16.

         *



 自分の分の食事代はしっかり払ったし、1円たりとも奢らなかった。


 今日行ったチェーン店の焼肉屋はフチノベ ミチルのアルバイト先の最寄りの店舗だったそうで、会食後はそのまま駅で別れた。


 それぞれのホームに向かう際、フチノベ ミチルから聞き出したのは、今住んでいるところの情報。

 知らない名前の街の、徒歩10分くらいの場所にあるアパートが住まいだと言っていた。


 今日は楽しかったです、と言い、フチノベ ミチルはヘラヘラと笑って去っていく。

 

 フチノベ ミチルが乗る路線のホームと、自分が乗る路線のホームは隣同士だ。つまり、向かい側のホームを凝視していれば、どこかで電車を待つ姿を視認される。

 フチノベ ミチルが乗る電車は自分が乗る電車の一分後に出発する。


 だから一度、ホームで電車を待つ姿を見せておく。

 窓がなく、向こう側から死角になる座席を探し、座る。

 そしてすぐに席を立ち、すぐさま車両から降りる。

 降りた瞬間が目撃されたら元も子もない、視線を一瞬、向かい側にやる。フチノベ ミチルの視線は、手元のスマートフォンに向いていた。


 この隙に、向かい側のホームに移動する。

 駅構内に、電車が進入する轟音が聞こえてきた。足早に構内を歩き、停車するのを確認してから、ホームに繋がる階段を駆け足で上る。


 細心の注意を払い、気配を殺して、極力目立たないように、フチノベ ミチルが乗った車両の二つ隣の車両に乗り込んだ。


 降車駅は聞き出した駅名と一致していた。フチノベ ミチルが言った言葉は、嘘ではなかった。


 フチノベ ミチルは改札を出て、アーケードのある商店街を歩いている。

 21時過ぎ、シャッターが閉められた店が大半で、帰り道の通過場所として通り過ぎているようだ。

 時間帯のせいで人通りは多くなく、尾行に気づかれないように身を隠すのに、苦労する。


 商店街を抜けた後、小さいコンビニエンスストアに寄って店内をぶらつき、何も買わずに出てくる。そこから数分歩くと踏切がある。

 フチノベ ミチルが踏切に辿り着いた瞬間、遮断機が上がった。そのためにコンビニエンスストアで時間調整をしたのか。

 

 ブロックの玩具のように、民家と民家が隣り合って建ち並ぶエリアにさしかかり、人気ひとけはついになくなる。


 フチノベ ミチルが急に振り返る素振りを見せたので、咄嗟に隠れた。


 自分が身を潜めたのは、民家ではなく、背の低い石のモニュメントがいくつも並ぶ、コンクリート舗装の場所だ。これは日本の墓地の様式。

 墓石の影からフチノベ ミチルの姿を確認したが、そこで見失った。


 尾行に気づかれていたのか、家に着いたのか。


 墓地の真向かいに、黄土色の古ぼけた壁が特徴の、二階建て集合住宅がある。

 6戸ある部屋の中で1戸は、空き家なのか住人が留守なのか、チラシがドアについたポストから溢れ出ていた。

 その集合住宅のドアは木製で、知識と道具があれば簡単に開けられそうな錠前が一つだけ。

 若い女が住むにはセキュリティーが甘すぎる。


 ボトムスのポケットに入れていたスマートフォンが震え出し、即座に手に取る。

 表示された番号を見て、舌打ちしたいのを堪えた。即座に応答を拒否した。


 周囲を注意深く見回しながら、フチノベ ミチルが進んだ方向を推理するが、スマートフォンは応答を拒否しても何度も震え出す。何度も何度も。

 

 墓地に隠れて周囲を確認するまで、たったの一、二秒だ。なのに何故、どこにもいない。

 

 墓地から歩道へ戻り、フチノベ ミチルが振り返る素振りをした位置を再度確認する。

 墓地と集合住宅を隔てる、車一台が通れるくらいの道の真ん中だった。

 

 スマートフォンはまた震える。

 今日は追跡を諦めた方がいいのかもしれない。追跡ならこの男にやらせる方が、自分よりも正確だ。


 震え続ける電話の相手の顔を思い出しながら、応答ボタンをタップする。


『ねぇちょっと聞いて聞いて‼︎』

 スマートフォンを耳に当てるなり、はしゃいだ赤毛の男の声が聞こえてきた。


「うるせぇな、何だ」

『何故か俺のところに、蠍が会いに来た』

 舌打ちが出た。

 

 情報屋の言葉に心底嫌気がさしたのもあるが、

うちに来たかったなら、そう言えばいいのに」

 追っていたはずの女が、自分の背後にいたからだ。

 

 そして、自分の背中に当たっているものが何か、簡単にわかったからだ。


 振り向きざま、スマートフォンを持っていない右手に、ウエストに挿していた拳銃P226を握って安全装置セイフティを外した。


 向かい合わせでお互いに銃口を突き付けあう絵は、滑稽だといつも思う。

 こうなるくらいなら、引き金を引けるチャンスがある時に、さっさと仕留めておくべきだ。


 スマートフォンの向こう側はこちらの状況など露知らず、テンション高く話を続ける。

 

『お前のところにも来たりして! 面白いね‼︎』

「誰と話してる?」

 情報屋とフチノベ ミチルの声が同時に重なった。

 瞬きもせずにこちらを見つめてくる真っ黒な瞳は、一年前、蠍に向けていた眼と同じ温度をしている。



 

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