8.
*
国境検問所のゲートは、車両用と歩行者用の二つある。車のライトが検問所を照らすと、ゲートに付属した詰所の人影が動いた。
夜の検問所を通る人はまばら、車は自分のものだけだ。
つい先日、周辺で市街戦があったばかりなのに、クルネキシア側の検問所の担当官は、湯気を立てるマグカップ片手に悠然と歩いてくる。
のんきなものだ、と思う。戦闘に巻き込まれたらどうにもならない、ともはや諦めてでもいるのだろうか。
仕事でリエハラシアに来ていた日本人を連れている、安全に日本へ送り届けるために付き添いしている通訳だ、と事情を話した途端、担当官はこちらを値踏みするような視線を向ける。
リエハラシアからクルネキシアに逃げたい、というシンプルなものではなく、イレギュラー対応が必要になる。
そこで担当官は賄賂の額を計算しているのだろう。
思っていたよりは安い額を提示されて、ラッキーだと思いながらも、表情は渋々といった感じを出して、ボトムスに突っ込んでおいた札束を渡した。
自分とこの女は一介の民間人だと信じ込ませて、ここは切り抜けたい。
担当官は札の枚数を数え終わると、心なしか身軽な足取りで詰め所に戻っていく。電話片手に喋っているのが見え、日本大使館に連絡しているのだろうと悟った。
となれば、もう終わりだ。
「“検問所で身元確認が終わったら、あとは大使館の指示に従え”」
女がゆっくりとこちらを向いた。何か言いたげだったが、黙ったままだ。
もう一度、詰所から担当官が出てくると、助手席の窓を叩いた。
女が窓を開けると、担当官が英語でパスポートの提示を求めた。
言われた通りにパスポートを出し質問に答えているのを、他人事のように眺めているしかなかった。
あっさりとした身元確認の後、日本大使館に連絡をするから詰所で待つように、と言われた女が、車を降りようとドアに手を掛けたタイミングで声をかけた。
「“あとは一人で平気か?”」
「“うん。ありがとう”」
作り笑顔なのがバレバレだったが、にっこり微笑んで女は車を降りた。
担当官には、自分がクルネキシアを通過して第三国へ行こうとしているなどと伝えていない。
女の対応に手間取っている間に、さっさと逃げる算段だった。
アクセルを踏み込んで走り出すと、検問所の担当官たちが慌てて追いかけ、発砲してきたが気にせずに走る。
最後に背後を確認すると、女がこちらに向かって大きく手を振っていた。
「ありがとう」
声は聞こえなかったが、口の動きでわかった。こちらの言葉で、はっきりと。
心もとない旅路なのはお互いさまで、せめて大使館職員が来るまで付き添ってやれば良かったかと思った。
しかし、自分がこの女の助けになれるわけではない。
ここから先は、自分が生き延びるために精一杯だ。
粉雪の舞う国境を越えて、道とは思えない道を走りながら思った。
これが、自分の人生で最後にもらう、感謝の言葉だったのだろう、と。
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