偽聖女だとバレた! 皇子に婚約破棄された偽聖女は、平民の彼に愛される運命だった――!?

藍沢 理

第1話

 煌びやかな宮殿の一室。わたくしは、豪華なドレスに身を包み、大きな姿見の前に立っている。鏡に映る自分の姿は、美しい絵画から抜け出してきたような美しさだ。銀糸のような髪、透き通るような青い瞳。

 そう、これがこの国唯一の聖女、リーリア・ルミナスの姿。


「おほほ……」


 思わず口にした笑い声は、どこか空虚に響く。婚約者であるエドワード皇子との結婚を間近に控え、誰もが羨む立場にいるはず。でも、わたくしの心は晴れやかではない。


 鏡に映る自分を見つめながら、ため息が漏れる。


 わたくしには、誰にも言えない恐ろしい秘密がある。そう、わたくしは聖なる力など持たない、偽物の聖女なのだ。巧妙な暗黒魔法で、みんなを騙している。この十年間、ずっとそうやって生きてきた。


 両親を亡くし、孤児院に預けられたわたくし。そこで暗黒魔法の才能を見出され、ある貴族に引き取られた。その貴族の命令で、偽聖女として仕立て上げられたのだ。裕福な暮らしと引き換えに、わたくしは心を閉ざしてきた。


 首に掛けた光る石のペンダントに、そっと手を伸ばす。両親の形見。これが唯一の心の支えだった。孤児院時代から大切に持ち続けている。指先で石の表面をなぞると、不思議と心が落ち着く。


「……わたくし、本当はこんな生活、望んでなかったのに」


 鏡に映る自分を見つめる。華やかな外見とは裏腹に、目の奥には深い憂いが浮かんでいる。この偽りの人生、いつまで続くのだろう。そんな思いが胸の奥で渦巻いていた。


 突然、扉をノックする音が響く。


「リーリア様、お時間です」


 侍女の声に、慌てて表情を取り繕う。


「はい、わかりました。今、参ります」


 深呼吸をして、扉に向かって歩き出す。偽りの聖女としての日々が、また始まる。


 *


 隣国アルステラから親善大使が来るという。わたくしは、聖女としての務めを果たすべく、宮殿の玄関ホールに立っていた。華やかな装飾が施された広間は、まるで異世界。緊張で胸が締め付けられる。


「……つらたにえんですわ」


 小さく呟いた言葉が、静寂を破る。そんな折、大きな扉が開き、アルステラの使節団が入ってきた。先頭を歩むのは、気品溢れる黒髪の美女。きっと、エレノア王女に違いない。


 わたくしは深々と頭を下げる。


「アルステラ王国、第二王女、エレノア・フォン・アルステラ様。ようこそ、わたくしどもの国へ」


 エレノア王女は凛とした笑みを浮かべる。


「聖女リーリア。お噂はかねがね伺っておりました。お会いできて光栄です」


 その時だった。エレノア王女の後ろに控える一人の青年と目が合う。蜂蜜色の髪に、エメラルドグリーンの瞳。鍛え抜かれた体つきが、騎士であることを物語っている。


 彼の眼差しに、わたくしは息を呑む。わたくしの心の奥底まで見透かされたよう。偽りの笑顔の下に隠した本当の自分を、見抜かれた気がした。


「おほほ……」


 思わず漏れた笑い声に、彼はかすかに眉を寄せた。何かを察したような表情。鼓動が跳ね上がる。


 その後の歓迎会。わたくしは、彼と何度か顔を合わせる機会があった。名はアラン・ベルフォード。エレノア王女の護衛騎士だという。彼の誠実な人柄に、わたくしは次第に心を奪われていく。


「リーリア様、お料理はお口に合いますか?」


 アランの優しい声に、わたくしは思わずドキッとする。


「はい、とても美味しいですわ。アランさんはいかがですか?」

「はい。美味しくいただいています。あ、僕は平民の従者です。かしこまった言葉は不要ですよ。ただ、はやく騎士に叙勲アコレードされるため、日夜頑張ってます」


 ニカッと笑顔を浮かべるアラン。彼の言葉と笑顔に、胸の奥がじんわりと温かくなる。この温かさは、一体何なのだろう。わたくしにはわからない。ただ、彼の近くにいると、不思議と心が落ち着いた。


