初めての調査①



 朝食はまたフィオラ博士が用意してくれた。

 ひどい夢を見たせいで少し元気がない。

 テーブルの上にはパンにコーヒー、スープが並んでいる。話には聞いたことはあるがこうやって口にするのは初めてだった。

 本当に食べてよいのだろうか、そんな気持ちを抱えつつもパンにかぶりついていると、綺麗な所作で食事を摂っていた彼女がこんなことを口にした。


「アッシュくん、ご飯を食べたらいよいよ初仕事といこうじゃあないか!」

「……ついにですか、何をするんですか?」


 聞き返すと彼女はにっこりと答える。


「今日はー、ズバリ街の付近の魔物の調査だね! いわゆるフィールドワークってやつさ。アッシュくんには色んな魔物のこと知ってもらいたいから、まずはじっくり観察する基礎だったり、私の研究の様子を見てもらおうかな」

「……はい、頑張ります!」


 きっと彼女のことだ。自分にはまだ想像つかないがしっかりとした研究をしているのだろう。

 ひとまずは出来ることを一つずつ、しっかり吸収していこう。

 彼女に見捨てられないように。






 そんなわけで。

 晴天。雲一つない晴れやかな青空の下。

 博士と共に街の外へと俺はいよいよ初めてのフィールドワークを迎えていた!

 武器として、事前にシンプルなショートソードを渡されている。


「おほんおほん、アッシュくん。これから我々は魔物の調査をするんだけど、そもそも魔物の調査って何のためにするものか分かるかな?」


 いきなりの質問だ。むむむ……なんだろうか。


「そうっすね……魔物に詳しくなれば、対処しやすくなって安全に暮らせるようになるから、とか?」

「んー、ナイス回答! 確かに魔物の特性、生息域とか、出現時間を調べたりすれば安全確保がしやすくなるから、そういう面もあるね。でも残念、不正解! それは私の研究テーマじゃないんだよね」


 思い付きを口にしたが不正解だったようだ。

 彼女は楽しげな表情を浮かべて正解を語る。


「ほらほら、他には思いつかないの?」

「ええーっと……あっ。魔物って魔石を落とすから、暮らしが便利になるとかっすか?」

「良いねっ! 魔物が落とす魔石は色んなエネルギーに使われているからそういう面もあるっ! 私の家の明かりや、お風呂とかも魔石エネルギーを使っているしね。でも残念、それも私の研究テーマじゃあない」


 これが正解だと思ったんだけどな。

 正直これ以上は思いつかないしお手上げだ。「降参です」と言うと彼女はワクワクした楽しげな表情で正解を口にした。


「私の魔物研究のテーマはね。『魔物を通じて世界を知ること』だよ」

「魔物を通じて世界を知ること……?」


 首をひねると彼女は解説を始める。


「この世界はね、謎と神秘に満ちているんだ。魔物はどこからやってきたのか、なぜ魔物は狙って人を襲うのか、世界に存在する現代でも再現できない技術が使われた古代遺跡の謎、魔物が落とす不思議エネルギーが詰まった魔石。いろーんな謎がね」

「私は世界の神秘を解き明かしたい。で、その神秘を解くための手がかりが魔物にあると考えているんだ」

「ーーーーーー、」

 

 思ったよりも壮大な話だった。

 というか、なんだろう。この感じ。なんかすげーゾクゾクするというか。


「もちろんその過程で危ない魔物への対策だったり、資源活用だったり、生態系のバランスだったりも取れればいいんだけどそこはゴールじゃない。私の研究の目的はその先なんだよ」


 そこまで言って彼女は楽しそうな顔を見せる。

 俺は素直に思ったことを口にした。


「すっげえ……めっちゃかっけーっす! なんていうか、ワクワクする!」

「ふふん! 分かってくれると思ってたよー! そう、これはロマンなのだよ!」


 そう言って彼女は表情を緩める。


「ま、と言っても今のは最終目標の話! 今日はもっと簡単なところからやるからね。地道にコツコツ積み上げるのが大事なのだ!」

「はい!」

「というわけで、ほら。あそこのスライムが見えるかな。まずはあれを観察するよ」


 指さした方向を見ると確かにスライムがいる。緑色の粘液型のモンスターだ。

 大きな樽くらいのサイズで大人でも全身収まりそうな大きさ。形は丸い液状で作られている。動きはノロいこともあって、俺もまともに対峙したことはないが、。


「スライムの特徴としてはまず全身がゲル状であることだね。人を襲う方法は主に顔にまとわりついて窒息死させてくることが多いかな。あとは色んなものを溶かすことも出来るよ。大やけどした人の服だけを溶かすとか、医療的な使い方も出来ちゃうかもね」


