フィオラ博士の魔物レポート

伏樹尚人

プロローグ


 生きていくには金が要る。

 借金をしているのなら尚更稼がなくてはならない。

 金を稼ぐには安全で楽な仕事よりも、危険で大変な仕事の方が稼げる。

 そしてどんな街でも必要とされる危険な仕事の一つに、運搬がある。

 そう、これはシンプルな話だった。


「ーーーークソッ! 今日はツイてねえなっ!」


 夕暮れ。山道を駆けながら頑丈な箱を背負った俺は叫ぶ。

 デコボコの整備されていない山道は足を踏み外せば簡単に転び、運が悪ければ滑落してしまうような足場だが、慣れた動作で木の根を飛び越える。

 そしてチラリと振り向くとそこには五匹ほどの魔物が追いかけてきていた。


「「「「「ガルルルルルルルッ!!!!」」」」」

「クソッ『ヤマウルフ』め」


 ヤマウルフ。

 それは名前の通り山に生息する、四足歩行の魔物だ。

 片手で抱えられるぐらいの大きさで、ギラリとした鋭い眼光をしている。

 その特徴はーーーー、


「目は悪いが……足が速くて、集団で追い詰めてくる! そして何より鼻が利くッ!」


 今までの経験則で知っていることを呟く。

 そうだ。ヤマウルフは鼻は利くが、目が悪い。つまりは匂いで追えなくなればついてこれなくなる。

 そうと決まればやることは単純だ。山道を駆けのぼりながら俺は途中で方向転換する。

 そしてしばらく走り続けていると水音が聞こえ始めた。

 その先にあるのは川だ。


「せーのっ!」


 迷いは無かった。掛け声とともにザッパーンっ! と勢いよく飛び込むと、頭まで水の中に沈む。

 そう。こうすればもうヤマウルフ達は俺の匂いを辿ることは出来ない。

 命がけで村と隣町の間の品物を運ぶーーーーこれが俺の日常だった。





 





「こいつが今回の品物です。今日は村の野菜を高く買い取ってもらえたんで、その分食料を多めに仕入れておきました」


 あの後。無事に村まで帰還した俺は村長の家に向かった。

 村長は白髭を蓄えた爺さんで、目つきの鋭い男だ。いつものように商品を見せると、その内容を確認した爺さんは機嫌良さそうに、うむと頷く。

 今回は運が良かった。村の皆が二週間は暮らせるくらいの食料が手に入ったのだ。


「よくやったアッシュ。いつもながらご苦労さんだ。報酬はそうだな……100ソルでどうだ?」

「やった、マジっすか!」


 俺は素直に喜んだ。100ソルは中々の大金だ。

 宿屋に一晩素泊りするのに大体10ソルと考えれば金額も想像しやすいだろう。

 思わずガッツポーズすると、「ただし!」と爺さんが言う。


「……おめえさんに渡すのは、そっから借金と利子と家賃を引いて10ソルってとこだな」

「…………あざっす」


 そう言って爺さんは1ソルコインを10枚渡してくる。

 思わず呆然とした俺はどうにかお礼の言葉を口にしてお金を受け取り、村長の家を出た。

 10ソル。そこからボロ家の家賃に充てる分の5ソルを減らすと、残りは5ソル。

 貯金も無ければロクな食べ物もないので、これじゃ生活には心もとない。


「……明日も運搬の仕事しねーとな」


 ポツリと呟いてぼんやりと景色を眺める。

 山の奥深くにある小さな村だ。どこにいても木々のざわめきが聞こえてくる。

 家々は粗末で、ところどころ板が剝がれては修繕した跡が見える。

 だがそんな家すらも俺からすれば上等だ。

 

