第8話
セベリノを撒くことは出来なかったが、ティトはベロニカと向き合ってお茶を飲んでいた。
ベロニカと二人きりになる計画は、半分成功したと言ってもいいだろう。
今は執務が一段落して、ベロニカたちの休憩の時間なのだ。
ベロニカが軽食をとるのを見越して、ティトはわざと菓子を持ってきた。
そうすれば、同席させてもらえるとの狙いがあってだ。
その菓子も並べられて、テーブルセッティングが終わった辺りで、ラミロが急用を思い出して席を外す。
いいタイミングだと思いながら、ティトはティーカップをソーサーに戻した。
「やっと二人きりになれましたね。こうして、ゆっくりお話ができる機会を、待っていました」
ティトは、ベロニカの背後に直立している怖い顔のセベリノを、完全に居ないものとして扱うことにしたようだ。
強引な展開に、ベロニカの頬が引きつる。
今にも口説こうとしているティトを前に、ベロニカは予防線を張った。
「ティトには、恋人がいると聞きました。無理して私の機嫌を取る必要はありません。そんなことをしなくとも、いずれ正式にティトが婚約者に選ばれるでしょう」
そうして血を繋ぐためだけの、空っぽな婚姻をするのだ。
貴族の結婚観を思い出して、またベロニカは気持ちが沈んだ。
しかし、ベロニカの言葉を聞いて、ティトが思いがけない返事をする。
「何か勘違いをされているようですね。私に恋人はいませんよ。少し仲が良い幼馴染がいるだけです」
「幼馴染?」
「ベロニカさまも、騎士殿と幼馴染なのでしょう? 私にもそういう存在がいるのです」
腹の前で手を組み合わせ、長い足を組むティトの表情には余裕がある。
まるで、何も悪びれることはないと言うように。
(恋人の存在に言及したのはエンリケだけど、あのエンリケが間違った発言をするかしら?)
それは有り得ないように思えた。
ベロニカがまだ疑っていると、ティトはネタ晴らしをする。
「私の幼馴染は、ベロニカさまの従妹のクララです。サルセド公爵に確かめてみてください。そうすれば、恋人ではないと分かるでしょう」
意外な名前が出た。
クララとは、サルセド公爵の娘で、ベロニカの2歳年下の従妹だ。
緩いウェーブのかかったピンクゴールドの髪と、王家特有の緑瞳は、サルセド公爵によく似ている。
現在のベロニカが25歳になったから、クララは23歳になっているはずだ。
小さい頃に何度か一緒に遊んだが、ベロニカとクララは壊滅的に性格が合わなかった。
それが分かったから、交流が減って、年に数回の夜会でしか顔を合わせなくなった。
「クララとティトは、年が離れていますよね?」
「4歳違いですね。幼いクララに頼られるのが、嬉しかったのです。私には兄しかいなかったから、きっと妹が欲しかったのでしょうね」
ティトの弁に、おかしなところはない。
それにクララが我が儘だと知っているベロニカには、少年時代のティトを困らせているクララが、容易に想像できた。
「クララは幼馴染で妹のようなもの、と言うことですか」
「恋人ではないと、分かってもらえましたか?」
サルセド公爵に確かめるまでは、はっきりとは頷けない。
そんなベロニカに、ティトは理解を示す。
「追々で大丈夫ですよ。今はこうして、ベロニカさまとの時間を楽しめれば、充分です」
「……私に何を期待しているのでしょう? このお茶の時間には、目的があるのでしょう?」
ティトが婚約者になるのは揺るがない。
そう宣言したベロニカを、あえてまだ構う必要があるのか。
ベロニカから消えない警戒心を、ティトも察したのだろう。
少しだけ目を泳がせたあと、こう続けた。
「恋愛結婚について、どう思いますか? 今の貴族の主流は、家柄を重視した政略結婚です。そして築いた家庭とは別に、男女とも余所に恋人をつくる。私はできれば、心を通わせた相手と結婚したいと、願っています」
ベロニカは、思わず前のめりになった。
恋愛結婚とは、ラミロに教えてもらった言葉で、好きになった者同士でする結婚のことだ。
絵本の中の王子さまとお姫さまのように、相思相愛な結婚をティトが望んでいたとは。