 宴も終わりに近づき、わたくしは部屋に戻った。鏡の前に立つと、そこには普段とは少し違う自分の姿があった。頬が赤く染まり、目尻が下がっている。


「おほほ……まあ、大変。わたくし、一体どうしてしまったのかしら」


 首に掛けたペンダントを握りしめる。両親の形見。いつもの安らぎとは違う、不思議な高揚感が胸に広がっていた。


 アランの優しい笑顔が、頭から離れななくなっていた。


 *


 教会からの呼び出しを受け、わたくしは重い足取りで大聖堂へと向かう。胸の奥に、不吉な予感が渦巻いていた。大聖堂の扉を開けると、そこには厳かな雰囲気が漂っている。ステンドグラスを通して差し込む光が、まるで神のまなざしに感じた。


「おほほ……まあ、大変」


 いつもと違う雰囲気。祭壇の前には、司祭が立っていた。その表情は、凍った湖面のように冷たく平らだった。


「聖女リーリア、お待ちしておりました」


 司祭の声に、背筋が凍る。震える足を押さえつつ、前に進む。


「はい、ご用件はなんでしょうか?」


 声がかすかに震えている。自分でもわかる。司祭は、わたくしをじっと見つめる。その目に、何か含みを感じる。


「聖女リーリア、とある方の告発により、あなたを調べさせていただきました。すると、あなたの中に、ある力を感じることができました。それは……」


 司祭の言葉に、わたくしの心臓が激しく鼓動を打つ。まさか、わたくしの秘密が……。


「暗黒魔法の気配です」


 その言葉で、わたくしの世界が崩れ落ちた。膝から力が抜け、その場にへたり込みそうになる。


「わ、わたくし……」


 告白しようとした瞬間、大聖堂の扉が勢いよく開く音がした。振り返ると、そこにはエドワード皇子の姿があった。


「待て!」


 エドワード皇子の声が、大聖堂に響き渡る。わたくしは、一瞬の希望を抱く。しかし、その希望はすぐに打ち砕かれる。


「リーリア、お前との婚約を破棄する」


 エドワード皇子の冷たい声に、わたくしの心が凍りつく。


「エドワード様……どうして?」


 わたくしの問いかけに、エドワード皇子は冷ややかな笑みを浮かべる。


「政治的な立場を守るためだ。偽聖女など、この国には必要ない」


 その言葉に、目の前が真っ暗になり、体から力が抜けていく。


「おほほ……わたくし、一体どうすれば……」


 呟いた言葉が、大聖堂に虚しく響く。わたくしは、両親の形見であるペンダントを強く握りしめる。そこに、最後の希望を託すかのように。


 司祭の声が、再び響く。


「聖女リーリア、いや、もはや聖女とは呼べませんね。あなたを教会から追放します」


 終わった。終わったわ。これまでの生活、地位、名誉、すべてが砂のように指の間からこぼれ落ちていく。


 大聖堂を出ると、既に噂は広まっていた。群衆が、わたくしを取り囲む。


「偽物!」

「嘘つき!」

「恥を知れ!」

「よくも騙したな!」


 罵声が飛び交う中、石を投げつけられる。痛みよりも、心の方が痛い。今まで騙してごめんなさい。


「おほほ……」


 わたくしの口癖が、虚しく漏れる。逃げるように帝都の路地を彷徨いながら考える。これからどうすればいいのか。行く場所はあるのか。信じてくれる人はいるのか。


