第4話
メイクを落として、服装もメンズ物に変えた。体のラインが分からなくなるように全体的に大きめのサイズを選んである。
「ん。いいじゃん」
少しそっけなく亜夏は言った。目に見えてさっきのことを引きずっている。正直楓本人としてはもう気にしてもいないんだけど、ここまでしおらしい姉の姿をあまり見たことのないため面白くてしばし放置することを決めた。
歩いて十五分ほどかけて、複合ショッピングモールに着く。亜夏はここで春服を買いに来たらしい。楓はその品定め役として見初められてというわけだった。
亜夏と楓は全国チェーンをしている服屋へやってきた。二人で迷わずレディースものの置いてある場所へ向かう。
置いてあるのはパステルカラーのものや反対に落ち着いたベージュなど、春によく似合うものが多く、着たときに軽く感じて、爽やかな雰囲気の服が中心に置かれているようだった。楓はその一つ一つを丁寧に眺めていく。自然と心が明るくなるのが分かった。亜夏も自分の着る服を見繕いながらも楓の反応を盗み見て、満足した表情を浮かべている。
「あ、このスカートかわいい」
亜夏はそう言って無駄な装飾のついていないパールホワイトのロングスカートを手に取る。腰には黒のスカートベルトがつけられており、まとまりやすい作りになっていた。
亜夏はそれを腰に当てて、満足そうに頷く。一度サイズを確認して楓の方を一瞥したかと思うと、それを一度戻して一つサイズの大きいものを出した。亜夏には少し大きいサイズのものだったが着れなくもない。
それをもう一度腰に当てて、地面に裾がつかないかを確認する。
「おし」
そう満足した声を漏らしてかごの中にいれる。楓はなんとなく亜夏のしていることの意味を認識する。楓はウエストが細いから亜夏が買ったサイズでも十分に入るだろう。姉の思いやりに少し胸が痛くなった。小さな痛みは確実に、確かに、楓の感情を萎縮させる。
それから何着か亜夏は自分用の服を見繕い、試着室のあるスペースへ向かった。楓はそれに付いていきながら、服を流し見ていく。スタイリッシュなズボンや可愛らしいフリルのついたスカート。シンプルな作りのブラウスに、ワンピース。そのどれもが楓の瞳には美しく映る。
試着室が左右に五つずつ、計十個の試着室が並んでいる。一から十まで数字の割り振られている部屋の四、と書かれた試着室に亜夏は入った。「待っててね」そう言って、亜夏は世界と遮断するようにぴしゃりとカーテンが閉める。楓は返事をする暇もなくただ立ち尽くす。何個か更衣室は使われていて、楓と同じような状況の人も居た。けれどその人は楓と違って楽しそうに待っていたから、中にいるのは恋人かそれに準じる人なのだろう。
何度か目の前のカーテンが開けられて、売り物の服を着た亜夏が一回転する。それに楓は「いいんじゃない?」「かわいい」「似合ってる」という実りのない言葉だけを投げかけ、それを受けとった亜夏は嬉しそうに笑ってカーテンを閉める。それを繰り返して、亜夏は更衣室から出てくる。
「あんたも入る?」
そう耳打ちして亜夏は首をかしげる。楓はそれを聞かなかったふりをして、試着室のスペースから出た。
亜夏は遅れてついてきて、一緒にレジに向かう。かごを指定の場所に置くだけで会計が済まされるようになった無人レジを使いながら、亜夏はしみじみと「便利になったねぇ」と呟いた。短期間ながらもアパレル系のバイトをしていた経験があるからか、その言葉には重さが感じられた。楓はそれに曖昧な相槌を返す。
店を出て、どこかで遅めのお昼を取ろうと話し合って、適当に店を見る。ラーメン、焼き肉、チャーハン、餃子、寿司、パスタ。色々な選択肢が発生しては消えていく。
亜夏は服の入った紙袋を持って、通路の脇に設置してある椅子に腰掛けた。楓も亜夏の隣に腰掛ける。
「何にしよっか?」
亜夏は天井を眺めながら聞いてくる。楓は亜夏の横顔を見ながら淡々と答えた。
「重いのは嫌。カロリー高いのも嫌。さっぱりしたものがいい。それか甘いの」
楓の言った事を聞いて、亜夏は諦めたように「じゃあクレープでも食べてこい」と投げやりにぼやいた。その間、自分は他の物を食べると、その表情が物語っていた。
