6. Day 4

28.

          *



 オープン前のクラブの一角、VIP席と呼ばれるエリアの革張りのソファに、玖賀 愛人は憮然とした表情で横たわっていた。


 ここはマナトの父が経営に参加しているクラブなので、我が物顔で出入りできる。

 言葉少なに、不機嫌そうに姿を見せたマナトを見て、スタッフは遠慮がちに、なるべく音を立てないようにオープン準備をしていた。

 

 当のマナトは硬く目を閉じ、今日ここに呼び出した幼馴染が現れるのを待っている。

 今日話す話題をいくつか挙げ、内容を整理しながらどうやって話そうか、とシミュレーションして、待ち時間を潰す。


 次に目を開けた瞬間、幼馴染はニヤッと笑いながら、マナトの顔を覗き込んでいた。

 気配など一切なく、幼馴染は目の前にいた。マナトは悲鳴に似た声を上げる。


 ソファから慌てて体を起こしたマナトに、幼馴染は軽妙に言い放った。

「よぅ、パワハラ親父のパワハラ息子」

「誰がパワハラ息子だ!」

 マナトの前で声を出して笑う幼馴染の姿は、いつもと変わらないように見える。

 いつもと同じ、作り笑い。


 幼馴染はマナトの隣に座ると、膝の上で頬杖をついて尋ねる。

「随分怒ってるみたいだけど、理由は何?」

「うちの倉庫にあった武器、全部持っていったろ」

「あれは預けただけじゃん、所有者は私だよ」

「そりゃそうか……あ、あと、あの何とかって国のヤツ、昨日、ウチらがよく使う診療所にかかっただろ」

 ざっくりとした発言だが、リエハラシアから来た男たちの一人が、自分たちが使う医療機関に現れた件に対する説明を求めている。

 

「私が紹介した」

 幼馴染は、マナトの問い掛けをサラッと流した。


「あいつ、どういう知り合いだよ」

 マナトはムッとした表情を露わにしているが、幼馴染が差し出してきた四角いチョコレートの包みは素直に受け取った。

 

「命の恩人。あの人がいなかったら、日本こっちに戻ってこれなかった」

 淡々と答える幼馴染は、チョコレートの包装を剥がして頬張る。

 

「そもそもあいつが何者なのか説明しろって」

「現地の通訳」

 チョコレートを頬張りながら答えるので、幼馴染の声はくぐもっている。そのせいで、声から感情を読み取れない。


「嘘つけ。何回尾行まかれたと思ってんだよ、民間人なわけない」

 リエハラシアから来た二人組の男に関しては、玖賀が抱えている舎弟の中でも精鋭を何人も尾行につけた。それでも居場所まで特定できなかった。


 その立ち振る舞いは民間人ではない。少なくとも、裏社会の人間にはそれがわかる。


 マナトの指摘に、幼馴染は小さく頷いた。

「割と立派な肩書きがあった、元軍人」

「え、なんか強そう」

 軍人と聞いて素直にリアクションした後、間髪入れずに質問する。

「じゃぁ、赤毛の男は?」

 幼馴染は眉間に皺を寄せ、視線を上に向ける。誰のことなのか思い当たらない様子だった。

 

「その、元軍人ってやつの連れ」

 そうマナトが説明を足すと、その言葉にやっと合点がいったらしく、幼馴染は答えた。

 

「仲のいい友達らしい。私はまだ会ってない」

 赤毛の男については、幼馴染もそれ以上の情報を持っていないようだ。

 

 マナトは本題へ戻る。

「で、問題は、俺たちが使う診療所を使ったってところだ。しかも刺し傷」

 幼馴染は、視線だけをマナトに向けた。

 切れ長の黒い瞳が一直線に向いてくると、長い針で刺されているような気分になる。


「民間人として日本にいるなら堂々と、普通の病院に行けばいい。刺されたんなら、警察に事件として捜査してもらえばいい。そうしないから不穏なんだよ」

 視線に負けじと、体ごと幼馴染の方に向け、マナトは言う。

 幼馴染が静かに瞼を閉じる。ゆっくり瞼を開けると、またマナトに一直線の視線を向ける。

 