 そんな中、ふと頭に浮かんだのは、アランの優しい笑顔だった。けれど、もうその笑顔を見ることはできないのだろう。わたくしは、暗い路地の奥へ進むしかなかった。


 *


 帝都の路地を、わたくしは必死で走り続ける。足音が石畳に響き、追手の声が後ろから聞こえてくる。息が上がり、胸が痛い。でも、立ち止まるわけにはいかない。


「おほほ……どうすれば」


 苦し紛れに漏れた言葉が、夜の闇に吸い込まれていく。


 角を曲がると、突然人だかりに遭遇した。わたくしの姿を見て、人々の表情が一変。憎悪の眼差しが、鋭い刃物のようにわたくしを突き刺す。


「いたぞ、偽聖女だっ!」

「捕まえろっ!」

「石を投げろ!」

「殺せっ!」


 罵声が飛び交う中、石つぶてがわたくしめがけて飛んでくる。ひとつが頬を掠め、鋭い痛みが走る。


 両手で顔を覆いながら、群衆の中を必死で駆け抜けていく。豪華なドレスが、今や邪魔でしかない。裾が引っかかり、転びそうになる。


「……わたくし、どこへ行けばいいの?」


 答えてくれる人はいない。かつての華やかな生活が、遠い夢のように感じられる。今のわたくしには、行く当てなどない。


 路地を抜けると、広場に出た。月明かりに照らされた噴水が、わたくしの惨めな姿を映し出す。銀髪は乱れ、ドレスは泥だらけ。頬には血が滲んでいる。


 ふと、首元のペンダントが冷たく感じられた。両親の形見。心の支え。でも今は、それすら重荷に感じる。


「もう、どこにも行く場所がない……」


 絶望の淵に立たされ、わたくしは膝をつく。涙が頬を伝い、石畳を濡らす。あの貴族――わたくしの育ての親。彼らの言いなりになったわたくしが悪いのですわ。


 そんな時、ふいに誰かの気配を感じた。恐る恐る顔を上げると、そこには見覚えのある姿が。


 蜂蜜色の髪に、エメラルドグリーンの瞳。アラン・ベルフォード。エレノア王女の護衛騎士だ。


 わたくしの心臓が、激しく鼓動を打つ。彼は敵なのか、味方なのか。それとも、単なる通りすがりなのか。


 アランはわたくしをじっと見つめている。その眼差しに、身を縮める。きっと彼も、わたくしを蔑むのだろう。そう思った。


「リーリア様、大丈夫ですか!?」


 アランの声が、夜の静けさを破る。その声には、想像もしていない温かさがあった。


 言葉を失う。アランは、わたくしに手を差し伸べている。その手は、救いの象徴のように見えた。


「おほほ……アランさん、わたくしを助けてくださるの?」


 震える声で尋ねる。アランは、優しく微笑んだ。


「もちろんです。僕はリーリア様のお役に立ちたいのです」


 その言葉に、わたくしの砂の城が崩れ落ちる。それは、偽りの聖女としての仮面かもしれない。それとも、長年抱えてきた孤独感なのかもしれない。


 わたくしは、アランの差し出した手を取った。


 その瞬間、わたくしの世界が一変した。彼の手の温もりが、凍えた心を少しずつ溶かしていく。


「リーリア様、こちらです」


 アランの声は、嵐の中の灯台の光だった。わたくしは無意識のうちに、その声に導かれるままに走り出した。


「……アランさん、わたくしをどちらへ?」


 問いかける声が震えている。


「安全な場所へお連れします。エレノア様がお待ちです」


 その言葉に、足が止まる。エレノア王女。アルステラの第二王女。彼女がわたくしを待っている? なぜ?


