第4話

 ***


 全国大会決勝の会場を後にする人達の表情は、いい映画を見終わった後のように満ち足りた表情だった。

 あの壮絶な試合を見たら、確かに納得出来るものだ。


 決勝という舞台で、私達と同い年の相手に対して、美月は互角の試合を展開させた。


 互いの陣地を何度も往復するラリーが繰り広げられるとドッと会場は湧き上がり、両者どちらかが点を決めれば、ラリーの時の興奮を優に超えるほど盛り上がる。

 会場中にいる人全員が、手に汗を握るような一進一退の攻防に、夏の暑さだけでは言葉に出来ない熱気に当てられた。傍から見ることで、試合の会場がこんなにも熱に包まれていることを初めて知った。


 まさに見ごたえのある試合だった。


 しかし、勝敗というプレッシャーを浴びていないからこそ客観的な表情を浮かべることが出来るのであって、舞台裏では悔し気に涙を流す選手がいる。

 私はそんな選手の涙を近い位置で眺めながら、自分自身に場違いさを感じていた。


「……なんでこんなところに呼んだのよ」


 美月から届いたメッセージに対して、小さく愚痴を漏らす。


 ――話したいことがあるから、終わったら少し待ってて。


 私からしたら話したいことは特になかったけれど、メッセージが届いたのなら会わないわけにはいかない。美月からその後に送られたメッセージに従って、選手口の方で時間を潰すことにしていた。


 だけど、後悔に変わるのは早かった。

 選手口ということだけあって、当然ながら殆どの人がスポーツ着を着ている。その中で、一人私服でいる私はかなり浮いた存在に思えた。私がここにいるのは相応しくないと暗に言われているようで、一刻も早く帰りたかった。


 ただでさえ私の心の中では、花火が散り続けているのに。


 地区予選決勝で敗北して以来初めて試合を観戦したことで、傍から眺めているだけのはずなのに、当時を鮮明に思い出してしまった。記憶だけじゃなくて感覚までも甦らせてしまい、写真を眺めるだけよりも強く濃くハッキリと、私の心を刺激する。


 何で私は客観的に眺めているのだろう。成長した美月を見て、変わらない自分の姿に胸を焦がしていた。


 そんな劣情に胸がかき乱される中、


「涼花、久し振り!」


 この場で唯一気兼ねなく笑顔でいられる資格を持つ人物――美月がやって来た。べたりとした前髪に、首元にはタオルをぶら下げていた。まさに先ほどまで体を酷使していた証拠だ。隣には美月ママもいて、私に対して会釈をしてくれたから、私も頭を下げた。美月ママが持っていた物を見たくなかった心理も、少しは働いたかもしれない。


「中学校卒業してから、一回も会ってなかったよね」


 私の手を取って嬉々とする美月の話し方は、まるで久し振りの再会なんてなくて、今までずっと一緒にいるかのように自然で記憶通りのものだった。


「……」


 ちょうど一年前の夏祭りの日、私は美月のことを目にしたけど、そのことは言えなかった。


 視線をどこに注いでいいのか分からなくて、私は自分の足元ばかりを見つめながら、マメでごつごつとした美月の手に握られるままだった。

 何でだろう。美月を前にすると、『涼花』という自分ではいられない。


「涼花なら絶対頑張ってると思ったからさ。私が納得できるまで会いたくなかったんだ」


 私が変わっていない、と美月は思い込んでいる。あの地区予選敗退から、何年経っていると思っているのだろう。二年もあれば、人は変わる。


 あまりに言葉を発さない私に、美月は一瞬だけ小首を傾げたけれど、


「ねぇねぇ、お母さん、写真撮ってよ」


 私から手を離して、美月ママに自分のスマホと首にかけていたタオルを手渡した。タオルに隠れていた金メダルが、キラリと光る。「ね、涼花。せっかくだし、撮ろ撮ろ」と、美月に促されるまま、私は美月の隣に立つ。


 美月ママの「二人とも、笑ってねー」という声と同時、スマホのシャッターは切られた。美月は「ありがとう」と言って、美月ママからスマホを受け取ると、早速今撮ったばかりの写真に目を向けた。


 美月と近くない人であれば見逃してしまうくらいの僅かな時間、スマホを見つめる美月の顔は強張った。どうしたのだろう、と疑問を言葉にすることなく、


「逆だね」

「……え?」


 いきなりの美月の言葉を、私は理解することが出来なかった。美月はスマホの画面を私に向けた。


 美月のスマホに写っているのは、今しがた撮ったばかりの私達の写真。


「前は私が顔をしかめていたけど、今は涼花が顔をしかめてる」


 写真の中には、金メダルを掲げて満面の笑みを浮かべている美月とその隣に悔しそうに唇を噛み締めている私がいた。美月の言う通り、二年前の予選敗退の時に撮った写真とは正反対な構図になっている。


 私の表情はどこか見覚えがあったけれど、すぐにその正体に思い至った。バドミントンから足を背け、ただの観客に過ぎないはずなのに、私は優勝を逃した選手たちと同じ表情だった。


