39.


 この女の脅し方は、数々の戦場を経験した自分には、あまりにも甘ったるい。


「こんな中途半端な威嚇、俺たちには意味がない。覚えておけ」

 この女は、戦争も知らない武器商人の娘。

 堪えようのない腹立たしさに、空いた右手で今度はフチノベ ミチルの胸倉を掴む。

 

「俺とあのガキとの話は、お前に関わりはない」

「……に、が巻き込まれているのは、忘れないで?」

 フチノベ ミチルは眉間に皺を寄せ、わざとらしく自分の言い方を真似して言う。この女は、一歩も引く気がない。


「今まで何度かチャンスがあったのに、あいつはあなたを殺してない」

 胸倉を掴むのは、ただの威嚇行為。

 胸倉を掴んだタイミングで殴りかかろうとすれば殴れたものを、この女は何の成果もない会話に費やした。


「サバちゃんを生かしておいて、このまま延々とちょっかい出し続けたいって思ってるみたいな」

 この話を聞いてやっているのは、自分が払える最大限の敬意だ。答えてやる義理はない。


 胸倉を掴んでいる手に、フチノベ ミチルは優しく左手を添えてきた。

 ひんやりとした、自分ではない手の感触に、寒気が走る。

「はなして」

 意図せず重ねられた手の温度に感じた嫌悪に気を取られ、その一言の意味が「手を離せ」なのか、「話せ」なのかわからず、フリーズしてしまう。

 

「手を、離して」

 解釈に戸惑っているのが伝わったのか、もう一度言われる。渋々、胸倉から手を離した。


 フチノベ ミチルは引っ張られて縒れた襟や首元を直し、もう一度床に座った。睨みつけるような鋭い眼差しが、こちらをしっかりと捉えている。


 新しい煙草に火をつけ、十分に時間を使ってから、目の前に座る女と目を合わせる。

「説明してやる。ただし絶対、誰にも話さないと約束しろ」

 我ながら、おかしなことを言い出したと思った。


 信用など端からないに等しいのに、信用してもらうために話そうとしている。否、このわだかまりを他人に分け与えたいだけなのだろう。

 黒い瞳は、ゆっくり瞬きをする。まるで了解と相槌を打っているように。


「あいつが『六匹の猟犬』に入る直前……8年くらい前になるか」

 まだ10歳ほどの少年だった、蠍。

 軍の下部組織で幼いころから育てられ、その期間さまざまなテストや訓練を最優秀の成績で合格してきた、期待の少年だった。

 

「これからする話は、生涯誰にも話すな。この話は今日限りだ」

 もう一度、念を押す。

 これは、付き合いの長い狐にすら言わなかった話だ。


 




          ***



 

「ねぇ、お願い」

 泣き腫らした眼をした青い瞳の小さな少年が、纏わりついてくる。

「助けてよ」

 腕を掴もうと手を伸ばしてきた少年の手に、背を向けた。


 

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