第4話 開始
「あ、来た」
誰かが言うと、半分うたた寝していた中でも冷や水をかけられたかのように立ち上がる。仕事の時間だ。食器乾燥機の中で横たわっているシチュー鍋とは違う時間が始まる。
まるでスーパー戦隊が秘密基地から出撃するように、私たちは装備を固める。
「何匹?」実りが尋ねてくる。
「未確定。でも、分布図からして数は多くないと思う」
運動靴へ履き替えた聖名はこちらを振り返った。
「陣形はどうするの? いつも通り、雨ちゃんと栞ちゃんが前衛で対処していく感じ?」
「たぶん」
私は秀次院先輩に水を向けると、彼女はノートパソコンを閉じてから答えた。
「葛城の言う通り、普段通りで行こう。幸いにも場所は山間部だ。普段は登山道として解放されているエリアだが、鬱蒼と雑木林が広がっているため遮蔽物も多い。万が一に備え、退却を報せる信号弾だけは意識してくれ」
「了解でっす! 雨ちゃんに任せてください!」
そうして先輩は懐に信号弾を抱え込むと、実るから渡してもらったそれを受け取り私も倣った。他のみんなも同様。
これは現在の戦力では対処しきれないヴィランと会敵した際、用いるためのものらしい。烏丸財閥が開発に関わっているらしく、魔法少女へ変身してもスマホや制服みたいに一時的になくなったりせず、手元に置いておける。
とはいえ記憶している限りでは数えるほどしかしようしていないし、その数少ない使用例でも陣形や戦術を変えて対処できている。
ゲーム説をまだ推すにしても、全滅ENDが発生するまでしばらく期間はある。少なくとも今日は大丈夫なはずだ。
よし、いける。
「栞ちゃん」
聖名に向けて私は首肯した。
「うん、行こう」
軽く念じると、目の前にぼんやりとした鍵のシルエットが出現する。それを強く掴み取ると、手首に鍵穴のような刻印が出現した。
ゆっくりと、それを差し込む。神経を通じてスパークが走ったかのような感覚の後、私たちは詠唱した。
「──BLAST.」
青白い炎が部室を照らした。
隊列を意識しながら屋根伝いに駆けっていく。
ぐんぐんと加速は増していき、景色が線となってはるか後方へと消えていく。気圧の壁を打ち破っていると、まるでF1カーになったかのような錯覚すら抱いてしまう。人間では到底味わえない感覚だ。
やがて住宅が少なくなると地面に降りてから、勢いを殺さずに走り抜けた。
そうして出撃から数分で到着する。山間部の入口を示す看板と、落ち葉が積もった開かれたそこには、見慣れた光景が広がっていた。
四足歩行のヴィランは非常によく見掛けるタイプで、これといって警戒すべきこともない。強いていうなら数が非常に多いくらいだが、見る限りその強みも活かせていないようだった。
「隊列」
私が言うとみんな即座に散会する。隣に大剣を構える雨ちゃんがドヤ顔のまま立っていた。
背後には実りと実るが控え、聖名と秀次院先輩の配置は鳥の翼のようにその左右にある。それぞれの魔法の特性を考慮した戦列だ。
とはいえ油断は禁物。例えば雑木林から援軍が出てくるかもしれない。
「栞ちゃん」
聖名が問う。私は頷いた。
「戦闘開始!」
次の瞬間、ヴィランの一体を矢が貫く。貫通でも殺せなかった勢いのまま樹木に突き刺さり、バタバタともがいてから動かなくなった。
聖名は既に次の一射を番えていた。
こちらに気づいたヴィランたちが泡を食ったように飛び掛かってくる。土もろとも落ち葉を巻き上げながら向かってくるそれを見遣って、雨ちゃんは不敵に笑った。
「い・き・ま・す……よォっ!」
剣を蹴り上げるようにした雨ちゃんは、まるでステップでも踏むようにヴィランの側面へ回った。ざっと足音が響く。瞬きを終える頃には、大剣の遠心力を利用した一打がヴィランを腹部から切り裂いていた。黒い霧が溶けていく。
その背後から、じぐざぐとした軌道を描いて飛び掛かる一体がいる。
「お姉ちゃん!」
「ええ」
それに対応したのは烏丸姉妹だった。
実るが指を鳴すや否や、場違いなプロペラモーター音が響き渡る。かつて第二次世界大戦で大日本海軍の技術の粋を集めたとされる、戦闘機。映画の題材とされたことで、一躍認知度を上げたそれ。
零戦だ。不可視の空母から無数の飛び立っていく。
「バフいくよぉっ!」
実りが手を掲げた刹那、ミニチュアサイズのそれらの動きが急激に加速した。残像すら見える速度で飛び回りながら、雨ちゃんの頭上を取っていたヴィランは瞬く間にぐちゃぐちゃになる。
