く。




「申し訳ありません。元々は諜報員ですので……それに、どうにも騎士の防御が堅いらしく」




 親方は相手の機嫌を損ねないために、ひたすら謝り、禿頭を下げている。




「確かに、簡単に出し抜ける相手ではない。何しろ騎士団長よりも腕が立つそうだからな。ふうむ、ここは別の手も講じねばならんか」




 相手の気が、こちらからそれたのを幸いに、親方は礼をして御前を辞した。


 断るなど出来なかったが、やはり受けるべきではなかったと、流れ落ちる汗を拭いながら思う。


 


「失敗しても、成功しても、俺たちはこの国を、出て行かんとならんかもしれんな」




 その呟きを拾う者は、誰もいなかった。




 ◇◆◇




 新暦870年――ベロニカによる治世は3年目を迎えた。


 


 二か月に一度だった宰相エンリケの帰省が、最近は一か月に一度に増えた。


 どうも心配事があるようで、仕事中も悩ましい顔つきをしている場面が多い。


 その穴を埋めるために、ラミロが大活躍していた。


 エンリケによって叩き込まれた知識量は、すでにベロニカの執務室にある書棚へ収まっている本の冊数を超えた。


 


「河川工事の申請について、書類が回ってきたかしら?」


「領主のサインしか無かったので、その旨を書いて差し戻しています。大規模な河川工事の場合、影響の及ぶ地域に住む住民代表のサインも必要ですから」


「エンリケが帰省前に言っていた協議事項はどうなった?」


「マドリガル王国からの返答が遅れています。どうもあちらは別件に手を取られているようですね」




 打てば響くようにベロニカに即答するラミロは、もう執務室になくてはならない、頼もしい存在だった。


 そんなラミロが珍しく、おずおずとベロニカに質問をする。




「あの……間違っていたら、すみません。この一年間、ベロニカさまとエンリケさまを見ていて思ったんですけど、おふたりはお付き合いをされている訳ではないですよね? あくまでも仕事上の関係というか……」


「どうしたの、いきなり?」


「そろそろ、ベロニカさまの婚約者を決めてはどうかという話が、持ち上がっていて……もし、想い人がいらっしゃるなら、早めに公表されたほうがいいんじゃないかと思ったんです」


「心配してくれるのね? ありがとう」




 ベロニカに微笑まれて、ラミロは顔を赤くして俯いた。




「エンリケと私は、宰相と女王でしかないわ。安心してちょうだい」


「じゃあ……騎士さまとは、どうですか? ベロニカさまの、幼馴染だと聞きましたけど……」




 セベリノの顔が怖いのか、そちらには視線を向けず、ベロニカを上目遣いに窺うラミロ。


 ベロニカは、背後に立つセベリノを振り返った。


 赤髪に灰眼、いつも通りの不愛想なセベリノの顔がそこにはあった。


 セベリノがまだ10歳のときから付き合いのあるベロニカにとっては、この顔は見慣れたものなのだが、こんなにも怖がられるのは、セベリノの目つきの悪さが原因だろうか。


 あまりに長らく側にいすぎて、セベリノが国内一の剣豪だという意識が薄いベロニカは、うーんと唸る。


 するとベロニカより先に、セベリノがラミロに物申す。




「俺はベロニカさまの専属騎士だ。舐めるなよ」




 どすの効いたセベリノの声に、ひっと肩をすくめるラミロ。


 その姿は完全に、剣呑な肉食獣と怯える小動物だった。




「これで分かったかしら? 私には想い人なんて、いないのよ。お父さまが亡くなってからは、ひたすら政務とだけ向き合ってきたわ。それより以前には、そういう話もいくつかあったのだけどね」




 話がまとまる前に、国王が早逝してしまった。


 そして王女だったベロニカが、女王となった。




(まさか王冠が私に回ってくるとは思ってなくて、お相手を見つけるという点でも、私はのんびりしていたのよね)


 


 王女であれば、ただの婚約者だったろうが、女王となった今では、隣に並び立つのは王配候補だ。


 簡単に決まるものではないだろう。


 相応しい相手は、国内の高位貴族か、マドリガル王国の王族か。


 