「エレノア様が……? でも、わたくしは偽聖女で……」


 言葉が喉につかえる。アランは立ち止まり、わたくしを見つめる。その目には、深い理解の色が浮かんでいた。


「リーリア様の本質は、聖女であるかどうかではありません。エレノア様は、あなたの力を必要としているのです」


 その言葉が、心に染み込む。誰かに必要とされる。その思いが、温かい風のように全身を包み込む。


「おほほ……わたくし、本当に役に立てるのかしら」


 呟きながら、再び歩き出す。アランは黙って先導し、人目を避けながら静かな路地を進んでいく。


 やがて、わたくしたちは小さな屋敷の前に到着した。アルステラ大使館の裏門だという。


「ここは、僕一人では入れません。エレノア様の許可が必要なんです」


 アランの言葉に、不安を覚える。でも、彼の誠実な瞳を見ていると、その不安も少しずつ薄れていく。


 扉が開き、そこに立っていたのは、エレノア王女だった。艶やかな黒髪に、鋭い紫色の瞳。その姿は夜空を裂く紫電のごとく、凛として美しかった。


「よく来てくれました、リーリア」


 エレノアの声には、温かみがあった。


「エレノア様……わたくしのような者を、なぜ?」


 問いかけるわたくしに、エレノアは優しく微笑む。


「とにかく敷地内にお入りになって」


 わたくしは言われるがまま、大使館へ歩を進めた。エレノアが先頭になって敷地内を進んでいく。


 歩きながら声をかけられた。


「リーリア、あなたにしか頼めないことがあるのです」


 その言葉に、心がゆらぐ。エレノアの目には、決意の色が宿っている。それが伝わってきた。


「おほほ……わたくし、何をすればよろしいのでしょうか?」

「エドワード皇子の悪事を暴く手伝いをしてほしいのです」


 その言葉に、息を呑む。エドワード皇子の悪事? それが何を意味するのか、わたくしには分からない。


「わたくし……お力になれるでしょうか?」


 不安だけが渦巻く。エレノアとアランは、わたくしをじっと見つめていた。


「おほほ……分かりませんが分かりました。わたくし、全力を尽くします」


 訳が分からない。けれど、二人の目を見て、偽聖女ではなく、一人の人間として、新たな一歩を踏み出す決意が芽生えた。


 *


 アルステラ大使館の一室。わたくしは、エレノア王女と向かい合って座っていた。アランは、部屋の隅で静かに立っている。空気が重い。


「……エドワード様の悪事とは?」


 わたくしの声でエレノアの表情が一瞬だけ曇る。


「リーリア、エドワード皇子は……グランツェリア帝国と手を組み、戦争を起こそうとしているのです」


 その言葉に、わたくしの目の前が一瞬暗くなった。戦争? エドワード様が? 信じられない。


「そんな……どうしてそんなことを?」

「彼の野望のためです。より大きな力を得るため。そして……」


 エレノアの言葉が途切れる。その瞳に、深い悲しみが宿っていた。


「わたくしにできることはあるのでしょうか?」


 尋ねる声が震えている。エレノアは、ゆっくりと頷く。


「あなた、暗黒魔法が使えますよね」


 その言葉に、わたくしは息を呑む。暗黒魔法。わたくしがずっと隠してきたもの。それが、今こそ必要とされている?


「エドワード皇子は、禁断の技術で作られた強力な魔道具をグランツェリア帝国に密売しているのです。その魔道具の正体を暴くには、あなたの知識が不可欠なのです」


 エレノアの説明に、わたくしは目を丸くする。魔道具の密売。


「そればかりではありません」


 エレノアの声が、さらに低くなる。


「エドワード皇子は、自身が運営する孤児院への資金を横領し、子供たちを虐待しているのです」


 その言葉に、わたくしの胸が痛む。孤児院。かつてのわたくしの居場所。そこで、子供たちが苦しんでいる?


「おほほ……まあ、大変。そんなひどいことを」


 わたくしの言葉に、アランが反応する。


「リーリア様、僕たちにはあなたの力が必要なのです」


 アランの真摯な眼差しに、わたくしの心が揺れる。


 エレノアが、静かに続ける。


「さらに、アルステラ国内にスパイを送り込み、情報収集や工作活動を行っているのです」


 その言葉に、わたくしの中で何かが変わる。エドワード様への想いが、怒りへと変わっていく。


「あたし……協力します」


 決意を込めた言葉が、口をついて出る。エレノアとアランの表情が、安堵の色に変わる。


「……口調が変わったわね。そっちの方が好きよ」


 あたし自身で偽りの仮面を脱ぎ捨てた瞬間を、エレノアは見逃さなかった。彼女はじっと見つめながら続ける。


「ありがとう、リーリア。あなたの力が、多くの人々を救うのです」


 その言葉に、あたしは頷く。首に掛けたペンダントを、そっと握る。両親の形見。今こそ、本当の意味であたしの力を使う時が来たのだ。


「全力を尽くします」


 偽りの聖女ではなく、本当の自分として、一歩踏み出す。


 部屋の窓から差し込む月明かりが、あたしたち三人の影を長く伸ばしている。これから始まる危険な冒険の予兆のよう。あたしの心は、恐怖と期待が入り混じった複雑な思いで満ちていた。


 *


 夜明け前。あたしたちは、静かに宮殿の裏門へと忍び寄る。アランと数名の護衛騎士が、あたしを守るように取り囲んでいる。


 宮殿内に詳しいからといってきたけれど、早まったかもしれない。あたしがビビりだと忘れていたわ。


「おほほ……あたし、本当にこんなことをするのですね」


 小さく呟いた言葉が、朝霧に吸い込まれていく。アランが、優しく微笑む。


「リーリア様、大丈夫です。僕がお守りしますから」


 その言葉に、ほっぺが熱くなる。でも、今はそんな気持ちを抑えなければ。


 宮殿の中に入ると、あたしたちは素早く動き始めた。エドワード様の私室へと向かう。今日は他の貴族宅に行って、宴会に参加している。部屋には誰もいない。そこに、魔道具の手がかりがあるはず。


