第一章 こうして俺は助手になった
悪夢
ーーーー少女博士の助手になる。
そんな衝撃的な出来事があった翌日のことだ。
村での用事を終えたらしいフィオラ博士と共に街へと降りてきた俺はこれから住むことになる家へと向かっていた。
「それにしても……アッシュくんは随分と荷物が少ないんだね」
そう言って俺を見る彼女はやはり綺麗な顔をしている。
正直タイプ。めっちゃタイプだ。
だが、あまりジロジロと顔を見るのも失礼だろう。少し目をそらして答える。
「え、ええ。両親の形見の品以外はあまりモノは持ってないので」
俺の持っているもので大事なものといえば荷物運びに使っていた箱くらいだろうか。その日稼いだお金をその日のうちに使い果たすような生活だったので、娯楽品はおろか生活用品すら買い揃えられなかったのが正直なところだ。
そもそも金を持っても使い道は家賃と飯がほぼすべて。あとはボロ着を買うくらいで他の事に使った記憶は……思い返す限り無い。
「ふうん、そうなんだね」
そんなことを話しながら博士のあとをついていく。街の中心地から少し離れた区画、街の喧騒から一歩外れた通りにひときわ目を引く建物が建っている。
赤い屋根の目立つ大きな家だ。家の外壁には白い石材が使われていて、窓ガラスが貼られている。木製のドアには何やら紋様が刻まれていて、不思議な雰囲気を醸し出していた。
その家の前でフィオラ博士は立ち止まると、こう告げる。
「さあてここが今日からアッシュくんの住むおうちだよ!」
「えっ」
こんな立派な建物が、俺の家? まさか、そんな馬鹿な。
「ここは、私の
そう言って博士は扉を開けて中へと入っていく。
信じられない気持ちのまま後をついていくと部屋の内装が見えた。
家の中もまた、外観の期待を裏切らない美しさが広がっている。吹き抜けの高い天井にはシャンデリアが輝き、室内全体にやわらかい光を放っていた。床は木製だが、俺の住んでいた家とは違い歩いてもギシギシだのメキメキ音を立てることは無い。
家の一角にはガラスケースに収められた鉱石や、道具が整然と並んでいる。大きな壁一面におかれた本棚には古びた革の装丁が施された書物がぎっしり詰まっていた。
いずれにしても今までの俺の人生ではまず目にすることのない光景だった。
「すごい……」
ぼそりと漏れた言葉は飾り気無しの本音だ。
村長の家ですらこんな立派ではなかった。やはり彼女は博士と呼ばれるだけはある高給取りなのだろう。
そもそも俺の借金をいともたやすく全額返済してみせたわけだし。
……少なくとも借金分は頑張って働かなくては。
「アッシュくんの部屋は二階だよ。しばらく使ってなかったから掃除しなきゃなー」
彼女と共に二階に上がる。二階にもいくつかの部屋があるようだ。彼女についていくと一番奥の部屋に案内される。
「ここだよ。ちょっと待ってね」
そして彼女がドアを開けた先の部屋は、元々の俺が住んでいた家とは比べ物にならないくらい綺麗な部屋だった。
まず目に飛び込んでくるのは真っ白なベッドだ。シーツやまくらカバーが新品同様に真新しく、柔らかそうに見える。ベッド脇には小さな無いとテーブルがあり、その上にはランプが置かれていた。
壁際には棚と本棚がある。どちらも空っぽで、何も置かれてはいない。新品を買ってきたは良いものの、部屋ごと使う予定が無かったかのようにとりあえず置かれたような印象を受けた。その隣には小さなテーブルと椅子もある。
この部屋が、俺の部屋……? 情報の暴力になんだかクラクラしてきた。
「とりあえず荷物は置いてもらって、まずはそうだなー」
そこまで言って博士は俺に近寄るとクンクンと匂いをかぐ。
そして大きく頷くとこう言った。
「アッシュくん、お風呂入ってこよっか」
かぽーん。
「……これは、良いな」
お湯に浸かるという行為自体が初めてだった俺にとって、この家はまるで神の国のようだった。
風呂場は石造りで出来ていて、石像のようなオブジェの口からは絶えずお湯が流れていた。普段は川の水で洗う程度だったので、文明とはかくもすごいものなのかと驚かされるばかりだ。
何より温かいのは気持ちよい。なんかもうこのまま死んで良いんじゃないかというくらいの気持ちになってきた。
とはいえあまり博士を待たせるわけにはいかない。
身体を洗い、全身お湯に浸かった俺は、非常にさっぱりした気持ちで風呂場を出ると、そこには元着ていた服が見当たらず、見慣れない着替えが置いてあった。
「博士、お風呂を頂きましたが……自分の服はどこでしょうか?」
「あまりにも汚れてたから洗濯中さ! 置いている服に着替えてもらえるかなー!」
