25.

         *

 


 街というものは、存在する大半の道は必ず繋がり合っているのだが、時々袋小路も存在する。


 人気ひとけのない、人一人が通れるくらい細い道。

 こんな道でも、歩き進めれば今住んでいるマンションの近くに繫がるのだから、街が迷路そのものと言える。


 ある建物は消え、更地に新しい建物が建ち、道は増えたり細くなったり、街は絶えず形を変え続けている。


 朝晩変わらずに人が溢れる駅、雑踏。

 夜中でも街を照らす電灯。


 建物が無作為に破壊されず、整然と並ぶ風景は、故郷にはない光景だ。

 これは国が発展し開発された、平和の象徴なのだと思う。


 だが、見た目の豊かさと中身の豊かさは比例しないところが、成長した国家が持つ矛盾だろう。


 そんなことをぼんやりと思っていた。


 反応に一瞬遅れた。

 普段なら避けられるのが、タイミングがズレて、刃先が首を横切った。


「暇そうだね」

 背は小柄な男とはいえ、この細い道で、全く居なかったわけではないだろう通行人を、どうやってやり過ごし、待ち構えていたのか。不思議だ。


「ね、ちょっと遊ぼ」

 蠍が拳銃P226を右手に、血のついたナイフを左手に構えて、目の前で無邪気に笑っていた。

 幸い、浅い切り口だったが、鎖骨へ血が垂れてきたのは感じた。買ってからそんなに経っていないシャツが汚れる羽目になり、つい舌打ちする。


「珍しいね、新しい服着てるの」

 普段着ない、カーキ色のシャツに視線を向けられて言われる。

「狐に会うのがそんなに楽しみだったの?」

 ニヤついた顔と冷たい眼がこちらを見つめていた。


 だから、服や靴を新調するのは嫌いだ。

 普段やらないようなことをやると、こういうロクでもないになる。くたびれていようと何だろうと、着られるうちは着ておけばいいものを。

 

「フチノベ ミチル」

 蠍は半笑いでその名前を出した。

 

「よりによって、何であんなバケモノに手ぇ出してんの?」

「相性がとても良かった」

 わざわざ返事してやるのも面倒だったが、適当に軽口を返した。


 あの日、大統領府で睨み合った時も、蠍はフチノベ ミチルを「バケモノ」と呼んでいた。そう呼ぶのを気に入っているのだろう。


「ふーん」

 蠍はこちらの軽口に、予想通り苛ついた様子を見せる。

 

「あのバケモノより、僕の方がイイと思うけど?」

 すっと顔を近づけて、鼻息がかかるくらいの距離で囁いてくる。

 またキスでも狙ってきているのかも知れないと、後ずさった。右手を腰に挿した拳銃へ伸ばす。が、蠍はナイフと拳銃をしまい込んでいた。


「一度でいいから、あんたがどんな顔してイくのか見せてよ」

 そう言いながら、ルージュを塗ったみたいに赤い唇を舌舐めずりする様はエロティックだ。

 残念ながら、興奮どころか背筋が凍るような寒気しかしないが。


「一人で妄想してろ」

 会う度に毎度、ありがたくない色気を振り撒かれても困る。

 

「ちゃんと相手してくれないと、あのバケモノ殺すよ」

 拗ねた口振りで、殺気立った眼をする。子供っぽさが全面に出た、中途半端な威圧だ。どうせならもっと感情が出ないように振る舞え、と先輩面して注意したくなる。

 

「それでいい。二人で潰し合いをしろ」

 あの日、自分があの場にいなければ、もう決着がついていただろうに、何故日本まで追いかけてきて、しょうもない襲撃を繰り返している。


 蠍は、すっと真顔になる。

「言っておくけど、あんたにあのバケモノは手に負えない」

 まるで狐みたいな、勿体つけた言い方だ。

 

「訳知り顔だな。お前も狐に似てきた」

 狐の名前を出した途端、蠍の表情が一変する。

 

「あのクズ男と一緒にしないでくれる⁈」

 蠍の「地雷」の一つは、狐。


 狐は蠍を危険視して徹底的に除外しようとしたし、蠍の「六匹の猟犬シェスゴニウス」加入の一番の障害になった。

 それを根に持った蠍は、狐に嫌がらせ三昧だった。無論、狐はそんなのが効く相手ではないのだが。


「お前の欠点は、すぐ冷静じゃなくなるところだ」

 蠍は冷静さを欠くと、無駄な殺戮をする。


 ナイフが光を弾いて動くのが見えて、蠍の左腕を掴んで、体に膝蹴りを入れようとするが、蠍はすぐに掴まれた腕を振りほどく。


 膝蹴りを諦め、そのままの勢いでつま先で顔面を狙う。避けようと仰け反った蠍の顔に、素早く左肘を入れる。

 それでも振り下ろされたナイフは、自分の右腕を掠めていた。


 蠍はそれを見ると、急に動きを止めた。

 そして、ニヤリと笑いかけてくる。

「あんたは接近戦が怖いから出来ない卑怯者」

 蠍を突き飛ばすようにして、お互いに一歩分ほどの距離を取る。

 

「当たり前だ、狙撃手スナイパーが腕やられたら仕事にならない」

 ナイフで二の腕を切られたのを気にして、無意識に右手を握り締めたり、緩めたりして、状態を確認している自分がいる。


「本気でとどめを刺しに来たんじゃないなら、さっさと故郷くにに帰れ」

 本当にこの子供の行動はよくわからない。


 ホテルに現れた時も今も、ちょっかいを出すだけで、本気になりやしない。

 

「まだ殺さないよ、今は。あんたとあのバケモノに、しっかり地獄を見てもらわないと」

 自分からしたら、こんなに長々、蠍と話してる状況が、既に地獄なのだが。


 それが蠍のとっておきの決め台詞だったらしく、満足げに笑うと踵を返して街に消えて行く。


 その後姿を撃って殺した方がいいのはわかっていたが、サイレンサーのついていない拳銃で発砲すると、周囲に異変を察知されてしまう。

 発覚までに死体を処理する手間を考えると、あまりに現実的でない。


 結論、この地で暮らすのは、自分のような種類の人間には向いていない。


 シャツの胸ポケットにしまっていた煙草に手を伸ばし、火をつける。その瞬間だけは、落ち着ける。


 

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