1. The die is cast

9.

         *


 

 玖賀くが 愛人まなと

 愛人と書いてマナトと読む少年は、駅ビルに直結したカフェのカウンターから外を眺めていた。


 両親曰く、人を愛する心を大事に、という思いから名付けられた名前なのだが、字面が字面なのでマナト自身は色々な場面で辟易している。


 待ち合わせ相手の、十年来の幼馴染はなかなかやってこない。

 

 マナトのすらっとした鼻梁。綺麗な二重。猫のようにくりっとした大きめの黒目。

 俳優の誰々に似ている、アイドルの誰かしらに似ている、とひそひそ言われるのはいつもだった。


 そんな周囲の浮ついた雰囲気を察知した件の幼馴染が、「身長さえ足りてれば芸能界行けたかもね」と場の空気を一瞬で冷やすのが、毎回だった。


 マナトは残念ながら、身長が同年代の平均より少し低い。

 相反して、幼馴染は同年代の平均どころか日本の成人男性の平均身長より5cmほど高い。

 マナトはこれまでも今でも、幼馴染の背に追いつけた記憶がない。


 そんな幼馴染が無表情で、青信号になった横断歩道を渡ってくる姿が見えた。


 170cm後半の長身に、すらりと伸びた手足。腰の辺りまでの長さの真っ直ぐな黒髪と、切れ長の眼。


 人目を惹く容姿ながら、強い意志を感じさせる足取りで進む姿は、軽々しく声をかける隙を与えない。


 こちらを見た幼馴染に、窓越しに手を挙げて合図すると、無表情で小さく手を振り返してきた。


 数分しないうちに、コーヒー片手に幼馴染が現れた。

「バイト長引いちゃって、ごめんごめん」

 そう言いながら、幼馴染はマナトの左隣のスツールに腰掛け、荷物とコーヒーをカウンターに置く。

 

「表参道のカフェの方?」

「いんや、今日はレトロ喫茶店のホールのバイト」

 幼馴染は毎日、何かしらのバイトをして暮らしている。まるで、止まったら死ぬマグロみたいに。


 幼馴染とその母親が、名前が長くて聞き馴染みのない国に出かけて行って、テロか何かに巻き込まれたと聞いたのは去年の話。

 無事に帰ってきたのは、この幼馴染だけだった。


「香水つけ過ぎだから控えろって毎回言ってんのに変えないね」

 そう言って笑いながら、幼馴染はマナトが被ったベースボールキャップの鍔をグイッと押し下げる。

 

「これでも控えたっつの」

 つける香水の量を控えたはずなのに、それでもまだ幼馴染から指摘されてしまう。


「ほら」

 帽子を直しながら、マナトは人差し指と中指で挟んだ和食料理店のショップカードを突き出した。

 

「例のエリ? エリンドリア? の人間がよく来てる和食屋だと」

「リエハラシア。新しい名前の国を爆誕させるんじゃないよ」

 マナトがうろ覚えの国名を言うと、すかさずツッコミが入る。

 

「創作割烹なんだ? また渋いセレクトを」

 幼馴染はショップカードを両手で持って、興味深げに見る。

 

「和食に食いつく外国人は多いじゃん」

「あぁ、ねぇ」

「裏取りすんの、クッッソ大変だったんだからな。エリンラシアなんてマイナーな国の言葉なんてわかるヤツ、ウチには居ねぇから」

 そう言いながら、マナトは温くなったコーヒーに口を付ける。

 

「国名覚える気が全くないね」

 それでもわずかながら、マナトの言い間違えは正式名称には近づきつつあった。


「ホントに情報ありがとう。手間かけさせてごめん」

 そして幼馴染は真顔に戻る。

 

「おいくらになるの?」

 マナトは鼻で笑って、面白おかしく聞こえるように言う。

 

「俺はオヤジから聞いた話をボヤキにきただけだしぃ、金もらう義理なんかねぇから」

 情報は売買するもの。

 だがマナトは一人でボヤいているだけだと言い張る。

 

「玖賀パパはいつも優しいね」

 マナトの父親は関東一円で最大勢力のヤクザの若頭。それに見合うように、面倒見のいい、気遣い屋の男だ。

 

「たまには顔出せよ。オヤジもオフクロも心配してっから」

 元々、マナトの父親と幼馴染の母親は"商売柄"付き合いがあり、家族ぐるみで交流していた。

 母親を亡くした幼馴染と入院したままの父親の行く末を案じているのは、マナトだけではなくマナトの両親もだ。


「みちる」

 幼馴染の名を呼ぶと、相手は手にしたショップカードの裏面を見つめているところだった。

 

「そろそろ本当のこと言えよ。何が起きた」

「何って?」

 幼馴染は、マナトと視線を合わせないために、ショップカードの裏面から視線を逸らそうとしない。カウンターに無造作に置かれたスマホをかざして読み取りもしないくせに、QRコードの模様を見つめ続けて。


優子ゆうこさんのこと」

 マナトは自分の家族同様、幼馴染の母親も名前で呼んでいた。その名前を出すと、幼馴染は薄く笑った。

 

「それはだね、マナトくん」

 貼り付けたような笑みを浮かべた幼馴染はマナトを見ている。氷を投げつけられるような視線に、マナトは思わず視線を下にやる。

 

「教えて欲しいのはこっちなんだよね」

 幼馴染がリエハラシアから帰ってきて、一番変わったのは、誰に対してもこんな眼をするようになったところだ。

 

「はいはい、絶対言う気ないのな」

 幼馴染は営業スマイル全開で、人に見えない壁をしっかり作るようになった。

 マナトは幼馴染の隣に居ながら、全く埋まらない距離を思う。


 

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