第3話
惟久が為朝の名前と共に書いた大友へ対する檄文は九州全土へと広がった。
檄文の内容は大友家現当主である大友義鑑を扱き下ろすだけでなく、代々に渡って大友家が行ってきたことを悪しきざまに言い換えたこの檄文、当然のように大友義鑑は激怒し、その領内に為朝討伐の軍を起こすように命じた。
その兵数およそ一万。
対する為朝は領内の兵をかき集めても八百が限界であり、その勝敗は決定的であると九州に住む人々全員に思われている。
為朝とその家臣団を除いては。
肥後国阿蘇。為朝が転生した阿蘇家が大宮司を務める阿蘇社や大友の豊後と日向の国から肥後に入る山間部の街道があるこの土地に、為朝軍は砦を建設していた。
砦を建設する責任者は宗運の上の弟・甲斐親房。その親房に案内される形で為朝と宗運は砦の中を歩いていた。
「とりあえずは八百の兵が篭れるだけの大きさの砦にはしております」
「ご苦労。日数の少ない中でよくやってくれた」
為朝の労いに親房は「いえいえ」と言いながら言葉を続ける。
「しかし、兄者の命で簡単に落ちるように作るだけ……つまり形だけの砦です。一万の兵に取りつかれれば即座に落ちますが……何か策でも?」
「俺は知らぬ。おい、宗運」
親房の言葉に為朝は上機嫌に薄い壁を叩いている宗運に声をかける。宗運はその声に気づくと職人を一言労うと為朝と親房のところにやってくる。
「お呼びですかな、殿」
「お前の上の弟が『こんな落としやすい砦でいいのか』と心配しているぞ」
為朝の言葉に宗運は上機嫌に笑いながら、つるりと剃り上げた頭を撫でる。
「大友の奴らにはこの砦を攻撃してもらわなくてはならないからです」
宗運の言葉に親房は不思議そうに首を傾げる。
「そこがわからんのよ、兄者。指揮した俺が言うのもなんだが、この砦は本気で攻めれば一刻も持たずに落ちるぞ」
「そう、見るからに貧弱なこの砦を義鑑は躍起になって落とそうとするだろう。だが、ここに篭るのは天下無双の武勇の士である殿、そして殿の馬廻りである鎮西二十烈士の面々だ」
宗運の言葉に親房は驚いた表情になる。
「たった二十一人でこの砦を守るつもりか!?」
「仕方なかろう。我らの兵力はたったの八百。これで大友の一万の軍勢を追い返さなければならん」
「何か策があるんだな?」
宗運の言葉に為朝が尋ねると、宗運は神妙な面持ちで言葉を続ける
「この街道は山深い阿蘇の山間部の間。その街道を挟む山の片方に私が四百の兵を共に潜み、もう片方の山に西殿と四百の兵に潜んでもらい、この砦を攻めあぐねている大友の本陣を奇襲します」
「いやいやいや!! 兵を伏せて奇襲するのはわかる!! 我らが勝つにはそれしかない!! だが!! 八百の兵を全て伏勢にするのか!? せめて百は殿につけるべきではないのか?」
親房の言葉に宗運が為朝に顔を向ける。
「殿、百の兵が必要ですかな?」
「いらん」
為朝の即答に宗運は大笑いを挙げ、親房は呆れたように溜息をつく。それをみて宗運は笑いながら話しかける。
「親房、お前も殿と長い付き合いなのだから、こういうお方だと知っているだろうに」
「知っている。知ってはいるが……いや、殿の器を私が図ることが愚かか」
「かかか!! その通り!! 私など殿が五つの時に考えることを辞めたわ!!」
「それは褒められているのか?」
宗運の言葉に為朝が尋ねると、宗運と親房は笑いながら一度頭を下げた。
とりあえず話題が一段落したと思った為朝は宗運に話しかける。
「おい、宗運」
「なんですかな?」
「籠城戦とはどうやるのだ?」
その言葉に親房の表情が固まり、宗運は愉快とばかりに自分の剃り上げた頭を叩く。
だが、転生する前の為朝は攻め続けることで九州を統一し、八丈島では討伐に来た軍船を弓で沈め、そこで満足して腹を切って死んだのだ。
京での戦いで門を守っている時が籠城戦に近いかもしれないが、あれも京を舞台にした夜戦である。
そして転生してからも籠城戦というものはやったことがない。幼い頃に宗運が教えられたこともあったかもしれないが、幼い頃は身体を鍛えるのに夢中で覚えていない。
つまり、転生という奇妙な経験をした為朝がいまだに未経験なのが籠城戦という戦であった。
そんな為朝に宗運は守役の表情になって説明する。
「殿、まず戦では足軽が砦にとりつこうと集まってきます」
