第2話

 ***


 激しい練習と縁を切った日々は、瞬く間に過ぎて行く。プールや買い物、時には目的もない遠出なんかりもして、充実した日々を過ごすことが出来た。今までの長期休みといえば、体育館の熱気を我慢しながら練習に励むことが常だったのに、あまりにも違っていた。

 恐らく中学三年間の休みで笑った分は、この半分ほどしか過ぎていない夏休みだけでも優に超えてしまった。

 それくらい楽しい日々を過ごすことが出来た。


 そして、今日は以前から皆で計画を立てていた夏祭り当日だ。


 本気でバドミントンに挑戦するようになってから今まで浴衣なんて着て来なかったから、本当に久し振りだった。いざ浴衣を着てみると、なんだかドラマの中のヒロインになったような気がして、心が弾んだ。いつもの十倍は可愛くなったように思える。


 家を出てからずっと弾むような足取りで、お祭りの会場となる場所まで向かった。

 お祭りの会場に到着すると、すでに皆集まっていた。集合時間まで残り1分ほどだったのに、意外と皆真面目なのだ。


 全員集まったところで、ユッコは「よし」と手を合わせると、


「揃ったから行こ行こ」

「まずどうする? たこ焼き? 焼きそば? お好み焼き?」

「炭水化物ばっかじゃん」

「そんな食べたら太るよー」

「えー、やだー」

「スズの浴衣、すごく似合うね」

「ありがと。マミもめっちゃ可愛い。気合十分だね」

「えへへー」


 それぞれが話したいように話しながら、夏祭りの会場を回っていく。


 たこ焼き、射的、わたあめ、焼きそば、ラムネ、チョコバナナ、ヨーヨー釣り、金魚すくい。目に入って誰かの興味が惹かれたものは、ひとまず出店の前まで行くことにした。冷静に考えれば絶対にいらないでしょ、っていう出店まで訪れた。祭り独特の空気に、皆で馬鹿みたいに笑った。


 何も気にせずに食べ飲み笑う夏祭りは、今までにないくらい楽しかった。堪能しすぎて財布のひもが心配になるくらいだったけれど、それでも良かった。


 そして、そろそろ夏祭りのメインである花火の打ち上げが近付いた頃。


「じゃあ、私はそろそろ別行動するね」

「マミいいなー」

「報告忘れんなよ」


 幸せそうな表情を見せながら別れるマミを、なんだかんだ言いながらも私達は笑顔で見送っていく。


「んじゃ、私達も移動しますか」


 ユッコの後に続くように移動を始めた。

 ここからでも花火を見ることは出来るけれど、どうせ見るならよく見える場所で見たい。五人全員の総意だった。


「混み過ぎじゃない?」

「ね。花火まで間に合うかなぁ」

「こんなんじゃ、食べ歩きすら出来ないよ」

「あんなに食べたのに、まだ食べる気なの?」


 考えることは皆同じなのだろう、開けた視界である河川敷までの道のりは、歩くことも困難なほど混みあっていた。


 せっかくオシャレに着込んだ浴衣だけど、周りの誰もが可愛らしい浴衣を着ているから、霞んで見えてしまう。マミみたいに特定の人がいるのなら話は別だろうけれど、この人ごみの中、誰が私のことを認識してくれるだろうか。


 バドミントンに打ち込んでいた時には味わったことのない感傷に、ふっと息を吐いた。私の吐く息は、雑踏の中にすぐ埋もれてしまって、なかったことになる。

 夜空に大きく輝く花火を見れば、少しは気分も晴れるのだろうか。


「――ぇ」


 ふと私は視界にある人物の姿を捉えてしまった。


 祭りの風物詩でもある花火を見るために多くの人が移動している中、その人物は半袖短パンという動きやすさを重視した服装にスポーツバッグを背負っていて、美味しそうにイカ焼きを頬張っていた。


