第2話 不倫調査②

 今回の依頼人、芹沢蓮華(せりざわれんげ)。


 1年前、交際相手の水嶋修二との子供を妊娠。そしてそのまま婚約……つまり、『デキ婚』というやつだ。


「遥希さーん。この領収書の山、どうします?」

「そこらへんにまとめておいてくれ」

「こんな置き方してたら、確定申告で地獄を見ますよ」


 そのまま順風満帆に幸せな家庭を築いて……となればよかったのだが、あろうことか修二は、会社の同僚の瀬川亜美と裏で交際していることが判明。まあおそらく、蓮華が妊娠してご無沙汰になった修二を瀬川亜美が誘惑したか、あるいは修二が亜美を……どのみち、不貞であることには変わりない。本当に汚らわしい話だ。遥希の撮った決定的な証拠動画も、言い逃れすることはほとんどできないだろう。あと少し証拠を集められれば、もはや仕事は完遂する。我ながら、いい仕事をしたものだと誇らしげに動画を眺める。


「遥希さん。散らかった書類はすべてクリアファイルに……って、うわ!」


 スマートフォンを覗き見した司は、言葉を詰まらせる。


「AVは家で見てくださいよ」

「バカ、違う。これは資料映像だ。つーか、勝手に見るんじゃない」

「なんでこの人たち、会社でセックスしてんすか」

「そういう趣味なんだろう」


「へぇ~」と、司は興味津々に映像を眺める。草食系のような子供っぽい顔をした彼だが、やはりこういうのが好きなのだろうか。


「あとで送ってやろうか」とからかうと、 「い、いりませんよ」と首を振られる。


 司は「それで ——」とわざとらしく咳払いすると、


「——これは、どんな事件なんです?」

「書類整理は終わったのか?」

「いいじゃないですか、少しくらい教えてくださいよ」


 司に事件の概要を説明した。


「……うーわ。本当にキング・オブ・不倫じゃないですか」

「そりゃそうだろう。うちは浮気、不倫専門の探偵だからな」

「へぇえ、でも蓮華さん鋭いですね。よく婚約者の不倫に気付けましたよね」

「女は男以上に勘が鋭いっていうしな」


 生憎、遥希にはその嗅覚は養われなかったが。


「そもそも蓮華さんは、どうして浮気を疑ったんですか?きっかけとか、あるんです?」

「一応な。蓮華が嗅いだことのない香水が、会社の鞄から出てきたとか」

「うーわ。その時点で黒じゃないっすか」

「これがその、証拠品だ」


 ジップロックに封入された香水を司に見せる。


「ディオールじゃないですか。それもジャスミンって……男が女に嗅がせたい香水ナンバーワンですね」

「ほう、やけに詳しいな」

「当然です。ぼく、前職は美容師ですから」


 そういえば、履歴書にも書いていた気がする。


「美容師くんが、どうしてウチみたいな事務所に?」

「刑事ドラマが好きなんです。証拠を掴んで、犯人を追い詰めていくのとか、痛快で」


 子供のように語る司の顔を見て「あのなぁ」と口をはさむ。


「水を差すようで悪いが、ここは刑事ドラマのように、殺人事件は取り扱わない。それにやることなんて、地味だ。美容師には退屈過ぎて、苦痛かもしれないぞ」


 仕事柄、刑事と関わったことはある。だが、本職の仕事内容もドラマにするほどの派手さはない。どの業界にもいえることだが、憧れで入社すると現実を突きつけられてロクなことがない。


「大丈夫です。地味で退屈なことの方が、ぼくには似合いますから」


 どこか悲しげに笑う司。


「美容師と言っても、実際にそれらしいことをしていたのは初めの一年ほどです。雑用や事務仕事を押し付けられるようになって、自分でもそっちの方が向いてるなあって思ったので」

「そうか、大変だったんだな」


 遥希はさして興味もなさそうに、書類まみれのデスクに灰皿を置くと、煙草を一本くわえた。その姿を見た司は目を丸くして、


「遥希さん、タバコ吸うんですか!?」

「そうだよ、悪いか」

「悪いですよ。健康に悪いし、美容にも悪影響が出ます。それに――」

「余計なお世話だ」


 司の説教を紫煙で遮る。


「君が過去に何をしていたにせよ、美容師を雇った覚えはない。黙って事務や雑務をこなしてくれればいい」


「外で吸ってくる」と、遥希は不機嫌そうに立ち上がり、簡素なベランダに出た。


 備え付けの室外機に座ると、大きくタバコを吸い込んだ。

 タールやニコチンといった有害物質が、肺の中を満たしていく。 やはり喫煙は良い。 自分の寿命が吐き出されていくようで、どこか清々しい気持ちになる。 健康に長生きしたいなどとは思わない。 男もいらないし、愛もいらない。

 ただ、そう。 この腐れきった世界に蔓延るクズどもをただ、断罪し続けられれば良い。

 それが25年間、孤独に生きてきた、遥希の結論だった。


 冷たい空気の中にタバコの煙が溶けていくのを、静かに眺めた。

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