初めての調査②

 


 ダッシュボアに立ち向かう前にまずはおさらいだ。


「さて」


 今回の疑問は『ダッシュボアはなぜ一度突撃するとそのまま走り去ってしまうのか』ということだ。

 その理由は一定速度を超えたときに急ブレーキする機能が備わっていないからだそうだが、博士はそもそもなぜそんな特徴が生まれたのかに着目しているらしい。


 その原因を調査するために『ダッシュボアがすぐに止まると何が起こるのか』を実験しようというわけだ。

 だがそのためにはダッシュボアの速度を落とす必要があり、突進を受け流すことが必要になる。


 博士を吹っ飛ばしたダッシュボアはそのままどこかで走り去ってしまったようなので、新しいダッシュボアに目星をつける必要がある。

 キョロキョロと見回すとすぐに別の個体を見つけた。


「あいつにするか」


 先ほどのダッシュボアと同程度のサイズだ。成体で体長は人間の大人ほどの大きさ。体重は大人三人分くらいあるだろうか。

 真正面から受け止めれば即死もありうるので、受け流すタイミングが重要だ。特に角の部分は斜めに受け流さないと簡単に貫かれてしまう。

 集中するんだ、俺。

 そう言い聞かせてダッシュボアの前に躍り出た。


「ブモッ!? ブモオオオオッ!」


 相手もすぐに気づいたようで、俺に狙いを定める。

 前脚で地面をかいて、バンッ!! と弾けるように駆けだした。

 ……俺は盾を構えてその時をジッと待つ。狙いは一直線に俺に向かっている。角はやや上向きだ。慎重に盾の角度を変える。

 タイミングはまだだ……あと少し…………今だっ!


「お、おおおお!」


 全力で横に避けつつダッシュボアの角に対して盾を滑らせると、ガギィイン!! と音を立てた。

 その瞬間の動きを俺は目に焼き付ける。

 突っ込んできたダッシュボアの動きは直線的だった。だが、衝突の直前に僅かに頭を傾けて向きを変えたのが見えた。

 それが原因で角が思ったよりも深く、盾に接触している。鉄で出来ているはずの盾の表面がチーズのように削られているのが見えた。

 ーーーーこれは、不味い。

 直感的に判断した俺はそのまま盾を離すと、するりと手を抜く。

 直後、腕に重たい衝撃がはしった。


「……ぐっ!」


 ビリビリとした感覚が手を伝う。全身が死を感じたのか、血が沸騰するように熱くなる。

 手を離した盾はそのまま高く宙を舞うと、やがて地面に落ちて金属音を奏でた。

 ダッシュボアは勢いのまま何歩か歩き、止まるとまたこちらを振り向く。

 …………どうにか速度を落とすことは出来たようだ。

 それに、見た光景は焼き付けた。


「なるほどな、"分かった"ぞ」


 俺は替えの盾を取り出して、無造作に構える。腕は一瞬痺れたが、盾から手を離す判断が功を奏したようで、問題なく動くようだ。

 そうしている間にすぐに次が来た。

 ドドドドッ! と音を立てて突っ込んでくるダッシュボアをよく見て、集中する。一度見たことで動きは覚えた。その上で最良となる盾の動きは……!


「ここ、だっ!」


 ダッシュボアが眼前まで近づいた瞬間、俺は横に逸れつつ盾を斜めに滑らせた!

 衝突寸前。ギリギリの、シビアなタイミングだ。


 先ほど避けたときに分かったが、ダッシュボアは完全に直線に走ってくるわけではなく、頭の部位だけ僅かに回転させることでより深く獲物に角を当てるようだ。

 それにより、少し目測を誤ったことで大きな衝撃を感じたが、そこには弱点がある。ダッシュボア自体の反射神経はあまり良くないことだ。つまりは頭を動かして獲物により深く刺すには、ダッシュボアの反射神経で間に合う速度である必要がある。


 ようするに、ダッシュボアが反応できないギリギリで盾を扱えば追尾は出来ない。


 キィィィィンッ! と先ほどの鈍い音とは違って、高い音が鳴った。ダッシュボアは先ほどと同じようにそのまま突き抜けて、数歩歩くようにして止まる。


 腕への衝撃は先ほどよりは遥かに少ない。

 その証拠に今、握っている鉄の盾は先ほどと違って削れた部分は僅かだった。


「……成功だ」


 これで自信がついた。一対一であればいくらでも受け流せる。

 笑みを浮かべた俺は再び盾を構えた。

 三度目の突撃がくるが、もう恐れはない。完全に読み切れた。


「ブモモオオオオオッ!?」


 そのまま三度目の突進を受け流す。

 一度目に焼き付けた感覚はもう完全に身体に浸透した。いつも運搬するときは逃げ回るばかりだったので、こうやって魔物の攻撃を真正面から受けるのは初めてだが、やることはいつもと変わらない。

