第9話 好きな本
それから数日が経過した。特に何事も無く日々を送っていたナザリアは、はぁっと感嘆の息をもらしながら、小説作品を読み終えた。書籍も、塔内部で独自に流通することが多い。今回の作者は、青悧の塔――ユリズ卿の魔女の著作だ。
「会ってみたいなぁ」
呟いたナザリアは、その気持ちのままに、青悧の塔へと出かけることにした。
青悧の塔の五階に、著者であるワーズワース嬢の部屋があるというのは、奥付から分かっていた。そこで目立たぬ服で訪問し、目指す部屋を見つけて、コンコンとノックをする。
『はい』
「少しお話ししたいのですが」
『……っ、その声……』
「え?」
『ダメ……絶対にダメ』
響いてきた声音には、ナザリアも聞き覚えがある気がした。ダメだと言われたが、問答無用で、魔力で鍵をこじ開けて扉を開ける。相手が五賢人でなければ、許される行為だ。それに五階というのは、中堅以下の魔女の住まいだ。
「あ……」
ナザリアは、そこですっぽりとフードで顔を隠し、ぎゅっとその布を押さえている魔女を見つけた。だがすぐに、魔力は色で視認できるので、魔力色でその相手が誰か悟った。
「ユリズ卿?」
「……い、言わないで」
「なにしてるの? いや、この状況だし……ふぅん。ワーズワースは筆名?」
「……言わないで」
消え入りそうなくらい恥ずかしそうなユリズ卿の声音に、ナザリアは微苦笑した。
「どうして? 隠すようなことはないじゃない。私、サインをもらいにきたの」
「……? 私がワーズワースだと気づいて面白半分できたのではないのですか?」
「違うよ。私は芸術作品の作者に敬意を払うことはあっても、嗤うようなことはしない」
ナザリアはそう言いながらドアを閉めて、いまだフードをぎゅっと掴んで顔を隠しているユリズ卿へと歩みよった。
「ユリズ卿のお話、すごく面白かったよ」
「……っ、そ、その、やめてください」
「え?」
「面と向かって感想を言われるなんて……恥ずかしくて……ダメ」
存外可愛いことを言うのだなぁと、ナザリアは思った。
「作者さんにいっぱい語りたいと思ってきたけど、止めた方がいいということよね?」
「……ええ。無理。羞恥で死んでしまいます」
「サインだけでももらえない?」
「……それは、その」
「うん」
「……サインなんて、五賢人のものしかもっていなくて。私の小説を読んでくれている人に、初めて会ったから」
なんとも可愛いなとナザリアは、両頬を持ち上げる。
「別に普通に名前を書いてくれたら良いよ。私が今日持ってきたのは、『花蜜』だけど、他の本も全部持ってるの」
「……全部」
「うん。普段、恋愛小説を私は読まないんだけれど、ワーズワース嬢のホラー小説の短編を読んだら、他の作品も読みたくなってしまって、全部読んだのよ。そのホラー一つ以外は全て恋愛小説で、ほとんど初めて読んだけど素敵だった」
「……そ、の……私が恋愛小説を書くなんて、おかしくはなかったですか……?」
「どうして?」
質問の意図が分からず、ナザリアは首を傾げる。
「……私は、氷みたいだとか、感情がないみたいだとか、そんなことばかり言われるから」
「うーん、確かに小説は情熱的で、温度で言えば熱いけれど、そしてユリズ卿は冷静に見えるけれど、そのギャップはなにか問題があるのかな?」
「私個人は恥ずかしいんです。真面目な顔をして、そんなことを考えていたのかって言われるのが」
「そんなこと?」
「だ、だって……私の恋愛小説は、みんな……その……性欲も強いし。この塔では、プラトニックも多いから」
「別にその部分は気にならなかったけどなぁ?」
ナザリアが腕を組む。
「サ、サイン……してもいいです。でも、かわりに、私がワーズワースだということは、ナイショにしてもらえますか?」
「うん? 了解」
こうしてナザリアは持参した本を広げ、ユリズ卿にサインをしてもらった。
ワーズワースと達筆な字で記されたのを見て、頬が緩む。
「ありがとう――ワーズワース先生」
「っ、いえ。こちらこそ、読んで下さりありがとうございます」
こうしてナザリアは、目標を達成した。
「これからも楽しみにしているね。また、ユリズ卿」
「……ここでは、ワーズワースとだけ」
「うん。ワーズワース嬢」
ナザリアは微笑し、差し入れに持参したクッキーの箱を手渡してから部屋を出て、自分の庭へと戻ったのだった。
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