そんな顔の横を、鋭い一発が通過する。擦過傷すら残しそうな速度で放たれた弾丸は、距離の空いていたヴィランの一体を木っ端みじんに吹き飛ばした。
「よし」
コッキングハンドルを引きながら秀次院先輩が肯ずる。吐き出された空薬莢は、地面に着く前に溶けた。膝をついて長大な銃身を支たまま、先輩の眼光はスコープから次なる獲物を索敵していた。
私も続く。
奥から這い出てきた一体に狙いを定め、まずは右手で空気を凍結。この間合いなら短剣がいい。
次いで恐らく両足を伸ばして反撃の姿勢を整えるだろうから、左手から氷の針を発したして前足の破壊を狙う。
「──はァ!」
かくして私の目論み通りに事は運び、振り下ろした刃はヴィランの頭部を真っ二つに引き裂いた。
羽虫のようなそれらは風に乗って消えていき、後には沈黙だけが残った。
「もういないよね?」
実りが問う。落ち着きのない彼女はキョロキョロと見回していた。
定石通り周囲に神経を尖らせて後続の警戒を試みるも、あるのは少し肌寒くなってきた秋の風だけだった。
……状況終了だ。
「終わりかな……」
私が言うと、張り詰めていた空気が一気に弛緩した。とはいえ変身は解除しない。ここから学校まで歩いて帰ると睡眠時間を確保できない。
「ほらな皆代」秀次院先輩は優しく微笑んだ。「何もなかっただろう」
「ええ……。正直、拍子抜けでした。悪夢だったみたいです」
「不安になるのもわかる。気にするな」
みんなも同じような表情をしてくれていて、またしても格好悪いところを見せてしまいそうになる。存外私は涙もろいのかもしれない。
「ほら栞ちゃん。帰ろ?」
聖名が手を差し出してくれたから、私はそれを握った。
瞬間。
聖名が飛び散った。
比喩じゃなくて頭部に大穴が空き、そこを起点にして頭が破裂する。脳漿やら眼球やら視神経やらが私の顔に飛んできて、口の中に血の味が湧く。現実がスローモーションになった。私は大切な女の子の顔面が割れていくのを、ゆっくりと眺めていた。
「み、な?」
バタリと頭だけなくなったものが、倒れ伏す。魔法少女のコスチュームが解除されて、学生服の亡骸が枯葉の中に埋まっていた。
「──皆代ォ! 離れろォ!」
秀次院先輩に強引に手を引かれると、さっきまで私が立っていた位置を飛来した何かが穿つ。それは人差し指ほどもある鉄の針だった。熱されているのか、赤熱して煙が上がっている。
「皆代! 撤退だ! います──ぐっ!」
武器を撃たれた先輩は、そのまま私を強引に突き飛ばす。
「走れ! とにかく走れェッ!」
針の雨に撃たれた彼女の肉体はボロ雑巾のように消し飛んだ。だってそこには血痕すら残らないまま、大量の肉片となって飛び散ったのだから。
「……くっ!」
理解すら追いつかないまま、私は先輩の檄に押し出されるようにして走り出した。背後では、実ると雨ちゃんらしき肉の塊が飛散していた。走っている最中に込み上げたものがあったが、歯を食いしばって堪えた。
「ちょ、ちょ、みな、みなしろしおりっ! おね、おねちゃ、お姉ちゃんがっ!」
横から実りが現れる。もう何だかよくわからないけどもの凄く救われた気持ちになりながら、私は彼女の手を引いて走った。どこを目指しているのかわからないけど、とにかく靴底は勢いよく地面を蹴り続けた。
「お姉ちゃんが、しん、死んだ、え、えう、いみわから、え、えぅ、ぉぇっ!」
もう走れなさそうなので小脇に抱きかかえてから木の影を縫う。勢いよく嘔吐されたが、もうそんなの気にしている余裕なんてない。
「しお、しおりっ。どこ、どこ行くの? 死ぬ? 私たちも死ぬ?」
吐しゃ物を拭い去った実りが問うた。
「とりあえず走れるなら走って。キツイ」
「え、あ、うん。ごめん、ごめんね皆代栞……」
「怒ってないから。とりあえず距離置かないと」
「え、あ、うん。どこ逃げるの?」
答えに窮する。学校へ逃げ込むにしても嫌な予感しかしないし、私の家へ隠れ込むなど論外だ。
烏丸の屋敷では使用人たちを巻き込んでしまう。
「遠くまで!」
「遠くってどこ!?」
「知らないよ!」
私の肌はヴィランの気配を感じていたし、じりじりと焼き付くような視線に似たものを嗅ぎ取れてしまっている。まるで巨大なスコープから覗き込まれているかのような、抗いようのない不快感だ。
空を見上げれば、そこにある月は赤くなっていた。
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