 観察して、動きを見る。そこから安全な場所を読み取り、実行する。例えそれが一見するとキケンに見える行動でも、自分の感じた感覚を信じてためらわないこと。

 そうやって、運び屋アッシュは今まで生き残ってきた。


 そして四度目、五度目と突撃した時だった。

 ダッシュボアに明確な変化が起きた。

 盾で受け流し、キィィィィンッ! という高音を奏でた直後、バキッ! と何かが壊れる音が響いた。


「ああっ!」


 それは角だった。

 ダッシュボアの角が折れて、尖った先が宙を舞っていたのだ。そのまま角は地面に突き刺さる。

 それと同時にダッシュボアの様子が変わった。


「これは、どういうことだ?」


 ダッシュボアが上手くバランスが取れなくなったみたいに、不自然に傾いている。

 どうにかそのまま突撃しようと再び、前脚で地面をかいてから走り出すが、すぐにコケてしまった。


「ダッシュボアの角の重量はかなり重いんだ。その角で全身のバランスを取っているくらいにね」

「博士!」


 上手く起き上がれないダッシュボアを見て脅威はなくなったと踏んだのか、いつの間にか近づいてきていた博士がそう言った。

 言われて、近くに突き刺さっている角を持ち上げてみようとするとかなりの重量だ。大人一人くらいはある。


「うんうん、思った通り。ダッシュボアの角の耐久性は低いみたいだねえ」

「博士、それってどういう?」

「ダッシュボアはね、開けた平原にしか生息していないんだ。彼らは雑食なんだけど、不思議なことに彼らの持つ最大の攻撃方法。突進攻撃は人間にしか行われない行動なんだ。つまりはね、彼らの角は人間に対しての攻撃手法として特化した機能なんさ」


 それは初めて知った。

 人間のためだけに使われる攻撃方法……そんなことがあるのか。


「実はね。魔物にはよくあることなんだ。人間にだけ使う技、というものは。なぜ彼らが人間に対してだけ牙をむくのかは分かっていないけどねーーーーと、これは余談だったね」


 そう言って楽しそうな笑みを浮かべた彼女は語る。


「角について。私の仮説を言うね。元々ダッシュボアの角は人間への攻撃のために発達した。そして角を行使するのは人間に対してのみという特性から、彼らの角の耐久性は低いと考えた。だって人間にしか使わないんだから、耐久値の必要性がないからね」

「……そして最大の謎。『ダッシュボアはなぜ一度突撃するとそのまま走り去ってしまうのか』の答えは、角の耐久性が低いことから一撃必殺に特化したんじゃないかな。生息地が平原だけっていうことを考えると走り続けても他の障害物にぶつかりにくいし、何より人間から距離を取れるし」


 そこまで語った彼女はある程度考えを整理出来たからか、ダッシュボアに近寄った。


「さて。なんにせよこの個体はもう長くはないだろう。角はバランスを取るために必要だし、何よりダッシュボアの角は生え変わらないからね」


 そう言って彼女は注射針のようなものを取り出して、ダッシュボアに突き刺した。


「博士、何を?」

「息の根を止めるんだよ。持ち帰って研究するためにね」


 直後だった。ダッシュボアが痙攣けいれんし始める。

 ガクガクと震え、やがて、完全に動かなくなって絶命した。

 真剣なまなざしで、恍惚な笑みすら浮かべている彼女はどう見てもマッドサイエンティストのそれだ。

 やがて彼女は俺に向き直ると、その緋色の瞳で俺を見る。


「さて、アッシュ君。これで今日の調査は無事完了だよ。私の思った通り。いや、思った以上に君は優秀だった」


 続けて彼女はこんなことを口にした。


「そんなアッシュ君に一つお願いだーーーーキミ、探索者シーカーにならないかい?」












 帰り道。

 ダッシュボアを背負ったアッシュの前を歩くフィオラはアッシュの戦闘の記憶を思い出す。

 まずはダッシュボアの一度目の突進。


「お、おおおお!」


 その時に思ったのは、期待しすぎたかな? ということだ。


 アッシュがダッシュボアの動きを避けつつ、盾で受け流そうとして盾が宙を舞った。あれを見て彼がダッシュボアの一撃を受け流しきれなかったように映った。

 正直に言えば、あのビッグ・ベア相手に軽々と避けた上、生き残った様子からもう少しやると思っていたのが本音だ。

 傷一つ負っていないのを見ると普通の人間と比べれば遥かに良い結果ではある。

 とはいえ、フィオラ博士の助手として考えるなら物足りない。


 ……今度の助手くんも、あまり持たないかもしれない。


 そうして少し期待が冷めた気持ちで少年アッシュを見て、気づいた。

 ダッシュボアの攻撃を受け切り損なったはずの、明確に命の危機を感じているはずの少年が笑みを浮かべていることに。

 これは今まで見たことない光景だった。


 ……笑っている?


 そして彼が二つ目の盾を取り出して構えたとき、空気が変わった。

 自然体で盾を構える彼からは張り詰めたような集中力を感じる。何か明確に掴んだような、そんな顔つきだ。

 直後の二度目の突撃が来たとき、動きが明らかに変わった。


「ーーーーここ、だっ!」


 ダッシュボアを限界ギリギリまで引き付けて、ヒラリと舞うように避ける。しかし構えた盾は角の側面をかすめるように捉えており、爪で鉄を引っかいたような高い音が鳴った。

 完璧に受け流しきったアッシュは、今度は盾を吹き飛ばされることなくしっかりと握りしめたまま立っている。

 そこにはもう先ほどまでの張り詰めた空気はない。


 何かが、変わった? たった一回で?


 分からない、分からないが。


 ーーーーこれは、思わぬ拾い物をしたかもしれない。


 もし彼がもっと、もっと動けるようになれば。

 いつか、あの場所の調査が出来るようになるかもしれない。

 そのためには、彼にはもっと経験を積んでもらわなくては。


 そう考える少女の口元は三日月に歪んでいた。

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