3. Day 1

17.


「この辺、静かでしょ」

 視線は逸らさず、言葉には感情を込めず、引き金にかける指は、いつでも引けるように。

 目の前の女の佇まいは堂々としている。


「昔から住んでる人が多いエリアで、そこまで栄えてるわけでもない、のどかな町なんですよ」

 耳に当てていたスマートフォンからは、興奮した様子の赤毛の声がまだ響いている。

 母国リエハラシア語。聞こえていたところでわからないだろう。


「ここはあなたの故郷と違う」

『"聞いてるー? 俺、あいつのおかげでさんざんだったんだからね"』

 片方は静かに、片方は喧しく、話しかけてくる。


「こんなところで、サイレンサーのついてない拳銃ハンドガンを撃ち合うのはどうかと思うんだ」

 フチノベ ミチルが言わんとしていることがわかって、お互いに拳銃を持った手を下ろす。

 だが、安全装置セイフティを外したまま、まだしまうわけにはいかない。


「素直に住んでるところを答えたのに、嘘ついてると思った?」

 目の中に宿る、微かな怒りの感情。

 ここで尾行がバレたのは、一瞬生まれた信頼を崩させるのに十分な失態だった。


「どうやって隠れた?」

 音もなく、不自然な位置から現れたのに驚いたと、素直に明かした。

 それを聞いたフチノベ ミチルは、ニコッと笑った。絵に描いたような作り笑い。

 

「かくれんぼは得意なんで」

『誰かと一緒? めっずらしい〜!』

 スマートフォンの向こうの男は、日本語で言う。微かに聞こえただろう言葉の端々から、そこにいるのが誰か、見当をつけたのだ。


「貸してもらっても」

 フチノベ ミチルの、拳銃を握っていない方の右手が、おもむろにこちらへ伸びてくる。

 思わず首を横に振り、身を引いた。

 

「こいつはスコルーピェンじゃない」

『おやおや、取り込み中?』

 含み笑いで、自分とフチノベ ミチルとのやりとりを盗み聞きしている男は楽しそうだ。

 

「あなたの知り合いの情報屋さんかな」

 電話の相手が誰か、見当をつけたのはこの女もだった。


『だーいじょーぶ、下手なことは言わないって約束するから、代わってよ』

 電話の声が漏れ聞こえても平気なように、さっきから日本語で話している。

 この男は、新しい情報源を手に入れるチャンスだと踏んだのだ。


「スピーカーにするから、そのまま話せ」

 音声の入出力をスピーカーに変えて、スマートフォンを自分とフチノベ ミチルの間に突き出す。決して渡しはしない。

 

『ってことで、はじめましてミッチー』

「急にわけわからない名前で呼んできた。気持ち悪い」

 スマートフォンの画面を指差して、フチノベ ミチルは眉間に皺を寄せている。

「仕事はできる。気持ち悪いところには目を瞑れ」

『二人して気持ち悪いの連呼はひどくない? あのさ、君の母親を撃ち殺した男の話は、お隣のむっつりエロ野郎から聞いてるよね?』

 この男に、むっつりエロ野郎呼びされている。はらわたが煮え繰り返りそうだ。奥歯を噛み締め、怒りを耐え忍ぶ。


「"蠍"」

 蠍と呼ぶ時のフチノベ ミチルの発音は、自分たちと遜色ないくらい綺麗だった。

 

「あと、あなたの知り合い、むっつりエロ野郎って呼ばれて、ブチキレそうな空気出してる」

『今度奢るから許してってば。

 なんだ、サヴァンセってばペラペラ喋ってんじゃん。その蠍が俺のとこに来たのよ、さっき』

「それは殺し損ねた私を探しに?」

 そう答えたものの、釈然としない様子で少し首を傾げている。


『あいつはミッチーに用はないよ。用があるのは君の隣のヘビースモーカー。あんな美形に愛されてて、羨ましい限り』

 電話口の声は笑いを嚙み殺している。

 

