第15話

 隈本城での宗運との密談から三日後、為朝は領内に筑後侵攻を宣言して一か月かけて兵と物資を集結させて隈本城を出立。これに即応して筑後国衆の一員である田尻親種は為朝につくことを宣言。居城である鷹尾城に籠城した。

 これに対して少弐家重臣の宗筑後入道は龍造寺隆信や筑後国衆を結集して田尻親種の篭る鷹尾城を攻めたが、未だに落とせずにいた。

 肥後と筑後の国境、ここで為朝は家臣達を集めて軍議を行っていた。

 参集しているのは為朝の側近であり重臣である甲斐宗運。筑後の調略を担当していた隈庄親昌。宗運の実弟であり為朝の側近でもある甲斐親房。宗運の縁者であり為朝擁立にも尽力した甲斐親成。為朝の軍の鉄砲奉行である村山惟民。そして肥後国衆で為朝に降伏した城親冬と名和武顕。

 大友方面の抑えとして長老格の仁田水惟久。薩摩方面への抑えで人吉城に残った西惟充はいないが、為朝軍の総力と言える兵力が揃っていた。

 大友や薩摩方面への抑えの兵を残しているとは言え、その兵数は八千近くになっていた。

 この兵数は為朝を隠れて支援している対馬宗氏や倭寇の経済力もその元となっていた。

 対する宗筑後入道が率いる兵数は少弐勢と筑後国衆をあわせても四千程度。兵数の上では為朝が勝っていた。

 軍議の席で宗運はその現状を間者に集めさせた情報も込めて全員に伝えると、軍議の空気は少し弛緩した。

 このままいけば勝てる。誰もがそれを信じたからだ。

 その瞬間に為朝は地図が広げられている卓を思いっきり叩いた。

 巨大な破壊音と共に卓が粉々に砕け、諸将の背筋が伸びる。

「俺はここに集まった者みなが『もののふ』であることを疑っていない」

 為朝の言葉に自然と全員の目が為朝に集まる。その視線を受けながら為朝は言葉を続ける。

「だが、相手の宗筑後入道もまた九州屈指の『もののふ』であること、これはみなもわかっていることだろう」

 その言葉に宗運は力強く頷く。

「いま、みなが持っているのは『油断』だ。戦にとって一番持ってはならないものだ」

 為朝の凄みのある言葉に若い惟民は思わずゴクリと生唾を飲む。

「その『油断』はどのように強い『もののふ』も死をもたらす。何せ相手は名将として知られた宗筑後入道。お前達も大宰府を落とした戦は聞いたろう」

 そこまで言って為朝は一度全員を見渡す。

「その『油断』を宗筑後入道は全力で突いてくるぞ。首を落とされたときに気付いても遅いのだ」

 為朝が思い出すのは前世での京での戦。為朝は一番の良策であった夜襲を進言して、藤原頼長に退けられ、逆に長兄の義朝は夜襲の策が入れられて為朝達は敗北した。

 為朝がついた嵩徳院方には『油断』があった。誇り高き公家が夜襲という粗暴な戦いはしないという『油断』が。そこを義朝や後白河天皇達に突かれた。

 油断は敗北に繋がる。

 それを為朝は痛いほど理解していた。だからこそ諸将にそれを言ったのである。

「良いか。俺達の戦いに『油断』があってはならぬ。それは敗北に繋がり、自らの命を縮めると理解せよ」

『はは!』

 為朝の訓示に全員が拱手をして返してきたのを為朝は満足したように頷く。すると宗運がゆったりとした口調で口を開いた。

「おのおのがた、為朝様のお言葉、重々承知してくださいませ。油断や慢心、それが死に繋がります。何せ相手は百戦錬磨の宗筑後入道。勝ちの戦も負けの戦も理解しきっている老武士です。一筋縄ではいけませぬぞ」

