37.
*
狐の電話が切れた瞬間、タイミングを見計らったように、玄関のドアが開く音がする。咄嗟に
気配を消せても、買い物袋のシャカシャカという音は消せない。フチノベ ミチルはシャカシャカと音を立ててリビングに現れた。
自分が拳銃を握っているのを確認して、フチノベ ミチルは袋を持ったまま、ホールドアップする。
「部屋に入る時の合図を考えてなかったですね」
こちらが銃を下ろしたのを見て、フチノベ ミチルは買い物袋を差し出してくる。
「お釣りとレシート」
「割とケチだよね」
買い物袋を受け取るのと同時に言うと、ボトムスのポケットからレシートと釣り銭を取り出しながらボヤかれる。
「バイト先に、三日間休むって連絡しました」
「休めるもんだな」
アルバイトをはしごしたり、どちらかの休みにもう一方の勤務先に出勤したり、毎日働いていると聞いていたので意外だった。
「栄養失調で倒れた、って言ったら意外とすんなり」
「その言い訳が通用する食生活ってどんなだ」
フチノベ ミチルは極度に痩せ細っているわけではないが、色白と青白いの中間みたいな、不健康な顔色をしている。
電話越しに体調が悪いと言われたら、何の不思議もなく信用できる気は、する。
*
テーブル一つもないリビングに、コンビニエンスストアで買ってきた弁当を並べ、フチノベ ミチルは床に座り、自分はソファに座って食べる。
「母が料理苦手な人で、父がいなくなってからはコンビニの弁当ばっかりだったのを思い出した」
フチノベ ミチルは懐かしそうにそう言い、弁当のメインの具であるハンバーグを箸で器用に切っていた。
「お前の父親はどこに?」
2年ほど前から行方不明になっているのは、狐から聞いている。フチノベ ミチルも、自身の父親については過去形で語る。
鮭の身をほぐしたものが具に入っているおにぎりを口にする。あっさりしたもの、とリクエストして、買ってこられたのがおにぎりだった。
「生物学上の父親は誰なのかわからない。というか、育ててくれたのは、本当の両親じゃない」
狐からは聞いていない話が出てきて、咀嚼しながら、どう相槌を打とうか、考える。
「母は、本当は叔母にあたる人だった」
「それは、どういう経緯で」
「母の妹が、クソすぎる人間で。産んだ子供の世話を投げ出して
フチノベ ミチルは弁当を床に置き、体を反転させて背中を見せてくる。
「見る?」
「何を」
「背中に傷痕が残ってる」
フチノベ ミチルが自らのシャツの裾を摘まんで捲りあげようとするのを、手で制止する。
「自分からは痕の端っこしか見えないから、そんなに気にしてないんだけど、着替える時とかみんなギョッとするんですよね」
フチノベ ミチルは、姿勢を元に戻し、また弁当を食べ始めながら言う。
自身からは傷の端しか見えない、と言うのは、それだけ広範囲の痕なのかもしれない。
「実の母親が刑務所行きになって、当然、私の身元を引き受ける人間が必要になった。そこで実母の姉が、私を引き取った」
この経緯を、狐が知らなかったとは思えない。情報を出し惜しみしたか。
「だから、母とは血の繋がりが4分の1あるけど、父と血縁関係がない」
「その父親がいなくなった理由は?」
「一言で説明するのは難しいですね。父にも事情があった、としか」
表情と口振りに、冷めた感情が強く出ている。身内に対する表情ではなく、他人について話す時のようだ。
「ひどく他人行儀だな」
あまり見たことのない表情が、何故か引っかかってしまう。フチノベ ミチルはこちらを見て、口元をニヤリと笑う形にしてみせた。
「私たちは家族の形をしていただけだから」
父親の話をする時は、どこまでも他人行儀だ。近づかないように、必死に距離を取ろうとしているのかと思うほどに。
「本当は行方不明なんて言葉遊びで、とっくに死んでいる」
カマをかけるつもりはなかったのだが、つい探るような言い方になった。
顔を動かさず、冷たい視線だけがこちらに向けられた。
「もちろん、その可能性は十分高い。トラブルには巻き込まれていたから」
「どんな?」
狐から聞かされていない話が、フチノベ ミチルの口から次々出てくる。
狐を通さず直接、この女の口からバックグラウンドを聞き出してみるのも悪くないと思った。
「母が昔交際していた男が、数年前から仕事の妨害をしてくるようになった。で、2年くらい前、父はそいつに話をつけに行った」
弁当を咀嚼しながら、平然と話す様子を見せるが、平静を装っているだけかもしれない。
「それきり、帰ってこない」
あの日、リエハラシアで死んだ、母親。
仕事の妨害をしてきた、母親の元恋人。
遡ること2年ほど前、父親は、その男に話をつけに行って以来、消息不明。
不穏な要素しかない生育環境だった。
「その厄介そうな、母親の元恋人は今、何を?」
「武器商人をやってますよ」
同業の男なら、仕事の妨害をしてくるのも無理はない。やっと合点がいく。
フチノベ ミチルは自嘲した笑みを浮かべた。
「イヴァン=アキーモヴィチ・スダーノフスキーって、知ってる?」
それは、世界的に有名な武器商人の名前だった。
各国の軍部や諜報機関が顧客であり、この男の裁量一つで各国の武力のパワーバランスが変わるほどの影響力を持っている。
「かなり昔、故郷へ商売しに来たのを知っている」
それも、内戦でリエハラシアが苦境に立たされたころ、15年前以上の話だ。当時、件の武器商人と顔を合わせてはいないが。
こちらの顔を見て、不思議そうな顔でフチノベ ミチルは尋ねてくる。
「シャロちゃんから、そういう情報は聞いてなかった?」
「興味あったのは、
そう答えると、フチノベ ミチルは溜め息にも似た笑い声を、ひっそりと漏らす。
「さすがにイヴァンに復讐しようとは思わなかったか」
「考えましたよ。でも、イヴァンに近づくのは、母を危険に晒すと一緒」
父親がいなくなった後、仇を取ろうとは思っていたらしい。だが、母親の身を案じて留まった。やはり、この女にとっては、父親より母親の方が優先度が高い。
「その母が死んだ今、イヴァンが何を考えているのかはわからない。私もそれどころじゃない」
床に視線を落としている横顔は、気の強そうな顔だと思った。気丈に振る舞っているというより、もっと意志の強いものがある。
微かな笑い声が漏れたと思うと、上目遣いでフチノベ ミチルは言う。
「私の話、すごい聞いてきますね」
「母親がらみのあれこれは熱心に調べるのに、父親のことは今の今まで話題にしないほど、放っておいているのが気になった」
「それは、相手がはっきりしているか、していないかの違いかも」
ここで言う相手とは、復讐する相手。
「それはそうかも、しれないな」
これ以上聞いても、うまく話を引き出せそうにない。ここでこの話は諦めて、おにぎりを頬張る。
買い物袋をがさがさと音を立てて漁ったと思うと、フチノベ ミチルは総菜のパックを取り出した。
「はい、
「名前をイジるためだけに買ってきただろ」
「いやだなぁー、そんなこと考えてないですよー」
完全に棒読みだった。鯖の味噌煮は好きな料理の一つなので、ありがたく受け取るが。
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