「……美月」


 その人物の名前が、つい私の唇から漏れた。


 間違えるはずがなかった。美月の姿は、過去の記憶と変わらない。

 それに今の美月は、祭りというこの場所において目立つから分かる。いかにも練習帰りに寄りましたみたいな格好をしているのは、美月ただ一人だ。


「ミッキーは本当マイペースだよね。待ち合わせに遅れるし、イカ焼きなんて食べてるし、花火は見ようとしないしだし」

「だって、練習もあったし、タンパク質も取らないとなんだもん。あ、でもね、お祭りに誘ってくれたのはすごっく嬉しいよ。ナルと遊べるのずっと楽しみにしてて、インターハイを迎えるまでのモチベだったし」

「だから憎めないんよなぁ。結果はどうだったん?」

「一回は勝ったけど、やっぱ強いね。そんな甘くない。でも、来年は優勝するよ」


 聞きたくないし、聞くつもりもないのに、この雑踏の中で私の耳は、美月とその友達の会話を正確に聞き取ってしまった。


 そして、その短い会話のやり取りでも、美月がまだ真剣にバドミントンに向き合っていることが裏付けされてしまった。しかも、インターハイに出場できるくらいの強い選手になって、だ。


 バドミントンから距離を置くようになって、美月の動向を調べようとも思っていなかったけど、強豪校に行った美月は、中学の時とは比べ物にならないくらいに実力を身に着けている。それこそ、今耳にした言葉――かつて涼月ペアとして描いていた『優勝』という夢を、一人でも実現できるくらいに。


「……対して」


 一心に努力する美月に対して、私は何をやっているのだろう。高校に入学してから、いや、写真を撮ったあの地区予選決勝の日からの私の行動を思い返す。


 周りから勝手に期待されて、その期待に応えられなくて勝手に塞ぎ込んで、バドミントンからも距離をおいて勝手に美月のことも裏切った。

 その後の私は、普通の女子高生を謳歌しようと高校生活を過ごしている。

 幸いなことに友達にも恵まれているし、私が想像した高校生活を送れていると表現しても過言ではないだろう。


 ――だからこそ。


 だからこそ、身に残っていることは何もなかった。楽しかった、という想い出は確かに胸の内に残っているけど、ふんわりとしている。前までは目に見える形で残っていたのに。


 以前は、涼月ペアとして周りから立てられたり、試合で相手に勝利したりすることで、私にしか出来ないことをしている感覚はあった。


 けれど、今の私は特別なことは何もしていない。むしろ、周りに解け込むように周りと同じことをしているだけだ。

 私の個性は、埋もれてしまっている。


 自分という存在に、いきなり虚しさを感じた。浴衣を着て舞い上がっていた私に、驕り昂るなと言ってやりたい。


 ここに『涼花』はいない。だって、周りと同じになって、溶けている。同じような服装をして、同じ場所に向かって、同じ道を進むだけ。私らしさなんて、どこにもない。


 もう美月と私の道が交わることは――。


「ちょいちょーい! どこまで行くの、スズー!」


 背後から声が聞こえて、ふっと我に返る。振り向けば、少しだけ離れた場所にユッコ達がいる。

 どうやら花火を見る場所を陣取ったのに、何も考えずに前の浴衣を追っていたことで離れてしまったようだ。


「スズー! こっちだよー!」

「あ……、っと、ごめんごめん! すぐ行く!」


 両手を口元に沿えながら叫ぶと、意を決して逆流し始めた。人とぶつかる度に謝罪の言葉を口にしながら、人並の合間を縫って何とかユッコ達に合流することが出来た。


 そして。


「わぁっ!」


 皆と合流した途端、夜空に花火が広がった。

 この場にいる誰もが、空に視線を注いでいる。


 客観的に見たら綺麗だと思った。


 ドンッドンッという轟音を伴いながら夜空に散る花火を、暫くの間、私達は息を呑んで見つめていた。


 皆、何を考えているのだろう。きっと楽しい想いに浸れているのだろう。だけど。だけど、私は。


「花火、めっちゃ綺麗なんだけど!」

「ね、超やばい!」

「……うん」


 私には花火を楽しめる余裕なんてなかった。


 周りの温度感についていくことが出来ず、曖昧な相槌を打つことで空気を壊さないように必死だった。

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