 宗運の言葉に全員が力強い声で答えると、宗運は行軍の列を確認した後に軍議を解散させる。

 その場に残ったのは為朝と宗運、そして為朝に目で合図されて残った親昌であった。

 親昌は白いのが混じり始めた髭を撫でながら笑う。

「為朝様の言葉、私にも響きましたわい」

「本人の理解していない『油断』。これが一番危険だ」

「違いないですな」

 そういって親昌は笑う。だが、すぐに真剣な表情になった。

「ところで為朝様。私を残したということは鷹尾城の田尻親種のことだと思いますが」

「そうだ。囲まれた後、田尻から何か言ってきたか?」

 為朝の言葉に親昌は頷く。

「囲みを抜け出してきた伝者が一人駆けこんできました。このまま援軍がないのでは再び宗筑後入道に降伏する、と」

 親昌の言葉に為朝は顎に手を当てる。それに心配になったのか、親昌は為朝に声をかけてきた。

「為朝様、ここで田尻殿を見捨てては……」

「わかっている。鷹尾城の田尻は救う。問題はそれをどのような策で行うか、だ」

「と申しますと?」

 親昌の言葉に答えたのは宗運であった。

「このまま進軍しては宗筑後入道の策の網の中に飛び込むのと同じです」

 その言葉に合点がいったのか親昌は膝を叩く。

「なるほど。宗筑後入道の策を入らせずに鷹尾城を救う必要があるということですな」

「その通りです」

 親昌の言葉に宗運は頷くと、改めて為朝に向き直る。

「ここから鷹尾城まではこの兵力で進めば五日はかかります。ですが、選抜した足軽千程度であれば一日もあれば辿り着けます」

「奇襲か」

「左様」

 宗運が提案してきたのは精鋭千での奇襲。確かに奇襲は兵数が少ないほうが行うのが常道だ。それに反する策であれば宗筑後入道の策を破ることもできるだろう。

「されば為朝様。私の家中に鷹尾城までの経路を熟知している者がいます。その者に案内させれば半日で鷹尾城までいけましょう」

 親昌の言葉に為朝は嬉しそうに膝を叩いた。

「奇襲で夜襲! それはいい! それでいこう!」

 為朝の言葉に親昌は嬉しそうに頭を下げる。それを上げさせながら為朝は宗運に話しかける。

「宗運、この策は俺が指揮をとる」

 その言葉の瞬間に宗運の顔は怒気で真っ赤になった。すぐに怒鳴りそうな宗運の機先を制して為朝は告げる。

「宗運、この策は個人の武勇も物を言う。俺の家中で俺と鎮西二十烈士以上に武勇に優れた者がいるか?」

「む……」

 それを言われると宗運は弱い。確かに為朝の家中で鎮西二十烈士に敵う武士はいないし、その鎮西二十烈士を同時に相手しても勝てる豪勇の持ち主が為朝だからだ。

 宗運は気を落ち着けるように大きく息を吸い込む。すると怒気で染まっていた顔も元に戻っていった。

「……危うくなれば即座に逃げてくだされ。良いですな?」

「わかったわかった」

 宗運の言葉に為朝が雑に返すと、宗運は再び顔を真っ赤にして怒鳴ろうとする。

 それをとどめたのは親昌の笑い声であった。

 気勢を削がれた宗運は呆れたように溜息をつく。それをみて親昌は笑いながら話す。

「失礼、あまりにお二人が昔から変わらぬので」

「その通りだ。宗運はすぐに怒りすぎる。王直の言葉では魚を食えば怒りにくくなるそうだぞ」

「なるほど。最近、親常が私の家によく魚を持ってくる理由がわかりましたな」

 天幕の外で待機している親常がくしゃみをしたようだが、三人は気にせずに会話を続ける。

「宗運殿に言われて鎮昌と守昌を為朝様の傍に仕えさせましたが……まさかあれほどの武勇の士になるとは父である私にも思いませんでした」

「二人とも良い漢だ。その二人を育てた親昌も良い父であり、良い漢なのだろう」

 為朝の言葉に親昌は嬉しそうに笑うと、為朝に頭を下げる。

「あの二人には至らぬこともあるやもしれませぬ。それでも見捨てずお引き立てをしてくださればこれに勝る喜びはありませぬ」

「至らぬどころか二人は鎮西二十烈士の中でも屈指の武勇の持ち主だ。これからも頼らせてもらう」

 為朝の言葉に親昌は嬉しそうに頭を下げると軍議の天幕から出ていく。

 それを見送って為朝と宗運は会話する。

「親昌は良い漢だな。そして良い父でもある」

「そのような武士を家臣にもてて為朝様は果報者ですな」

「ああ。親昌だけではない。みな良い漢だ」

 為朝の言葉に宗運は微笑みながら頭を下げる。

(それを素直に言える。それが為朝様の良い点でもある)

 そう思った宗運だが、顔を上げると真剣な表情になる。

「為朝様、出立前に馬琴が言っていたことを覚えておいででしょうか」

「うん? ああ、まあな。だが、信用できるのか?」

「馬琴は変わり者ですが巫女としては傑物です。阿蘇大社においてもたびたび神託を聞いております」

 為朝の祐筆を務める馬琴だが、元々は阿蘇大社に仕える巫女であった。今回は戦のために従軍できないことを知ると血涙を流すほどに悔しがって為朝や宗運を引かせたが、その時に神託として為朝に告げていたことがあったのだ。

「しかし、『夜戦をしてはならない。命を落とすかもしれない』とはな」

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