「……借金かあ」


 両親が残した借金は最初6000ソルだった。

 元は母親の病気を治す薬を買うためにした借金だったらしい。その薬を受け取って父親が村に帰ってくる途中で魔物に殺されたそうだ。

 当然ながら薬が届くことはなく、母親も病気が悪化して死んだ。

 残された俺はその借金を返すためにこうして運搬の仕事や、村の仕事をしているわけだ。

 正直自分でもよくもまあ生きているもんだと思う。

 ただ……。


「残りは……2万9700ソルかあ」


 借金が減らない。

 借金が膨らんだ要因は利子だ。返すよりも増えていく速度の方が早い。

 多分だけど俺は一生この村のために生きることになるだろう。

 正直なところとてもじゃないが返せる気がしない。

 そんなことを考えながら歩いているとやがて、俺の住む家が見えてきた。


 外壁は黒ずみ、こけつたが覆う粗末な小屋だ。

 屋根は一部が崩れかけ、いくつもの穴が開いている。雨の日には室内も土砂降りで、風が吹くたびにきしむ音が鳴るーーそんな家だ。

 その傾いた玄関の扉を開ける。

 

「……もう寝よ」


 床は一部が朽ち果てているので踏み抜かないように注意しつつ室内奥のベッドに倒れ込む。

 カビの臭いが鼻をつくが、もうこれも日常の香りだ。原因は雨漏りによる湿気からくる腐敗だが、直す金が無いのだ。

 ぐうと鳴るお腹を撫でつけながら、強引に目をつむって俺は眠りにつく。

 明日も何か荷運びの仕事があればいいんだけど……そんなことを考えながら。









「……シュッ……アッシュ! 起きろ仕事だ!」

「……ん、んん。はい」


 翌日の朝。

 ドンドン! と家の壁を叩く音で俺は目を覚ました。

 扉を開けるとそこには村長が立っていて、村長宅まで半ば連行されるように連れていかれる。

 そして村長はこう言った。


「アッシュ、おめえさんには今から街に行って『アクア・ルミナの酒』を買ってきてもらう。タイムリミットは今日の夕方までだ」

「夕方!? かなりギリギリっすね。それにアクア・ルミナの酒ってかなり高いんじゃ……」

「急だが今日、村に博士が来ることになった。どんな人物かは知らんが、博士を名乗る人物はすなわち国のお偉いさんだ。到着までにお偉いさんに出せるような酒を用意せねばならん」


 そう言って村長は「代金だ」と金の入った袋を俺に渡してくる。

 街までは急いでも3時間はかかる。そこから酒を探してまた戻ってくると考えると夕方というタイムリミットは絶妙だ。

 何事も無ければギリギリ間に合うか……とはいえやるしかない。


「今回は特別だ。博士の到着に間にあえば500ソル、借金差っ引いても50ソルくれてやる。だが間に合わなければ……分かるな?」

「マジっすか! 頑張ります!!」


 それなら話は変わる。借金差っ引いても50ソルも貰えるならかなり楽になるぞ! これは俄然やる気が湧いてきた。何としてでも時間までに帰ってこなければ!

 俺は急いで村を駆けだしていった。






 道中は驚くほど順調だった。

 魔物らしい魔物に出くわさず、偶に見かけても撒ける程度の魔物にしか出会わなかったからだ。

 荷物を背負っていないこともあって軽々と山を駆け下りた俺は、そのまま街道を進んで街へと辿り着き、酒屋へと駆け込んだ。


「こんにちは! アクア・ルミナの酒はありますか!」

「ああ、在庫があるよ。一本180ソルだ」

「このお金で買えるだけください!」


 村長から預かったお金をそのままカウンターに載せると、中身を取り出して店主が数える。

 やがて数本のアクア・ルミナの酒を渡してきた。


「これで代金丁度だ。まいどあり」

「どーも!」


 ボトルを受け取った俺はそれを頑丈な荷物箱に入れて、割れないように梱包する。

 梱包も慣れたものだ。僅かな時間で詰め込むと、それを背負いこんで俺は来た道を勢いよく引き返す。

 夕方まではまだ三時間と少しある。このままの調子ならどうにか間に合いそうだ。

 これまでの運搬でもほぼ最速ペースだった。

 よーし、と気合を入れなおして街を駆けだしていく。



 隣街から村に戻るには平原を抜けて、山を登る必要がある。

 区画としては街から平原の間は街道が整っていて、なだらかなので非常に走りやすい。

 とはいえ魔物自体は普通にいるので襲われるリスクはある。視界が開けているので見つかりやすいし。


 だがその後に待っている山区間がもっと問題だ。基本的には村の住民しか通らないので道が整備されていないうえ、魔物の討伐なんかもされていないので危険度は高い。遭難者もザラだ。