「んじゃ、二人バラバラに食べますか」
楓の言葉に亜夏は大きく頷いて、紙袋を持って立ち上がる。
「ラーメン食べてくる!」
胃もたれしないのだろうか。そんな心配をしつつ、楓は元気よく出発していった亜夏を眺める。
何を食べようか悩んで、結局クレープを食べに行くことにした。クレープなんて片手で数えられるほどしか食べたことがないということもあって、興味があったからだ。
一人でとほとほと歩いていく。少し先でカップルが腕を組んで歩いているのが見えた。男女同士。それに劣等感を感じながら視界に入らないようにして歩幅を大きくしてスピードを早める。
カップルをやり過ごして、クレーム屋へ向かっていると見覚えのある顔を見つけた。彼女も楓に気づき、手を上げた。
「あれ、楓じゃん」
楓と同じ中学で仲の良かった少女、三崎文乃。文乃は中学時代と変わらず、高めの位置でポニーテールにしている。屈託なく笑う姿は、あどけない子供っぽさが残っていた。白のスウェットに黒のサロペット。清楚系な彼女の手にはショッピングモールの中に入っている書店のビニール袋がぶら下がっている。
「……久しぶり、文乃」
楓は驚きながら文乃に向かって小さく手を上げる。
「久しぶり! っていっても一ヶ月ぶりくらいでしょ」
はにかんで文乃は言った。確か彼女は北華高校に入学したはずだった。学力的には生明のほうが上だが、文乃の場合は学力よりも進学距離の面や友好関係の円滑さなどの要素で決めたのだろう。彼女は華の高校生活に憧れていたから
文乃は目をキラキラと輝かせ、楓に質問を飛ばす。久しぶりにプライベートで会えて興奮しているのだろう。
「ねえ、一人? 暇? 一緒になんか行かない?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問にどこか懐かしさを感じながら、楓は答える。
「今は一人だし、暇だし、よかったらクレープでも食べよ」
「うっわ、そうやってわざわざ一つ一つ答えるの楓っぽい」
文乃は笑って楓の隣に並び立つ。文乃の腕の近くでくしゃりとビニール袋が悲鳴を上げた。
クレープ食べんの久しぶりかも。
そう言う文乃を連れて、楓はクレープを持ってフードコートの席に座る。楓はバナナストロベリーホイップ、文乃はアボカドチキンをそれぞれ手に持っていた。
文乃は机の上に袋を置いて肘をついた。
「いやーこうやって中学時代の人と会うの始めて。ちょっと昔に戻ったみたいでうれしい」
そう言う彼女は、顔を沿うように垂れ下がった髪の触覚をふわりと揺らす。それは顔を伝って、白い首筋、僅かに主張する胸、傷一つ無い左手首と、視線を誘導させる。
彼女は成長した。メイクの腕も、胸の大きさも、爪の手入れも、すべて中学時代とは違って、いい方向に変わっていた。メイクの腕も、胸の膨らみも、爪の手入れも、楓は、その成長スピードに一生追いつけない。文乃を筆頭に皆、楓を一人置いていく。
「そうだね」
楓はぞんざいに返事をしながらクレープを頬張る。バナナのささやかな甘さが舌に乗る。クレープのてっぺんにいた酸味のあるイチゴが生クリームとともに舌の上で弾けた。
「美味しそう」
文乃は一口食べてから楓のクレープを恨めしそうに見る。楓は口の中でクリームのしつこい甘さを転がしながら笑う。
「もう一個買えば?」
「カロリーヤバそう。絶対太るって」
「ほら、美術部やってたじゃん。集中には糖分必要だから、すぐに痩せるって」
「楓くん、美術を過信しては駄目だよ。あれは人を食らうからね」
憎々しそうに言い放って、文乃は薄い生地を噛みちぎる。その瞳には美術に対する博愛が見て取れた。
「そう言えば私、しょっぱい系食べたこと無いわ。サラダクレープって言うやつ。美味しいの?」
「私も初めて。思ったより美味しくてリピ確です」
クレープを頬張る文乃を見ながら楓はぼんやり考える。彼女は楓のことをどう思っているのだろうと。しかし、そんな邪な思考はすぐにクレープの甘さに負けて溶けていった。喉元に不快感を残したそれはしばし、楓の息をしづらくさせた。
「楓はさ、高校どう?」
クレープを包んでいる紙をちぎりながら文乃は聞いてきた。机の端っこにちぎった紙の山を作りながら、楓は答える。