 なるほど。


「そういうわけで今日は彼らの溶かす力について調査しようかな。まず私がお手本を見せてあげよう!」


 そう言ってフィオラ博士はいくつかの材料を取り出す。手に握っているのは鉄や、草、動物の肉などだ。

 恐らくはあれらの材料をスライムに吸収させて、溶かされていく過程を観察するのだろう。彼女は笑顔で俺の方を向いて材料を見せてくれながら、スライムの方に歩いていく。

 そして。


「いいかい。よーく見ててねってわああああーーーーっっ!!?」


 スライムの一部を踏み抜いた博士はズルっと足を滑らせる。

 ……そのまま綺麗にスライムにダイブして全身すっぽりとスライムに呑みこまれた。

 あわあわと脱出しようとしているが、一度閉じ込められた生き物が外に出るのは容易ではないようで、じたばたと手足を動かすのがやっとらしい。

 

「は、はかせーーーーっっ!!??」


 俺は慌ててショートソードを片手に、スライムに向かって駆けだした。






 数分後。

 ショートソードでスライムを切り刻み、どうにか博士は無事に救出できた。

 

「お、おええ……体中ゲルまみれだよ……げほ、げほ……でも助手くん、新発見だ。スライムの中は意外と温かいんだ……あとゲルは飲まされると、軽い麻痺毒の効果があるみたいだね。すごく身体が動かしにくいや。それからゲルは雑草味がする……ゲロマズだよ」

「そんな虚ろな目で体験を語らなくても……!」


 ゲルまみれの博士は研究結果を告げてくる。スライムに呑まれたというのに情報を持ち帰ることには余念がないらしい。

 とはいえ目が虚ろなことを見ると、精神的にはダメージを受けていそうだった。

 うん、これはもうしょうがない。


「あの、博士。今日はもう帰りましょう。温かいお風呂に入って、身体を綺麗にして……また明日、明日また頑張れば良いですから!」


 博士に帰る提案をすると彼女は少しもじもじする。


「う、うん……そうしたいんだけどさ。でも、ちょーっと困ったことに身体が麻痺してて上手く動かないや。悪いけどおぶってくれるかい?」


 なんですと!? 博士の身体を直接、おぶる? だが本人が良いと言っているのだ。ここで断る選択肢なんてあり得ない。

 荷物を背負うのは慣れている。特に取り扱いが注意な割れ物だってお手の物だ。さっと博士を背負うと、なるべく意識しないようにして歩き出す。


「お、おお……力持ちだね。安定感もあるし、さては慣れてるのかい?」

「村ではずっと運搬の仕事をしてましたから、運ぶのだけは得意ですよ」


 そのまま家へと戻った俺達は、翌日また平原に行くことを約束した。


 





 翌日のことだ。

 荷物箱に山ほどの盾を積み込んだ俺は、博士とともに平原とやってきた!


「リベンジだよ! 今日こそは助手くんにスマートな魔物研究のお手本を見せてあげようじゃあないかっ!」

「はい、お願いします! フィオラ博士!」


 前日の失態を取り返そうとしているのか、今日のフィオラ博士は妙にやる気なようだ。

 まあ初日からミスってしまったことに恥ずかしさもあるのかもしれない。まだ数日の付き合いだがどうにもテンションが高く見えた。

 そんな博士に俺は朝から抱いていた疑問をぶつける。


「ところで博士、この大量の盾はいったい何に使うんですか……?」


 背負っていた荷物を見せる。

 そこに入っているのは様々な材質の盾だ。木製やら、鉄製やら、石製やら。色々と取り揃えられている。正直かなり重い。


「んー? 今日の実験で使うんだよ。ダッシュボアで実験しようと思ってねえ」


 ダッシュボア。

 角の生えたイノシシの魔物だ。突進の一撃がすごいが、真っすぐ突っ込んでくるだけなので回避は簡単。もっと言えば一度突進するとすぐには止まれないのでそのまま走り去ってしまうような魔物だ。

 実験とは何をするんだろうか?