「アランさん、こちらです」


 あたしは部屋に入る。豪華な調度品が並ぶ中、あたしの目は一つの小箱に釘付けになる。


「あれ……」


 小箱から、かすかな暗黒魔法の気配を感じる。震える手で箱を開けると、中には見たこともない形の魔道具が。


「これは……禁断の技術で作られた増幅器ね」


 あたしの言葉に、アランたちが息を呑む。


「どういう意味でしょうか?」


 アランの問いに、あたしは答える。生前の父から聞いたことがある。これは危険な代物。


「この魔道具を使えば、小規模の魔法でも大きな破壊力を生み出せるの。戦争で使われないように、製造技術は封印されていたはずですわ」


 説明しながら、あたしの心は痛む。こんな危険な物を、エドワード様が作っていたなんて。


 次に、あたしたちは書斎へ向かう。そこで、アランが一冊の帳簿を見つけた。


「これは……孤児院の会計簿?」


 アランの声に、あたしは近寄る。帳簿を開くと、そこには不自然な数字の羅列が。


「……これは大変。明らかに資金が横領されているわ」


 あたしの言葉に、アランが頷く。


「これで、孤児院への資金横領の証拠が揃いましたね」


 その瞬間、廊下に足音が。あたしたちは慌てて隠れる。アランが、あたしを守るように抱きしめる。


「シーッ……」


 アランの胸に顔を埋めたまま、あたしは息を潜める。心臓の鼓動が、耳に響く。それが自分のものなのか、アランのものなのか、分からない。それはともかく、自分の顔が真っ赤になっていると分かった。


