22.
*
桜はあっという間に散って、だんだん暖かくなって、穏やかな春の夕方。
オープンテラスのカフェにいると、昼間の陽射しの名残を攫っていくような、爽やかな風が吹く。それがとても心地良い。
こんな清々しい空気の日に、何故ここに居るんだろう。
この場所が嫌なんじゃない。だってスタッフちゃんは明るく優しく接してくれるし、みんなかわいい。
このブルーな気持ちは何が原因って、何もかも全部
昨日の夜中に、ものすごく機嫌の悪い状態の梟から電話がかかってきたのが、運の尽きだった。
ベッドの隣のサイドテーブルに置いていたスマートフォンが鳴った瞬間、アユカちゃんは背中に爪を立ててきた。
俺が他の女のコと連絡を取っているのを知っているから、着信音が鳴ると急に殺気立つ。
「電話出ちゃだめ」
吐息混じりの甘え声で、信じられないくらい強い力で体を絡み付けて、俺の動きを封じようとする。そこまで求められてしまうと、こちらとしても目の前のセックスの方が大事なわけで。
そのまま朝方にアユカちゃんを送り出した後、かけ直した。
着信があってから数時間は経過していた。
「ごめぇんね、遅くなった! すぐ折り返そうと思ってたんだけど、なかなかタイミングなくて、本当にごめんってば」
1コールで電話が繋がった瞬間、とにかく早口で謝った。
電話口の梟は煙草をふかしているのか、喋り出すまで数秒かかった。この沈黙が重苦しくて嫌だ。
『セーフハウスを見つけてこい』
「はい?」
それが、夜中に電話をかけてくるほどの用なのだろうか、と思った。
『賃貸でいい。家賃に糸目はつけない。即入居できる、お前が考え得る、最高のセキュリティーの物件』
ここまで限定してくるんだから、何が起きたか察せた。
『その物件の契約が終わったら、スペアキーを当日中に用意しろ』
「それくらい自分でやればいいじゃん」
『
「白々しい嘘を堂々と言うねぇ」
思わず吹き出した。
どうせ咥え煙草で、手持ちの銃器の手入れをして、いつ襲ってこられても対応できるようにシミュレーションしてたのだろうに。
『お前には、白を黒にできるようなコネクションがあるだろうが』
そりゃ、俺は情報屋ですからね。頼られたら悪い気はしませんよ。
「そうは言っても、物件探しに時間がかかるよ。その間は別のホテルで暮らせば」
『分が悪い』
蠍が、梟が好んで泊まるようなハイクラスのホテルで暴れる様を想像すると、最悪の絵面なのは間違いなかった。
「ちなみに、今後ミッチーと暮らすつもりなのか否かで、物件探しの際の間取りが変わるんだけどさ?」
『間取りなんかなんでもいい』
シティホテルの大きめの窓から見た明け方の空は、薄く白んでいて、遠くのものほど見れば見るほど靄がかかっている。
「見てるこっちとしては、蠍とミッチーとお前の三角関係とか面白くてしょうがないんだよね」
『くだらない』
電話の向こうの男は、煙草のフィルターを噛みながら、無意味なやり取りだとうんざりしているのだろう。くだらないと思っているのは俺も同じ。
こうしてくだらない話ばかりしているけど、かけ直すのが遅くなった詫びは、ちゃんとしよう。
「クガの家に、フチノベ母娘が武器屋だった頃の在庫が保管されてるらしいよ」
『クガ。何度も出てくる名前だな』
この反応だと、クガが何者なのか、ちゃんと覚えているのか怪しい。とはいえ、こいつがミッチーに在庫の話をすれば、クガの名前に辿り着きそうだから、放っておいても良さそうか。
『じゃ、午前中に全部終わらせて、終わったら連絡してこい』
「午前中っておい」
こっちが言い終わる前に、電話は勝手に切られていた。
そこからフルスロットルで駆けずり回って、物件探しから契約まで俺の名前で終わらせて。
錠前がカードキーの物件だったから、無理を言ってスペアキーも用意して。
そこまで終わったのが15時過ぎ。梟に電話したら、開口一番「遅い」だった。遠慮を知らない男で本当に腹が立つ。
腕時計に目をやると、もうそろそろ17時になるタイミングだった。
コーヒーカップに残っていた最後の一口を飲み干して、そろそろ席を立つ。
スーツのジャケットを小脇に抱えて、伝票と一緒に、小さな紙袋をレジにいる女のコへ渡した。
「これを、フチノベさんに渡してもらっていい?」
何度か通っていて、この前一緒にご飯を食べに行ったりしたレジ担当のコは、にこやかに受け取ってくれる。
「この前、僕の友達が世話になったみたいで、お礼の品なんだ」
フチノベさんに渡しておきますね、と答えたその女のコに、「ありがとう、またご飯行こうね」と社交辞令も言っておく。
会計を終わらせて、俺の今日最後の面倒臭い仕事は終わり。この後はもともと約束していた女のコとディナーの約束があるんだ。
今、レジを担当した女のコは真面目なコだから、すぐにバックヤードに向かうだろう。
シフトの入れ替わり前の時間帯で、スマートフォンでも弄りながら時間を潰しているじゃないかな。
そこにレジのコが紙袋片手に現れて、
「みちるちゃーん」
「あ、おはよう」
「みちるちゃんが来る前にお客様が渡して行ったヤツなんだけど……その人の友達が、みちるちゃんにお世話になったお礼、って」
それを聞いて、絶対、面食らった顔をしてるはず。
「え」
「時々来る、日本語ペラペラのチャラい外国人。知らない?」
「時々? チャラい? わかんないかも」
「あれ? みちるちゃんがシフトの時には来たことないのかな?
めちゃくちゃ顔が濃くて、とにかくすごいチャラいおじさん。私の趣味じゃない」
「あぁ、なんかわかる。クソ馴れ馴れしいウザ客ってどこにでもいるよね」
カッコよくてスマートな俺の話をされて、そんなイケメンなら会ってみたかった! って悔しがってたりして。
その後、俺がまだ近くにいるはずだと思うはずだから、こんな質問をするんじゃないかな。
「そのお客様が帰ったのって、何分くらい前?」
「10分くらいかな」
ミッチーはそれを聞いて、追いかけようにも追いつく距離じゃないと諦めるんだ。
そして狭いバックヤードで、人がいないタイミングを見計らって、渡された紙袋の中にある、ブランドの箱に入ったプレゼントを開ける。
その箱の中のカードケースに入っているのは、一枚のカードキー。
ご丁寧に住所のメモも入れた。ついでに俺の電話番号も書いておいた。連絡が来たらラッキー、くらいの気持ちで。
どうせミッチーは、見ず知らずの、しかもリエハラシアから来た人間を信用はしないだろうから。
俺に連絡してくるのは、梟が身動き取れなくなった時か、死んだ時。
そのメモを見て、ミッチーは察するんだ。
「”
誰にも聞こえないくらい小さな声で、こんな風に呟いているかもしれない。
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