 唯一、村には戦えるよう準備や備えがあるが、それ以外はほとんど自然のまま手つかずと言っても過言ではない。

 実際、村でも子供には外に出ないように指導が徹底されているし、大人でも時おり死者が出ているくらいだ。俺の父親もその一人だし。

 

「……おっと、ダッシュボアか」


 そんなことを考えながら平原を走っているとダッシュボアに出くわした。

 大きな角を生やした猪の魔物で、直線的な加速は凄まじい威力を誇る。木や岩も簡単に貫き、破壊するそのパワーは人間がまともに食らえばひとたまりもない。

 ……まともに食らえばの話だが。


「ブモオオオオオオオっ!」

「よっ、と」


 猛スピードで突進を仕掛けてきたダッシュボアの動きをよく見て、サッと横にズレて回避する。

 全身を使って突進するからか、こうやって避けてしまえばダッシュボアはすぐには止まれないのだ。

 事実突っ込んできたダッシュボアはそのままかなりの距離走り続けて、ドンドン小さくなっていく。

 あとは戻ってくるまでの間に身を隠してしまえば逃走成功というわけだ。

 そんな感じに魔物をいなしつつ平原を抜け、いよいよ山道まで戻ってきた。


「はぁ、はぁ。流石に疲れてきた」


 行きも帰りもずっと走りっぱなしだったこともあって少し息が切れた。

 少し立ち止まってスーハーと息を整えて、山道を登り始める。

 もう慣れた道だ。なるべくスタミナを温存しつつ最短ルートで登っていく。この山の頂上まで登れば村だ。

 現在時刻は夕方前。このまま登り切れれば少し余裕をもって間に合いそうだ。そんなことを考えながら山を中腹まで登ってきた時だった。

 ズウウン……! という地響きが聞こえたのは。


「これは……」


 この地響きには覚えがあった。

 嫌な予感がする。長年運び屋をしてきた者の危険信号だ。

 ……これだけの地響きを出すのはこの山じゃ、あの魔物を置いて他に居ない。

 直後のことだ。


「わわわっーー! たすけてえっっ!!!!」


 悲鳴が森中に響き渡った。

 聞きなれない女の声だ。声のした方向を見ると、そこにヤツはいた。


「……ビッグ・ベア」


 それは目に大きな傷跡がある巨大な熊の魔物だ。

 小さな家ほどの大きさで、その大きな腕は大木も簡単にへし折る力がある。

 何よりも危険なのはヤツは大型のわりに非常に素早く、地形をなぎ倒しながら追いかけてくるために、木々に紛れて隠れることも難しいことだ。

 ダッシュボアと違って小回りも利くうえ、非常に執拗なので一度ロックオンされたが最後、数時間は鬼ごっこする羽目になる。

 ーーーーこの山における主というべき存在だ。

 そしてビッグ・ベアの目の前には人が倒れ込んでいた。

 ……見慣れない少女だ。

 転んでしまったらしい、のっしのっしと間近に迫ったビッグ・ベアを見上げていた。


「ガルルルルルル…………」

「痛っ……、えっと……た、たべないでほしいなーっ」


