38.

         *



 夕食を摂って、蠍が動き出すのを待っている。


 その連絡はまだこない。時折、会話するがそのネタも尽きてくる。会話が途切れれば、無言で目の前の白い壁に視線を遣る。

 燃え尽きかけた煙草を空き缶に捨て、また新しい煙草に火をつける。


「サバちゃんは、リエハラシアに帰りたい?」

 フチノベ ミチルが、唐突に尋ねる。眠そうな素振りもなく、ただ時間を持て余している様子だ。


「帰りたいとは思わない。ただ、気がかりが多い」

 冷静に考えて、今の自分が故郷に帰るのは難しい。

 クーデター実行犯として逮捕され、そのまま処刑される絵しか思い浮かばない。帰りたいと思う気持ちはない。


「ただ、自分で言うのもなんだが、『六匹の猟犬』は精鋭部隊だった。それが空中分解してしまったとなると、対クルネキシア戦略がどうなっているのか、元帥マーシャルに代わる人間を任命したのか、軍の指揮を取れているのか、育成期間中の新人たちは無事か、懸念事項が山のようにある」

「シャロちゃんは、その辺の情報はくれないんですか?」

 その問いには首を横に振る。

「わざわざ関わりたがらない。あいつは戦争を止めようとしないリエハラシアとクルネキシアが嫌いなんだ。あいつはいつも、後任を育てたらさっさとリタイアして国から出て行く、と言っていた」

 今の状態は、狐にとっては意図せず得た自由。だいぶ楽しそうにしている。

 

「後任が育たなかった?」

「後任よりも狐の方が優れていた」

 そうでしょうねと相槌を打ちながら、フチノベ ミチルは苦笑いにも似た笑みを浮かべている。


「サバちゃんはずっと前線に出ていたかった?」

「そうなんだろうな。ベッドの上で安らかに死ねるとは思ってなかった」

 そう答えて、煙草の灰を空き缶に振るい落とした。


 かっこつけて言うが、単に後任が育つ前に死なせてしまっただけだ。自分は幸運ラッキーだけで生き延びている。

 

 また会話が途切れた。と思ったが、スマートフォンのバイブレーションの音がする。

 フチノベ ミチルのものではなく、自分のスマートフォンだ。表示された電話番号を見て、スピーカーに切り替えて応答に出る。


『もしもーし』

 へらへらした声が響いて、思わず眉間に皺が寄る。

「シャロちゃんこんばんはー」

 かたやフチノベ ミチルは、電話の向こうのへらへらした挨拶に対し、陽気に返している。

 

『わぉ、ミッチーだ! 元気にしてた? ミッチーのバイト先に何度も行ってるけど、僕が行く時はいつもいないからさ、今度会えたらいいなぁ。連絡先、この前メモに書いたから、いつでも連絡してね!』

 この数秒間に、単語を詰め込むだけ詰め込んだ早口で、狐は捲し立てる。

 

 フチノベ ミチルは引きつった笑いを浮かべてこちらを一瞥する。

「用件を先に言おうか。シャロちゃんの友達が、すごい顔で苛ついてる」

『おぉ怖い。えっと、クソガキくんはシラユキちゃんのお家が経営してるホテルのスイートルーム、予約取ったみたいよ』

 その瞬間、場の空気が張り詰めた。

 

『フロアぶち抜きのスイートルームだね。俺も泊まってみたーい』

 狐だけはのんきだ。こういう斜に構える態度を取るのはいつも通りだ。いつも通りだが、それが余計に腹立たしい。

 

「ヒナちゃんが無理言って、予約取ったんだろうね」

 重い溜め息をついて、フチノベ ミチルはぼそりと呟く。

 

『宿泊代金もシラユキが払うんじゃなーい?』

 その呟きを聞き逃さず、狐はのんびりとした口調で話を続ける。

 

『そこのスイートルーム、インテリアがすごい凝ってて、大暴れしたら修繕費用が高額になるのが目に見えてるから、壊さない方がいいよ』

 それはこちらではなく、蠍に言うべきだ。


 狐がアドバイスのようで、なんの役にも立たない話をしている間、フチノベ ミチルは口元に手を遣り、何か考えている様子を見せている。

 