「今回するのはダッシュボアはなぜ、突進するとそのまま走り去るのかの研究だよ」


 彼女はそう言って持論を語る。


「生物の特徴はね、進化の過程でその生物が生き残るために必然的に形作られていくんだ。今回のダッシュボアなら一度走ると止まれない、という特徴があったからこれまで絶滅せずに生き残れたというわけさ」

「逆に言えばー、ダッシュボアは急に止まることが出来てしまうと生き残れない生き物である、ともいえるのさ。それで生きていけるならそもそも止まれない、なんて変な特徴は持たない魔物として存在しているはずだろう?」


 そこで! と彼女は言う。


「今回の実験は、走るダッシュボアがすぐ止まるとどうなるかを実験するよ」


 ふむふむなるほど。

 確かに一度走ると急に止まれないなんて、よく考えてみれば変な特徴だ。博士が言うように何か理由があって出来た機能である、と考えるのは筋が通っているように感じた。

 そこで、一つ疑問が浮かんだ。


「博士、質問です!」

「はい、アッシュくん」


 ノリ良く先生のように指さす彼女に俺は尋ねる。


「博士はいったいどうやってダッシュボアの突進を止めるつもりなんですか?」

「んん~! それはだね~!」


 彼女はもったいぶって言葉を伸ばし、言った。


「ーーーーこの盾でダッシュボアの突進を受けながすんだ!」


 ……何を言ってるんだろうこの人。

 急に言葉が通じなくなったような気がするが。


「あの、博士。ダッシュボアの突進って岩すら破壊する威力ですよ? そんなの受け止めたら、死んじゃいますよ?」


 大真面目な顔で言うと彼女はちっちっちと指を振る。


「受け止めるんじゃないの。受け流すの」

「……それなにか違いあります?」

「大違いだよ! いいかいアッシュくん。受け止める、というのはすなわち相手の速度をゼロにすることを意味する。でも今回やりたいのは受け流すことで、相手の速度を落とすことなんだ」

「……そもそもダッシュボアが走り去るのは一定速度を超えた時に急ブレーキする機能が備わっていないからさ。だからスピードを落とせれば理論上は止まることが出来るのだよ」


 そう言って彼女はゴソゴソと白衣を漁り、何かを取り出す。


「もちろん受け流すのもキケンなのは変わりない。そこでいざという時のためにこれを用意したよ!」


 そう言って博士は小さなボトルを渡してくる。

 中には透き通った青色の液体が入っているがこれはなんだろうか?