風呂場から声をかけると、部屋の外から声が返ってくる。
雇用主の言うことは絶対だ。言われた通り、置かれていた服に着替える。
生地に触れてまず思うのはこれらがかなり上等な代物ということだ。
ロングスリーブシャツに、アドベンチャーコート。下はレザーと布を組み合わせたパンツに、丈夫な革製のアンクルブーツ。村の仕入れをする中で一度は目にしたことがあるが、どれも良いお値段をしていたし、その値段に見合うだけの機能があるもののはずだ。
着てみると驚くくらいフィットするサイズ感だった。博士の体格は小柄なので彼女の物とは考えづらいが、なぜ彼女はこんな装備を持っているのだろうか。
まさか……彼氏の物だろうか。いや、まあ普通に考えたら彼女ほど魅力的な人なら居ない方がおかしい感じがするけれど。
「ありがとうございます、ピッタリですよこれ」
「おー、思った通り中々似合っているね。うんうん、フィオラさんの助手なんだからこのくらいの服は着こなしてもらわないとねー」
風呂場を出て頭を下げると、彼女はにこりと笑みを浮かべて言う。
彼氏の服かもしれないと考えてしまって、ちょっと複雑な気持ちがしたが、そんなのは次の彼女のセリフでどこかに飛んで行った。
「じゃあ夜ご飯かな。今夜は腕をふるっちゃうぞ☆」
博士の料理はおいしかった。
見たことないような肉料理とスープ、それからふわふわのパン。今まで俺が食べてきたようなカチカチの腐りかけパンと違って、どれも美味しかった。
こんな美味しいものが世の中にはあるのか、と思うくらい幸せな気持ちになった。食器なんてまともに使うのはいつ以来だったろうか。見よう見まねで頑張ったが、彼女の目にはどう映ったのか。
そして今は、自分の部屋のベッドに寝転がって眠りにつこうとしている。
天井に穴は開いていない、風が吹くたびにギシギシと家が揺れたりもしない、ベッドがゴワゴワの汚れたシーツではない。
こんな場所で寝ることが生涯であろうとは、昨日まで夢にも思ってはいなかった。
「……………」
少し不安だ。今見ているこの光景こそが夢ではないのか。
眠りについて目が覚めたらまたあのボロ小屋で運び屋の仕事をする日常に戻るのではないか。
どこか地に足がついていない感覚と同時に、握りしめたかけ布団はどこまでも柔らかく幸せな現実を突き付けてくる。
そんなことをぼんやりと考えながら目を閉じる。
眠りにつくのはすぐだった。
ドンドン、と扉を叩く音がする。
目を開けるとしわがれた老人の声が響いた。
「アッシュ仕事だ! いつまでも寝てるんじゃねえ!」
「村長……?」
ここは、村だ。
周囲を見回すとボロ小屋だった。天井に穴が開いていて、風が吹くたびにギシギシと家がしなる。扉は傾いていて、不安定だ。
そんな家の中に入り込んできた村長が俺を見下ろしている。
「博士は? ……あれは夢、だったのか?」
「博士ぇ? 国のお偉いさんがお前さんと関わり合いになるわけねえだろが。現実を見やがれ。お前さんは一生この村で、返せねえ借金を払いながら俺のために生きていって、そして死ぬんだ。それが現実だ」
「…………」
呆然とする俺を村長はばっさりと言った。
気が付くと俺はまたボロ着を身に纏っている。傍には見慣れた荷物箱。よろよろと起き上がると村長が言う。
「博士がお前さんを必要とするわけがねえ。お前さんの居場所はこの村だ」
それは確かにそうだ。
普通に考えれば国のお偉いさんが、村の運び屋をしている貧乏人なんか相手にするわけがない。
よく考えてみれば今まで起きたことの方がおかしい。そちらこそ夢だって考えた方がよほど現実的だ。
村長がドサっと荷物を置く。
「そいつを街まで運べ。報酬は……借金を抜いて8ソルだ」
「…………」
置かれた荷物に目をやる。村の収穫物だ。
これを命がけで運んで、8ソル。家賃が1日あたり5ソルなので、儲けは3ソル。そこから食事を払えばもう0だ。
働けど働けど生活は楽にならない。希望が見えない生活。
「もう一度言うぞアッシュ。お前さんの居場所はーーーー」
そこで俺は目を覚ました。
「ーーーーーーっっ!!!!」
ベッドから飛び起きてハァ、ハァと荒い息を吐く。
周囲を見回すとそこは綺麗な部屋だ。清潔感のある、安全で快適な俺の部屋。
ひどい悪夢を見てしまった。
だが、夢の中の言葉で一つ、やけにこびりついた言葉がある。
「博士が、俺を必要とするわけがない……」
キミに決めた、そう言ったフィオラ博士の真意は未だに分かっていない。
いったい、俺は何のために必要とされたんだろうか。
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