ここも転生前の為朝の時代の戦と違うところだ。転生前は武士同士が戦うのが当然で、従者はあくまで従者であり、主君が討った敵の首を斬って運ぶのが普通であった。
だが、転生した時代では足軽という兵士を使って相手の軍勢を打ち破る、というのが戦の形であった。
最初は戦の違いに困惑した為朝だったが、すぐに「じゃあ足軽も含めて自分が全部殺したら勝ち」という究極の結論にいきついた結果、さらに自分の武勇に磨きをかける結果になった。
「つまり鎮西二十烈士と共に打って出て足軽を皆殺しにすればいいのだな」
為朝の言葉に宗運は笑い、親房は思わず空を見上げる。
「かかか、さすがは殿。恐ろしいのは殿なればそれができそうというところですな。どう思う親房」
「否定したいが否定できない私がいる」
親房の言葉にこらえきれずと言った雰囲気で宗運は笑い声をあげる。
そんな会話を聞いて為朝は納得したように頷いた。
「うむ。それならば簡単だ」
「では殿。その猛進をさらに楽にする方法を教えましょう」
宗運の言葉に為朝は腕を組んで宗運をみる。
「聞いてやろう」
為朝のあんまりな態度に宗運は再び笑って言葉を続ける。
「まず駆けてくる足軽の先頭集団に殿の引く強弓を撃ち込んでくだされ。殿の矢一本で十人は死にましょう。それを五回ほど繰り返せば足軽の足は止まります。さすれば次は殿の弓で足軽を指揮する武士を射抜いてくだされ。これで前衛の足軽は崩れます。そこに殿と鎮西二十烈士が斬り込み、伏せている我らも大友軍に襲い掛かります。さすれば我らの勝ちとなりましょう」
「どこまでも殿の武勇頼みではないか」
親房の言葉に宗運は不満そうな表情になる。
「それは私だって思っている。軍略を学んだ者として個人の武勇に頼り切るなどあってはならぬことだ。だが、今回の戦に関してはこれしかない」
そこまで言うと宗運は「まぁ、今後は殿の武勇頼みの戦はやらぬつもりだが」と呟いた。
宗運の言葉を聞いた為朝は腕組をほどきながら口を開く
「宗運、問題がある」
「聞きましょう」
「俺の矢は十人を殺す前に矢がもたん」
為朝の前世より鍛え続けた弓の威力は尋常ではなくなっていた。何せ弓の鍛錬をすると的は弾け飛び、特別に用意した土塁も吹き飛んでしまうのだ。
弓は用意できた。だが、そんな威力に耐えられる矢があるか?
答えは否である。
確かに為朝の弓であれば一矢で十人を討つのは容易いかもしれない。だが、その肝心の矢が十人討つ前にはじけ飛ぶであろう。
為朝の言葉に宗運はニヤリと笑う。
「ご安心を。そのあたりもご用意しております」
「お~い!! 若!! 兄者達!!」
そこにやってきたのは宗運と親房の弟にして、為朝の馬廻りである鎮西二十烈士の筆頭・甲斐親常であった。
三人のところに笑顔でやってきた親常に為朝が話しかけようとした前に、宗運は動いていた。
「このうつけ者がぁ!!」
「がっはぁ!!」
思いっきり振りかぶって突き出された宗運の右拳は親常の左頬に突き刺さり、すさまじい音をたてて親常は吹っ飛んだ。宗運が殴った時の音のでかさに作業していた者達が手を止めて思わず見てしまうほどだった。
それをみて為朝は思う。『ああ、またか』と。
為朝の幼い頃から傍に仕え、共に育ってきた甲斐三兄弟は間違いなく為朝の側近中の側近だ。頑固で厳しい長兄の宗運。なんでもそつなくこなし、頑固で厳しい宗運の補佐をする次兄の親房。そして為朝と一緒になって身体を鍛え続けてきた結果、脳筋となってしまった末弟の親常。
親常は幼い頃から為朝に気安い態度をとってしまっては宗運に怒られ、それを親房が宥めるというのがいわば甲斐三兄弟だ。
為朝にはわからないが、また親常が宗運の怒りを買うようなことを言ったのだろう。
怒りで顔を真っ赤にしながら宗運は怒鳴る。
「親常!! もはや為朝様は阿蘇の若様ではなく我らの殿だと言っているだろう!! きちんと相応の対応をとらぬか!!」
為朝も「え? その程度であの尋常じゃない拳出す?」と思わなくもないが、幼い頃から長兄の鉄拳制裁を受け続けてきた親常は慣れたもので、殴られた頬をさすりながら立ち上がる。
「いや、でもよぉ、上兄者。若は許してくれるぜ?」
「あ」
為朝でも今の宗運にそれは駄目だろうと思ったことを言ってしまう親常。
次の瞬間には宗運の前蹴りが親常の腹に吸い込まれていた。戦場であればそんな前蹴り親常は屁でもないだろう。
だが、今は完全に油断している状態だった。