 足音が遠ざかり、あたしたちはほっと息をつく。


「リーリア様、大丈夫でしたか?」


 アランの声に、顔を上げる。目が合う。その瞬間、アランのかっこよさに悶えそうになる。


「え、ええ。ありがとう、アランさん」


 慌てて視線をそらした。


 最後に、あたしたちは宮殿の地下へと向かう。そこで、驚くべき発見が待っていた。


「これは……スパイたちの連絡網?」


 あたしの声に、アランが頷く。


「アルステラへのスパイ工作の証拠ですね」


 ようやく全ての証拠が揃った。あたしたちは、見つからないよう慎重に宮殿を後にした。


 外に出ると、朝日が昇り始めていた。新しい朝の光が、あたしたちの顔を照らす。忍びこんだ全員が無事だった。


「やりましたね、リーリア様」


 アランの笑顔に、あたしも微笑む。


「おほほ……ええ、でも、これからが本番よ」


 そう言いながら、あたしは首のペンダントを握る。両親の形見。今こそ、本当の意味で力を使う時が来たのだ。


 エドワード様の悪事を暴く。そして、多くの人々を救う。その決意が、あたしの中で固まっていく。


 朝日に照らされた宮殿を背に、あたしたちは歩き出す。これから始まる新たな戦いに向けて。


 *


 真夜中の街路。あたしとアランは、息を潜めて歩いている。証拠を集めてから数日が経ち、エドワード様の動きが明らかに変わっていた。


「おほほ……あたしたち、気づかれてしまったのでしょうか」


 小さく呟いた言葉が、夜の闇に消えていく。アランが、あたしの手を優しく握る。


「大丈夫です、リーリア様。僕がお守りします」


 その言葉に、ふわふわした気分になる。抱きつきたい!! ぐぬぬ! でも今は、そんな気持ちを抑えなければ。


 突然、影から刃物を持った男が飛び出してきた。アランが素早く身を翻し、あたしを庇う。


「リーリア様、下がっていてください!」


 アランの剣と、刺客の刃がぶつかり合う。金属音が夜の静けさを破る。


 あたしは咄嗟に暗黒魔法を唱える。


「漆黒の闇よ、我が意志となりて立ち現れよ」


 黒い霧が立ち込め、刺客の視界を奪う。アランがその隙を突いて、刺客を取り押さえた。


「おほほ……まあ、大変。エドワード様は本気のようですね」


 震える声で言う。アランが心配そうにあたしを見つめる。


「リーリア様、大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」


「ええ、わたしは無事よ。アランさんこそ……」


 アランの腕に、かすり傷がついている。あたしは慌てて傷口に手を当てる。


「治癒の光よ」


 かすかな光が傷を包み込み、傷が癒えていく。アランが驚いた表情を浮かべる。


「リーリア様、こんな力も……」

「ええ、聖女の力は偽物だけど、これくらいの回復魔法なら使えるの」


 視線が絡み合う。そこには、言葉にできない何かが宿っている。鼻の穴が膨らみそうになるのを必死に我慢していた。


 *


 翌日、あたしたちは新たな情報を追っていた。エドワード様が密売している魔道具の取引場所が判明したという。


 しかし、そこに待っていたのは罠だった。


「おほほ……これは偽の情報だったのね」


 がらんとした倉庫の中で、あたしは呟く。アランが警戒しながら周りを見回す。


「リーリア様、ここは危険です。早く退散しましょう」


 その時、扉が大きな音を立てて閉まった。同時に、紫色の霧が立ち込めてきた。


「毒ガスです! リーリア様、息を止めて!」

「おほほ……この危機、乗り越えてみせるわ!」


 あたしは深呼吸し、両手でペンダントを掲げる。目を閉じ、心の中で両親の面影を思い浮かべる。

「聖なる光よ、我が祈りを聞け! 闇を払い、毒を浄化せよ! 神聖なる加護の盾となりて、 我らを守護せよ!」


 あたしの全身が眩い光に包まれる。ペンダントから放たれた光の波動が、生命を持つように広がっていく。紫の毒霧は、その聖なる光に触れるや否や、浄化され消えていった。


 光の防壁が部屋全体を包み込み、あたしとアランを守る。天使の羽で守られているかのような、神々しい光景が広がった。


「すごい……リーリア様、そのペンダントは?」

「両親の形見なの。どんな効果なのか、あたしにもよく分からないけど」


 ガスをまいた賊の気配はない。危機を脱したあたしたちは、急いで倉庫を後にした。


 *


 街に戻ると、新たな難題が待っていた。あたしたちの正体を暴く、という偽の噂が広まっているのだ。


「おほほ……まあ、大変。これもエドワード様の仕業でしょうね」


 ヘトヘトの表情で言うと、アランが、あたしの肩に手を置いた。


「リーリア様、諦めないでください。必ず真実は明らかになります」


 その言葉に、あたしは顔を上げる。アランの瞳には、強い決意が宿っている。


「ええ、そうね。あたしたち、きっと勝てるわ」


 二人で見つめ合い、静かに頷き合う。エドワード様の妨害は、むしろあたしたちの絆を強くしていった。


 そして、この試練を乗り越えた先に、真実が待っている。あたしはそう信じていた。


 *


 夕暮れの街角。あたしはアランと別れて買い物に向かっていた。すぐ近くのパン屋さん。もちろん顔が見えないように変装している。


「……もう少しで、すべてが明らかになるのね」


 そう呟いた瞬間、後ろから誰かに口を塞がれた。


「んっ!?」


 抵抗しようとするも、相手の腕力は強い。意識が遠のいていく中、最後に見たのは、エドワード様の冷酷な笑みだった。


 *


 目が覚めると、あたしは見知らぬ部屋にいた。手足は縛られ、動くことができない。


「おほほ……まあ、大変。これは一体……」

「目が覚めたようだな、リーリア」


 聞き覚えのある声。エドワード様だ。彼が部屋に入ってくる。その手には、見覚えのある指輪が。


「その指輪は……」


 あたしの言葉に、エドワード様は不敵な笑みを浮かべる。


「よく気づいたな。そう、お前のペンダントと同じ石で作られている。こいつはとても貴重な石で、魔力増幅器の触媒になる。必要不可欠だったんだよ」


 その言葉が、あたしの内側で雷鳴のように轟く。胸の奥で何かが砕け散り、その破片が全身を駆け巡る。それは痛みではなく、凍てつくような冷たさ。血管を流れる血が、一瞬にして凍りついた。


 ――両親の指輪を、エドワード様が持っている。


「どうして……あなたが?」


 問いかけるあたしに、エドワード様は冷たく答える。


「お前の両親を殺して奪ったのさ。十年前、あの夜に」


 その言葉に、過去の絶望がフラッシュバックする。両親の死。孤児院での日々。そして、偽聖女としての人生。あたしの両親から奪った? もしかして、すべてがエドワード様によって仕組まれていたのか。


