10.

         *



 今夜最初に口にした料理は、挽肉と蕪をとろみをつけたスープで食べる、とても慎み深い味付けの料理だった。


「そうそう、あのコが働いてる表参道のカフェ、俺この前行ってみたんだけど」

 この味わい深い料理を、この雑音みたいな喋りを隣で聞きながら食べているのがとてももったいない。


「あ、大丈夫だよ、あのコのシフトが休みの時に行ったから、顔合わせてないよ」

 何回も巻かれた薄黄色の玉子は仄かに甘いが、料理の味を邪魔をしない。料理と言うものには、ある一つの完成された数値に到達するための、足し算と引き算がある。


「んで、そのカフェ、値段高いだけで味はフツー。まぁ、かわいいスタッフばっかりで楽しかったけどねぇ。かわいいコを集めるには人件費ケチれないってことかなぁ」

 右隣で怒涛の勢いで喋り続けている男は、こちらが食事に集中しているのに、一切お構いなしだ。

 

「それはいいから何の用で呼びつけた」

 わざわざこちらの気を引くためにしてきた話など、聞いても仕方がないから本題に戻してやろうとする。


「これは今後どう関わりが出てくるかわかんないけど、そのカフェに公安の人間も偵察に来てた。俺じゃなくて、あのコの様子を見にね。きな臭さが半端ないなぁって思った」

「揚げ出し豆腐が不味くなる前に、本当に言いたい用件を言え」

 揚げ出し豆腐の外側のパリッとした食感は、出汁と醤油のソースにふやかされて冷めてしまうと台無しだ。


 完璧な計算は、構成する要素の一つでも狂えば破綻する。これはすべての物事において同じ。


「日本人の商売ってさ、おもてなし精神って言うのかな、相手の心をくすぐるのが上手いよね」

 確かにこうして食卓に並ぶ料理を見れば、器であったり、食材の色味であったり、盛り付けも凝っているのだろうと思う。

 それを完全に理解出来るほどの美的感覚は持ち合わせていないが。

 

 口煩い男は、こちらの皿を覗き込んで、唾を飛ばしそうな勢いで言う。

「あの美味くも不味くもない飯ばっか食わされてた頃と比べたら、今めっちゃ充実してるよねぇ」

 この男はこう言うが、料理の上手い教官がいた頃の食事は悪くなかった。

 ただ、故郷の料理の味付けが、自分の口に合わないのだろう。

 

 量が食べられないから、美味くても腹の足しにはならなかった。腹を満たすだけなら、レーションを食べている方がマシだと思ったほどだ。

 

 だが、この国の食事は美味い。味付けが自分好みだ。


「まぁ、要するにさ、俺の勘だと」

 何かを思いついたような顔をして、隣の男はわざとらしく"勘"だの言い出すが、

「お前は勘だのみで話をしない」

 自信ありげにニヤリ、と笑いかけられる。勘なんて嘘だ。

 

「俺たちを嗅ぎ回ってんの、クガの手下だね」

「クガ?」

 一体誰だったか思い出そうとしてみたが、断念して揚げ出し豆腐にフォークを刺す。

 

「有名なジャパニーズマフィアの幹部。凶暴で怖いって評判の」

 赤毛の男の話から、記憶から名前と情報を一致させる。勝手に盛り上がっている男は、なおも話を続けた。

 

「前に話したじゃん、フチノベ ミチルの保護者みたいな存在」

「さぁ。思い出せない」

 言葉とは裏腹に、頭の中ではだんだんと点と点が繋がる。

 クガの名前を聞いたのは、他でもない。「フチノベ ミチル」の話を聞いた時に出てきた名前だ。


 揚げ出し豆腐の衣のサクサクした表面の食感と、豆腐の優しい質感、だしの味付けの存在感が完璧で、この完成度には恐れ入る。


「あの母親……フチノベ ユウコがクガの元恋人だったな。その繋がりで世話になってるのか」

 推察するからに、フチノベ母娘は、件のジャパニーズマフィアとは随分と親密な付き合いだったようだ。

 母親の元恋人として接しているが、本当の関係性は実の父娘か?


「ま、実際には、彼女はクガの世話にならないで頑張ってるみたいだけど」

「その、クガってヤツの手下が何故うろついてる」

 また話が横に逸れそうなので、話を最初に戻す。

 

 わざわざ、このわけ知り顔で面倒臭い赤毛の男がコンタクトを取った理由は、この話をするためだ。

 

「そりゃー、俺たちが気になるからでしょ?

 うっかり母国語で話してるのを聞かれちゃったんじゃない?」

「こんなマイナーな言語なのに、よくわかったな。その解析力は褒めてやりたい」

 リエハラシアは、対外的には英語かロシア語を使うが、普段の気の置けない同士の話はリエハラシア語を話す。例えば、今みたいに。

 

 同胞のみで使う言語であるがため、自国以外での認知度はかなり低い言語だ。

 それをよくリスニングして判別できたものだと思う。


「そのクガが動いてるってことは、あのコも絡むのねぇ」

 ちら、と赤毛の事情通はこちらを見る。

 

「茄子の漬物美味いぞ」

 茄子の浅漬けと呼ばれる漬物が入った小皿を目の前に差し出すと、あからさまに顔をしかめた。

 この男は茄子が嫌いだ。それを知っていてやる、おとなげない軽い嫌がらせだ。


「さすがにまだ、ジャパニーズマフィアの幹部クラスとの関係構築はできてないのよ」

 こう振ってきたのは、今回は協力しない、と言いたいのだ。皆まで言わなくともわかるが、律儀に言葉は続いた。

 

「こうやってお前と一緒だと、クガに探られたくない腹を探られる羽目になりそうだから、しばらく大人しくしとこうか」

「その方がいいだろうな」

 こうなるのは想定内ではある。そのリスクを考えず、日本には居られない。


 無意識に胸ポケットの煙草に手を伸ばすが、昨今のご時世、煙草はどこでも吸えるものじゃなかった。

 

 目の前の男は、グラスの脇に置いたスマートフォンが画面を光らせて振動するのを見て、手に取る。

「あ、ユイちゃんだ♪」

 楽しそうに口笛を吹いて、震えるスマートフォンを眺めている。コールすれども繋がらない電話に、相手はもどかしい思いをするだろうに。

 この前はアリサ、前の前はアイミ、今日はユイ。こいつにとっては"金はかかるが楽しいゲーム"だと。

 

 本人は至って楽しそうだが、傍から見れば、スケジューリングに四苦八苦しながら、代わる代わる相手している姿は到底理解できない。


「一人は退屈でも気楽でいいでしょ?」

 いつも誰かを侍らせている男に言われるのは癪だったが、一理ある。素直に頷いた。

 一度切れて、また鳴り出したスマートフォンを手に、帰り支度をしているくせに財布には手をかけない男を見て、今日は情報料として奢らされる羽目になる、と思った。


「そーだ」

 揚げ出し豆腐に舌鼓を打っていると、不意に間抜けな声を出される。

 

「何だよ」

「クガには息子が居るんだけど、今日彼女と会ってたよ。そんで、この店のショップカード渡してた」

 それを聞いて、赤毛の男を思わず舌打ちして睨んだ。


 この男が本当に伝えたかったのは、「この店に通っているのが、クガにバレた」だろうに。勿体ぶって、芝居がかった素振りをする。


 そういうところも含めて、この男が嫌いで嫌いで仕方ない。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る