『あいつ、俺のとこへ真っ先に来たと思ったら、いきなり刺そうとしてきやがって。

 そんで何て言ったと思う? "サヴァンセはどこ"だよ? 俺、完全にとばっちり』

 フチノベ ミチルは黙って虚空を睨んでいる。重い溜め息をついて、早口でペラペラと喋り続ける男に言う。

 

「それで蠍はそのまま野放しか。この役立たずが」

『俺、お前みたいに喧嘩強くないから仕方ないじゃん。で、蠍に会ったらどうするつもり?』

 したり顔をしているであろう男は、日本語で聞いてくる。

 フチノベ ミチルにもわかるように日本語で返事をしろ、という意味か。


 そこに関しての答えは明確だ。生かしておく理由がない。答えようと口を開きかけた瞬間、

『君に聞いてるんだよ、ミッチー』

 問いかけは自分へではなく、フチノベ ミチルへのものだと知って、黙る。


「その馴れ馴れしい呼び方をやめてくれたら答えるよ」

 それを聞いて、電話の向こうからクスクスと低い笑い声が漏れてくる。

 

 女は虚空を睨みながら、口元に笑みを浮かべている。お互いに人を食ったような態度をするところ、似た者同士だ。

 

「あなたの名前は?」

『シャヴィニルイツ=エンリ・ガイツィナロクナフ』

 そういえば、こんな長い名前だった。遥か昔に聞いたはずだが、こいつを本名で呼ぶ機会など、一生ないだろう。

 

「なっがい名前」

 そう言いながらフチノベ ミチルは少し驚いた表情を浮かべて、すぐに真顔に戻った。

 

『だからリーシャでいいよ』

「リーシャ?」

『"リーシャロ"ってコードネームだったの』

 狐。

 自分と同じ部隊で諜報担当として活動していた頃のコードネーム。


「本名よりコードネーム呼びの方がいいの?」

『慣れてるからね。そっちの方が反応早い』

「本名、長くて覚えてもらえないしね」

『そうそう、俺も本名の綴り間違えちゃう時あるよ』

 狐はこういう意味もない軽口を、会話の流れに挟み込む。

 

 目の前の女は、スマートフォンの画面に向かって鼻で笑う。

『梟もコードネームしか言ってないでしょ』

 すぐにフチノベ ミチルはこちらに視線をやり、小さく笑う。

 

「そう言えばそうじゃん」

 自分の場合、狐とは事情が違うのだが、ここでわざわざ説明するまでもない。


「で、シャロちゃん、質問なんだっけ? あなたたちの昔のお仲間さんに会ったらどうするか、だよね?」

『そう。ちゃん付けしてもらえるなんて嬉しい! 仲良くなれたね!』

「いや全然仲良くなってない。蠍と会えたら、殺すつもりしかないよ」

 のんきなやり取りの合間に、さらっと回答が挿し込まれる。

 

『殺すの、へぇ』

 電話の向こうは、くつくつと押し殺した笑い声を漏らして楽しそうだ。

 

