第5話 白緑の庭


 五賢人評議会から自分の庭へとナザリアは帰った。

 ナザリアの庭は、通称・白緑の庭と呼ばれている。塔は空中庭園のようになっていて、会議が行われた中央塔の周囲に五つの塔が分岐していて、その付け根部分に自然をそのままにした庭が広がっているのだが、ナザリアの庭には、白い百合や薔薇と、緑の草木しかないので、白緑の庭と呼ばれている。他の庭には、色とりどりの花々が咲き誇っていることが多いのだが、ナザリアは自然のままに咲き誇る造園と、シックな色彩の花を好んでいる。舞う蝶は、黒揚羽のみで、虫の色まで決まっている。これも魔術で飛ばしているから、管理は簡単だ。


 そういった庭の維持といった部分にかかわる膨大な魔力もまた、五つの庭の代表者は保持している。中でもナザリアは膨大な魔力を持っているのだが、華美にこだわる他の庭よりは省エネな仕様である。あまりこだわりがない。


 かといってナザリアは、着道楽ということもない。ちょっと個性的なのが、和族の柄を好むことくらいだ。


 ゆっくりと歩いて行き、ナザリアは自分の塔、こちらも白緑の塔と呼ばれる塔の、最上階へと向かった。そこが、ナザリアの私的なスペースである。それ以下の階には、ナザリアの世話をする者や、ナザリアが庇護している女子・女性がいる。


「おかえりなさいませ、ナザリア様」


 出迎えたのは、侍女長のサリーヌだった。緑の髪を結い上げている彼女は長身で、細身だ。一番ナザリアについて長い女性で、外見年齢は二十代前半である。


「ただいま」


 ナザリアはそう述べて、自室の長椅子に座り、綺麗な脚を組む。白い肌が、和柄ドレスの間から僅かに露出した。本日の靴は、黒いハイヒールの品だ。それから磨き上げられた爪が綺麗な手を頬に添えたナザリアが、疲れたなと考えながら嘆息していると、その前にサリーヌが珈琲の浸るカップを置いた。ナザリアは、珈琲を好んで飲む。


「新五賢人の方はいかがでしたか?」

「うーん、綺麗な娘だったよ」

「そうですか。妬けてしまいます」

「ふぅん」


 サリーヌの声に適当に返したナザリアは、カップを手に取る。サリーヌは、ナザリアを慕っていると公言している。


 ちなみにサリーヌに限らず、各塔においては、塔のトップに恋情を抱く者は多い。無論、塔の内部で、同じくらいの立場の者同士で恋愛関係に発展する場合もあるようだが、詳しいことをナザリアは知らなかった。


 ナザリアは、時々塔を散策するが、普段はひきこもってすごしている。

 なお、五賢人は、公的に他の誰かの塔を訪問する時は断りがいるし、接待されることになる。だがナザリアは、あまりそういったことも好まないので、ふらりと他の塔に遊びに行って、いわゆる下々の者と話す事もある。


 周囲には女性しかいないし、そうでなかった頃は戦いに明け暮れる日々であったから、ナザリアは、恋というものを今のところ、長い年月を生きているが、したことがない。だから、サリーヌのように大きな声で恋愛感情を向けてくる相手を見ると、本気なのかどうなのか、よく分からないでいる。


「ナザリア様、どうかほどこしを」


 サリーヌはそう言いながら歩みよってきた。ナザリアは顔を上げて、まじまじとサリーヌを見る。瞳の色も緑色だ。


「なにが欲しいの?」

「貴女に口づけをする権利でございます」


 それを聞いて、小さく頷いたナザリアは、カップを置いて右手を差し出す。

 すると手を取り、サリーヌが、ナザリアの手の甲に触れるだけのキスをした。


 この塔では、唇同士の口づけは、恋人同士以外はめったなことではしない。特に高貴な人物からの唇へのキスは、名誉なこととされている。


 どころかそもそも、体に触れることは、入浴時に髪を梳いたり洗わせたり、マッサージさせたりする者を除けば、禁止だ。


 だからこのように、手の甲への口づけを許すことだけでも、十分な施しとなるらしい。ナザリアにはあまりその感性は分からない。


 ちなみに最高権力者は五人の魔女であるが、その下にも勿論階級はある。

 この塔では、ナザリアの次に力があるのはサリーヌだ。実際にはサリーヌが塔の内部の一切を仕切っている。ナザリアは庭を魔力で維持こそすれ、あまり序列や階級には興味が無いし、何処で誰がどのように窓を拭いているのかもほとんど知らない。


 それから少しして、今度はチュッと音を立てて、サリーヌがナザリアの手の甲に強めのキスをした。柔らかな唇のほかに、今度は湿った舌の感触がした。そうしてようやくサリーヌの顔が離れる。


「ほどこしはもういい?」

「ええ。サリーヌは満足でございます」


 小さく両頬を持ち上げて、恍惚とした様子でサリーヌが笑った。


「今日の夕食はなに?」

「なにかご希望はございますか?」

「特にないかなぁ。任せるよ。だから聞いているの」

「本日は、白身魚のムニエルを主体とした王国料理との報告を受けております」

「そう。じゃあそれで」


 ナザリアはそう言って頷いてから、ヒールを見る。


「部屋履きに履き替えたいんだけど」

「ご用意してございます」


 サリーヌはそう言って、壁際のチェストの前へと向かい、一番下から履きやすい靴を持ってきた。ヒールが無い。ナザリアは、他の魔女達――というより、美を競っている女性達に比べると、あまり自分自身に気を使わない。それでもサリーヌをはじめとした美女達が磨き上げているので、髪も爪も綺麗だ。ただ肌などは、生まれつき綺麗で、その上、気を使っていないとはいえ、ナザリアの容姿は誰よりも美しい。それは五賢人の中にあってもそうだ。女性しかいない空間であるせいなのか、容姿や美容、持ち物で勝敗を考える価値観を持つ者は一定数いる。それはナザリアの考えとは異なる。ナザリアは、相手とそもそも競いたいタイプでは無いが、強いて言うならば、幼少時に教育された価値観として、魔力量の強さとその使い方に重きを置く方だ。


 だから着飾った美女が肌を綺麗にする魔術を使う姿より、ボロボロの姿の醜女であってもたとえば技能を持つ者が好きである。


 この日はその後、ゆっくりとナザリアは夕食を食べた。




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