カッコウの餌食たち

イカクラゲ

第1話 不倫調査

『ん……ふぅ……気持ち……いぃ……!』


 他人の「行為」を見ても動揺してはいけない職業は、二つある。


 一つ目は、アダルトビデオの監督。それはそうだ、Vシネマや特撮のようにガタガタ動くポルノなど、抜くどころではない。


『修二(しゅうじ)……愛してる……』

『俺もだよ、亜美(あみ)……』


 薄暗い社長室。

 堅苦しいオフィスに似合わぬ甘い声。

 喘ぎながら交わる男女の姿を、一切の動揺やブレもなく、スマートフォンの映像に納める。それが撮影者こと不倫調査の探偵こと、三浦遥希(みうらはるき)のポリシーだった。

 彼女は決して、アダルトビデオの撮影をしているのではない。強いて違いをいえば、アダルトビデオの監督が「嘘」を撮影する仕事なのだとすれば、彼女は「真実」を撮影する。

 他人の濡れ場を見ても動揺してはならない二つ目の職業、それが探偵だ。


 ここまでの決定的な証拠は珍しい。


「修二……なんで、どうして……!」


 遥希が昨晩、撮影した「真実」は、彼女の手を震わせるのに十分だった。


「信じられない……あの男!」


 動画の再生が終わる。

 スマートフォンの画面を握り潰さんとばかりに手を振るわせた後、男の不倫を認めたようにがっくりと肩を落とした。


「──やっぱり、黒だったのね」

「黒でしたね」


 ぶっきらぼうに答えて、アイスコーヒーをストローで吸う探偵。疑っていたからこそ、こうして遥希に不倫調査を依頼してきたのだろうが、いざこうして決定的な証拠を見ると、ショックなものだろう。


「ほんと信じらんない。私は、妊娠までしているのよ」


 浮気被害者の女性──芹沢蓮華(せりざわれんげ)は自らの膨らんだお腹をさする。

 ましてや、婚姻して第一子の出産まで控えているという、こんな時期に不倫。到底、耐えられるものではない。


「妊娠してご無沙汰になった夫が、他所の女に手を出すというのは、仕事上よく聞く話です」


 遥希は「ですが──」と、目をきろりと細め、


「──だからといって、不倫や浮気が許されることには、なりませんがね」


 遥希もまた、女の敵と言わんばかりのスマートフォン画面の中の男を睨みつけた。


「それで、どうします?徹底的に叩きのめしますか?」

「当然よ。私は裁判所で戦うわ。そして、賠償金と養育費を根こそぎ奪ってやるのよ」


 蓮華の悔しさの滲んだ言葉に、遥希は口元を吊り上げ、ストローをぐにゃりと噛み締めた。


 不倫する男など、みんな去勢されるか破滅してしまえばいい。

 被害者が示談を願えば話は別だが、蓮華の態度を見るに、徹底的にやってしまいたい様子。

 不倫相手の男を訴え、生涯に渡って子供の養育費を支払わせ続ける──これ以上の制裁はないだろう。


「じゃあ、さっそく家庭裁判所で離婚調停を──」

「待ってください。まだ証拠が足りません」


 この状態で証拠を突きつけても、動画加工やAIによるフェイクだと誤魔化されてしまう可能性もある。


「もっと決定的な、言い逃れできない証拠を掴んで、それから訴えましょう」


 ずぞぞ──と、空になったコップが寂しい音を鳴あげるまでストローで吸いこむと、コップの中の氷をばりばりと噛み砕いた。


 やるなら徹底的に。容赦なく。


 それが、遥希の浮気調査に対する信条だった。



 ★


 カフェ前で蓮華と解散すると、遥希は浮気資料をまとめるために一度事務所に戻る。


 雑居ビルの二階。

 それが、彼女の探偵事務所だった。

 そんな古ぼけた事務所の前に、一人の男が立っていた。


「お待ちしておりました」


 ……?

 今月は蓮華の件を除いて、仕事は引き受けていない。

 確定申告はまだだし、保険料、年金の支払いもまだ……意外に心当たりが多い。


「……誰だ?」


 どの支払いだろうか、と思わず警戒心丸出しで聞いてしまった。


「アルバイトの面接にきました。伊東司(いとうつかさ)です」


 脳内で記憶を遡る。アルバイトの面接。アルバイトの面接……。


「……あ、ああ〜」


 すっかり忘れていた。

 そういえば、助手が欲しくてアルバイトの募集をしたのだった。ちょうど今回の捜査中に電話でアポをとったところだったので、すっかり忘れていた。


「そうかそうか、よく来てくれた。入りたまえ」

「これ、履歴書です」


 遥希は差し出された紙面に数秒ほど目を通すと「うん」と頷き、


「採用」

「えっ?」

「えっ、じゃない。やることは山ほどあるんだ。早く入りたまえ」

「め、面接は?」

「必要ない。経歴に問題はない」


「それに──」と、事務所の扉を開ける。

 ぶわっ……っと埃が舞う。玄関を這いずり回る小虫、ところどころ剥がれかかった靴入れ。ひび割れたコンクリート。


「ちょうど掃除できる人を、探していたんだ」

「なんですか、このゴミ屋敷!?」

「失礼な奴だな君は。早く入りたまえ」

「ハウスダストのアレルギーなんですよ、僕……」

「そのハウスダストを取り除くのが、君の仕事だ」


 司は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた後、はぁ……と息を吐く。


「人が住める場所じゃないでしょう、こんなの」

「住める場所にしてくれたまえ」

「ええ、そうですね。どうせ部屋もこんな感じなんでしょう?」

「当然だ」

「徹底的に、やらせてもらいますからね」


 あまりの汚部屋ならぬ汚玄関に腹が立ったのか、かえってやる気になったのか、司の語気が強まる。


 モチベーションの高いアルバイトが入ってくれて何より。これで自分も、蓮華の不倫調査に専念できるというものだ。





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