 では、あたしを育てた貴族は……。


「お、おほほ……あたしの人生は、すべて偽りだったというの?」


 震える声で問いかける。エドワード様は、冷笑を浮かべた。


「そうだ。私の指示でお前は、偽聖女として育てられた。今回は、お前のペンダントを使って、魔力増幅器を大量生産する。この国の版図を広げるために」


 エドワード様の野望が明かされた。あたしは、呆れて言葉を失う。彼の手にあたしのペンダントが握られていた。


「お前は役目を果たし終えた。もはや、用済みだ」


 エドワード様が、あたしに近づいてくる。その手に、光る短剣。あたしは、恐怖で体が硬直した。


「さようなら、リーリア。お前の両親のもとへ送ってやろう」


 エドワード様が短剣を振り上げた瞬間、窓ガラスが砕け散る音がした。


「リーリア様!」


 アランの声だ。彼が、窓から飛び込んできた。


「アランさん!」


 あたしの声に、アランが駆け寄ってくる。エドワード様は、隙を突かれて後ずさりする。


「くっ、邪魔をする気か!」


 エドワード様が叫ぶ。アランは、あたしの縄を解きながら言う。


「リーリア様、大丈夫ですか? エレノア様の部隊が、もうすぐここに到着します」


 その言葉に、あたしはほっとする。でも、まだ安心はできない。エドワード様が、再び短剣を構える。


「二人とも、ここで消えてもらおう!」


 エドワード様が襲いかかってくる。あたしは、瞳に決意の光を宿らせた。その瞬間、時が止まったような静寂が訪れた。


「聖なる光よ、我が魂に宿れ! 祖より継ぎし力、今こそ解き放て! 闇を払い、邪心を浄化せよ! 神聖なる加護の光壁、立ち現れよ!」


 あたしの全身が眩い光に包まれ、髪が風にたなびく。エドワード様が持つペンダントから放たれた光が、渦を巻きながら広がっていく。

 その光は、まばゆい太陽のごとく輝き、部屋全体を純白に染め上げる。エドワード様の短剣に触れるや否や、光の波動が彼を包み込み、はじき飛ばした。


 光の壁が、あたしとアランを守るように立ち現れ、神々しい光景が広がる。


 エドワード様が放り出された瞬間、ドアが開き、エレノア様たちが駆け込んできた。彼女の目に、あたしの変容が映る。


「リーリア、これが貴女の真の力……」


 エレノア様の驚嘆の声に、あたしは静かに頷く。


「おほほ……」


 ペンダントが意思を持ったように宙を飛び、あたしの胸元に収まった。


 エレノア様は視線を移し、強い口調で言った。


「エドワード、お前の悪事はこれで終わりだ」


 凛とした声が響く。エドワード様は、包囲されたことを悟り、観念の表情を浮かべた。


 あたしは、ほっと息をつく。長い悪夢が、ようやく終わろうとしている。アランが、そっとあたしの手を握った。


「終わりましたね、リーリア様」


 その言葉に、あたしは静かに頷いた。


 *


 宮殿の大広間。あたしはアランとエレノア様と並んで立っている。皇帝陛下の御前。緊張で体が硬くなっていた。


「おほほ……本当にこれでいいのかしら」


 アランがそっと手を握る。


「大丈夫です、リーリア様」

「あなたが締めくくるのよ」


 エレノア様の声で、深呼吸する。あたしは皇帝陛下に向き直った。


「陛下、こちらが、エドワード様の悪事の証拠です」


 震える手で、集めた証拠を差し出す。宰相が受け取り、皇帝陛下に手渡した。


 陛下は、じっと資料に目を通す。表情が徐々に厳しくなっていく。


「これは……」


 皇帝陛下の声が、重々しく響く。ロープで拘束されたエドワード様の顔が、みるみる蒼白になっていく。


「父上、それは間違ってます。誤解です!」


 エドワード様が必死に弁明するけど、証拠は明白。


「エドワード・フォン・グランツェリア。汝の罪は重い」


 皇帝陛下の厳かな声が、広間に響き渡る。


「余は、汝の皇位継承権を剥奪する。そして……島流しの刑に処す」


 その言葉に、広間中の貴族がざわめく。エドワード様は、ロープを解こうと暴れ始めた。


「父上……!」


 大声でエドワード様が叫ぶ。その瞬間、彼の左手に光るものが見えた。


「あれは……魔力の増幅器」


 あたしの呟きと同時に、エドワード様の手から眩い光が放たれた。


「余こそが、この国を導くべき者だ!」


 エドワード様の叫び声と共に、巨大な火球が皇帝陛下めがけて飛んでいく。爆裂魔法だ。増幅器の力で、その威力は桁違いのものになっていた。


「陛下!」


 貴族たちの叫び声が響く。でも、もう間に合わない。


 その時、あたしの体が勝手に動いた。両手を広げ、口が勝手に動き出した。父と母の笑顔がよぎる。


「漆黒の闇よ、我が魂に宿れ! 祖より継ぎし力、今こそ解き放て! 邪なる炎を呑み込み、聖なる盾となりて立ち現れよ! 闇帝の加護!」


 あたしの口から、聞いたこともない荘厳な呪文が流れ出る。刹那、あたしの全身が紫紺の闇に包まれた。両目から漆黒の光が溢れ出し、その光は渦を巻きながら皇帝陛下の前へと広がっていく。


 やがてその光は、巨大な盾の形を成す。それは夜空に輝く星々のように無数の光点を内包し、神秘的な輝きを放っていた。盾の表面には、古代文字のような複雑な紋様が浮かび上がり、鼓動するように明滅している。