「ぼちぼちかな。まだ始まったばかりだし、良くわかんないかも」
頭の中で和正の顔が浮かんで、京陽の顔が浮かんで弾けた。
「でも、話す人はいるかな。これからどうなるかわかんないけど」
「いいじゃん。話せる人がいるんだったら。数年経ったらその不安も消え去ってるって。どうでも良くなってるよ」
どうでも良くなる、か。呟いた言葉は乾燥しきっていて、今にも崩れそうだった。
「まあ、まだ二日しか行ってないからね。不安があって当然だと思うけど」
そういう文乃の表情は明るい。彼女は持ち前のコミュニケーション能力で早くもネットワークを広げているのだろう。もし中学時代と同じようにしているのであればもう同じ学年の人間の友好関係くらいは把握しているのかもしれない。人脈に関して、彼女の右に出るものは居なかった。
「高校生、だからね。なにがあるかわかんないし」
文乃は続ける。彼女はきっと高校生というものに何か特別性を持たせているのかもしれない。一般的に言う青春だとかそういうノスタルジック的な、今の自分には決して感じられないものを。楓は知っていた。高校生だからといって何か大きな事が起こるわけではない。亜夏が過ごした高校生活がそうだったように、きっと楓の高校生活も中学時代と何ら変わらない、普遍的な日常の繰り返しだ。けれど、文乃はそれに身を焦がしている。美しいほどに。
「どうだろうね」
返した言葉はやけに空々しくて、虚しくて、とても文乃のような人間に聞かせられるものではなかった。
楓の中に収まっていたクレープから生クリームが溶けて、机の上に落ち、白い水たまりを作る。
「あらら」
文乃は残念そうにつぶやく。生クリームの部分を舌で掬い上げてこれ以上水たまりを作らないようにしながら、楓はポケットから取り出したティッシュで白い水たまりを拭き取る。
「そういえばさ、楓は高校で彼女作らないの?」
文乃が唐突に切り出してきた。それに少し動揺しながら楓は言葉を探す。
「作ろうと思って作れるほど、簡単じゃないって」
それは楓の本音だった。楓の性自認は女だが、身体的特徴は男だ。それはきっと恋人を作るうえで大きな弊害となることは確かだった。だから楓にとって恋人だとか将来のパートナーとか、そういうものは雲の上の存在に等しかった。
「そっか。でも生明だったら制服可愛いし、きっと可愛い女の子とかいっぱいいるんだろうな」
うっとりとした口調で文乃がぼやく。楓の頭のなかに京陽の顔が浮かんで、思わず苦笑いを溢してしまう。確かに一人、女子を知っているが顔は整っている方だとは思うが、性格のほうは癖が強そうだった。
「……まあ、そうかもね」
なんとなく言葉を濁す。性別も公言できないような人間が、今更選り好みなんてできないだろうから。
楓は溶けはじめた生クリームがこぼれないようにかぶりつく。甘さが胃以外にも広がって正直気持ちが悪かった。
文乃は最後の一口を口に含み、楓の分も含めて机の中心に紙の山を作る。
「きっと、楽しい高校生活が待ってるよ。中学校よりも生きやすいのがさ」
彼女の言葉には希望が敷き詰められていた。楓はその言葉を無理矢理胃の中に収めようとして、クレープを口に押し込む。甘さが全身を支配して、一瞬すべてを忘れそうになる。忘れたらきっと楽になれることを忘れそうになる。意識を引きずり戻して楓はクレープを飲み込んだ。目の前には成長した文乃の姿。そして二人でちぎった紙の山。
「……もうそろそろ、行くね。一緒に食べてくれてありがと。それじゃあ、またいつか」
楓はそう言って、紙の山を手のひらに収める。立ち上がって、文乃の顔を見ようとして、やめた。
「うん。またね。楽しかったよ。高校生らしく青春しようね!」
きっと笑っているのであろう文乃の顔を真正面から見られずに、曖昧に笑ってやり過ごす。楓は文乃に背を向けて、ゴミ箱にちぎり紙を投げ捨てた。
きっと青春は似合わない。そう思いながら楓は亜夏をさがしに、うつむきながらショッピングモールを歩き始めた。
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