「正規ルートで入国してないとか? 病院行きたがらなかったから」

 だから紹介したんだよ、と幼馴染は言葉を付け加える。

 マナトはその言葉が真実ではないとわかっている。

 目を閉じて、ゆっくり瞬きをする。その動作の間に、回答を考える時間があったのだから。


 幼馴染とは長い付き合いだからわかる。

 これは、嘘というほど悪質ではないが、事実は言っていない時の態度だ。


 マナトは深い溜め息をついて、テーブルの上のグラスを見る。

 水が入っていたグラスの氷は残り僅か。グラスの表面には、びっしりと水滴が張り付いている。グラスの中と外、隔てているのは透明な器。

 

 幼馴染が来る前に脳内でシミュレーションしたことを思い出しながら、マナトは話を切り出す。

「その元軍人と、俺らが話す場を設けるのは可能?」

「……まだ難しいと思う。警戒心が強い」

 先ほどとは違い、思案を巡らせている様子を隠さず、幼馴染は答えを絞り出した。

 

「野生動物みたいな言い方してやるなよ」

 人慣れしていない動物に対するような言いようだった。

 バツが悪そうに、幼馴染は苦笑いを浮かべる。


 そしてまた、鞄からチョコレートを取り出して、マナトに差し出してくる。

「こっちも慎重に話を聞き出してる途中だから、今は、マナトや玖賀パパには動かないでもらいたいってのが本音なんだよね」

「みちるさぁ、なんでそんな回りくどくやってんの?」

 やんわりと関わるな、と咎められて、マナトは声を荒げる。

「あの場にいた人間に一人ずつ聞き回って探してる間に、時間はどんどん流れてく。もう一年経ったぞ? あと何年かけるんだよ? みんな、つらいまんまじゃねぇか」

 マナトやマナトの父親にとっては、「家族同然の付き合いをしていた渕之辺 優子をテロで喪った」。

 その事実だけがある。


 その事実に対して、どうけじめをつけさせるか、が目的だ。真実がどうとか、それは大事でない。

 

 マナトが大声を出した時から、店内は一切の音が消えた。スタッフたちが息を殺して、フロアの片隅に固まっている。


 しん、と静まり返った空間で、幼馴染は静かに微笑んだ。

 何度も見た、何の感情もない、仮面のような張り付いた笑み。


「一番効率のいい復讐をするために、回りくどくやってるんだよ」

 そこまで言うと、幼馴染は顔から笑みを消して、いつもより低い声のトーンで続ける。

「私はそのために何年かかろうと構わない。マナトと玖賀パパがそれを待てないって言うなら、ここで手を切ろう」

 そこまで言わせる気はなかったマナトが、何か言おうと口を開いたが、幼馴染が席を立つ方が早かった。


「もちろん、これだけ協力してもらって、こちらから何の話もしないのは筋が通らないからね。もう少し聞き出せたら、その話をしに行くって、玖賀パパに伝えて」

 突き放すように早口で言うと、幼馴染はエントランスに向かっていく。


 マナトは早歩きで幼馴染の背中を追うが、一歩分の距離は埋まらず、幼馴染はマナトを振り向きもしない。


「ヤバいことになりそうだったら、早めに言えよ! 絶対助けてやるから」

 追うのを諦めたマナトが、エントランスのドアに手をかける幼馴染に声をかけると、背を向けたまま足を止める。


ヤバくないよ」

 エントランスのドアが開いて、閉じると同時に幼馴染の後ろ姿は見えなくなる。

 

 ドアの前で立ち尽くすマナトは、困り顔で天井を仰ぐ。

「その言い方さぁ、これからヤバくなるやつじゃん」

 

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