 ーーーーめっちゃタイプだ。

 その少女の顔を見て俺は視線が釘付けになる。

 少女はとても綺麗な顔をしていた。年齢は二十歳くらいか。膝くらいまでの長い白衣を身に纏っていて、困ったような顔をしている。

 髪は茶色の長髪で、その目は緋色にまたたいていた。その少女の瞳に釘付けになっていた俺は、そこでやっと我に返る。

 見るとビッグ・ベアはそんな彼女に腕を振り上げてーーーー


「グルルルアアアアアッ!」

「させるかっっ!!!!」


 ーーーー反射だった。

 完全に頭で考えるよりも先に身体が動いていた。

 駆けだした俺は咄嗟に少女を抱きしめて勢いのまま転がる。その僅か上をビッグ・ベアの腕が通過していった。

 ……正直危なかった。あと少しでも遅れていたら直撃していたところだ。

 というか自分自身も信じられない。まさか自分がこんな命がけで初対面の少女を助けようとは。

 何故だか分からないが、見た瞬間に死なせなくないと思ってしまった。借金まみれの男が女と付き合えるわけもないのに。

 立ち上がった俺はすぐさま少女から離れると石を拾い上げてビッグ・ベア相手に全力で投げつける。


「くらえっ!」

「ガオッ!? ガオオオオオオオッッ!!」


 目的はヘイトを俺に向けることだ。

 投擲した石ころは見事にビッグ・ベアの顔面に命中した。それでヤツはターゲットを切り替えたのか、俺の方を向いた。


「ガァアアアアッ!!」


 そしてヤツは雄たけびを上げて、腕を振り上げる。

 ここで大事なのはどこに避けるかの判断だ。

 よく見ると振り上げているのは右腕だ。そのまま袈裟斬りするように腕を振るおうとしているのだろう。その勢いを利用して続けざまに左腕での追撃も仕掛けてきそうだ。体格がでかいだけあって腕の長さも相当あるので距離を取るには難しいか。

 つまり最も安全なのはーーーー、


「う、おおおおおーーーーッッ!!」


 全速力で右腕側の懐に突っ込み、転がるようにして避ける。

 ごうッ!!!! と凄まじい風圧を全身に感じたが、狙い通りここは腕の可動域の外にあったらしい。

 攻撃は俺に当たることはなく、空を切った。


「ガァアアアアアアッッ!!」


 さて、これでどうにか少女から完全にビッグ・ベアのヘイトを引き継ぐことが出来た。

 ……ここからが本番だ。

 雄たけびを上げて突進を仕掛けてくるビッグ・ベアを見た俺は両足に力を籠める。


「ーーーー頂上に村がある、行け!」


 少女に声をかけて勢いよく俺は駆けだした。

 後ろを見る余裕はないが、感じる地響きはビッグ・ベアが確かに俺を追いかけてきているようだった。

 背後から響き渡るバッキィィィ!!!! と響く破壊音は木々をなぎ倒している音だろう。

 村の人間ですらほとんど立ち入らない森の中を全速力で駆けながら、俺は逃げる。

 そして……ここでやっと冷静になった。


「これ、どうするんだ……?」

 