 無難に写るようにポーズをしていたはずなのに、こんな表情になっているとは思いもしなかった。


「あの時の私は負けたことが悔しくて、笑うことも出来なかった。でも、今はね。優勝したから笑える。笑いたくて、ひたすら一心に努力し続けて来た」

「それは美月に才能があったから……」


 元々才能があることに加えて努力さえも惜しまなくなってしまえば、美月であればインターハイ優勝という夢も実現することが出来るだろう。

 卑屈っぽく聞こえるかもしれないけど、事実だから仕方がない。私は私に期待していない。自分の実力を正確に把握し、分を弁えている。


 汚れを知らず歩きにくいオシャレな靴をジッと見つめていると、「ねぇ」と言う美月の声が頭上から落ちた。


「今日私が勝った相手って知ってる?」

「中学の時に全国大会で優勝した人……でしょ」


 美月が戦う相手の名前が『千輪』だと見た時、ピンと来た。地区予選で敗退してしまってからも、一応その年の全国大会の結末だけは追っていたからだ。優勝したペアは日輪ペアとして当時から有名で、中学の一時期は『東の涼月ペア、西の日輪ペア』と言われていたこともあった。


「そう。そしてね、あの地区予選決勝で私達に勝ったペアが初戦で負けた相手でもあるんだ」


 私達に勝った相手が早々に負けたということだけは噂で聞いていたけれど、その相手が日輪ペアだとは今初めて知った。


 少しだけ余談ではあるが、中学の全国一に輝いたペアのもう一人である『日鞠』は、準決勝の時に美月に負けた。けれど、ダブルス戦では、今年の優勝ペアはこの二人だった。

 つまり、私と組んで涼月ペアになんかならなければ、美月は中学校の時から優勝を手にすることが出来たかもしれないのだ。


 しかし、美月は言葉を続けていく。


「だから、私に才能があるわけじゃない。あの地区予選決勝の時は、たまたま相手の方に運があっただけ。来年こそ、涼花もインターハイ決勝に出れるよ」

「私にはそんな実力なんてない……」


 私と美月の腕が拮抗していた時もあった。同じ実力を持ったプレイヤー同士でなければ、ペアを組んでも長続きはしない。


 けれど、それはもう二年前の話で、バドミントンから足を洗った今の私と青春を全てバドミントンに捧げている美月とでは、雲泥の差が生まれている。


 あまりにも突飛めいたことを、あたかも当然のことのようにどうして言えるのだろう。


「だって、練習試合の時、涼花に一度勝ったことないもん」


 中学時代を思い出した。確かに美月と練習試合をした時は、僅差ながらも、いつも私が勝っていた。ただし、それは過去の話だ。

 たったそれだけのことで、美月は確信めいたように断言しているというのか。

 呆れてものが言えなくなるとは、まさにこのことだ。


「……冗談でしょ?」

「冗談なんか言わないよ」


 嘲笑混じりの小さな呟きを、美月は真剣な顔つきで首をすぐに振った。


「私は今も涼花のことを凄いプレイヤーだと思っている。だからね、涼花に勝たないと、全国一になった気がしないんだ」


 涼月ペアと周りから称されながら敗北してしまった時、あまりの自分の高慢さに私は私を見限るようになった。


 期待に応えられず、自分でも自身を信じられなくなった私に嫌気が差して、バドミントンの道から離れた。もう誰も期待してくれる人なんていないと思って、本当の私を見つめてくれる人なんていないと思い込んでいたのに。


 なのに今も美月は変わらずに私に期待を注いでくれている。


 そんな想いを敏感にハッキリと感じ取ってしまった。


「今からでも出来るのかな……」


 意識していなかったのに、しがみつくような言葉が自分の口からするりと飛び出して来た。無自覚に人の心を動かす何かが、昔から美月には備わっている。


 美月が立った栄光の場所。私も立ってみたかった、場所。確かに憧れはないと言ったら嘘になる。表彰台に立つ美月を見て、羨ましく思った自分もいる。


 けれど、現実を考えると時間が足りない。来年の今頃、美月と勝負をしているイメージを描くことなんて、私には出来ない。


 臆病になってしまった私の心に、


「涼花なら出来るよ」


 花火のように明るい光が、差し込む。


「だって、私よりもひたむきに努力する練習の鬼だったじゃん」

「……鬼って」


 涼月ペアと称される前から、幼馴染である美月と一緒に過ごして来た。

 そうだ。インターハイ優勝という肩書きに呑まれてしまいそうだけど、美月は時々独特な言葉を用いて、人を笑わせていた。


 だけど、この真剣な場面で言うことかなぁ。


 いつまでも変わらない美月らしい言葉のチョイスに、涙が出るくらい笑った後、私は一息吐き、


「一年でインターハイ決勝まで行けるって、本気で思ってる?」

「うん、本気」

「……そっか」


 反論する余地もないほどハッキリと断言されてしまえば、納得せざるを得ない。


 ここで約束を交わしたとて、美月のようにインターハイの舞台まで昇り詰められるかは分からない。

 上手く行かないことが多く、挫折することも多いだろう。


「美月」

「なに、涼花?」

「またこの時期になったら、写真撮ろう」


 それでも、私は約束を交わす。

 次に美月と写真を撮る時は、悔いなく写れるようになるまで挑戦してみせる。


「その時は、どっちが笑顔になっても怨みっこなしだよ」

「うん!」


 今日一番の笑顔を浮かべながら、美月は大きく頷いた。


 一年後の私が、どのような想いで今日の写真を眺めているのか、そしてどんな表情で写真に写っているのか、少しだけ楽しみだった。


<――終わり>

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いつかふたり 岩村亮 @ryoiwmr

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