「なぜ、そう思っているのか、お聞きしてもいいですか?」
「貴族の家に生まれる長男と次男の扱いは、かなり差があるんです。長男は家を継ぐ子、次男はその予備。愛のない両親の間に生まれた子は、愛ではなく役目を与えられます。そして長男が家を継いだら、次男は用無しなんです」
その理論は、貴族ではないベロニカにも分かった。
だから頷き返して、ティトに話の続きを促す。
「ですが、もし愛のある両親の間に生まれた子ならば、長男も次男も愛を注いでもらえると思いませんか? どちらも愛する人の子です。可愛くないはずがない」
ティトに漂う哀愁は、次男独特のものなのか。
ベロニカは振り返って、同じく次男のセベリノがどんな顔をしているのか、見てみたいと思った。
「いつか結ばれるベロニカさまと、こうしてお茶を楽しむ時間が欲しいのは、お互いをもっと知り合って、気持ちを通わせたいからなのです。生まれてくる子の順番など関係なく……愛したいから」
納得が出来る解答だった。
ベロニカはティーカップを持ち上げ、すっかり冷めたお茶をコクリと飲む。
そして熱くなりそうだった感情を落ち着けた。
本当は、恋愛結婚を希望する同志を見つけた歓びに、万歳してしまいたかった。
だがまだ、クララが恋人か幼馴染かの確認が済んでいない。
ベロニカは冷静を装う。
「ティトの考えは理解しました。賛同できる部分もあるようです」
あいまいな言葉で濁し、ベロニカは休憩時間を乗り切った。
そしてエンリケの帰りを待たず、サルセド公爵との面談の予定を入れるのだった。
◇◆◇
「ティトとクララは、幼馴染だそうですね?」
サルセド公爵に直球で尋ねるベロニカ。
すでに尋ねられる内容が分かっていたように、サルセド公爵はスラスラと回答する。
「クララは一人娘のせいか我が儘でね。年の近い子とは喧嘩が多かった。4歳年上のティトは、うまいことクララの我が儘をいなして、よく遊んでくれたな」
同じく一人娘であるベロニカへの当てこすりが、少しだが含まれていると感じた。
それを無視していると、自分の手柄を褒めて欲しそうに、サルセド公爵が続ける。
「ティトは、家柄も顔も良い。ベロニカの隣に立つのに、相応しいだろう?」
顔だけならば、ティトは貴族の中でもずば抜けている。
ああいうのを、国宝級と言うのだろう。
しかしベロニカは、結婚相手を顔で選ぶつもりはない。
大切なのは、同じ価値観を共有できるかどうかだ。
なぜならば王配とは、女王が不在時に国の指揮をとらねばならない存在だ。
ベロニカと考えが正反対では困るのだ。
それを確かめるべく、交流する時間は必要だと、ベロニカも思い始めていた。
「ティトとクララは、恋人関係にあるのでは?」
そのために乗り越えなくてはならない山場が、ここだ。
血を残すためだけの、お飾りの王配では駄目だ。
ベロニカの理想の国造りを理解して、共にそれを目指し、出来るならば心を通わせたい。
万が一のときに、ベロニカよりも恋人を優先する王配では、国が傾きかねない。
真摯なベロニカの気持ちを、受け止められる相手なのかどうか。
「クララが甘えているから、恋人のように見えるかもしれんが、単なる幼馴染だ」
サルセド公爵のそっけない返事からは、裏が読み取れない。
ベロニカは、エンリケの帰りを待てなかった自分の忍耐力の無さを悔やむ。
交渉事に当たるときは、まだエンリケの存在が必要だった。
「ベロニカは兄上のように、恋愛結婚がしたいのか?」
苦い思いをしていると、サルセド公爵から予想外の言葉が出た。
「恋愛結婚など、平民のすることだと止めたのだが、結局、兄上は義姉上を選んだ。もっと王妃に相応しい家柄の令嬢が、たくさんいたのに――」
ベロニカには、続くサルセド公爵の愚痴はもう聞こえなかった。
両親が恋愛結婚だった事実が、一条の光となって頭の中に差し込む。
自分は間違っていなかったという確信が、ベロニカの思考を鈍らせた。
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