 そんな会話が執務室でなされてから数か月後、エンリケが宰相に決定したときと同様に、サルセド公爵の鶴の一声でベロニカの相手が決まってしまうのだった。




 ◇◆◇




 バレロス公爵家の次男ティトは、見目麗しい男性だった。


 白金色の髪を肩まで垂らし、星空のような紺色の瞳と柔らかな微笑みを向けられて、落ちない令嬢はいないとまで言われている。


 そんなティトが、ベロニカの婚約者候補となった。




 ベロニカは記憶を掘り起こす。


 バレロス公爵とその長男は、はっきりと覚えている。


 年に数回ある夜会でも挨拶を交わすし、なによりベロニカを支えてくれる古参貴族だ。


 しかし、夜会に顔を出さない次男ティトについて、ベロニカはあまり知らなかった。


 エンリケが持ってきた肖像画を見ても、こんな顔なのだなという印象だった。


 


「ねえ、セベリノは知ってる? 同い年でしょう?」




 執務机の隣に立つセベリノに、ベロニカはティトの肖像画を見せてみる。


 セベリノはちらりと視線を落とし、肖像画の人物を確認すると「弱そうですね」とだけ呟いた。


 耳をすませていたラミロが、それを聞いて噴き出す。


 


「セベリノに聞いたのが間違いだったわ」


 


 セベリノの評価基準は、剣の腕が強いか弱いか、しかない。


 それに照らし合わせると、ティトは弱いから駄目だと言いたいようだ。


 溜め息をつくベロニカに、エンリケが口を挟む。




「王国内の公爵家は、陛下の叔父のサルセド公爵家、私が引き継いだシルベストレ公爵家、そしてバレロス公爵家の三つです。陛下と年が近く、しっかりした家柄となると、バレロス公爵家の次男は妥当でしょう」


「今回の婚約者候補は、国内の貴族からしか選ばないの? マドリガル王国と縁を結ぶ王族も、過去にはいたのでしょう?」


 


 ベロニカのそんな疑問に、エンリケは肩をぴくりと動かす。


 その答えを返したのは、意外にもラミロだった。




「今年に入ってから、マドリガル王国はどうも騒がしいんです。王太子の座を巡って、第一王子と第二王子が争っているようですよ。各国との交渉事も、頓挫したままですし、ベロニカさまのお相手を選ぶには、今のマドリガル王国は時期が悪いですね」




 政争に巻き込まれかねない、ということか。


 ベロニカはその説明に納得して頷く。




「……ラミロはよく勉強して、広く知識を身につけているようですね」




 的確だったラミロの発言を、エンリケが褒めた。


 照れたように顔を赤くしたラミロは、両手を振って謙遜する。


 


「以前の職場の知り合いが、マドリガル王国に行ったり来たりしているので、そこから話を聞くんです。あちらの第三王子は20歳だし、ベロニカさまとも釣り合うのに、もったいないですよね。そう言えば第二王子のお妃さまって、確かエンリケさまの……」




 コンコンコン!




 誰かが執務室を訪ねてきたようだ。


 ベロニカの婚約者候補についての談義は、ここまでとなった。




「初めまして、女王陛下。お忙しいところ、申し訳ありません。この度、婚約者候補となりました、ティト・バレロスです。ご挨拶に参りました」




 渦中の人ティトが、雅やかな笑顔で現れたからだ。


 長身痩躯で姿勢が良く、足が長い。


 肖像画よりも本物は色気があって、ベロニカが初めて会う種類の男性だった。


 


「執務中に突然訪問して、許可もなく挨拶とは、礼儀がなっていない」




 セベリノが零した独り言を、ベロニカの耳が拾う。


 完全にセベリノの中で、ティトはベロニカに相応しくない分類に、入れられたようだ。


 そしてエンリケの方をうかがっても、セベリノと同じ感想を抱いていると分かる顔をしていた。


 ベロニカの周囲を固める騎士と宰相、二人からの不興を買ってしまったティト。


 前途は多難だな、とベロニカは溜め息をついた。

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