 当然ながら俺にビッグ・ベアを倒す手段なんかない。

 ということは逃げ回って撒くことになるが、それにはかなりの時間がかかる。つまり、夕方までに間に合わなくなってしまう。というかもうそろそろ夕方だ。

 とはいえ何も考えずこのまま村まで戻ればビッグ・ベアも着いてきて大惨事間違いなしだし……。


「ビッグ・ベアの一番のヤバさはそのパワーと執拗さ、だよな……」


 落ち着け。

 まずはビッグ・ベアの情報を思い出そう。

 過去に一度だけ追いかけ回されたときは半日近く逃げ回る羽目になった。逆に言えばビッグ・ベアは半日近くスタミナが持つ怪物と言える。

 あとは……そうだな。体格がデカいだけあってヤツの重量はかなりのものだろう。ズシンズシンと響く振動からもそれは間違いない。

 それと木々を破壊しながら突っ切ってくることからかなり防御力は高そうだ。

 ……俺の攻撃が効くようには見えない。


「グルルルオオオオオオッッ!!!!」

「クソッ、怒り心頭って感じだな!」


 そうそう。このキレやすさも特徴だ。

 ある意味、木々を突っ切ってきているのもターゲットばかり見るあまり周りが見えていないのかもしれない。

 そこで俺はある作戦を閃いた。


「そうだ。あの方法なら…………っ!」


 そうと決まれば決行だ。

 俺は勢いよく山を駆け上っていく。山の頂上といえば村だが、目的地はそこではない。

 重要なのは高さと地盤だ。


「ガァァアアアアアアッッッッ!!!!」

「うるせえっ!」


 当然だが下ったり平地を走るよりも登る方が速度は遅くなる。

 必死に足を動かして駆け上り、時には太い枝に飛びついて、木々を飛び移るようにしながら、時間をかけて険しい山林を登る。

 やがて目的地へと辿り着いた。

 そこは開けた崖だ。


「……ここで相手してやる!」

「グルルルァッ……」


 崖側で立ち止まった俺はビッグ・ベアに声をかける。言葉の意味が伝わっているかは知らないが、自分を奮い立たせるための軽口だ。

 さて、ここからは立ち位置が重要だ。攻撃に備えて俺は構えを取る。

 そしてその時は来た。


「ガァァァァアアアアッッッッ!!!!」


 ビッグ・ベアが飛びかかってくる。巨大な剛腕で叩き潰そうというのか。

 腕の軌道を予測して、見えた。

 その攻撃を俺は大きく体を振って横に避ける。同時にビッグ・ベアの腕が地面に叩きつけられドゴッッッッ!!!! と大きな衝撃が発生した。

 ーーーーそう、俺はそれを待っていた。


「う、おおおおおおっ!!!!」


 立ち上がった俺は全力で森の方へ駆け出す。また鬼ごっこをするのか? と聞かれるとそういうわけではない。

 ーーーーもう勝負はついたからだ。


「ガルッ?」


 直後、ピシリという亀裂の音が響く。

 音はすぐにバキバキバキバギィッ! という大きな音に変わった。それは崖が重量と衝撃に耐えられずに崩落する音だった。


「グルルアアアアアアッッッッ!!!?」


 そう、その場を離れた理由は一つ。崩落に巻き込まれないようにするためだったのだ。


「…………どうにか、なったか」


 ビッグ・ベアが悲鳴を上げながら崖ごと落下していく様子を見て、俺は呟く。

 土砂崩れによる轟音を聞きながら、大きく息をついて俺は座り込む。


「……良かったあ、生きてる」


 凄まじい疲労感だ。

 だが結果的には人を助けられたし、ビッグ・ベアをどうにか出来たので良かった。

 そしてぼんやりと夕暮れを見上げて……。


「あっ」


 約束の時間じゃないか!