 この光景に、広間の全員が息を呑んだ。まるで、暗黒の女神が降臨したかのような威圧感が、あたしから溢れ出ていた。


 爆裂魔法と闇の盾がぶつかり、広間中に激しい衝撃波が走る。


「くっ……」


 あたしは歯を食いしばる。体中が軋むような痛みに襲われる。でも、諦めるわけにはいかない。


「おほ……あたし、頑張るわ!」


 呟きと共に、あたしは闇の力をさらに込める。すると、爆裂魔法の炎が徐々に押し戻されていく。


「バカな……!」


 エドワード様の驚愕の声。


 最後の一押し。あたしは全身全霊の力を振り絞った。


「はあああっ!」


 闇の盾が爆裂魔法を完全に包み込み、天井へと弾き飛ばす。広間の屋根に大穴が開き、夜空に向かって赤い光の柱が昇っていった。


 静寂が訪れた。


「お、おほほ……大変なことに」


 力尽き、その場に膝をつく。


「リーリア様!」


 駆け寄ってくるアラン。その目には、驚きの色が浮かんでいた。


 ざわめく貴族をよそに、リーリア様が尋ねた。


「皇帝陛下、ご無事でしょうか?」

「ああ、リーリア殿のおかげで無事だ。かすり傷ひとつない。そなたは命の恩人だな」


 皇帝陛下の温かい声に、ほっと安堵の息をつく。


 エドワード様は、増幅器を握ったまま、その場に立ち尽くしていた。彼の目には、絶望の色が浮かんでいる。


「衛兵、その増幅器を没収し、エドワードを確実に拘束せよ」


 皇帝陛下の厳しい声が響く。衛兵たちが素早く動き、エドワード様を取り押さえた。


 あたしは、アランに支えられながら立ち上がる。周りの貴族たちがざわつきながらも、あたしを畏敬の眼差しで見つめていた。


「おほ……これで、終わったのね」


 アランが、首を横に振った。


「いいえ、リーリア様。これが始まりです」


 彼の言葉で、我慢していた涙が溢れ出した。


 *


 事件解決から数日後。あたしは宮殿の庭園を歩いていた。花々の香りが、心を落ち着かせる。


 偽聖女の件は、すべてエドワード様のせい、ということで片がついた。あたしはお咎め無し。むしろ被害者として、皇帝陛下から謝罪の書状が届いていた。


「リーリア様」


 後ろからアランの声がする。振り返ると、いつもより緊張した表情の彼だった。


「おほほ……アランさん、どうしたの?」


 アランが、深呼吸をする。


「リーリア様、僕はずっと、リーリア様のことが……!」


 言葉を詰まらせるアラン。心臓が、激しく鼓動を打つ。


「僕は、ずっとリーリア様のことが好きでした」

「アランさん……」


 アランが、わたしにだけ見せる優しい笑顔を浮かべる。


「リーリア様にお会いした時から、ずっとあなたのことを想っていました」

「おほほ……あたしも、アランさんのことが好きよ」


 あたしも正直な気持ちを打ち明けた。アランの顔が、パッと明るくなり、モジモジし始めた。


 彼は意を決した風に片ひざをつき、あたしの手を取ってキスをした。


 *


 アルステラ王都の郊外。あたしはグランツェリア帝国からこの国に移住していた。


 窓辺に立ち、外の景色を眺める。


「おほほ……こんな日々が来るなんて」


 つい口をついて出た言葉に、後ろからアランの声が返ってくる。


「リーリア、朝食の準備ができたよ」


 振り返ると、エプロン姿のアランがいる。その姿に、胸が温かくなる。


「ありがとう、アラン」


 テーブルに向かう。アランと一緒の朝食。平民としての穏やかな日々。幸せな時間。


 食事を終えると、あたしは今日の予定を確認する。地域の人々のための活動。過去の経験を活かし、困っている人々を助ける日々。


「今日も頑張ってきてね」


 アランが優しく微笑む。わたしの心を支えてくれる、大切な人。


「ええ、あなたのおかげで、あたしも頑張れるの」


 かつて偽聖女だったあたし。でも今は、本当の自分として生きている。


「おほ……あたし、幸せよ」

「僕も幸せだよ、リーリア」


 アランがそっとあたしを抱きしめた。

 あたしは、偽聖女だった自分を許し、アランと共に真実の愛を見つけることができた。この新しい人生に、心から感謝している。



 fin

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偽聖女だとバレた! 皇子に婚約破棄された偽聖女は、平民の彼に愛される運命だった――!? 藍沢 理 @AizawaRe

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