そのために「ぐっぼっふぅ」と割とやばめな悲鳴を上げて蹲る。すかさず追撃しようとした宗運を流石に親房が止める。
顔を真っ赤にして怒鳴り続ける宗運は親房に任せ、為朝は親常の傍に屈む。
「親常、大丈夫か?」
「ぐっおおぅ。完全に油断しているところに入れられました。きいた~」
そう言いながら親常は咳き込みながらも立ち上がる。宗運も親房に宥められて落ち着いてきたようだ。
そんな二人を見ながら親房は苦笑いしながら口を開く。
「それで親常。殿と兄者に何かあったのではないか?」
「お、そうだった!! 上兄者に言われて鍛冶屋に作ってもらっていたのがついたぜ!!」
そう言って親常が後ろにいた鍛冶屋達に合図を出す。甲斐三兄弟の言動に完全にドン引きしている鍛冶屋達だったが、荷車を三人の四人のところに持ってくると頭を下げて下がった。
為朝は興味を引かれて荷車の中を覗き込むと、鉄製の矢が三十本と巨大な鉄棒が一本あった。
為朝は鉄製の矢を一本持ち、それを眺めながら宗運に話しかける。
「これは?」
「殿の強弓に耐える矢がない。これは私も常々残念に思っていたことです。ええ、木の矢が耐えられぬなら、鉄で矢を作ってはいいのではないかと思い、鍛冶屋に命じてまず三十本作らせました」
「そ、それなんですが……」
宗運の言葉に鍛冶屋の頭領がおずおずと口を出してくる。
「命じられました通り鉄で矢を打ったのまでは良かったのですが、私共で試してみたところ、飛ばすのは無理でございまして……」
鍛冶屋達も命じられた通りに作ったものの、飛ばせる代物ではなかったことに頭を下げている。
宗運はそれを止めながら為朝に話しかける。
「殿、いけますか?」
宗運に言われる前に、為朝は親常に自分の強弓をもってこさせていた。
前世では五人張りの強弓であった弓も、今世では十人張りという驚異の強弓を引けるようになっていた。
為朝はその強弓に鉄の矢を番えて引く。それをみて親房は慌てた様子で作業している者達を逃げさせ、城門を開く。
開かれた城門からは曲がりくねった街道とそれを挟む木々があった。
その木々に向けて為朝は強弓を放つ。
放たれた鉄の矢はすさまじい情撃破を放ちながら木々に向かって飛び、鉄の矢が木々にぶつかると木々が轟音を立てて吹き飛んでいった。
唖然としている人々。そんな人々を気にせずに為朝は満足そうに頷く。
「うむ、これはいい。すまんがこれをもう十本ほど頼めるか?」
「へ!? へい!!」
為朝の言葉に鍛冶屋は慌てた様子で頭を下げる。
そして為朝が親常に弓を渡しているときに宗運が大声を張り上げる。
「みたか!! 為朝様はまさしく古の豪傑鎮西八郎為朝公の生まれ変わりよ!! 為朝様がいれば我らに負けはないぞ!!」
宗運の言葉にその場にいた人々から鬨の声があがる。どの声も為朝の武勇を讃える歓声である。
その反応に満足しながら宗運は為朝をみる。
「さすがは殿。弓の一矢でみなの士気を高めましたな」
「どちらかと言えば宗運の一言であろう」
桁外れの武勇は一歩間違えれば恐怖に繋がる。それを宗運は九州では伝説の武士である為朝の前世を引き合いに出して敬意に変えたのだ。
職人達が興奮した様子で作業に戻るのを尻目に、為朝は今度は巨大な鉄棒を持ち上げる。
その為朝の姿にも鍛冶屋達は唖然としてしまう。
何せその鉄棒は九尺五寸(約288cm)にもなる巨大なものだったからだ。持ち手を作って持ちやすくしているとは言え、為朝のように軽々と持ち上げられる代物ではない。
だが、為朝はそんな鍛冶屋達の驚愕を他所に、その鉄棒を縦横無尽に振り回す。その姿は鉄棒に振り回されているものではなく、完全に使いこなしている姿であった。
「宗運、これは?」
「刀や槍、薙刀では足軽を十人も斬れば斬れ味が落ちます。ですが、鉄棒……それも尋常ではない鉄棒であれば、それで殴られるだけで相手は死ぬか、戦に参加できない傷を負うでしょう。つまり、殿の武勇を十全に生かすにはただ固く重いだけの鉄棒が一番でしょう」
宗運の言葉に為朝は頭上で鉄棒を振り回すと、思いっきり地面を叩きつける。
轟音を共に地面が吹き飛び、人一人が入れそうな窪みができあがった。
それをみて為朝は愉快そうに笑う。
「気に入った。礼を言うぞ宗運」
為朝の言葉に宗運は笑顔で頭を下げるのであった。
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