 そして口を開いた。

「ちなみに、ホテルの構造図って、手に入る?」

『もちろんですとも。こいつのスマホにすぐ送るねー』

 連絡を入れる前に建物の構造図も用意してあるあたり、『六匹の猟犬』で諜報担当をしていた時の手際の良さは変わっていない。

「シャロちゃん、さすが」

 これには思わず、フチノベ ミチルも手を叩いて感謝している。

『もっと褒めて褒めて』

「他に情報は」

 狐がくだらないことを言い出して話が脱線するのを防ぐために、口を挟んだ。

 

『ごつい装備は持ち歩いてないし、装備をどこかに隠してる気配もない。浜辺でシラユキとキャッキャしてるだけだよ。あいつは近接戦しか考えてない』

「指定してきた場所に、蠍は必ず現れる」

『っていうか、梟を連れていけば絶対来るよ。梟が大好きだから』

「へぇ、そう」

 誤解しか生まない言い回しをするな、と口を出しそうになるが、フチノベ ミチルが先に言葉を返していた。


『あ、そうだ! ねぇミッチー』

 狐が何かを思い出したようで、急に声を上げる。

『かかりつけのメンタルクリニック、そろそろ再診行っておいで。薬なくなってきたころでしょ。こういうストレスがかかる生活は、PTSDを悪化させるから』

「……ご忠告ありがとう。そこまで調べてるのが、純粋に気持ち悪ーい」

 すっと顔色を変えたフチノベ ミチルは鼻で笑って言い、スマートフォンの画面に表示されている終話キーをタップする。そしてそのまま床に両手をつき、頭を下げる。


 他人に知られたくないだろう話を、この場でわざわざ出した狐は性格が悪い。これも狐の悪い癖だ。


 俯いたまま数秒固まっていたフチノベ ミチルは、ゆっくり顔を上げる。

「本当に、有能な情報屋さんだね。あと、シャロちゃんからもらったホテルの構造図、私にも送ってもらえます?」

 無表情で、淡々と言う。

 有能な情報屋、と呼ぶ時、声のトーンに隠し切れない棘があった。


 床に置いたスマートフォンを手に取り、狐からきたメッセージを確認し、添付されているファイルをフチノベ ミチルのスマートフォンに送る。

 そのついでに、自分も添付ファイルを開き、ホテルの構造図が何枚も出てくるのをスライドしながら眺める。


 画面から視線を上げ、自らのスマートフォンの画面を見入っているフチノベ ミチルに言った。

「蠍が現れたら、ヒナカワを人質にしろ」

 即座に、フチノベ ミチルの視線がこちらを見てくる。その眼は、睨んできたとも思える眼差しの強さだった。


「はい」

 返事だけは素直に返ってくるが、顔はまったく同意しているように見えなかった。

 

「ヒナカワは、お前と蠍のウィークポイントだ。その頼りない返事が一番信用できない」

 言いながら、吸いさしの煙草を挟んだ指先を、フチノベ ミチルに向ける。フチノベ ミチルの眼は煙草の穂先を見つめている。

 黒く、感情のない眼。


 無表情のフチノベ ミチルが何か言おうとして唇が動いたと思った瞬間、胸倉を掴まれた。

 本当に一瞬だった。


「そろそろ、ちゃんと話してもらえないですか? じゃないと私もあなたを信用できない」

 完全に油断していた。


 右手は、まだ火がついている煙草を持っている。空いている左手で胸倉を掴む手を剥がそうとした。

 

「蠍がサバちゃんにこだわる理由は、ちゃんとあるんでしょ?」

 中腰で胸倉を掴んで、獲物を目の前にした肉食獣さながらの眼でこちらを見下ろしてくる女。


「命懸けでも潰したいって思うほどの理由」

 煙草の火をどうにか始末しないと、揉み合った拍子に顔に火傷でもさせたら、困る。

 灰皿代わりの空き缶が思ったよりも遠く、舌打ちが出た。


「嫌われている、だけじゃ説明つかない」

「説明させたいなら、それなりの敬意を払え」

 仕方なく利き手でない左手で拳銃を持ち、フチノベ ミチルの顎の下に銃口を当てた。

 この女にとって、この程度の行為は脅しにもならないのは、わかっていたが。


「この不愉快な手を離せ」

 引き金にかけた指に、少しだけ力を入れる。

 

「お前の死体を持っていったら、蠍はさぞ喜ぶだろう。それはそれで癪だけどな」

 そこまで言って、やっとフチノベ ミチルの手が離れた。首にかかる圧がなくなる瞬間に拳銃を下ろし、右手に持ったままだった煙草を咥える。


 

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