『残念だけど、君の手に負える相手じゃないし、どうせ梟が出しゃばらなきゃいけなくなるんだよ? あいつは人の話聞くタイプじゃないし、人と話をするタイプでもない』

 その言葉を聞きながら、フチノベ ミチルは拳銃ベレッタ92を腰に挿す。

 それを見て、やっと自分も拳銃P226をしまう。


『日本でそんな大暴れされちゃうと面倒臭いことにしかならないから、君と蠍が出会うのは避けたいな〜とは思うわけ』

「それは無理」

『あっさりばっさり』

 子供同士の悪ふざけみたいな会話が続く。

 かたや自分は、やっと煙草に火をつけるタイミングができて、ほっとしている。


「私は、あいつと話したい」

『だって。梟、どうする~?』

 煙草の煙を吐き出しながら、墓場でフチノベ ミチルと狐が電話越しに喋っているという光景を俯瞰で眺めていたところで、急に話を振られる。


 フチノベ ミチルは嫌なものでも見るような眼差しで、スマートフォンの画面を見つめている。


「そうやっていちいち絡むのは、私が蠍に潰されるのを見たいから? 悪趣味だね」

『んー? 梟と蠍の潰し合いが見てみたいから?』

「本当に悪趣味」

 狐と完全に打ち解ける前に、狐の腹黒さがフチノベ ミチルに伝わったみたいで安心した。


 これ以上話したところで、狐にこちらの情報を吸い取られるだけだ。

 スピーカーを解除して、スマートフォンを耳に当てて喋る。

「"蠍に、余計なことは喋ってないだろうな"」

 顔を曇らせている女にはわからない言語で、狐に尋ねる。情報を売るのが、今のこいつの生業だ。

 蠍にペラペラ話していても不思議はない。


『"してないよ。俺、あいつ嫌いだし"』

 相手もまた、故郷の言葉で返して来る。

 蠍にこちらの情報を流していても、流していなかったとしても、こう言うはずだ。信用ならない。

 狐はまだまだ話し足りないらしく、はしゃいだ声が聞こえてきたが、何も言わずに通話を切った。


「サバちゃんの本名は?」

 スマートフォンをボトムスのポケットにしまっていると、掌に四角いチョコレートの包みを乗せた女の手が差し出された。


「記録が残ってない」

 欲しいわけでもないのに、受け取らざるを得ない流れに釈然としない気分にはなったが、とりあえず受け取った。


「孤児院で適当に名づけられた名前しかない。コードネームの方が馴染みがある」

 チョコレートの包みを開けていた女の手が、ピタッと止まる。

 

「俺と同じくらいの世代は戦災孤児ばかりだ」

 何と答えるべきか逡巡している様子で、フチノベ ミチルは黙っている。

 

「……孤児院では、なんて呼ばれて?」

「忘れた」

 咥えていた煙草の灰をアスファルトの上に振り落とす。


 軍に入隊した時から、孤児院でつけられた名前では呼ばれなくなった。教える意味はない。


 会話が途切れたところで、改めて周囲を見回してみる。

「ところで、お前の家はどこだ」

 当初の目的は、フチノベ ミチルが実際に生活している住居を特定するためだった。

 この女が何を考え、どう行動するかによっては、事前に住処を特定しておくのが重要だと思ったからだ。


「マジで家に来たかったんだ?」「違う」

 フチノベ ミチルは、こちらの意図は理解しているだろうに、知らぬ顔をする。そして、体ごと傾けて、ある建物を指差した。

「あそこです。上がります? 来ても何もないけど」

 黄土色の古ぼけた壁の、二階建て集合住宅。木製ドアで、簡単に開錠できそうな錠前。

 周囲の建物の中でも古さが際立っていた物件だ。


「あの建物に? 正気か?」

「二階の一番奥の部屋。駅まで徒歩10分、家賃格安、室内に洗濯機置き場、バス・トイレ付き2万円」

「正気じゃなかった」

 フチノベ ミチルが言う部屋は、ポストにチラシや郵便物が溢れている部屋の真上にある。

 

 いくらなんでも、どうしてそんな物件に住もうと思うのか。

 何を考えているのかわからない、何も考えていないのかもしれない。

 今日だけで普段の何十倍の濃さの時間が流れていて、頭が痛くなる。

 

「俺は今度こそ本当に帰る」

 フチノベ ミチルに背を向けて、来た道を戻ろうとした瞬間、シャツの袖をしっかりと掴まれる。布越しとはいえ、突然触れられた手の感触に驚いて、反射的に振り払おうとした。


「蠍が来たら」

 淡々とした口調で囁くような声。

 ひんやりとした黒い眼と視線が絡み合って、振り払おうとした手の動きを止める。

 

「すぐ教えて」

 わざわざ自分を追ってここまで来た、あの綺麗な顔の男と出くわして、そんな悠長に対応できるかと言われると、怪しい。


 なるほど、自分と蠍の潰し合いとは言い得て妙だ。

 狐に言われた言葉が、いまさら面白くなってしまい、口元が緩んでしまった。


「生きてたらな」

「わぁ、やっぱ笑うと不気」「黙れ」

 この女、失礼にも程がある。


 

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