朔月
落ち着いたミツキが耳を真っ赤にして離れようとするので、僕は素直にそれに従った。ミツキの赤くなった目元を指で撫でる。そこは僅かに熱を持っていて、その熱が僕の指先から心臓まで侵した。その感覚が少し怖くて、それにのまれないように僕はミツキに溜まっていた疑問を聞いてみることにした。
「最初拒絶してたのも、それが原因?」
「そう」
「今も名前を教えてくれないのも?」
「……そう」
ミツキはばつが悪そうに答えた。
「名前呼んでくれないのも?」
「それはお前が教えてないからだろ」
そう突っ込まれて、名前を名乗っていなかったことに気づく。出会いから全速力で突っ走ってたから、気づかなかったのだろう。
「え、あ、そうじゃん! えっと、朔です。漢字は遡るのしんにょう以外のところね」
「知ってる。連絡先のプロフィール見ればわかるし」
「確かに……。じゃあ僕もミツキの見ればよかった」
「あほ」
僕はそれに言い返せなくて唸る。ミツキはそんな僕を見て、くすくすと笑っていた。
ようやく笑ってくれた。
けれど悔しいものは悔しくて、ミツキに何か言い返せないか考えていると、ふとした疑問がふってきた。
「あ、じゃあ、なんで踏み込ませてくれたの」
「……お前の声、そいつの声に似てるから」
ミツキは恥ずかしそうに言った。顔を背けて目にかかっている前髪をいじっている。
「え、でも昔のことなんでしょ。声変わりとかないの?」
「そりゃ、中学生の時の話だけど。雰囲気というか甘さが似てる、気がする」
そう言えば僕の声、バニラアイスみたいって言ってたな。点と点が繋がった気がした。僕と歌いたがってたのもその人の声に似ていたからかもしれない。まあ、それはそうとして。
「え、中学生の時の話なの? 小学生かと思ってた」
「まあ、中学一年生だし似たようなもんだろ。終わりの方ではあったけど」
「……ちなみに、その人の名前は?」
引っ掛かりを覚えてミツキに聞いてみる。
「お前と同じ、朔って名前だったかな」
なにか、大きな物語の裏を覗き込もうとしている気がする。踏み込んでいいのかわからない。踏み込まなくてもきっとよくて、それでも。
「その人の生体番号ってわかったりする?」
「うん、9620717610だったと思う。俺と下三桁しか変わらないし、警察に連れていかれた時そう呼ばれてたから間違いないはず」
「ぼく、生体番号、おなじなんだけど――」
僕の予感が的中した瞬間だった。
「は」
ミツキは呆然と息を吐くように言葉を漏らした。その両目から涙が一つ零れ落ちて、また一つ一つと流れ始めた。ミツキは少し不思議そうに頬を触って、濡れた指先を見る。そして、僕の方を見てくしゃりと顔を歪めた。僕はその顔に思わずもう一度ミツキを抱きしめた。今度は強く、強く。僕の心臓とミツキの心臓が一つになるまで。
意外に泣き虫なんだね、なんて言葉には出来なくて。でも、そういうとこ、ね。背中に回された手は縋るように僕を掴んでいて、その痛みがきっとミツキの痛みだった。
「はいじょ、……されたって」
涙色の声でミツキはそう言った。排除なんて言葉使いたくないだろうに、わざとなのかミツキはその言葉で自分を傷つけた。夢だと思ったのかもしれない。短く区切られたその言葉は、その出来事がミツキにとって衝撃的だったことを如実に表していて。声の震えには喜び以外の感情も混ざっていて、僕には到底理解できそうになかった。それでもその質量を隣で感じていた。
「記憶、消されてるから、そのことかも」
「ほんとに、ぶじでよかった」
そう言って、ミツキは僕の存在を確かめるようにもう一度強く抱きしめた。僕の温かさはその痛みを消し去ることはできるだろうか。
「ミツキも、捕まらなくてよかった」
「うん、ありがとう」
やっと言えた、そう言ってミツキは体を少し離して、柔らかく微笑んだ。
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