 俺は慌てて村への道を駆け出した。





 あの後。

 急いで村に辿り着いた俺を出迎えたのは煙草を片手に持ち、いつも通りの難しい顔をした村長だった。


「アッシュ……ご苦労だったな。確かにアクア・ルミナの酒を確認した」

「はい、夕方には間に合ったし、これで500ソルの約束ですよね!」


 正直ギリギリだった。

 まだ日は落ち切っていないが、もうじき夜になるくらいの時刻だ。派手なイベントもあったが梱包したアクア・ルミナの酒も割れていなかったし、これでどうにか目標達成だ。

 そう思って村長に尋ねると「あぁ」と思い出したような声を出す。


「その件だが、残念だ。少し前に博士は到着されてな」

「えっ……」


 煙草をふうと吐いて村長は言う。


「俺が出した条件は博士到着に間に合えば500ソルだ。だがお前さんは間に合わなかった。つまりお前さんは依頼を達成できなかったことになる。金はやれんな」

「なっ……!」


 間に合わなかったから報酬はゼロ。

 そんな馬鹿な、という話だがこの村においてはこれが日常だ。思わずめまいがしてクラリとする。一日中走り通しだったこともあって酷い疲労感を感じた。

 今日は飯を食わずに動いていたこともあって酷く空腹だ。腹がぐぅと鳴る。そんな俺を見て村長はくわえていた煙草を俺に握らせようとする。


「アッシュ、こいつを取っとけ。報酬だ」


 こんなものをくわえても腹の足しにはならない。

 だが、村長はこの村で俺に運搬の仕事をくれる唯一の人間だ。納得はいかないが、しかし……。

 中々煙草を受け取らない俺に反抗心を感じたのか、村長は睨むような顔をした。


「……アッシュ。お前さんは俺に3万ソルの借金をしている。この村で生きていけるのは誰のお陰だ? 誰がお前さんに仕事をくれてやっている?」

「……村長っす」

「分かってるならさっさと受け取って家に帰れ!」


 怒鳴るように声を上げた村長は強引にシケモクを押し付けた。いつの間にかまた借金も増えたらしい。

 これが報酬と考えると納得いかないが、仕事がもらえなくなるのは困る。空腹で頭も回らなくなってきた俺は仕方なく煙草を受け取ろうとしたその時だった。


「ーーーーねえねえ、何の話をしているのかなっ?」


 急に響いた声に目を向けるとそこには、さっき見た女が立っていた。

 膝くらいまである白衣に、茶色の長髪。吸い込まれそうな緋色の瞳が興味深そうな顔でこちらを眺めていた。

 彼女を見た村長がぽつりと呟く。


「……博士」

「!」


 村長の言葉に俺は驚いた。

 彼女が博士? 確かに研究者っぽい見た目だが、そうは思わなかった。だって博士といえば国に多くの貢献をした偉い人物が与えられる役職だ。

 てっきり白髪交じりの老人が来るものとばかり思っていたが、まさかこんな若い女だなんて。

 呆然と眺めていると少女は俺に気が付いたようで、近寄ってくる。


「あっ、キミ! さっきはありがとうね。お陰で助かっちゃった」


 その瞬間、良い香りがした。

 この村では嗅いだことのない匂いだ。それだけで意識を失いようになる。脳が沸騰したみたいで、目が離せなくなった。


「博士、こいつを知っているのですか? まさか迷惑などかけたり……」


 村長が博士に問いかけるが彼女はそれを無視して俺を見つめる。

 瞳が合う。もう金縛りにあったような気持ちだ。動けない俺を観察するようにじっくりと眺めた少女は、やがて視線を俺の手や足に移していく。


「へえー、かなり筋力があるねー。相当走り込んでる。さっきのを見た感じ運動神経もかなり良くて、キケンを瞬時に判断する能力も高かったなあ……」


 ぶつぶつと呟いた少女は何やら考え込むように顎に手を当てる。

 やがて、「よし」と頷いた彼女は俺に向かってこんなことを口にした。


「ーーーーキミに決めた! キミ、今日から私の助手ね!」

「は? ……助手?」

「私の名前はフィオラ。こう見えて魔物博士をやっているのさ。キミにはその手伝いをしてもらいたいんだ!」


 大げさな身振り手振りで彼女、フィオラ博士は言う。俺は戸惑うばかりで、彼女の動作を目で追うことしかできなかった。

 そこに村長が待ったをかける。


「博士、お待ちくだされ。アッシュを連れていかれては困ります。何よりこいつには3万ソルの借金が……」

「んー? そういえばいたね。3万ソルで良いの? じゃあこれで」


 そう言うと彼女は白衣をまさぐると、大きな金貨を3枚放り投げた。見たことないコインだ。そもそも貨幣なのか?

 村長はそれを見て、目を見開く。


「これは……まさか!」

「それ1枚で1万ソルだよ。3枚できっちり3万ソルだ。これで文句ないよね?」

「え、ええ。確かに頂きました」


 1枚で1万ソル。事もなげに言った少女は俺に向き直ると改めて尋ねてきた。


「それじゃあ助手くん。キミの名前を教えてくれるかな?」

「……俺はアッシュ、です」

「アッシュだね。それじゃあ今日からアッシュ君は私の助手だ。待遇は……そうだね。三食部屋付きで、月給は1000ソルでどう?」

「や、やります! 俺、頑張ります!」


 信じられない好待遇に息を呑む。

 即決だった。断る理由なんて無かったからだ。美人のもとで飯も食えて、家もあって、金も貰える。

 何よりも、自分の人生の何かが変わるーーそんな気がしたからだ。


 こうして魔物博士の助手としての第二の人生が始まった。

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