23.

         *



 インターフォンを何度か鳴らされたが無視した。だいたい十分後、痺れを切らしたフチノベ ミチルが、スペアキーを使って解錠する。


 それでも玄関のドアを開けようとはしない。気配を探りながら、慎重にドアノブに手をかける。


 信用されているなら、拳銃ベレッタ92を出さずに入ってくる。信用されていなければ、拳銃を構えながら入ってくる。


 リーシャロに用意させたソファから身を起こし、玄関の方を見遣る。


 現れた女が手にしていたのは小さな紙袋で、恐る恐るリビングに入ってきた。

 

「回りくどいやり方をしますね」

 自分の姿を確認すると、明らかにホッとした様子を見せる。

 

「何が」

「昨日電話で喋った人、バイト先に来たみたいで」

「へぇ、あいつと会ったか」

 直接会わないようにしている、と以前言っていたはずだが、スペアキーの受け渡しのために会ったのかと思った。だが、フチノベ ミチルは首を横に振る。

 

「私が出勤する前に帰ったようで、差し入れの紙袋に住所のメモとカードが」

 そう言いながら、見せつけるように持っていた紙袋を突き出してきた。


 どうやらスペアキーは第三者の手を経て、フチノベ ミチルの手に渡ったらしい。随分とリスキーな方法を取ったものだ。


「それでよく俺の住所だとわかったな」

「状況が状況なんで」

 フチノベ ミチルはリビング全体を見回して、ぼそっと呟く。

 

「めちゃくちゃいいお部屋」

「お前の部屋がひどすぎるだけだ。これでも妥協した」

「妥協、とな」

「妥協」

 より望ましい条件として挙げた部分はかなり目を瞑り、最低限の条件だけを叶えた形で、この物件にした。


 咥えた煙草に火をつけ、目を合わせないようにフチノベ ミチルの手や足に視線を遣る。

 

「お前が昔暮らしてた家の方が、いい部屋だったろうに」

 銀座に程近いマンションはなかなかの広さだったと聞いている。

 フチノベ ミチルの母親の名義で十五年前に購入しており、その物件を売却するまで住んでいた、と。


「三人暮らしと一人暮らしじゃ、体感できる広さが違う」

 三人暮らしという言葉がすんなり出てくる。そう遠くない過去には、母親ともう一人がいた、とわかる。

 

 それは二、三年前から消息不明になっている父親だろう。

 この女の父親の消息は、いまだに狐も探し出せていない。


「ちゃんと探せばもっと安くて、すぐ入居できるところ、たぶんありましたよ」

 座る場所を探しているらしく、自分が仰向けに横たわっているソファに視線をもらったが、この場所を譲る気はない。


 フチノベ ミチルはソファに座るのを諦めて、その場の床に座り込む。


「こんな面倒な手段を取らなきゃいけないような状況ですか」

 疑問形ではなく、確認するニュアンスの語尾。それには明確に答えなかった。

 

「狐は色んなところをフラフラするから、一貫した行動をしているように見えない。蠍が狐を尾行していたところで、ここまで辿り着くのは無理がある」

「同じ仲間同士だったなら、そういう手の内はわかってるんじゃ?」

「仲間じゃない」

 蠍の仲間と言われるのは、屈辱すら覚える。

 

「あいつの欠点は短気なところだ。執念深く追い回すなんて真似は、死んでもしない」

「なら、早々にカタがつきますね」

 フチノベ ミチルは視線を横に向け、何もない壁を睨みつけて、鼻で笑った。

 壁の向こうに、蠍の顔を思い浮かべている。

 この女の言う通り、すぐに決着する。


「なら、こんないい部屋借りる必要ないんじゃ」

「もし俺が蠍に殺されたら、ここにはお前が住めばいい」

「え?」

 フチノベ ミチルはきょとんとした顔で、気の抜ける声を出す。


「あんなボロい家よりマシだ」

 流れで契約した部屋だ。金は口座から黙って引かれていく。自分が死んだ後、誰も解約しなければ、この女が住んでも住まなくても何も変わらない。


 真っ黒な瞳が、ゆっくり瞬きを繰り返す。浅く息を吸い込み、吐く。それから、

「蠍に殺されるって本気で思ってる?」

 言葉にする。


「実際のところ、運次第だ。人体っていうのは、簡単に死ぬ構造をしている」

「やめてよ、そんな風に言うの」

「平和な脳みそでおめでたい」

 この女と自分の価値観が微妙に噛み合わないのは、環境のせいなのか、性格のせいなのか、よくわからない。


「俺もあいつも、命が惜しいと思ってない」

 蠍はいざ知らず、少なくとも自分は狙撃手スナイパーの矜持として、いざとなれば自らの手で死ね、と言われてきた。

「それに、お前はあいつを殺せない。だって、手も足も出なかったんだからな」


 あの夜。

 自分たちがクーデターと言われる作戦に関わったあの夜、この女は、蠍を殺せなかった。

 一年経って、あの時以上に何かができると思っているなら、楽観的すぎる。


 自分が吐き捨てた言葉に、フチノベ ミチルは唇を噛み締め、ぐっと押し黙る。膝の上で握った拳に、力が入っていた。

 反抗的な、怒りを露わにした眼が、自分を睨んでいる。

 やろうと思えば徹底的に感情を排せるはずなのに、ところどころ、こういう不器用さが発露する。

 

 しばらく黙らせて、こちらは燃え尽きた煙草をコーヒーの空き缶に捨てる。

 頭を冷やせるほどの時間を作るつもりで、ゆっくりと新しい煙草に火をつけた。


「ところで」

 ここで話を切り出す。

「何が物騒なものは持っていない、だ」

 咥えた煙草に火をつけながら喋るので、声がくぐもる。


「クガってヤツのところに在庫を移動させたな」

 クガの名前が出ると、一瞬、黒い眼が見開かれる。そして何事もなかったように、元に戻る。

 

「あなたの情報屋さんは、本当に有能だね」

 痛々しい作り笑いをして、女は言葉を続ける。

 

「在庫移動じゃなくて、譲り渡した。私の所有物じゃない」

「詭弁だ」

 すらすらと言い訳が出てくる。よく言えば頭の回転が早い、悪く言えば、悪知恵だけ働く。


「もう一度引き取れるなら、そうしてくれ」

「蠍のために?」

 間髪入れずに尋ねられる。そこまでわかっているなら、話が早い。

 

「引き取ったら、ここの空き部屋に移動させろ」

「得意な銃種は? リクエストがあれば」

 フチノベ ミチルが、すっと真顔になった。リクエストを聞けるほどの種類はあるのだろう。


「何でも構わない。あるもの全て。装備を一から揃える手間と時間が惜しい」

「わかりました」

 自分の回答を聞いて、フチノベ ミチルは小さく一回頷く。


「手放さなかったのは賢明だった」

 目の前を過ぎっていく煙草の煙を眺めながら、独り言ちる。

 フチノベ ミチルが在庫類を処分せず、しかもすぐに取り戻しやすいようにしていたのは、思いがけない幸運だった。


 この幸運が続けば、自分は生き残るだろう。

 続かなければ、死ぬだけだ。


 

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