「それはフィオラさんが配合した回復薬ポーションさ。怪我ならたいてい直せる代物だよ。ちょこーっと副作用があるけど、まあ気にせず飲みたまえ」

「………………」


 今なにかすごく重要なことが聞こえた気がするんだけど。

 思わず博士と手元のボトルを二度見して尋ねる。


「…………副作用?」

「聞き逃さなかったかー。ん-っとねえ……翌日にものすごい筋肉痛になるよ。ぶっちゃけ介護がいるね」


 それはかなり重篤な感じがするが……まあでもそれで大けがしても治るならすごい代物なのは間違いない。

 少なくとも今まで仕事で回復薬ポーションなんて高級品を扱えたことはないし。


「分かりました。いざという時は使います」

「うんうん、物分かりの良い子は好きだぞー」


 そう言って博士は周囲をキョロキョロとし始めた。恐らくは目的のダッシュボアを探しているのだろう。

 やがてお目当てを発見したのか彼女は一点を指さした。


「おっ、はっけーん! じゃあ今度こそ私がお手本を見せてあげようじゃないか。ほらほら、背負っている盾を貸したまえ!」

「はい、どうぞ」


 やる気満々な博士に俺は鉄製の盾を取り出す。

 そして彼女に受け渡そうとして、


「えっ、あっ、重っーーーーっ!」


 両手で受け取った彼女は重量に耐えられなかったのだろう。そのまま盾を落として、ガッシャン! と音を立てる。

 地面に落ちた盾を見て俺は黙り込んだ。


「…………」

「あ、あー。失敗失敗、よいしょぉーっ! と、とと」


 博士は呟きながら両手で力いっぱい盾を持ち上げようとするが、上手く持ち上げられていないようだ。

 ……改めて観察すると彼女はかなり華奢だ。筋力はあまり無いのかもしれない。ひょいと片手で盾を拾い上げて俺は提案した。


「博士、この盾は俺が使っても良いですか? こっちの革の盾なら丈夫だし、何より軽いですよ」

「ほ、ほーう? まあ助手くんがそこまで言うならそっちの盾にしようかなあ。仕方いないなー!」


 改めて彼女に革の盾を渡す。材質は軽いが魔物の革が何重にも貼られているので頑丈なはずだ。

 思うに博士は割と見栄っ張りなタイプなのかもしれない。可愛い人だ。


「よし、じゃあ行ってくるよっ!? おっとっと!」


 そう言って博士はダッシュボアの方に駆けだそうとして、石ころに躓いて転びかけつつもなんとか体勢を立て直して歩いていく。

 ……なんというか、不安だ。ものすごく不安だ。

 ダッシュボアの一撃は普通に殺人レベルだし。いや、避けやすくはあるんだけど。


「さあ、そこのダッシュボア! 君のテストをしようじゃあないか。私に向かって突進してきたまえ! 華麗に受け流してあげよう!」

「フゴッ……?」


 博士がダッシュボアに声を掛けるとダッシュボアも博士に気づいたようだ。

 前脚で地面を蹴って、突撃の準備を始める。そんなダッシュボアに対して博士は両手で盾を構えた。

 そして、ダッシュボアが走り出す!


「フゴオオオオオッ!!!!」


 ドドドドッ! という音が聞こえてきそうなほど迫力のある突進だ。

 蹴られた地面が軽くえぐれているのを見ると、蹴りだす足のパワーの強さがうかがえる。

 大きな角は鋭さがあり、あれが刺されば人間なんて簡単に貫通してしまうだろう。

 博士はギリギリまで引き付けるつもりなようで、盾を構えたまま動かない。頑張ってタイミングを図ろうとしているように見える。

 ……大丈夫か、もう受け流しのために避けはじめても良いと思うんだが。そう思った直後、ようやく博士が避けようとするが、もう遅い。


「ブモーウッッ!!!!」

「ーーーーーーっ!?」


 回避が間に合わなかった博士が革の盾ごと勢いよく跳ね上げられ、空を舞った!


「は、はかせーーーーっっ!?」


 そのまま平屋の屋根くらいの高さまで飛んだ博士は、放物線を描いて地面へと落下する。ピクリとも動かない彼女のもとに俺は慌てて駆け寄った。


「だ、大丈夫ですか博士!」

「だ、だいじょうぶだいじょうぶ。ただの、致命傷だから……それより新発見だ。人は空を飛べるんだよ……ごふっ」

「結論も怪我もどっちもダメじゃないですかっ! ほら口開けて! 回復薬流し込みますよ! ごっくんしてください!」


 血を流す彼女の口に慌てて先ほど受け取った回復薬ポーションを流し込む。

 するとみるみるうちに傷口がふさがり、綺麗に治っていった。どういう仕組みで出来ているのかさっぱり分からないが、とにかく効いたようだ!

 ああよかった……。


「ごほごほっ! ありがとね助手くん。助かったよ」


 そう言って一息ついた彼女はなんだか小動物に見えてきた。

 というか昨日の一件もそうだが、これまでよくこの人が生き残ってきたものだ。危機意識がやたら薄いし、その割には危険な実験をしているし。


「……んえー、アッシュ君には恥ずかしいところを見せてしまったねえ。正直言うとさ、私って致命的なくらい運動音痴なんだ。そのせいで実験があまり上手くいかなくてね」


 頬をかきながら彼女は言う。なるほど、そうだったのか。


「だから、俺を助手に?」

「ああ、そうとも。私が実験出来ない以上、運動神経に優れた人が欲しかったからね。キミには助けてもらったし、丁度いいやと思ったんだ」


 そう言って彼女が起き上がろうとしたので、俺は手を貸した。

 やっぱり手も柔らかいな。体力仕事をしている人間の手とはまるで違う、ふにふにした綺麗な手だ。


「分かりました。そういうことなら俺がやりますよ! 博士には借金肩代わりしてもらいましたし、俺もこんな生活手放したくないですから」


 そう言って鉄の盾を取り出す。


「とにかく受け流せば良いんですよね」

「うん。避けちゃうとそのまま止まれずに走り去っちゃうから、ある程度受け止めつつ受け流してほしいな。今回は突進の威力について調べたいから」 


 了解した。

 魔物と正面からやりあうのは慣れてないが、ダッシュボアほど単調ならどうにかなる。

 威力を見るためには盾をどんどん交換しながら戦う必要もあるので、荷物箱は背負ったままやる必要がありそうだ。


「任せてください」


 そう言って俺は盾を持ち上げた。






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